第17話 祭りの前
もともと、生徒会のやる気が無くても、校内の文化祭熱は高かった。
何か出し物を準備しているクラスは当然盛り上がるし、文化部はここが活躍の場とばかりに気合が入っている。クラブ以外のバンドやアカペラグループも舞台が準備されていたから当然の盛り上がりだったし、早くから看板などが作られ始めていたから、ビジュアル的にも文化祭の雰囲気が出来始めていた。
盛り上がる雰囲気の中で、催行者であるはずの生徒会だけがむしろ孤立していたといっていい。
それが変わった。
生徒会長が失脚、代わって永野綾華というこの学校の顔ともいうべき女が新たに文化祭のトップに就いたという話題は、翌朝には校内を駆け巡っていた。
いくらなんでも知名度で俺が綾華さんに及ぶはずもなく、クーデター劇の配役は綾華さん、会長、会計氏ということになっていたけれど、綾華さんまで陥れてこの事態を作った黒幕が俺だ、という話はまことしやかに流れていて、もともと綾華さんもクーデター劇の計画段階から中心人物だったという話は当然極秘だったから、俺には黒い噂が立つことになった。
腹黒い生意気な下級生に仕組まれたものの、最後には自ら文化祭を背負って立つことを決めた学園のアイドル。
そのアイドルを陥れ、会長を失脚に追い込んだ学園の悪のフィクサー。
「フィクサーねえ、お前がねえ」
友達が感心している。
「どうせあれだろ、あまりに上にやる気が無いもんだから、ぶち切れて文句いってる内に、引っ込みかつかなくなったんだろ」
俺を実際に知っている人間はそういう評価になるらしい。
「生徒指導主任や校長に話を通すとか、大ぼらだろ?」
「まあ、なあ」
俺は笑ってとぼけたけれど、主任には話が通っていたし、こんな大事になるんだから、当然主任は校長にまで話を通していたはずだ。大ぼらどころか、まったくの事実だ。でもいわない。いえるわけがない。
「永野先輩を立てるのはいいけどさ、後が怖いんじゃないの?」
と聞いてくる友達もいた。
「罠にはめて引き受けさせちゃったんでしょ? 報復とかさ」
「あの人は」
と、一応弁護する。
「自分で引き受けたものの責任を他人にかぶせるようなまねはしないよ。どんな形でも、あの人自身が受けるといったんだ。そのことで俺が報復されたりとか、そんなちっちゃい人じゃない」
それどころか、クーデター計画の立案者の一人なわけだが。
聞いている方は感心していた。さすが永野先輩、などとつぶやいていた。
実はクーデター計画を最初に言い出した、あの由紀との廊下での会話に続いての話し合い。
場所は例の喫茶店だった。なぜかあそこは密談がしやすい。
その話し合いの場で、俺は多分これが企画倒れになるだろうと踏んでいた。というのも、「文化祭でトップを張るのは綾華さんしかいない」という発想から生まれたことなので、綾華さんが上に立つことに「うん」といわない限り、成立のしようがない。そして綾華さんがこれに乗ってくるなど、俺は想像もしていなかった。
「よくまあそういう……」
最初はさほど具体的な計画があったわけじゃないけれど、生徒会執行部から根こそぎ権限を奪い去ってしまうクーデターという発想は、綾華さんを呆れさせた。
「せっかく校内は盛り上がってるのに、その勢いを生徒会がそぐとかありえないじゃないですか」
「あたしはその発想がありえないと思うわけよ」
という話の流れから、綾華さんが引き受けると断言するまで、わずか5分。
あまりの話の早さに、俺も由紀もぽかんとした。
「……なによ」
「いやあ……まさかこんな簡単に引き受けるとは思ってもみなかったんで」
「なにいってんのよ、考えた張本人が」
綾華さんは飄々とした態度で甘いコーヒーに口をつけた。
「こんなことを思いついちゃいました、えへへ、で終わるんじゃないかと」
「終わらせてどうすんの。この盛り上がりを大事にしたいんでしょ?」
「したいですよ。俺だってこういう祭りでみんな一緒に熱くなるっていうの、好きですし」
「あたしだって好きだよ。上からの命令でやらされるのは嫌いだけど、みんなで一緒にって、結構好き」
「でもちょっと意外です」
と、由紀がいう。
「私も、綾華さんはトップに立つとか絶対に引き受けないと思いました」
「うーん、まあ、そりゃそうか」
「なんで由紀がいうと納得するんすか」
「そりゃ自分の胸に聞いてみなよ」
綾華さんがにやにやしながらいった。
思い当たる節ならいくらでもあるから、反論せずに黙っていることにした。
「あたしはね」
と、綾華さんはテーブルに肘を付いて俺と由紀を見比べるようにして話し始めた。
「目立つことが好きなわけじゃないし、トップに立つとか柄じゃないからしたくないの。でもね、やりたくないってのと、やるべきことってのを、一緒くたに考えられるほど馬鹿でもないつもりだわ」
きれいな顔に、さっきまでのにやにやは無い。
「まわりを見る限り、まともに文化祭回せそうな奴なんて、あたしとあんたと由紀の三人組か、会計やってる先輩くらいしか見当たらないじゃんか。会計の先輩もあきちゃんも、誰がトップに立ったって仕事はばりばり出来るだろうけど、あたしは無理。あたしがトップ譲ってもいい、こいつの下なら働けるって思ったのは、あきちゃん、あんただけよ」
じっと目を見つめられながらそんなことをいわれたから、昨日の告白のどきどきがよみがえってきそうになった。慌ててその心の沸き立ちを抑え込む。
「そしたらさ、客観的に見て、あたしがやるべきことって、上に立っちゃうことだよね。あきちゃんはあたしの下がいいってこんな計画持ち込んでくるわけだし、先輩は流れ次第でどうとでも協力してくれるだろうし」
「……その通りだと思います」
「そう思ったから、あきちゃんも計画立てたんでしょ?」
「ええ」
「じゃあ、まだ仕事がしたいなって思ってる私としては、やることはひとつなわけよ」
テーブルから肘を上げて、綾華さんは背もたれに体を預ける。
「クーデターにでも何でも乗ってやるわ。上に立てっていうなら立つ。自分の役割からは逃げない。そういう生き方をしたいって、決めたから」
綾華さんの口調は力強かった。
「それが大人ってもんでしょ?」
綾華さんが微笑んで、俺はすべてを理解した。
綾華さんは、大人になりきれない広瀬さんを捨てた。それは、自分の子供っぽさとの別れでもあったんだろう。
大人の定義なんか俺は知らないけれど、少なくとも、自分が責任を負うべきと感じたら、そこから逃げ出さずに全力を尽くす覚悟を持てる事は、大人というもののひとつの形だろう。
綾華さんは俺から見れば充分大人だけれど、ここでさらにその上を行こうとしている。
「すごいです。あなたと知り合えて、本当に良かった」
俺は思わずそう口にしていた。
綾華さんは途端に胡散臭そうな顔をした。
「……なにそれ、気色悪い」
「いうに事欠いてなんてことを」
いきなり否定されたので反論したけれど、照れ隠しなのだろう。でも気色悪いはないと思う。
「正直にいっただけですよ。綾華さんの下で働けるなら、死力を尽くしますよ。本気で」
「あたしも」
と、由紀が興奮した声で乗ってくる。ただし、相変わらず声そのものは小さい。
「出来ることなら何でもしたいです。綾華さんと働くの、凄く楽しいんです。自分が高められる気がするんです」
「おおげさだなあ」
由紀がいうと素直に照れる。なんなんだ。
「でも、そう思わせる力がある人だから、俺は上に立てたいんですよ。人をまとめ上げるカリスマって、こういうことだと思います。カリスマがある人じゃなきゃ、今の文化祭は救い上げられない」
「受けた今になって褒めたって仕方ないでしょ」
綾華さんは顔やスタイルを褒められることには慣れていても、人格や才能を褒められるのには慣れていない。話を切ろうとした。
「まずはどうやって権力を奪うか。それから、権力を奪った後に何をするか。それを話し合いましょ」
照れ隠しなのか、本気でうざくなって来たのかはわからないけれど、綾華さんがせっかくその気になってくれたので、俺たちはそのまま悪謀に知恵を巡らすことにした。
生徒会クーデター計画はこうしてわずか40分ほどの話し合いで出来上がった。
クーデター成功後の文化祭準備の進め方、ロードマップは、解散した後、家に帰ってから作った。どう作ればいいかなんてわからないから、カケスさんによく清書を頼まれてはパソコンに打ち込んでいた、土木工事の工程管理図を参考にした。
何をすればいいかは、資材関係の書類を散々作っていた俺には多少わかる。それと去年の文化祭計画書を照らし合わせて、項目を挙げ、図面に書き起こしていく。線で結んだそれらに、それぞれの作業にかかる時間を書き込み、全体の行動予定を一枚の図面にしていく。
やってみると楽しい作業だったけれど、残念なことに時間がない。
病み上がりの自分の体力にまだまだ自信が持てない時期だから、睡眠時間は最低限欲しいところで、それも考えて図面はごく簡単なものにした。
もっとも、土木工事の工程表と比べれば文化祭の工程管理なんて大した量にはならない。それに時間的な予定表を線引きしてしまえば、ある程度全体は見通せる。
こんなにバイトの経験が役立つとは思っていなかったから、なんでもやってみるもんだなあ、と我ながら感心してしまった。
それを引っさげ、さらに予算関係の書類に、自動生成のグラフなんぞをちょちょいと添えて見栄えを良くしたものをくっつけた物を準備し、翌日のクーデターに臨んだわけだ。
予算関係の書類をいじったものは、生徒会執行部がどれだけ文化祭のことを知らずにいたかという証拠として、えげつなく使わせてもらった。
これも、工事の完工検査の時に役所に提出する書類を5分で改造したもの。
本当に、バイトなんてやっておくものだ。
こうして準備を整えた俺たちは、翌日のクーデターに見事成功することになる。
それから、文化祭初日までの日々は、まさしく怒涛の展開だった。
「最近、ほとんど記憶ないのよね」
綾華さんがぐったりしながらいったのはいつのことだったか。
とにかく忙しかった。
休み時間はひたすら携帯や書類との格闘。放課後になれば校内中を駆けずり回った。
綾華さんもこの状況で上に立ってしまえば体力勝負だ。計画分野は俺と会計氏で引き受け、綾華さんは現場の人と化した。
たとえば体育館を使ってのイベントについては、設営の打ち合わせからリハーサルの手配、資材管理に安全管理、人の動きのチェック、許可書関係のチェックなど、ちょっと思いついただけでもどんどんやることが出てくる。
そんな中で、由紀が大活躍だった。
交渉ごとは苦手な由紀だったけれど、緻密なメモ取りやきれいなノート作りで俺を驚かせた由紀の才能は、綾華さんとペアを組ませて花開いた。
綾華さんは自分の予定を組んだり、渡された書類をチェックしたりということがどうも苦手らしかったれど、由紀が完璧にフォローして見せた。綾華さんが神出鬼没の動きで人々を驚かせ、完璧な手配振りで職員にも脅威の高評価を植え付けた、その最大の功労者は、綾華さんの側近として常に張り付いていた秘書の由紀だろう。
「そうか、渋谷は秘書役がベストポジションだったんだ」
最初は俺のアシスタントして由紀を活かそうとしていた会計氏は、綾華さんのそばで生き生きと働いている由紀を見てひざを打った。
「危うくあの才能を活かしきれなくなるところだった」
そういって、由紀を自分の秘書にと引っ張っていった綾華さんの人を見る目をしきりに褒めていた会計氏。
ではこの人のベストポジションは何かというと。
「君はこれ。明日の6時までに提出ね。出来るはずだよ。ぎりぎり間に合う量しか渡してない」
人事だった。
色々な仕事があって、色々な作業がある。そして、それに参加する人々も色々。
そういう状況で大切なのは、誰かが一元的に作業を割り振り、采配していくこと。
先輩はこの仕事や作業の割り振りが恐ろしく上手かった。
俺がどんどん細かい計画を作ると、会計氏は関係者を一通り見回しながら素早く仕事を割り振っていく。この割り振った仕事の戻り具合が、先輩の予測とぴたり一致するのだ。
「?」
それが凄いと俺がいうと、会計氏は首をかしげる。
「普通に考えればわかるだろう?」
わからないから、普通は苦労する。誰がどの仕事をやればどのくらいで終わるか、そんなものが正確に予測できれば、立派に企業で管理職が勤まる。
俺はこの先輩のおかげで、企画の実行計画や資材回しの計画に集中できた。
現場の指揮は綾華さんが。その秘書は由紀が。人員配置や資材配置というロジスティクス面は会計氏が。そして計画や企画とその実施といった実務面は俺がそれぞれ担当し、この4人を中心とした組織がごくわずかなうちに整った。
職員の一人がこの様子を見て作った言葉が、「永野幕府」。
それじゃいくらなんでもセンスがないだろうということで、「永野綾華と愉快な仲間たち」と名付けたのは会計氏だったけれど、残念ながら他の3人からは不評で、定着しなかった。安直にもほどがある、どうせひねるならきちんとひねりなさい、とわかるようなわからないような文句をいったのは綾華さん。
文化の日とその前日の二日間で行われる文化祭は、さらにその前日の前夜祭を実質的なスタートとしている。
前夜祭といっても夜やるわけじゃない。その日の放課後、明日から文化祭という雰囲気を盛り上げるため、生徒会主催で、文化部や各クラスの出し物の予告ステージが行われる。ここでの出来が後の2日間の客足を決めかねないから、どこの担当者も異常に気合が入っていることが多い。
それぞれの担当から企画は既に上がっていて、資材関係の手配も早くから出来上がっているところが多かった分、内容を詰めていく時間が多く取れたようで、職員室から「いつも以上の気合だな」と声が上がるほど、前夜祭の企画が盛りだくさんになっていた。
そこで奪い合いになるのは時間。ステージ上にいられる時間もそうだけれど、もちろん、準備にも時間は必要になる。さらに順番も重要。先に各クラスの発表、それから文化部の発表に移るのが恒例だけれど、その中でも発表順によって差が出ることは容易に予想できる。後ろに行けば行くほど時間が押せ押せになり、飽きて帰ってしまう生徒も多いに違いない。
「厳正なる抽選で決めます」
順番決めで、たとえば去年は最後だったから今年はぜひ前半に、とか、所属部員数や実績から考えてうちが前半に来て当然、とかねじ込んでくる各文化部の担当者相手に、綾華さんは頑として譲らなかった。
綾華さんが難しいとなると、特に見境のない三年生が由紀を狙った。秘書役でいつも張り付いている由紀から口添えがあれば、まして陰の実力者である佐藤晃彦の彼女ともなれば、どうにかになるとでも思ったんだろう。
由紀は脅迫とも取れるくらいのねじ込みにあうと、即座に俺を呼んだ。初めから自分で対処しようとするな、と俺からも綾華さんからも散々いわれていたからだ。
俺がすっ飛んでいくと、諦めの悪い三年生が由紀を囲むようにしていた。
「何か御用でしょうか」
俺が後ろから問いかけると、三年生は振り向いた。俺の顔を見るなり、びくっとする。
俺は自分では無表情でいたつもりだったけれど、由紀の目撃証言によると「明らかに殺意を感じた」そうだから、まあ、そういう目をしていたんだろう。
生徒会で上級生相手に大批判を行い、さらにクーデターを起こして実権を掌握したという俺の噂が、俺の見られ方を多少変えていたかもしれない。それまでは、喧嘩はある程度強いが無害で大人しい一年生だったのが、今はその気になれば誰にでも牙をむく恐ろしい一年生に変わってしまった。
「待て佐藤、まだ何もしてないぞ」
その三年生は明らかに余計なことをいった。もちろん、聞き逃して相手に逃げるチャンスを与えるなんてことはしない。
「まだ、ということは、何かする気だったんですね」
広瀬さんに脅されたときは喧嘩する気満々だったから大声を出したけれど、今日はその気はない。だから低い声を出した。脅す時は低い声で。カケスの法則。
「何をする気だったか伺ってもよろしいですか」
にこりともせずにいい放つ俺に、三年生は逃げの一手だった。
「いや、ほんとに、なんでもないんだ。時間取らせたな、わるかった」
いいつつ後ずさり、そのまま逃げ去ってしまった。
「何がしたかったんだ、あの人は」
俺が首をかしげると、そばに寄ってきた由紀が、俺の片手を取りながら苦笑した。
「こんなに怖い人が凄んできたら、普通逃げると思います」
「怖いか?」
きゅっと俺の指を握っている由紀にさらに首をかしげて見せると、由紀はふふっと笑った。
「私は怖くないです。でも、他の人が見たら怖いと思います」
「こんな奴のことが怖いかねえ」
俺がいうと、由紀は俺の指先を握っている手に力を込めた。
「自覚してください。晃彦くんは、もうこの学校のキーマンです。実力で学校の支配階級にのし上がった人です。そんな人ににらまれたら、いくら上級生でも怖いに決まってます」
「支配階級って……文化祭の執行役がそんなに偉いかな」
「たった一日で生徒会を壊滅させた張本人が、そんな甘い物の見方をしないで下さい。いつもそうですけど、晃彦くんは自分を過小評価してます」
「そんなことない思うけどな」
そう応じつつ、なんか最近こんなことばっいわれてるな、と思った。
自分自身の評価はともかく、やってしまったことについては多少大きく考えておいた方がいいのかもしれない。
綾華さんもこの一件は聞いていて、「何か対策を考えておこうか」とつぶやいていた。
これは、由紀を護ろうとか、文化部の暴走を止めようとか、そんなちゃちな意図じゃなかった。そこまで文化部にさせてしまうとしたら、それは運営が悪いんだろうという考え方。
「制限時間を作ろう」
「ありますよ。持ち時間5分、舞台入れ替えは2分」
「徹底できてないから押すんでしょ? 徹底できてない制限なんてのは制限といわないの、ただの目安じゃんか」
「そりゃそうです」
「時間がきたら舞台の照明切っちゃいな。PAもカット。入れ替え時間がきたら準備が出来てようが出来てなかろうが照明オン。PAもオン」
PAとは音響のこと。前夜祭の会場になる講堂には、そのまま演劇の舞台が作れる立派な照明・音響設備がある。
「緞帳はどうします?」
「時間かかるから上げっぱなし。決まってるでしょ」
綾華さんは判断が早い。
「それはそれで文化部から抗議が来ないか? 完成度が下がるとかなんとか」
会計氏が聞くと、綾華さんは断言した。
「いわせない。見てるほうはハプニングも込みで楽しめるじゃない。だいたい、この程度の制限も守れない発表って、部活動としてどうなの? まともじゃないよね?」
ごもっとも。
「あたしから通達出すわ。制限時間を観客にもわかるように表示したいけど、出来る?」
「えーっと……時間を表示する……アナウンスじゃダメですか」
「舞台の声を邪魔しちゃいけないでしょ。ああ、でも、時間切れ寸前になったらそれっぽいBGM流すのはいいね。ビジュアルは無理?」
「んー……なんか考えます」
「よろしく」
リーダーの綾華さんから次から次へとアイディアが出る。俺の仕事はそれを現実化していくこと。
「綾華さん、吹奏楽部からリハーサル見に来ないのかと連絡が」
「ああ、行く行く」
由紀の仕事は綾華さんの動きと時間を管理して、効率的に回していくこと。
「先輩、OHPでたとえばPCの画面って投射出来ますか?」
「ああ、USB対応のが1台余ってたはずだな。電源はどうとでもなる。何に映す?」
「白布があれば、ホワイトボードでも出してそれにかぶせちゃえば、舞台の端にも置けますよね」
「白布とホワイトボードな。それも準備できる。手配しておこう」
会計氏の仕事は資材や道具関係を手配し、使い回しまで考えて準備していくこと。
役割がはっきりしているから、仕事をしていてわくわくするくらい、どんどん回っていく。
何の利益もない、ただ疲れるだけの仕事と思っていたけれど、仕事をしていること自体が楽しくなるなんて思いもしなかった。
偶然集まっただけの文化祭実行委員が、ここまで一体になれるなんて思いもしなかった。
俺は多分、綾華さんや由紀という女性に出会えたことだけじゃなく、ものすごく幸せな経験をしている。
文化祭本番までの日々は恐ろしいまでの忙しさの中であっという間に過ぎて行ったけれど、密度が最高に濃くて、疲れることすら楽しいと思える、短い人生の中で一番面白い時間を過ごしていた。
「申し訳ありませんでした」
ずらりとそろった文化祭実行委員会新執行部が、といっても4人だけれど、生徒会長を前に一斉に頭を下げた。
日付は少しさかのぼって、クーデターの翌日のこと。
場所は人気のない会議室。会長だけがいすに座り、4人がその前に並んでいる。
仕事を始める前に、俺たちはまずやらなければならないことがあった。
思いっきり屈辱と恥を与えてしまった相手、生徒会長に、まずは謝ることだった。
許してもらうのが目的じゃない。そんなに虫のいい考えは、いくらなんでも持てない。会長を失脚させておいて、一度謝ったくらいで許されるなら、世界はずいぶん生きやすくて平和な世の中になっているに違いない。
これは儀式だった。新たに自分たちの体制が走り出すためにはどうしても必要な儀式だった。これを済ませておかないと後悔する。
綾華さんをトップに、頭を下げた4人を前にして、会長はしばらく無言だった。
生徒会長は、「目立ちたいから会長になった」という噂がほとんど事実として伝わっているタイプの人物。去年の会長選では派手なパフォーマンスで話題をさらったというけれど、確かに目立つタイプのルックス。
最初のうちはそれでも頑張っていたらしい。会計氏も側近として彼を支えてていた。
それが、年度が替わって新入生を受け入れる頃には、あまり生徒会に興味を示さなくなってしまったという。
報われない仕事が多かったからだろう、と、会計氏はあまり理由については話してくれなかったけれど、生徒会内部で人間関係が荒れたことがあって、それで嫌気が差したらしい。
会長はしばらく黙っていた後、会計氏に向き合った。
「……お前が裏切るとは思わなかったよ」
静かな声だった。怒っている声でも、戸惑っている声でもなかった。
会計氏は俺たちに付き合って頭を下げてくれたけれど、こちらにも戸惑いの様子はなかった。
「裏切ったつもりはない。前にもいっていただろう。好きにやらせもらうって」
淡々と答える。
「僕は生徒会を第一に考える。君をどう支えるかはその後に来ることで、生徒会と君の言動が対立するなら迷わず生徒会を取る。その条件で生徒会に残ったはずだ」
「……そうだったな」
会長は軽くうなずいた。
「長い間生徒会を預けっぱなしにしていたのは俺だ。お前に裏切られたとか、思う方が間違いだったな」
意外に、あっさりと自分の非を認めた。自覚はあったらしい。
「それでも僕は君が戻ってきてくれることを願っていた。去年の選挙の時、僕が会計に立候補したのは、この地位が一番君を効果的に支えられると思ったからだ」
綾華さんも由紀も、そして俺も、二人の間に何があったかは知らない。詳しくは教えてくれなかったから。ただ、一言では表現しきれない何かがあったのはわかるし、そこに深く食い下がっていく気にもならなかった。
会長は座ったまま脚を組み、会計氏を見上げた。
「俺はまがい物だ。会長なんて呼ばれて最初は喜んでたけど、仕事はお前の方が出来るし、俺がいなくても生徒会は回っていく。そのまがい物を今まで支えてくれたお前に、俺から何かいえると思うか?」
「立場を奪ったのは確かだからね。生徒会会計としては裏切ったつもりはないけど、一人の人間としてはお前に同情もするし、悪かったとも思っているよ」
会計氏はそういうと、綾華さんに視線を送った。
「永野が出てこなければ、それでも僕は君を最大限に使おうとしていたと思う。でも、今の生徒会に一番足りなかった物が、目の前に現れたんだ。お前にこだわる理由は無くなったんだ」
「足りなかったもの?」
「今あるものをぶち壊してでも何かを完成させようとする、やる気だよ」
会計氏のその言葉に、会長は答えなかった。答えられなかったようにも見える。
しばらくして、会長が口を開いた。
「いつからだ? 計画が始まったのは」
「昨日、あの場だよ」
会計氏は相変わらず静かに答えた。
「この3人にしたって、一昨日考え付いたらしいしね。僕は彼らに乗っただけさ」
「佐藤」
会長が俺を見る。反射的に背を伸ばした。
「お前が黒幕ってことになっていたな。事実か」
「事実です」
簡潔に答える。
「生徒指導主任辺りに乗せられてのことじゃないんだな」
「主任は知ってはいましたけれど、関わっていません。俺たちの暴走です」
こういうときにべらべらと言い訳をし始められるほど度胸は良くない。会長はその俺の態度にひとつうなずいてみせた。
「永野」
今度は会長の目が綾華さんに向けられる。綾華さんはすうっと背を伸ばしたまま、肩の力が抜けた声で「はい」と答える。
「引き受けたからには最後までやり通してくれるんだろうな」
「もちろん」
綾華さんの答えも短い。ただ、声の表情が穏やかだった。喧嘩を売ろうなんて気配は少しもないし、おびえもない。さすが、としかいいようがない。
「……なら、いい」
会長はふっとため息をついた。
「あの場で俺は圧倒された。その時点で俺は終わりだよ。会長の資格はない。すべてお前たちに任せる」
その会長が、今、壇上にいる。
文化祭の開会宣言。
全校生徒が一度校庭に集まり、開会式が開かれる。短い開会式の中、会長の開会宣言ですべてが開始される。
開会宣言を誰がやるかで、実行委員の中でも意見が分かれた場面があった。
俺が急遽作り直した計画書の中で、開会宣言は生徒会長の役目になっていた。それに、一部の実行委員が噛み付いた。
というのも、俺たちがクーデターを起こしたせいか、生徒会執行部から実権を奪った以上、執行部の人間には文化祭に関わって欲しくない、と考える人間もいた。
クーデターを実行した俺や綾華さんより、なぜかそれについてこようとする生徒の方が過激なことをいう。
ちょっと前に読んだ本にも同じようなことがあった。幕末維新の時期を描いた小説だったけれど、長州藩過激派のリーダーだった高杉晋作や桂小五郎より、その下にいて追随していた若者の方が、言動は過激で、ついには幕府や薩摩藩と対立し壊滅する悲劇に遭った。
俺や綾華さんがクーデター劇のときに繰り広げた舌戦やら何やらが、一部の実行委員にはずいぶん格好良く見えたらしい。自分もそうなりたい、と考えるのはまあいいとして、よほど過激な行動に見えたようで、その過激さに憧れてくれて、過激こそ正義と突っ走ろうとする者がいた。
やたら難しい表現を使いたがるのもその現われだろうな。
「永野がやるべきだろう。開会宣言は旧権力の象徴者が行うべきじゃない。実効権力の象徴として永野がやるべきだ」
2年の男子の実行委員が言い出した時、俺はげんなりした。この人の物言いが苦手で、恥ずかしくなることがある。
「まして文化祭執行の遅延を招いた体制の旧弊を代表する人物の宣言など、聞くに堪えん」
聞くに堪えんのはあんたの演説だよ、と思っても口に出せるはずもなく、俺は黙っていた。別に俺に直接いっていたんじゃなく、計画書を見て生徒会室でわめいていただけだったから。
その俺の無反応さが気に入らなかったようで、その2年生はさらに大声になった。
「彼らが自らの責任を放棄したが故に生じたこの事態に対し、彼らがどう責任を取った? 我々が権限を強制的に委譲させるまで何もせずにいた彼らが、開会宣言を行うなど僭越もはなはだしい」
彼が「我々」と表現した辺りでちょっと腹が立ったけれど、それでも俺は付き合わなかった。
それがさらに彼の口に火をつけた。俺が反応しないのが面白くないのか、逆に俺が反応しないのは論破されるのを嫌って逃げたと判断して得意になっていたのか。
確かにクーデターの黒幕といわれる俺に論戦で勝ったら、さぞ気持ちいいいだろう。
「我々が実効権限を持っているという事実は文化祭の歴史に銘記されるべきだ。無気力体質の執行部を生んだ責任を断罪するためにも、我々の勝利は喧伝され称揚されて然るべきだろう」
「誰の勝利だって?」
そのタイミングで、綾華さんが入ってきた。
2年生は興奮した状態のまま続けた。
「生徒会執行部に対する我々新勢力の勝利だよ、永野」
綾華さんはそのセリフが終わった瞬間、持っていた空のファイルを彼に思い切り投げつけている。
ファイルが見事に腹部に当たった2年生が、驚きのあまり「おおおっ」と叫んだ、その語尾に重ねて綾華さんが怒鳴っていた。
「あんなもんを勝利とかほざいてる勘違い野郎は今すぐ出て行け! 二度と面見せんな!」
大激怒。
みんな唖然としている。
「しかも我々の勝利だ? てめえが何をした? 他人の尻馬に乗ってでかい面するとか、どんだけ増長してんだタコ! あたしとあきちゃんと由紀が考えて実行したんだ、勝手に自分の手柄にしてんじゃねえよ、キモイにも程があんだろ」
綾華さんの怒りは簡単には収まらず、しりもちをついて真っ青になっている2年生男子にさらに罵詈雑言が飛んだ。
「こいつ、他に何をほざいていやがった? 知ってる奴、報告しな」
鋭い綾華さんの声が飛び、たいていこういうときに相手になってきた俺が不機嫌に黙っているから、仕方なく誰かが答えた。
「開会宣言は綾華さんがやるべきだと……」
「……てめえ、なに座ってんだ! とっとと失せろ! この世から消えちまえ!」
綾華さんがさらに噴火した。机の上にあった紙パックのりんごジュースが飛び、頭に当たりそうになったそれをぎりぎりで2年生が避けた。綾華さんがステップを踏むようにしてそいつに蹴りを飛ばす。さすがにそれは避けようがなくて、肩を思い切り蹴飛ばされた彼は悲鳴を上げた。
さすがにこれ以上やったらまずい。
俺は立ち上がり、軽く綾華さんの肩を叩いた。
「彼と心中する気ですか? もういいでしょう」
彼に対する暴行のかどで綾華さんが文化祭実行委員長から外されても困る。
ひと暴れしてすっきりしたのか、綾華さんは素直に手を引いた。ただ、暴れっぱなしで自己解決されても困る。
「どうしたんです、今日は」
暴れたら暴れたで、周囲にフォローしておいてもらわないと、わがままな暴君という印象になってしまう。それでは困る。
綾華さんは俺の眉間にしわを寄せている顔を見て、ちょっとひるんだらしい。
「ど、どーもしないわよ」
微妙に動揺していた。
「ただ」
と綾華さんが続け、その場にいる誰もがその声に集中した。
「あたしたちは勝ち負けで文化祭背負ってるわけじゃないでしょ。文化祭の成功のためだけにあんな事件起こしたのよ。偉そうなセリフは成功してからでしょ」
綾華さんのセリフは、率直でわかりやすい。もっとも、口調がちょっと言い訳がましいのが減点。それでも、綾華さんは続けた。
「それに、開会宣言は生徒会長にしてもらわないといけないわ。けじめでしょ。生徒会の代表は選挙で選ばれた会長だわ。あたしたちは会長から仕事を任されただけじゃない」
「その通りです」
俺が応じた。
「その程度もわからない人に怒るのは当然ですけれど、でも程度も考えて下さいね」
「わ、わかったわよ」
周囲にも伝わっただろう。俺たちは馬鹿なことをして権限を奪ったけれど、だからこそ筋は通さないといけない。妙な増長なんかしている暇はないんだ。
綾華さんのいうとおりだ。成功してなんぼである。
そんな事件もあったから、会長の開会宣言は、感無量だった。
「我々生徒会は、ぎりぎりまで体制を整えられずに皆さんにご迷惑をおかけしました。だからこそ、今日と明日の文化祭は、皆さんに心から楽しんでもらえればと願っています。それでは、ここに、第46回文化祭の開会を宣言します」
俺たちの文化祭が、今、始まった。
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