第2話 プラットホーム(六月十日)

(六月十日)


 セリは翌日、母親に送ってもらい大学へ行った。

 今はまだ電車を見られる気分ではなかった。

 講義が始まる前だったのでカフェテリアへ行くと、先に大学に着いていた愛香がすぐさまやって来てセリの前の席に居座り、顔を覗き込む。

「セリ、大丈夫?」

 昨日よりはマシになっているだろう顔に手を当てて頷いた。

「うん。……そんなに顔色悪い?」

「顔色はあんまり悪くないけど、なんか病人みたいな雰囲気はしてる」

 確かに轢かれた瞬間を目撃した訳ではないけれど、衝撃的なことが重なって起きているせいか疲れが顔に出ているのかもしれない。

 これあげるよ、なんてセリの大好きなお菓子をくれる愛香の優しさに嬉しくなる。

 しかし、少しするとカフェテリアの入り口の方が騒がしくなり、肩で風を切るような勢いで人がやって来た。見覚えのないその女子生徒は周囲を見回し、セリを見つけると眦を吊り上げて歩み寄り、何の前触れもなくセリの横っ面を引っ叩いた。

 じんじんと痛む頬を押さえて呆然と見上げると怒鳴りつけられる。

「なんでアンタが生きてんのよ、この疫病神!」

 訳が分からず目を白黒させているセリの横で愛香がムッとする。

 更にもう一発平手を浴びせようとした女子生徒の手を誰かが掴んだ。

「先輩、やめてください」

 静かな、けれど怒った声で止めたのは翔真だった。

「でもこの子のせいでここのクラスの子だって行方不明って……」

「先輩はただの噂を信じるんですか? それでいきなり知らない人間を殴るような、そんな人だったんですか? これじゃあまるで八つ当たりですよ」

 翔真の言葉に顔を真っ赤にした女子生徒は手を振り払うと足取り荒くその場を後にする。

 それを見送ってから顔を戻すと心配そうに眉を下げた翔真と目が合う。

「腫れているし保健室に行こう」

 手を引かれて立ち上がると、反対の腕を愛香が取った。

「あたしも行く」

 翔真と愛香に両手を引かれてセリも立ち上がる。

 無言でカフェテリアから離れ、周囲に人気がなくなると愛香が切り出した。

「さっきの誰?」

 直球な問いに翔真は嫌な顔一つせずに頷いた。

「同じサークルの榊(さかき)先輩。宮坂先輩と付き合ってたみたいで……」

「なるほど」

 自分を挟んで会話をする二人にセリは両手を上げて降伏した。

「ねえ、どういうこと?」

 同じサークルの榊が宮坂と付き合っているのはいいとして、何故そこから自分が一発叩かれることになったのか全く以って理由が分からない。

 首を傾げたセリに愛香が眉を下げた。

「綾部さんの件と、今回の宮坂先輩の件、立て続けに起こったでしょ? それで誰かが‘矢島セリの傍にいると死ぬ’って噂を言い出したみたいで、昨日の今日なのにもう大学中に広まってるみたいなの」

 その突拍子も信憑性もない噂の内容に呆れて天を仰いでしまった。

「…その理屈だとわたしは天涯孤独になって、愛香もとっくの昔に死んでるじゃん。馬鹿みたい、そんなのみんな信じてるっていうの?」

 そもそも同じ学科になっただけで死ぬのなら、セリが毎年学年を上げるごとに最低一人は死ぬ計算になるが、生憎、綾部麻美以外は今のところ健在である。

「そんなの僕は信じてないよ。綾部さんのことはよく知らないけど、宮坂先輩のことだけで言えば僕の方が疑われるはずだし……。ねえ、綾部さんのことでセリさんと湯川さんが刑事さんに話を聞かれたのは何かを知ってるから?」

 驚いてセリと愛香の足が止まる。

 数歩先を行った翔真が振り返る。

「誰にも言わないから教えてほしい」

「アンタが黙ってる保障は?」

「この状況で広まれば僕が情報源って二人には分かるよね。それなのに言う訳がない」

 セリと愛香は顔を見合わせて数秒考えた後に小さく息を吐き出した。

 そうして立ち止まって周囲に気を配りながら、綾部麻美が死んでいるだろうこと、送られてきたメールと画像についてを大まかに説明し、メールも見せた。

話を聞いた後、翔真は納得した様子だった。

「だから昨日、刑事さんの電話番号を知ってたんだね。それにメールで騒いでいたのも」

「うん、そういうこと」

 講義の予鈴の音に三人は保健室へ歩き出す。

三人が受ける講義は一つ先なのでまだ時間はあった。

「……やっぱり関連性があるのかなあ」

 綾部の時には画像付きのメールだったため分かりやすかったが、宮坂の件では電車に轢かれるという現場に居合わせた後に単語のメールが着ただけで、本当に関係しているのかセリはまだ少し疑っている。

 そこまで考えて昨日の駅での出来事と、その後届いたメールを愛香に話していなかったことを思い出し、掻い摘んで話して聞かせた。メールは実物を見せ、書かれている単語が何なのか三人で首を捻らせたものの、まずは読み方が大きな壁になった。

 保健室に到着し、一旦話を切り上げ、セリは保険医に頬を診てもらった。

 幸い腫れているだけで口の中は切らなかったため湿布を貼り、保健室に来たことを確認するための紙を書いただけで済む。どうしたのか聞かれたが、答えられなくて曖昧に誤魔化したセリに保険医は軽く溜め息を吐いただけで見逃してくれた。

 保健室を出た途端、黙っていた愛香が閃いたとばかりに手を打った。

「そうだ、神話だよ。ギリシャ神話!」

「……そうか、メデューサがギリシャ神話ならそれ繋がりの単語かもしれないね」

 愛香の言葉に逸早く察した翔真が深く頷く。

「じゃあ昼休みに調べてみよう」

 セリたちは互いに頷き、そういうことになった。




* * * * *




 昼休みになり早々と昼食を終えたセリたちはコンピュータ室へ向かった。

 最初は図書室も考えていたのだが、インターネットで探す方が遥かに早くて情報の量も多いことから、パソコンで調べることになった。

 コンピュータ室に行くと教師がいた。

「こんにちは」

 声をかけるとまだ三十代くらいの女性の若い人だった。

「こんにちは、どうかしたの?」

「ちょっと調べものをしたいのですが、パソコンを一台お借りしても構いませんか?」

 翔真の問いに鷹揚に先生は頷く。

「ええ、いいわ。好きなのを使ってちょうだい」

 言われて出入り口の側にあったパソコンの一台を拝借する。

 電源の入れてあったそれでインターネットを開き、セリは携帯片手に‘Polydectes’と‘ギリシャ神話’のキーワードを打ち込み検索した。

 すると一番上にヒットした単語はポリュデクテースという名前だった。

 ポリュデクテースはセリーポスという島の領主だったが弟のデュクテュスが助けたダナエーという女性に横恋慕し、その息子のペルセウスを怪物メデューサの退治に唆して行かせたものの、帰って来たペルセウスの手で討ち取られた怪物メデューサの首によって石にされてしまった男らしい。

「メデューサとやっぱり関係あったのね」

 パソコンの画面を覗き込んだ愛香が呟く。

「じゃあ宮坂先輩はポリュデクテースってこと?」

「そうじゃないかな。メデューサとの繋がりや物語を見る限り、犯人は自分を‘ペルセウス’に見立ててるんじゃない?」

「……でも結局、誰が犯人かは分からないわ」

 しばし三人で考えてみたが、犯人に繋がりそうなことは分からなかった。

 画面をデスクトップに戻すと教師へ声をかける。

「ありがとうございました」

「あら、もういいの?」

「はい、助かりました」

 礼を述べてコンピュータ室を後にする。

 人気のない中庭の渡り廊下から外へ出て花壇と校舎の隙間にある目立たない場所で、三人はしゃがみ込むと顔を見合わせて沈黙した。

 探していた単語の意味は分かったが、根本的な解決には至らなかった。

「あ、そうだ、友浦さんにも教えないと」

「友浦って……ああ、あの渋い刑事さんか」

 あたし若い人の方が好みよ、とのたまう愛香に思わずセリと翔真は噴き出した。

 言いたいことは分かるが、ハッキリ言い切ってしまうのが愛香の欠点でもあり、長所でもあり、セリが愛香を友人として好ましく思う部分であった。

 携帯で電話をかけ、セリは手短に友浦に調べたことを伝えた。

 勝手に嗅ぎ回っていることで少々注意されたものの、お咎めはなかった。

 綾部麻美について他に何か知っていることはないか聞かれたが、彼女の交友関係や普段の私生活は全く知らないのでセリは答えようもなく、わからないと謝っておいた。

「なんだって?」

 通話を切ったセリに愛香が問う。

「友浦さんもそうじゃないかって調べてたんだって。あと、一応綾部さんの知り合いは全部当たってみたけどやっぱり行方はまだ分からないみたい」

「そうなんだ、それじゃあお手柄にはならないね」

 やや残念そうに言う翔真の肩をセリが軽く叩いて励ます。

「他にも調べられることならあるよ。綾部さんと宮坂先輩の人間関係の中に重複してる人がいないか探してみるとか、二人を恨んでる人を探すとか。もし宮坂先輩の件が本当に事件ならその線を調べるのがベターだと思うんだよね」

 自分でも推理モノじゃないんだからと思いつつも、強(あなが)ち間違いでもないと思う。綾部の交友関係は広そうだったので少なくとも一人くらいは宮坂と関係のある人間は見つかっても可笑しくないし、宮坂はどうか知らないが、綾部は性格がキツかったので調べれば色々出てくるかもしれない。

 何か有益な情報が出てきたら友浦に連絡すれば多少は捜査の手伝いになるだろう。

「……そうだね、そうしよう」

「まあ、今はそれくらいしか出来ないわね」

 三人は綾部と宮坂の人間を調べて見ることとなった。

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