第1話 失跡(六月四日以降)

(六月四日以降)


六月四日。その日、朝から友浦(ともうら)有(ゆう)二(じ)のデスクの固定電話が鳴った。

 本格的に署内が禁煙となったせいで自席で吸えなくなった煙草を、火も点けずに咥えたまま、椅子にもたれかかって友浦はやる気なく新聞を広げている。

 向かいのデスクにいた部下の堤敬一が慌てた様子で呼ぶ。

「ちょ、先輩!」

 一度切れた呼び出し音が再び鳴り響くと面倒そうに友浦が顎でしゃくってみせた。

 それに仕方なく堤が溜め息を漏らして、上司のデスクにある電話の受話器を取った。

「はい、こちら捜査一課。……はい、はい、分かりました。すぐに向かいます」

 何度か相槌を打って電話を切った堤が顔を上げる。

「先輩、お仕事ですよ」

「なんだ、コロシか?」

「まだ決まった訳ではありませんが」

 道中ご説明するので行きましょう、と覆面パトカーの鍵を取った堤に友浦も椅子の背にかけていたスーツの上着を手に立ち上がった。

 通報があったのは午前九時四十分、場所は近所の桐ヶ峰(きりがみね)大学、通報者はその校長。講義の欠席が続いていた女子生徒の死体と思しきものが写った画像を、同学科の生徒が教師へ見せたことにより女子生徒宅へ連絡。しかし女子生徒は三日前から行方が分からず、両親から捜索願いが出されるところであった。

 友浦と堤はそれが本当に事件であるか調べて来い、という話である。

「ただの家出じゃねえのか?」

 年間数万という規模で行方不明者が出ているこのご時勢だ。女子大生の一人や二人、今の生活が嫌になってどこかへ逃げてしまうなんてこともあるだろう。実際、これまで友浦はそういった事件とは言いがたい案件に何度か出くわしている。

「でも死体の画像ですよ?事件性ありじゃないですか」

「悪戯でそれっぽく撮ったやつかもしれねえだろ」

「はあ……」

 堤は上司のやる気のない言葉に嘆息する。

 華の一課とまで言われる刑事部捜査一課は殺人、強盗、暴行、傷害、誘拐、立てこもり、性犯罪、放火などの強行犯を取り扱う課であり、ドラマなどでよく見る刑事というのもここが主である。

 もちろん、一課と称されていることから分かるが二課三課もあり、そちらは贈収賄などの知能犯と窃盗などの盗犯と事件によって扱う種類が分かれている。他にも暴力団を取り締まる課もあるが今は割愛しておこう。

 ともかく刑事を目指す者なら誰でもなりたいと思うのが捜査一課だ。

 しかしやっと一課になれた堤の上司は全く動かない男だった。

 友浦という男は見た目は厳つい顔立ちにややよれたスーツ、角刈りにした頭と相まってドラマに出てきそうな刑事そのままの井出立ちであるのだが、どういう訳か事件が起きてもなかなか立ち上がらない。今回のように押し付けられて仕方なく、といった状況でなければ椅子に根でも生えたように動かない。たまに立ったかと思えば喫煙所かトイレか昼食かなんて具合なのだ。

 しかし聞くところによると昔はかなり優秀な刑事だったらしい。

 妻と一人娘を失ってから今のようになったのとか、幾度も起こる殺人事件に愛想を尽かして気力を失くしたとか、色々と耳にしたが全ては噂でしかない。

「ほら、先輩、もうすぐ着くのでシャンとしてください」

「はいはい」

 通報のあった大学の駐車場に車を停めれば友浦は億劫そうに外へ出た。スーツの襟を整えて皺を伸ばし、けれどいつもの猫背姿でちらりと校舎を眺めてから堤と共に正面玄関へ向かった。

 中に入ると大学の校長だろう人物とまだ歳若い教師が出迎えた。

「お待たせしました、私は堤、こちらは上司の友浦です」

「どうも」

 丁寧に名刺を差し出す堤とつっけんどんに頭を下げて名刺を渡す友浦に、ホッとした様子で大学側の二人も頭を下げる。

「私はこの桐ヶ峰大学の校長を務めておりま山井(やまい)です」

 山井は五十後半くらいの頭頂部が少し薄くなった好々爺然とした男だった。

「僕は行方不明の子とその画像を持っていた子の学科を受け持つ坂江(さかえ)です」

 坂江は二十半ばほどで真新しい感じのスーツを着た気の好さそうな男だった。

 山井と坂江に促されて応接室へ向かう。

 どうやらそこには既に行方不明の女子生徒の画像を持っていた同学科の生徒がいるらしく、向かう道すがら行方不明の生徒が綾部麻美という名だと知った。聞くところによると度々講義を遅刻したり欠席したりを繰り返し、高校時代も何度か夜間に補導されたこともある色々派手な部分を持つ生徒だったそうだ。

 応接室に通されると何故か女子生徒は二人いた。

 友浦はゆっくり話を聞きたいからと山井と坂江を追い払って堤と部屋へ入る。

 緊張した面持ちの二人の女子生徒の前に腰掛け、まずは自己紹介をする。

「刑事の友浦だ」

「部下の堤です」

 すると女子生徒たちは少し目を見合わせたあと会釈をした。

「綾部さんと同じ学科の矢島セリです」

「同じくセリの友達の湯川愛香です」

 手帳を広げた堤が手元に書き込みながら問う。

「画像を持っていたのはどちらですか?」

「わたしです」

 セリは返事をし、それからテーブルの上に出してあった携帯を操作してメールを見せた。一通目以降は件名も本文もなく、画像のみ添付されたあれだ。

 失礼、と堤が携帯を受け取ると友浦と一緒に画面を覗き込む。

 そこに写っている画像に二人は瞠目し、息を詰めた。

 ‘Medousa’と打たれた件名のメールは若い女性の首のない死体、次に女性物のバッグとサンダル、そして最後に恐ろしい形相の首だけの死体。

 何度も事件で死体を目にした友浦はすぐにこれが本物だと分かった。

「クロだな」

 メールの着信日時と内容をメモする堤の横で友浦が呟く。

それを聞いたセリと愛香はやはりと顔を暗くする。

「お嬢ちゃん、この携帯しばらく借りてもいいかい?明日には返すから」

 堤の手にある携帯にセリはちょっと躊躇いがちに視線を移した。

「問題のメールと画像以外は出来る限り見ないし、中身も漏らさないよう約束する」

 セリは考えるような仕草を見せたものの頷いた。

 メールなら発信元を割り出すことも出来るだろう。

 事件解決の糸口を手に出来た喜びに友浦は小さく笑った。

「ありがとう。ところで何かこういうメールが来る理由に心当たりは?」

「……わかりません。一昨日の夜一通目が着て、昨日の昼に二通目が、夜にまた三通目があって、それからは全くないです。愛香に相談する時に三通目の画像だけは送ってしまいましたが、他は誰にも送っていませんし、先生以外にも話していません」

 両手を膝の上で握り、けれどしっかり上げられた顔は少し血色が悪いものの、体調不良というほどでもなさそうだ。返答もきちんと出来ている。

 見た目はどこにでもいる普通の子だが、実は気が強いのかもしれない。

 隣りにいる友人の方も気丈に背を伸ばして友浦と堤を見ている。

「そうか、また話を聞きに来ると思うけどよろしくな」

「はい、よろしくお願いします」

 受け取った携帯をスーツの胸ポケットに仕舞い友浦が立ち上がる。

 堤もそれを受けて席を立ち、外で不安そうに待っていた山井と坂江に声をかけ、セリと愛香を帰させると代わりに二人にソファーを勧めた。

 初老の校長と若い教師は緊張からか座っても黙り込んでいる。

「先ほどの矢島セリはどんな生徒さんですか」

「えっ?」

「ああ、いや、疑っている訳ではなくてただの興味です」

「はあ…?矢島はこう言ってはなんですけど優等生ですね。綾部と違って髪を染めたり化粧をしたりせず、成績も良くて素行にも問題のない、ごく普通の子だと思います」

 いつも一緒にいる湯川愛香は時々派手なことをしていますけど、やはり矢島と同じく教師たちからは優等生として二人ワンセットで覚えられています。と告げる。

「綾部は逆に教師陣を困らせる筆頭で、かく言う僕も苦労しています」

 困った様子で頭を掻く坂江にそうだろうと友浦も思った。

 話を聞くに綾部麻美と矢島セリは全く接点がなさそうな生徒同士だった。

「どうか綾部麻美さんの行方を捜してください」

「僕からもお願いします」

 頭を下げる山井と坂江に頷きで返す。

「出来る限り尽力します。それでは戻ってさっそく調べますので……」

 上手く切り上げて友浦と堤は席を立ち、山井と坂江に見送られて玄関から出る。

 車に乗って、校門を出たところで友浦が煙草を取り出した。

「これ禁煙車ですよ」

「そうだったか。とりあえず、これは鑑識に持って行かねえとな」

 堤の指摘に肩を竦め、意に介さず火を点けた。

 すぐに換気のために窓が開けられる。

 友浦の反対の手には可愛らしいキャラクターのカバーがかけられた携帯が握られている。見たところ某夢の国の住人である。若い女性らしいカバーだった。

 珍しくやる気を見せている上司の姿に堤はひっそり喜んでいた。



* * * * *




 鑑識に持ち込んだ矢島セリの携帯は数時間後には持ち主に返った。

 中にあった問題のメールと画像に関してだが、メールは海外のサーバーをいくつも経由して送信されていたので発信元は掴めなかった。画像も分析で合成ではなくこの写真が本物であることが証明されたため本格的な捜査となった。

 けれどもそれはすぐに暗礁に乗り上げる。

 どうやら綾部麻美という人間は随分奔放な性格だったのか、可能性のある行き先だけでも二十件以上。その大半が男の友人や知人宅、ゲームセンターや通いのブランドショップやアルバイト先といった場所で一つ一つ回るだけでも時間がかかったのに結果は期待を裏切り、立ち寄った形跡なしだった。

 三日前の六月一日朝に家を出て大学へ行き、その後パッタリ足取りが消えている。

 その翌日――つまり矢島セリの元へメールが届いた六月二日――の夜には殺されていたと考えれば、犯行はその空白の一日だろう。画像を見ただけだが鑑識が言うには瞳孔の濁り具合からしてその空白の一日の間に亡くなった可能性が高いとの見解だ。

 あれから四日もかけたのに収穫がないことに舌打ちしたい気分である。

「一体どこで殺されたんだ?」

 画像を拡大してみても取っ掛かりになりそうなものが何もない。

 死体は切り離された首に爪痕が残されていたことから絞殺だろうと推測されたが、人間の首を切断するには相当力がいる。写真の様子からして断面はあまり綺麗とは言い難く、ノコギリなどで切ったとすれば大量に血が飛び散り、その痕跡を消す作業からしても人目につかない場所でなければならない。

 誘拐から殺人まで、一連の動作を見られずに行える場所は限られてくる。

 そして写真の場所の特定だ。最悪なことに死体とその周りは暗く、画像を鮮明にしてもせいぜい薄汚れたコンクリートくらいしか分からない。死体の写真を送りつけるという自己顕示欲の一方、証拠らしい証拠を写さない辺りに犯人は相当頭の回る人物、もしくは警戒心の強い人物か。

 それから一通目の件名にあった‘Medousa’の文字。メデューサはギリシャ神話に出てくる恐ろしい形相をした女の怪物で、その目で見られた者は石になるという。詳しく調べたところ、メデューサを殺したペルセウスは鏡のように磨いた盾に映った姿を見ながら近付き、目を覚ます前に首を撥ねたそうだ。首のない死体が手鏡を握っていたことも考えると、その怪物になぞらえるかのごとく殺したとでも言いたいのだろうか。

 通報から五日が経過したが進展は何もない。

 溜め息交じりに煙草を咥えた友浦の携帯が突然鳴る。

 …まだ点けてねえっての。

 禁煙の署内での行為を咎められた気がして舌打ちを一つした。

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