第19話 対決
二人はすぐに見つかった。
連絡が来たのは、あらかた指示も出し終えて、二人がいなくても文化祭終了まで突っ走れる状態になった頃だった。
『永野先輩と渋谷さんは一緒です』
一年の実行委員から俺の携帯に連絡が入った。俺は仕事に専念する時間が少しでも取れたからか、冷静になれていた、と思う。
『生徒会室に向かうそうです』
「わかった。ありがとう」
なんで俺に敬語なんだろう、という疑問を持ちつつ、通話を切る。同時にメールを打つ。二人が見つかったこと、捜索隊は直ちに解散し自分の持ち場に戻ること、そのメッセージををメールリストで一気に飛ばす。
『見つかったか』
すぐに会計氏から電話が入った。
「生徒会室に二人で来るそうです」
『無事なんだな』
「無事です。ヤンキーなんかとは関係ないようです」
『なら良かった。こっちは大人の相手を続行する。後は頼んだ』
「よろしくお願いします」
手短に通話を切ると、その後も続々と連絡が入ってくる。急に態勢が変わったから、指示がないと動けない人が多く出ていた。電話の相手だけじゃなく、別の留守番要員にかかってきた電話にも答え、留守番要員自身の質問にも答え、俺はやたら忙しかった。
この時の俺の判断力は、後から考えても異常だった。
とにかく色々な判断が求められていたけれど、片っ端から答えていた。
パニックになったのはほんの数分前のこと。それがとても信じられないような俺の指示ぶりに、この時一緒にいた実行委員たちは、後に、綾華さんと由紀と会計氏の三人が乗り移っていたようだったと表現した。
俺としては、もうやれることを徹底的にやる以外にないわけで、ここまで文化祭を引っ張ってきて、悪辣なこともやって、とてもじゃないけどもう一度やれといわれても絶対に出来ないような仕事をしてきた。
ここでひっくり返されるわけにはいかない。三人分だろうが四人分だろうが、出来る限りのことはやる決意だった。
「もう資材がどうこういう段階じゃないだろうから、体育館裏の要員は後夜祭準備に回って下さい。指示は後夜祭担当に出してもらって」
「校内アナウンスで後夜祭の誘導と火気の取り扱いについて注意を促して下さい。案内メッセージは予定通りで」
「巡回班はそろそろ準備を。人がそろっていなくても構いません、現地集合で回って下さい。チェックリストを忘れないように」
「演劇部の最終公演が始まる頃です。開演したら誘導スタッフはそのまま各クラスの火気機材の回収作業に回って下さい」
「職員室に伝達、迷子の捜索状況を詳細に伝えて、指示を仰いで下さい」
「巡回班に追加指示を。各クラス単位で持っている領収書の類も回収して下さい。ここで渡さなければ自腹ですよと。どこまで経費で扱えるかはリストを見てください。わからなければ連絡下さい」
どんどん指示を出していく。そばに二人スタッフを置いて、電話の応対をさせたり、俺の指示をメモさせたりしていたのだけれど、事後、彼らは「自分が何をやっているかわからなくなるくらい忙しかった」「あんなに早く指示が出てくると二人がかりでも追いつかなかった」と語ったそうだ。
確かにあの時の俺はちょっと凄かった。
たぶん、それこそあんなまねは二度と出来ないと思う。
そんな大騒ぎの最中に、綾華さんと由紀が生徒会室に戻ってきた。
俺はしばらく相手をしなかった。
完全に無視していた。
わざとそうしたわけじゃない。仕事を優先したら、正直二人のことに構っている余裕なんか1グラムも存在しない。
「喧嘩? 数で押し切ってください。まわりのスタッフをそこに集めますから、喧嘩してる連中をまとめて袋叩きにして構いません。佐藤晃彦が責任を持ちます」
「クレーマーですか。うちの生徒ですか? 外部ですか? 外部なら、職員に振って下さい。構いません、生徒がケツ持てる話じゃないでしょう」
「特別教室棟の配置が薄くなっています。誘導係が足りません。遊んでいるスタッフはすぐに仕事に戻ってください」
二人の姿すら視界に入れず、俺は指示を出しまくっていた。手元にどんどんメモが飛んでくる。それをすぐに処理し、次のメモに取り掛かる。
そんな状態が10分も続いた。
ようやく生徒会室が落ち着きを取り戻したのは、綾華さん、由紀、会計氏の上席三人が一気に抜けて出来た穴をふさぎきった、その証拠だった。
あまりに集中していたせいか、俺はめまいを起こした。
立ったまま指示を出し続けていた俺は、なんとか机に両手をついたりして体を支えていたけれど、ある程度めどが付いて気が抜けた瞬間、目の前が真っ暗になった。
あ、やばい。
かろうじて目の端に入ったいすに手をかけ、感覚だけで座ろうとする。
何とかそれには成功したようだったけれど、自分がどんな状態になっているか、わからなかった。
多分、座ったんだろうと思う。机に腕を乗せて上体を支えたつもりだけれど、よくわからない。
ぐるぐると世界が回る感覚の中で、俺は、そういえば二人が帰ってきてたんだったな、なんで二人がここにいるんだっけ、などと考えにもなっていないことを考えていた。
ようやくまともに頭が動くようになったのはどれくらい経ってからの事だろうか。
気が付くと、俺の体を支えるようにして由紀が抱きついていて、その体が不規則に揺れていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
時々つぶやいているのが耳元に聞こえてくる。顔を見なくても、泣いているのがわかった。
「……どしたの」
由紀の頭をなでようと腕を上げ、それが由紀の頭に届くより先に、やっと見えるようになった視界の中心に、綾華さんが凝然と立ち尽くしている姿が入ってきた。
綾華さんは無表情だったけれど、その目が、今まで見たことがないほど暗かった。
「ここまできたら」
と、誰かが声をかけてきた。見ると、例のクーデター以降、俺たち新実行委員会指導部のメンバーとして一緒に働いてきた2年生スタッフだった。
「あとは計画通りに運んでいくだけだ。配置換えが上手くいっているから、もう多少のことじゃ君の判断も必要なくなっている。俺たちに任せてもらっていいよ」
「……そういうわけにも行かないでしょう」
「そういうわけにいってもらいたいんだけどね。なにしろ空気が重過ぎる」
スタッフはそういって苦笑した。
綾華さんはそっぽを向いた。由紀は抱きついていた姿勢をぱっと戻し、俺から離れた。泣き顔を隠すように俺に背を向ける。
「……なるほど、重いですかね」
「重い、重い」
どう見ても、二人が突然消えたり、生徒会室にどろどろした空気を持ち込んだ原因は、俺にあると見て間違いなさそうな雰囲気だった。
綾華さんが俺に告白した経緯を知らない人々でも、この三人になにか問題が起きていることだけは感じ取れた。
俺は。
由紀が泣いているのも、綾華さんが暗い目をしているのも、気に入らなかった。
俺の知らないところでなにやってんだよ二人とも。
あからさまではないにしても、生徒会室のいる誰もが、事情は知りたいけれど係わり合いにはなりたくないという態度になっている。ここは、三人で出て行くのが正解なんだろう。
めまいは治まっていた。
俺は立ち上がった。
「……おいで、由紀」
背を向けていた由紀の背に手を当てる。そっと押すと、由紀は抵抗しなかった。俺が歩き出した方向に、一緒に歩き出す。
「綾華さん、行きましょう」
少し離れたところであさっての方向を見ていた綾華さんにも声をかける。綾華さんは顔をうつむけて一瞬考えるような仕草をしたけれど、すぐにそのまま歩き出した。後ろから付いてくるつもりらしい。
文化祭の期間中、俺たちは校内各所の鍵を預かっていた。本当は会計氏が預かっていたのだけれど、大人対策を頼んだあの時に、鍵束をそのまま渡されている。実行委員の取りまとめ役が鍵くらい持っていないと、イベントも何もできなくなってしまう。
その鍵束を使って、普段は閉鎖されている校舎の屋上に出た。
文化祭初日の昨日は、ここで科学部が気球を上げる実演をしたり、夕方には天体観測の実演をしたりで大騒ぎだったけれど、今日は予定は入っていない。鍵を開けて扉の外に出ると、秋晴れの空が出迎えてくれた。
屋上の給水塔の脇にコンクリートブロックがある。もう少し前の季節なら、日陰にならないそのブロックに座ろうなんて思わないけれど、11月の日差しはもう沈みかけている。
「もう寒くなってきそうだけれど」
といって俺が座ると、由紀は素直に俺の右隣に腰を下ろした。
後からついてきた綾華さんは、給水塔の柱に寄りかかるようにして立った。陰の中に入り、俺から見て左側に立っている。日向側からだと、もう薄暗くなり始めているから顔色がやや見えにくい。
「それで……」
俺は正面に顔を向けていった。
「何が起きてるのか、説明してもらえます? どっちでもいいから」
まず由紀を見る。
由紀は俺の隣で背を伸ばして顔だけを伏せていたけれど、俺の言葉に顔を上げ、綾華さんのほうをちらりと気にした。
その視線に誘われるようにして綾華さんを見る。
綾華さんは、腕組みして立ったまま、じっと俺たちの足元の辺りを見つめている。
「なんでもないよ」
低い声で、綾華さんがいった。暗い顔は少しも変化がない。
「それで納得するとでも?」
俺はあまり気分のいい体調ではなかったけれど、おかげで肩の力や気負いは抜けていた。綾華さんの態度に腹も立たなかったし、別に問い詰める気も無かった。少し食い下がって、まだ説明する気が無いようだったら、おとなしく引き下がるつもりでいた。
なぜといわれても困る。事情はともかく、少なくとも俺にすまないという気持ちがあることだけは、二人の顔を見ればわかる。なんかもう、それで充分な気がしていた。
多分、話し始めるとしたら由紀だと思っていた。二人きりになってからかな、なんて思っていた。
だから、綾華さんの方から声がしたのには、少し驚いた。
「……あたしが悪いんだよね」
さめたような、諦めたような、低い、小さい声。
「由紀に嫉妬したんだ。馬鹿だと思うけどさ、嫉妬しちゃったんだよ」
綾華さんは暗い目のままつぶやくようにしていった。風が弱かったからかろうじて聞こえた。
「あんたのこと、すごく信頼してるのが伝わってくるんだよ。言葉の端々からさ。耐えられなくなった」
由紀が身じろぎする。触れるか触れないかの距離にあった由紀の左手が、そっと俺の右ひざに置かれる。
「だから、全部いった。あんたが好きだってこと、彼氏と別れたこと、あんたに思いを伝えたこと、それできっちり振られたってこと」
俺は正直、呆然としていたと思う。
綾華さんは俺の顔をちら見したあと、組んでいた腕をほどいて、片手で髪をかきあげた。
「いうだけいっちゃえば、あたしはすっきりするし、気持ちの整理もつくし。つまらない嫉妬で由紀と一緒にいる間中いらいらすることもなくなるだろうって思ったんだけどさ」
由紀が、俺の右ひざの上に置いていた手にきゅっと力を入れた。
「こいつ、それ聞いてなにいい出したと思う? あんたなら想像つくんじゃない?」
皮肉っぽい笑み。
残念なことに、大体想像はついてしまった。熱くなっていた右ひざの感覚が、俺にそれをいうなと伝えてくる気もしたけれど、綾華さんの顔は、中途半端な答えを出したら容赦しない、といっているように思えた。
あんた、あきちゃんの隣に座るんだったら、それなりのものを見せてみなさいよ。
綾華さんの目が、由紀にそう訴えている。これから始まる断罪、それをどう受けるかで、綾華さんは自分のこれからを決めようとしている。
「……俺を譲るとでもいいましたか。自分が消えればいいとでも」
「晃彦くん……」
由紀の涙混じりの声。
「あはっ」
綾華さんがはじけるように笑った。
「お見事! 消えればいいってところまで当てるのがさすがね」
自分を過小評価する癖がある人間は、自分がらみで何かが起きれば、すぐに自分が消えればいいと考えてしまうもんだ。そんなの、俺だってそうなんだから、俺以上にその癖がひどい由紀がそう考えないはずがない。
綾華さんにはわからないだろう。
「そこまで理解されてるのよ。愛されてるのよ。何が不満なのよ。消える? 冗談でしょ、それじゃ完全にあたしが悪者じゃない」
低い声で、綾華さんは由紀を連打する。
「あんたのは自分を守ろうとしているだけだわ。自分が悲劇のヒロインになればそれで場が納まる、もう自分を攻撃してくる者もいなくなる、消えてしまえばつらいことも無くなる、そういうことでしょ」
由紀はじっと耐えていた。俺の右ひざをつかみながら、うつむいて、じっと耐えていた。耳をふさごうとはしなかった。逃げ出さなかった。
「あたしは振られたのよ。あきちゃんに選ばれたのはあんたなのよ。そのあんたがあきちゃんは諦めます、私は消えてなくなります、ふざけんじゃないわよ。自分を選んだ男を放り出してあたしに拾わせようっていうの? ずいぶん傲慢な言い草よね、それ。どんだけ上から目線なんだよ」
俺は綾華さんを止めなかった。
打たれているのは由紀だけれど、一番傷付いているのは綾華さんだ。
そしてこの傷は、途中で打ちやめてしまえば、残る。
いっそ激しく切り裂いてしまった方が治りが早い傷もある。
「あたしがどんだけ苦労してあきちゃんを諦めたか、あんたにわかんの? あんたがそばにいるなら諦められるって、自分を納得させられるまでのあたしの苦しみがあんたにわかんの? そのあんたに、あきちゃんを譲られるとか、どんだけ屈辱だと思ってんの? あんた、傲慢にもほどがあるだろ」
綾華さんの声は低いままだったけれど、涙混じりになってきたのがわかる。
「あたしが今、ここで、あきちゃんに抱きついて、あたしを選んでっていったらどうなるかわかるか?」
綾華さんはそれまで寄りかかっていた鉄柱から離れた。腕を組み直してゆっくり歩き、俺たちの前に仁王立ちした。
俺の顔を見て、暗い目のまま口元だけを笑みの形にゆがめた。
「こいつ、由紀をかばうよ。あたしを絶対に選ばない。拒絶するに決まってる。そういう奴だよ。だから好きになったんだ」
由紀は、いつの間にか顔を上げていた。涙をこぼしながら、いつになく強い顔で綾華さんを見上げていた。
「憎たらしいほど頭いいくせに鈍感で、鈍感なくせに人の心ずばずば読んで、どっちなんだよってこっちが混乱してるうちに心の中に入ってくるんだ」
そういうと、綾華さんは俺の足先を軽く蹴った。
「策略家のくせにまっすぐで、正直で……手に負えねえよ、こんな奴」
聞いているだけだとどんな完璧超人なんだ俺は、という感じだけれど、黙って聞く。
「で、あんたは、今もそうやってあきちゃんの隣に座ってる。それってさ、あたしに譲る気なんかこれっぽっちも無いってことじゃんか」
由紀はまだ顔を上げ続けていた。そして、ようやくここで声を出した。
「……譲りません……譲れません……」
詰まった声は聞き取りにくかった。そして、いい終わると大きくしゃくりあげた。
それがきっかけのように、由紀はいつになく大きなはっきりした声でいった。
「私が弱いから、綾華さんにいわれてとっさに気弱なことばかりいっちゃいましたけど、私は晃彦くんを誰にも譲りません。もっと強くなって、晃彦くんが誰よりも好きな自分に負けないようになります」
「意味わかんないよ、頭悪いあたしにもわかるようにいってくんない?」
腕組みして仁王立ちしている綾華さんは、女王の風格で由紀に迫る。
ついに由紀は立ち上がった。
小さな肩は、いつの間にか、細いなりの強さを漂わせていた。
「私は晃彦くんが好きな自分に負けてばかりいました。好きな気持ちだけが大きくて、どうしたらいいかわからなくて、そんな気持ち、無かったことにしちゃった方が楽だとすら思ってました」
二人の対決に、俺の立ち入る隙はなかった。
「でも、綾華さんに馬鹿なこといって気付きました。どうして自分の気持ちに正直になれないんだろうって。晃彦くんが好きな自分に負け続けて、それで晃彦くんを失って、それで誰が一番つらいのかって」
「あんたでしょ。まさかあきちゃんだとでもいう気?」
「自分です。そんなこといいません。自分が一番つらいです。それに耐えてちゃいけないって気付きました」
「気付いてどうするの。自分のわがまま通せば幸せになれるとでも思ったわけ」
「わがままなんかじゃありません。だって、晃彦くん、私のことを選んでくれました」
ここで二人が俺を見た。どきっとしたけれど、へらへら笑える場面でもないから、黙ったままうなずいた。そのまま続けて、と伝えたつもり。
「綾華さんと何があっても、関係ないです。私と晃彦くんがお互いをどう思ってるかが大事なんです。そんなことも気付かないでおろおろしていた自分が馬鹿みたいです」
「……」
綾華さんが黙った。黙ったまま、腕を組んでじっと由紀を見つめている。
「何も知らないで晃彦くんと一緒にいられる幸せに浸ってた自分ももっと馬鹿だと思います。でも、何があったか知ってしまったときに、自分から引き下がろうとした自分が最強の馬鹿です。死んじゃえばいいです、そんな奴」
由紀のセリフとも思えない、強い表現がどんどん出てくる。
「だからそんな奴はここで殺しちゃいます」
そこで言葉をひとつ区切り、由紀は大きく息を吸った。声に、もう涙の成分はない。
「私は、晃彦くんが好きです。晃彦くんが私のことを好きといってくれた、その何十倍も何百倍も好きです。綾華さんが晃彦くんを好きな気持ちになんか絶対に負けません。そのこと、私自身が認めなかったら、何もかもウソになっちゃう」
綾華さんは腕組みしたままの姿勢で由紀を見つめていたけれど、もうその目は暗くなかった。むしろそれは。
「私、消えません。譲りません。綾華さんがどこまでも晃彦くんのことで争うというなら、どこまでも戦います。綾華さんのこと大好きだけど、これだけは絶対です」
「よくいうじゃないの」
大化けしたライバルの成長を喜ぶ敵方の大物のような……といったら失礼かもしれないけれど、いっそ爽快なほど、綾華さんの立ち姿は凛々しかった。
「さっきまでひざを抱えて泣いてた小娘がよく吼えたわ。大したもんだわ」
赤い日差しの中で、綾華さんは腕組みをほどいた。誰もが校内一と認める美貌は、笑顔の時以上に、強気な眉目に鋭気をたたえた表情の時に光り輝く。
「そこまでいえるなら安心だわ。いえないようなら、どうせそのうち誰かに奪われちゃうんだろうから、先にあたしが奪うところだけれど」
そういいながら、綾華さんは手を差し伸べた。
由紀はじっと綾華さんを見つめたまま、その手を取った。
握手するのか、と、由紀は思ったのだろうし、俺もそう思った。
でも、相手は綾華さんだ。まともに行くはずがなかった。
取ったばかりの手をぐっと引き、綾華さんは戸惑う由紀を力いっぱい抱きしめた。
「あんた、あたしが好きになるくらいいい女よ? 大丈夫、自信持ちなさい。その内、あきちゃんが持て余すくらいのすごい女になれるから」
そして、抱いてた腕のうち右腕だけを伸ばし、俺を手招きした。
何を始める気かはわからないけれど、ここで戸惑っていても仕方がないので立ち上がった。
綾華さんの白くて長い指を取ると、綾華さんは俺の指を引いて、抱き合う二人の横に導いた。
「もとはといえば、ぜええええんぶあんたのせいね。わかってるわよね」
「え、あ、え、いや」
俺はどもった。今さら綾華さんに気後れしたからでも、怯えたからでもない。確かに俺が原因かもしれないけれど、全部俺のせいといわれると非常に反論したくなる。
「あんたのせいなの! こんないい女二人も振り回しといて、自分がいい男だって自覚がない馬鹿のおかげで、どんだけこっちが苦労したと思ってんのよ!」
綾華さんが怒鳴る。由紀がこらえきれずにくすくす笑っているのが肩から読み取れて、俺は抵抗する気を失った。
「へえへえ、そいつぁ悪うござんしたね」
「わかったらあたしたちに謝りなさい」
「どうもすいませ……」
「言葉じゃなくて! ふつう、ここまで導かれたらわかんだろ!」
空いている右手がすかさず俺の胸にクリーンヒットする。
ごふっと息が詰まる。相変わらず加減を知らない人だ。
俺が身を折って苦しんでいるのを見て、どうやらまた自分がやりすぎたらしいことに気付いた綾華さんは、心配するより先に、自分が左腕に抱いている由紀と顔を見合わせた。
そして、二人で笑い出した。
ついさっきから笑いをこらえていた由紀は、今までで一番明るい笑い声を上げた。綾華さんは豪快に笑い飛ばしている。
「……どんだけサドだよあんたらは……」
「あんたがちんたらしてるからでしょ」
「でしょ」
由紀までが可愛らしく綾華さんの尻馬に乗ってくる。
綾華さんが二人になったようだ。
俺は未来が少々……だいぶ恐ろしくなってきたけれど、今はまあ、喜んでおくべきなんだろうな、とぼんやり思った。
思いつつ立ち上がり、二人の前につと、そのまま抱き合っている二人を丸ごと抱きしめた。
「……げふん」
「……決まんない男ねえ、そこでセキ?」
「誰のせいですか……げふっ」
「大丈夫ですか? 痛みますか?」
「なんかもう胸も心も痛みっぱなしですわ」
「痛みも感じないようにしてやろうか」
「抱きしめられてる最中にそういうこといいます?」
「しおらしいあたしに何の魅力があるの?」
「そんなことをそんな真顔で言われてもねえ」
「でも……たしかに……」
「由紀、あんた、納得しすぎだから」
「納得してやれ由紀、お前にいわれるのがなんだかんだいってこのひと一番堪えるんだ」
「あきちゃん、あんたどこまで生意気になるつもり? 潰すよ? 本気で潰すよ?」
「だから抱きしらられてる最中に……」
どこまでも色気がない三人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます