第18話 祭りの中で

 始まってしまえば、あまり俺の役割はない。

 計画書どおりにことが運ぶなんてありえないし、様々なトラブルは発生する。それを素早く解決していくのは俺たちの仕事だけれど、現場レベルで何かが起きてもたいていは会計氏が即座に解決してしまうし、喧嘩などのトラブルは綾華さんの独壇場だった。綾華さんに付いて回る由紀は忙しさの極地だったけれど、俺は本部に統括役として詰めていなければならなかったから、イベントや出し物にも参加できず、生徒会室でぼんやりと座っているだけだった。

 仕事といえば、トラブルが起きた報告が届いたら、その近くにいる誰かに仕事を振っていくだけ。

 そのために、校舎の図面の上にカラーマグネットを置いている。マグネットは人間。名前が書いてあって、誰がどこにいるか、報告があるたびに動かしていく。一目で把握できるように、昨日の夜に作った。

「屋台用のガスが意外に早く無くなりそうです」

 という連絡が入れば、資材集積所と化している体育館裏にいる会計氏に連絡。発注が必要なら俺が業者に電話をするけれど、その辺りの準備はさすがに会計氏のこと、万全だったから、発注という話まで進む例がなかった。

『予定より余りそうなクラスがあるから動かそう。僕から連絡を入れる』

 といわれてしまえば、そのことを資材リストに書き込んで俺の仕事は終わり。

 非常につまらん。

 一緒に詰めているのは実行委員会の仲間たちか担任、他の教員といったところだけれど、俺以外は詰めっぱなしというわけじゃない。完全留守番役というのは俺だけだから入れ替えがある。

 扉の外に出て行く人々がうらやましくて仕方ない。非常時に対応できるように、幹部クラスの誰か一人は犠牲にならなければいけないとはいえ、自分がそれになってみると、外が非常に楽しそうな騒ぎなだけにつらい。なるほど、天照大神も岩戸から出てくるはずだ。

「あきちゃんが忙しくなるような文化祭じゃダメなんでしょ?」

 といったのは、ごく短時間だけ部屋に来て、俺の愚痴を聞いた綾華さんの言葉。

 まったくその通りで、計画屋、企画屋の俺としては、昨日までの準備の段階ですべての仕事が完成していなければならなかった。俺が今頃じたばたしていたら、文化祭実行委員会の執行役としては失敗ということ。

 暇をもてあまして淋しい思いをしているくらいがちょうどいい。

 などと思っているそばから、楽しそうにイベントに参加している連中からどんどん写真つきのメールが送られてくる。嫌がらせに違いない、とひがんでも仕方がない。各イベントの様子がわかるように画像や動画を送るように指示を出したのは俺自身。大墓穴。




 俺や他の留守番役のもとに一斉に連絡が入り、携帯メールががんがん入ってきたのは、昼が過ぎた頃だろうか。

 内容はまったく同じもので、毎年恒例のものだった。

『暴走族が来た!』

 何しろ田舎のこと。まだ暴走族が生き残っているし、それと内容がどう違うのか素人にはわかりにくい集団もいる。

 昔ほどではなくなったというけれど、うちの高校にもその集団に属している奴がいない訳じゃないし、よほど硬派を気取っていない限り、高校の文化祭なんてイベントは、彼らにとっては適度な娯楽のひとつだった。

 来るのがわかっていれば対応できそうなものだけれど、全面開放じゃないにしろある程度は一般の人も入れている文化祭で、周辺道路を全面封鎖するわけにも行かないし、警察だってわざわざ人数をさいてはくれない。

 学校側も、体育教師などを中心に対策チームを組んでいるけれど、人数的にも限界がある。

「無駄に刺激しないで下さい。しばらくはスルーしといて下さい」

 すぐに俺は指示を飛ばした。

「今どの辺で何をしているか、観察報告だけ送って下さい」

 さらに由紀に電話をつなぐ。

「由紀、わかってるね。絶対に綾華さんを抑えて、暴走族に綾華さんを近づけるんじゃない」

『わかってます、全力で止めます』

 その手の人々と付き合いがないわけじゃない綾華さんは、今回必ずターゲットになっている。なにしろ、近在では知られた名家の御曹司と別れたばかりの超絶美少女だ。噂は当然仕入れていると見るべきで、綾華さんの姿を見かけたら、当然のように声をかけるだろう。

 誰が綾華さんに声をかけようが自由だけれど、綾華さんがまた暴れだすと面倒になる。そして、文化祭の雰囲気を確実に壊すだろう暴走族やそれに類する面々なんてものは、綾華さんにとって許せる存在じゃない。

 真正面から行かれたら、ただではすまないだろう。

 俺は念のため会計氏にも連絡を入れた。

 会計氏は校庭ど真ん中のイベントに資材搬入のために出ていて、暴走族騒ぎには気付いていなかったけれど、俺の話にすぐ反応してくれた。

『まずいな。僕も監視に付こうか』

「お願いします」

 それからおもむろにひとつのメモリを呼び出す。通話ボタンを押すと、相手はすぐに出てくれた。




 暴走族やそれに類する集団は、総勢で40名ほどに達していたらしいけれど、見事に消えた。

 電話一本で。

 学校側はひどく不思議がっていたれど、ちゃんと理由はある。

 備えあれば憂いなし。

 俺だって何の対策も考えなかったわけじゃないし、むしろそれを考えるのが俺の仕事だったわけで。

「わざわざありがとうございました」

 俺は久々に生徒会室の外に出て、今は校内で一番の料理人がいると評判の、料理研究同好会のレストランに設けられた特別席にいた。

 なにしろ一番人気の模擬店だから、そんな席が取れるはずがないんだけれど、これは特例。このためにあらかじめ同好会に話は通してあったし、店の場所選びや資材提供では裏から手を回し、便宜を図っていたから、俺が呼んだゲストは大して待つこともなくその席に通された。

「なに、評判どおりの飯が食えて大満足さ。なあ、佳苗」

 小さな娘を連れて幸せなパパが目の前にいる。

 カケスさんだ。

 俺は究極の秘密兵器、核弾頭を仕込んでいたわけだ。

「今日は平日だからまあいいとして、明日はどうする気だ? 明日の方がああいう連中の集まりもいいだろうに」

 どう見ても休日のいいパパだ。平日なのに休みなのは、休日しか工事が出来ないところで仕事をした代休を利用して協力してくれていたから。

「それはそれで考えてあります。協力者もいましたしね」

「そうか。まあ、お前がそういうなら大丈夫なんだろうな」

 カケスさんはそういうと、二度とその話題は出さなかった。愛する佳苗ちゃんの前で殺伐とした話題には触れたくなかったのかもしれない。

 この人の威力は実に絶大だった。

 学校の周囲をゆっくり車やバイクで流し、女子生徒や若い女性教師に声をかけたり、男子生徒を脅しつけたり、グループ同士のいがみ合いを持ち込んでいきがったりガンをくれあったりしていた暴走族やヤンキーの類は、カケスさんが娘を連れて駅から歩いてくると、ぎょっとして互いに顔を見合わせていた。

 カケスさんは彼らと直接触れ合う気はなかったようで、平然と無視して学校に入ったけれど、一度だけ、彼の存在に気付かずに、しつこく女子生徒をナンパしようとしていたヤンキーの目の前を通過するとき、

「命が惜しけりゃほどほどにしておけよ、兄ちゃん」

 ぼそっとつぶやいただけだという。反射的に「ああ?」とガンを飛ばして振り向いたヤンキーはその場に凍り付いていたというから、むしろ同情してやりたくなる。

「今日は料理研究同好会だけじゃなく、3年女子有志によるスイーツ専門店からもとっておきを手配してます。佳苗ちゃんがタルト好きってのは前に聞いてましたからね」

 そういって俺が出したのは、あらかじめ3年生のお菓子好きが集まって出店計画していたグループからの献上品。こちらも俺が密かに調達面で優遇していて、カケスさん親子用のお菓子を出して欲しいというお願いも、二つ返事で引き受けてくれた。

 その話をすると、カケスさんは笑い出した。

「お前、ほんとに業界向きだよ」

「そうですか?」

 怪訝な顔で問い返すと、カケスさんはおいしそうにタルトを食べている娘さんの顔を幸せそうに眺めながらいった。

「接待の下準備をあらかじめ済ませてきながらヤンキー対策とか、そこまで段取りできる高校生がそうそういてたまるかよ。うちの業界に限らず、そういう奴が一人現場にいるだけで仕事が上手く回るんだ。いいぞ、その調子で行け」

「はあ、がんばります」

 情熱が欠けた返事になったのは、褒められるようなことをしたとは思えなかったからだ。少なくとも、裏で手を回して段取りを進めるとか、高校生らしからぬ悪辣な行為といわれても仕方がない気がする。

「そうじゃないさ」

 とカケスさんはいう。

「結果がすべてだよ。なにも法に反してるわけじゃない。取りまとめってのは力技が必要なときがある。間違わずに使う力ってのは、結果さえ良けりゃ、悪事にはならないんだよ。使わずに結果が悪けりゃ、力を使わなかったことを責められるんだしな」

 なにか似たようなことを会計氏がいっていた気もする。

「永野家のお嬢ちゃんを頭に担ぎ上げたんだって?」

「ええ、まあ。てか、綾華さんを知ってるんですか?」

「知らんわきゃないだろう。本人は知らんが、永野家を知らんでこの土地で仕事が出来ると思うのか?」

「……最近までは知りませんでしたけれど、出来なさそうですね」

「できねえよ。それに評判くらいは聞いてる。親父よりよほど政治家として出来が良さそうだってな」

「綾華さんの親父さんがどうかは知りませんけれど、出来がいいのは確かですよ。誰も逆らえないし、それでいてちゃんと話は聞くし、人をぐいぐい引っ張っていく力があります。女子高生にしとくのがもったいないくらいです」

「お前がそこまでいうんだから大したもんだな」

 カケスさんは感心している。

「日頃いろんな現場でいろんな大人を見てるお前だ。どうも同じ高校生がガキに見えて仕方ないんじゃないかと思ってたが」

 図星ですカケスさん。俺の悪いところっすよ、それ。見え見えですかそうですか。

「そういうお前がそこまでいうんだから、永野のお嬢も大したもんだな」

 その大したお嬢を振ってしまうという、史上まれに見る暴挙を仕出かした奴が目の前にいるわけですがね。いや、色々事情があってのことで、俺がそれで調子に乗ってるとかいうことは多分ないんじゃないかと思いますけれども。

 などといえるわけもなく、黙ってうなずいておいた。佳苗ちゃんがタルトを食べ終え、話が終わってしまったせいもある。

「さあ、佳苗、今度は何を見ようか。晃彦兄ちゃんにお勧めを聞いてみようか」

 カケスさんが溺愛する佳苗ちゃんは確かにかわいい。奥さんが相当な美人だからか、来年から小学生という年齢で、恐ろしく整った顔立ちが見て取れる。成長したら凄いことになるかもしれない。

 その佳苗ちゃんが、カケスさんの言葉にこくりとうなずく。

「そうだな、今からなら職員代表の落語が見ものだけれど、佳苗ちゃんには難しいかな。そうだ、被服部の展示が面白いよ。佳苗ちゃんが将来着てみたくなるような服もあるかもしれない」

「よし、佳苗、行ってみるか。晃彦、どっちだ」

「出て左の渡り廊下を行った先です。表示もありますからすぐわかります」



 ちなみに次の日、文化祭最終日にして世間的には文化の日にヤンキー対策として準備していたのは。

「父さん、その格好……」

 真っ青な顔をした由紀が引きまくる中、父さんと呼ばれたスーツ姿の人物は苦笑いしていた。

「久々に着たからどうもサイズが、なあ」

 由紀パパ。確かにサイズが合っていない。無理に止めたジャケットのボタンがはちきれそうになっている。

「……ジャケット脱いで。脇に抱えておけばどうにかなるでしょ」

 小声で父に詰め寄る由紀に、気弱で地味なメガネ少女の印象はない。凄みのある目で無表情に見上げるその顔、ちと怖い。

「おいおい、いくらなんでもこの時期に上を脱いだら寒いだろう」

 由紀パパは華麗に視線を受け流している。内弁慶気味の由紀だから、意外に家の中ではあんな顔をしょっちゅうしているのかもしれない。慣れているか、よほどの鈍感じゃなきゃ、あの攻撃は流しきれない。

 でも、この人じゃどう考えたってヤンキー対策にはならない。普通の農家だし。

 でも、ここは田舎。力のある農家でもある由紀パパのネットワーク、なめちゃいかんのだよ。

 日本の農家はたいてい政治的にも経済的にも非力で悲劇的な存在として捉えられがちだけれど、それはマスコミや農協が作ったイメージ。その方が自分たちにとって都合がいいから。農家もその方が色々と得だからそのイメージに乗っかっている。

 実際そういう立場が弱い農家もたくさんあるけれど、由紀パパはそっちの側じゃない。

 どういう側かというと。

「渋谷さん、久々に来てみましたけれども、いいもんですな、若人の息吹というものが感じられて」

「近頃の若者には情熱が感じられんと思ってましたが、なかなかどうして」

 おじ様おば様方ご一行。

 その中に、綾華さんがいる。

 永野家の嫡流として、地元の名士に顔が知られている綾華さんが接待役に最適ということで俺が当て込んだんだけれど、スーパーお嬢様モードに入っている綾華さんの大人あしらいは天才的だ。

「近頃の若者なんてくくりは無意味ですわ。今この瞬間に輝いている彼らを見てあげて下さい。そのために皆様をご招待させていただきました」

 大人受けする純真そうな笑顔を振りまく綾華さんは、たぶん心の中で俺を呪っているに違いない。時々飛んでくる視線がぐさぐさ突き刺さる。後で引き受けますから今はどうかおじ様おば様方をどうぞよろしく。

 この方々、どういう面子かといえば、地元選出県会議員をはじめとする地元名士の方々。近隣農家の若手(高校生の娘がいるような農家は若手もいいところらしい)の顔役である由紀パパが動けば、こういう面子を呼び出すことも出来なくはない。さらに、文化祭のまとめ役が永野家のお嬢だと触れ回っておけば、そのお嬢と顔をつないでおこうと動く政治家だっている。

 実は、この提案は由紀パパからのもの。俺からしたらとてもありがたいご提案で、綾華さんはあまりいい顔はしなかったけれど、

「これをしておけばヤンキー被害が無くて済みます。ついでに学校側の評価まで上がれば、校長辺りも文句はないでしょう。協力して下さい」

 と俺がいうと、渋々納得してくれた。

 ヤンキーたちもこの土地で生きている以上、色々しがらみがある。そのしがらみが嫌で暴れたりしているわけだけれど、政治家や地元の有力者たちにまともに刃向かって生きていけると本気で思っている奴はそう多くないし、県会議員クラスが何人も集まるとなれば、警察も動く。

 制服、私服の警官が学校周辺をそれとなく警戒している気配には、一般の生徒よりヤンキーたちの方が敏感。しかも、交通警察じゃなく、警備警察が動いているとなると、ヤンキーで歯が立つ相手じゃない。街の不良ごとき、どんな罪名でも簡単にしょっ引いて排除できる連中だ。

 ヤンキー避けにこれほど便利な存在もない。わざわざ警察に協力要請しなくても向こうから来てくれるのだから実にありがたい。

 綾華さんもそれがわかるから、渋々とはいえすぐに納得してくれた。

 もっとも、会計氏にこっそりいわれている。

「……佐藤、外部の政治家を引き込んで後ろ盾にして、ごちゃごちゃ裏で動いていた事実を正当化しようとしているだろう」

 図星ですぜだんな。こいつも見え見えですかそうですか。

「……妙な揚げ足取られて当日に身動き取れなくなるのも困りますからね。保険です」

「なにか動きがあるのか」

「生徒指導主任の存在が煙たくて、かわいがられてるらしい俺たちが不正を働けば、それをネタに主任の権威に泥を引っ掛けられるって考えてそうな教師だっていますしね」

「政治家がいれば少なくとも当日にそれはできないか」

「後でどうなろうがかまいません。当日、成功のまま終わりさえすればいいんです。ついでに、綾華さんや由紀、あなたに泥をかぶせもしません。すべては俺の責任でやっていることだ」

「かっこつけるんじゃない」

 会計氏は俺の頭を軽くはたいた。

「泥くらい僕だってかぶってやる。泥はここまでで押しとどめる。それにしても」

 と、会計氏はため息をついていた。

「これを思いついて、あまつさえ実行に移すお前の頭と力が僕は恐ろしいよ。大した奴だ」

「そうですか? まわりが勝手にお膳立てしてくれるところに乗っかってるだけですけれど」

「ばらばらに起こっている事実をつなぎ合わせて、すべてを文化祭の成功に結び付けていってるじゃないか。永野の実行力も凄いが、君の調整力も大したものだ」

「そんなもんですかね」

 褒められるのに慣れていないから、俺はごにょごにょと濁した。

「あまり自分を過小評価するな。でかい面をされても腹立たしいが、過小評価されると色々裏があるんじゃないかと疑いたくなるのが人情ってもんだ」

「はあ、気をつけます」

 間の抜けた返事をすると会計氏は笑っていたけれど、そういうところも確かにあるんだろうなあ、と思ったし、最近同じようなセリフをやけに身近な人々から何度も聞いていたから、ちょっとは自分が成長できたりしてるのかもな、と考えることにした。



 でも、所詮俺は高校生になってまだ1年もたってない小僧なわけで。

 仕事の方は、色々な人を巻き込んだおかげで上手く回っていた。事前の段取りを入念に行っていたおかげで、本番当日にはほとんど生徒会室から出る必要がないくらい暇で、俺が暇ということは、段取りが上手くいっていたという証拠になる。

 その仕事に追われていたせいで、俺は多分一番大事なことを見落としていた。

 仕事上のペアとしても、先輩後輩としても、綾華さんと由紀はパーフェクトなペアだった。それぞれが足りないところを補い合うとどこの完璧超人だという仕事振りを発揮したし、どちらも相手のことが大好きだから関係も上手くいっていた。

 俺がいなければ、の話だ。

 でも、俺はいるわけで、お互いにとってその存在は絶対に無視できなかった。

 そして俺は自分を過小評価する癖があったから、そのことも過小評価して、取るに足りない問題だと思っていた。

 恋愛なんて経験もなければ想像すら出来ずにいた。その俺がいきなり二人の女性から好かれるという奇跡に恵まれて、舞い上がってもいたし、浮かれてもいたし、仕事に追われるクソ忙しさにかまけてしまっていた部分も大きかった。

 だから、綾華さんの告白が終わって、足を思い切り蹴られたところで、すべての問題は解決したと思っていた。




 二人の間にどんな会話があったか、その場にいなかった俺にはわからない。 

 二日目の午後、文化部の発表もメインイベントを迎え、文化祭の盛り上がりは最高潮に達していた。

 一番忙しくなるはずのこの時間、いきなり、二人と連絡が取れなくなった。

『おい、何が起きているんだ』

 会計氏から連絡が来たとき、俺はパニックに陥っていた。

 綾華さんがやるべき仕事はたくさんある。実行委員長としていくつものイベントの審査員に任命されていたり、生徒会主催イベントの仕切りをしたり、まだ何人か残っている地元名士たちの相手をしたり、綾華さんでなければ勤まらない仕事がある。

 由紀も、綾華さんの秘書としてやるべきことは山ほどある。俺より全然忙しいはずだ。なにしろ綾華さんの行動予定を完全に把握しているのは由紀だけで、どの仕事がどれだけ進んでいるかを把握しているのも由紀だけだった。

 二人が同時に消えたら、文化祭は最後の最後で崩壊する。

 何度も何度も、二人の携帯を呼び出そうとした。でも、どちらも応答なし。

 実行委員会のネットワークで捜索も開始したけれど、あらゆる場所で「見た」という証言は取れても、「見える」という表現は一つも無かった。

 あの二人がいなくなる。

 なにしろ、あの二人だ。強烈極まる存在感の綾華さんと、その陰になりながら不思議と存在を無視できない由紀。どちらも美少女。話題の人物。

 悪い想像しか出来ないとしても、誰も俺を責めないはずだ。

「なんだよ、出てくれよ!」

 俺は十何度目かの携帯連絡が空振りに終わると、思わず携帯を投げつけそうになった。

 それを止めたのは、ちょうどそのタイミングで生徒会室に戻ってきた会計氏だった。

「やめろ佐藤、お前が取り乱して何になる」

 低い声で俺の腕を押さえた会計氏の目は、少しも甘くなかった。

「何かが起きているのはわかるが、お前が取り乱したところで問題は何も解決しないぞ。落ち着け」

 いっていることはもっともだったから、俺は反発はしない。頭が沸騰したまま、それでも何とか息を吸い、吐き、携帯を握り締めたまま腕を下ろした。

「もともと永野も渋谷も、お前が立てた計画に従って動いていたんだ。とりあえずその穴を埋められるのはお前の指示と判断だけだ。二人のことは一通り処置をしてからにしてくれ」

「あんた……」

 俺はパニックから立ち直っていない。沸騰した頭のまま、会計氏が何をいっているのか理解できず、つっかかった。

「二人が消えたってのに、んな悠長なこと、よくいってられるな」

「頭を冷やせ」

「うるせえよ、あんたがやりゃいいだろう、もとはあんたたちの代の文化祭だろうが、俺は二人を探しに……」

 最後まで言い切ることは出来なかった。

 俺は、左頬を殴られていた。

 殴ったのは、目の前で俺を厳しい目で見ていた会計氏。暴力沙汰からは、由紀と同じくらい縁遠く思えていたひと。

「落ち着けといっている」

 凄まじい眼力だった。俺は思わず立ちすくんだ。左頬の衝撃は脳の反対側まで達し、重い振動で頭がぐらぐらしていたけれど、頬の痛みも頭の鈍痛も、会計氏の目の力に消し飛ばされた。

「今の貴様が動いたところで見つかるものも見つかるものか。まずはやることをやれ。二人のことは貴様以外の全員で探す。いいな」

 貴様、などという表現をまともに使う人間を初めて見てしまった。

 いや、俺が使わせたんだ。

 頬の痛みと過激な表現で、多少は俺も目が覚めた。

「……ミス・ダンディコンテスト審査員は生徒会執行部から一人代役に出てもらいます。演劇部のゲストは辞退、至急部長に連絡を入れてください。最悪、生徒会長に代役をお願いできるように手配を。地元名士の相手役は先輩がお願いします、サポート役に実行委員の女子を一人連れて行ってください」

 矢継ぎ早に指示を出す。会計氏は「わかった」と短く答えると、どすん、と俺の背中を平手打ちした。

「落ち着いてさえいればお前は大丈夫だ。まずはお前が冷静でいること、それがすべての状況を解決する一番の近道だ。いいな」

 会計氏のメガネの奥の目が強く光る。

 何が起きているかわからないけれど、少なくとも、信頼できる仲間がいてくれる。

 確かに、取り乱したところで何が解決するわけでもない。

 落ち着け。

 会計氏は俺の顔を少し見た後、視線を切って声を張り上げた。

「さあ、馬鹿な大人どもをだましに行くぞ。僕と一緒に行こうという奇特な女子はいないか」

 俺が取り乱して凍りつきかけた空気が、会計氏の声で解凍された。

 実行委員長と秘書が消えるという非常事態に、にわかに生徒会室は騒がしくなった。それぞれが自分の仕事以外に何が出来るかを探し始めていた。

「業務の振り分けは佐藤の指示に従え。それから、永野と渋谷だが、思いつく限りの人数に動員をかけて、一気に探し出せ。時間との勝負だ、手段は問わない」

 会計氏が部屋を出ながらいい置いた言葉。

 緊急事態発生、とばかりに、生徒会室の緊張が高まる。そのすべての視線が、俺に集中していた。

 俺は次々に指示を出しながら、まずはこれに集中することにした。少なくともここにいる人々は、綾華さんや由紀がいない穴を少しでも埋めようとしている。ここにいない人々の何人かは、必死で二人を探してくれている。

 俺一人でじたばたするよりずっといい。

 俺は俺の責任を、捜索隊には捜索隊の責任を。それでいい。

 さっさと仕分けを終えて自分で探しに行けるまでは、まず文化祭実行委員会副委員長の職務を優先させる。その間に二人が見つかればよし、見つからなければそれはその時のこと。

 それで行くことにした。

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