第2話 プラットホーム(六月九日)
(六月九日)
週が明けた火曜日、六月九日、セリは大学へ向かう途中だった。
携帯はその日のうちに堤という刑事が学校まで届けてくれたが、その後の捜査が思わしくないのか綾部と親しかった人々や家族へ聞き込みがされたものの、依然として行方は分からないままである。
ショックと言えばショックだが、それよりもセリは困った状況にあった。
六月四日、刑事たちが学校へ来ていたことが生徒の間に広まった。恐らく教師たちの会話を誰かが盗み聞きしたのだろうが、セリが話を聞かれたこともバレて、綾部と親しかった者から声をかけられたり遠目に見られたりすることが増えたのだ。
友人が突然いなくなったことが信じられないかもしれないが、それで無関係な自分を責めるのは非常に迷惑だ。ヒソヒソと陰口を叩かれる鬱陶しさにうんざりしていた。
実を言えばセリは綾部が好きではない。むしろ嫌いだった。高校の頃に理由もなく短期間だったがイジメを受けていたので、出来るだけ関わらないようにしていた。その時のことを知っている子も少なくないせいか、中にはセリが殺したのではないかという囁きすらあるくらいだ。
「……そんなことしないのにさあ」
いくらイジメられたからと言っても、セリはそこまでする度胸はない。
そもそも、それが原因だったとしたら他にも何人か当てはまる人物がいる。
なんでそういうところまで考えられないのかな、と思いつつ改札を抜けてプラットホームに出て、床に描かれた乗車口の線に合わせて並ぶ人混みの合間を縫って歩く。
運良く二人ほどしかいない列を見つけてそこへ並ぶ。
丁度快速の電車が駅に入ってくるところだった。
まだ数分はあるだろうと携帯を取り出し、日付を見て、あれからもう五日も経ったんだと画面に指をスライドさせようとした。
その瞬間、ドーンという大きな音に続いて甲高いブレーキ音が響き渡った。
顔を上げた途端、ぴしゃりと足元に何か落ちる。見下ろすと赤い飛沫のようなものが線路から足元まで飛び散ってサンダルのすぐ爪先まで続いていた。
「飛び込みだ!」
悲鳴に混じってそんな声が聞こえてきて思わず後退(あとず)さった。
しかし動かした足先を追うように赤い点が擦れる。
急停車した電車とざわめき、足元の血痕に呆然と立ち尽くしていたセリの肩を誰かが掴み、声をかけたことで我に返った。
「矢島さん、大丈夫?」
少し顔色の悪い見覚えのある男子を見て息を吐く。
あまり話したことはないが同じ学科の金(かな)江(え)翔(しょう)真(ま)だった。
「金江君……」
「すごく顔色悪いよ。駅員さんに言って休ませてもらおう」
そっとその場から引き離されて改札方向へ歩きながら声をかける。
「……ありがとう、でも金江君も酷い顔してる」
セリの言葉に泣きそうに顔を歪めた金江が言う。
「……先輩なんだ」
「え?」
意味が理解できずに問い返したセリに押し殺すようにもう一度金江は言った。
「轢かれたの、サークルの先輩なんだ」
金江の顔色が悪い理由を知って愕然とした。
電車は人身事故で停まってしまっているし、ここからバスで行って今からでは講義に遅刻するのは確定である。このまま大学へ行ける気分でもない。
セリは震える手で鞄から財布を取り出すと名刺の番号に電話をかけた。
* * * * *
報せを受けて友浦と堤が現場を見て、駅の待合所に向かうとセリと見知らぬ青年がいた。
駅員が気を利かせたのか、二人とも手にお茶の缶が握られている。
友浦と堤に気付いたセリが会釈をすれば、青年の方も気が付いて同様に頭を下げたが、両方顔色が思わしくない。
「大丈夫か?」
一応声をかけると一つ頷かれる。
「はい、なんとか……」
「……僕も大丈夫です」
セリから同じ大学の生徒が電車に轢かれたと聞いてすっ飛んで来たものの、これが綾部麻美の事件と関係があるかどうかは正直分からない。
現場も一足先に見てきたがあれでは自殺か他殺か判別出来なかった。
「先輩って言ってたな、どういう関係だ?」
「僕のサークルの先輩でした」
青年を見て首を傾げる。見覚えがあるような、ないような……。
「ところで君は?」
「矢島さんと同じ学科の金江翔真といいます。電車に轢かれたのは同じサークルの先輩、宮坂(みやさか)栄(えい)祐(すけ)さんです」
「この駅はよく使うのか?」
「はい、大学に行く時はほぼ毎日。サークルに入ってからは、よく一緒に通っていました。……今日も来る途中に会って、それで……」
頭を抱えるようにして項垂れた金江の背をセリが励ますように擦(さす)る。
「轢かれる時、誰かに押されたとか見なかったか?」
「わかりません。その時は携帯を弄っていたので……」
すみません、と金江は更に落ち込んだ様子で肩を落とす。
見ていなくとも防犯カメラで確認すれば済むことなので、友浦は気にしないよう声をかけ、席を立った。だが思い出した風に振り返る。
「そうだ、お嬢ちゃんたち大学はどうするんだ?」
セリと金江は顔を見合わせた後、首を横に振った。
「堤、送ってやれ」
「ええ?」
「こんな顔色じゃあ途中で倒れかねんだろうが」
「……分かりました」
堤がセリと金江を連れて行くのを見送り、友浦は駅員に振り返る。
「さて、防犯カメラの映像見せてもらえます?」
* * * * *
セリは堤に自宅へ送ってもらいながら、隣にいる金江の顔色を窺った。
一緒に大学へ行くくらい親しかった先輩を目の前で失くして相当辛いのか、元々あまり日に焼けていないだろう色白の肌が青白っぽく見える。ぼんやり車窓を眺めているようだ。
「金江君、平気?」
声をかけると振り返って困ったように微かに微笑む。
「うん、なんとか。ありがとう、矢島さん」
「セリでいいよ」
「それじゃあ僕も翔真って呼んで」
お互いに顔を見合わせて少し笑う。
「同じ学科なのに初めて喋ったね」
「……そうだね、セリさんはあんまり男子と話さないよね」
高校の頃から今まで愛香といることが多いセリにとって、男子は少し苦手だった。
でもこうして金江――……翔真と話してみて、案外そう気負う相手じゃないのかもしれないと内心で考えを改めながらセリは言った。
「ちょっと苦手なんだ、男子。お調子者とか特に」
「ああ、そういう奴って面倒だから仕方ないよ」
「そうかな」
「同じ男でも、たまにうるさいなって思うし」
肩を竦めてみせた翔真にセリも頷く。
少し気が紛れた様子の二人に知れず堤がホッとする。
それには気付かずセリは携帯を取り出した。
「学校に連絡するから翔真君のことも言っておくよ」
「ああ、うん、お願い」
セリはすぐに坂江の携帯に連絡を入れた。
数コールで出た相手へ電車の人身事故に遭ったこと、それが桐ヶ峰大学の先輩・宮坂栄祐であること、その場に居合わせたセリと翔真は気分が優れないので休むことを告げる。
五日前の事件もあってか坂江は心配そうな声音でそれを受け入れてくれた。
電話を切るとメールが着ていることに気が付いた。
開いて飛び込んできたアドレスにセリは驚いて運転席にいた堤を後ろから叩く。
「堤さん!」
「うわっ、な、何?」
「これ見てください!」
信号で停まったのを見計らって携帯の画面を見せる。
そこにはあの不規則なアドレスと本文に一言‘Polydectes’とだけあった。
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