第7話 女王との対話

「休み?」

 綾華さんは、取り巻きに囲まれながら足を組んで座り、さながら女王様だった。

 うさんくさそうな視線に囲まれながら、俺はなんでこんなところにいるのかという内心のボヤキを隠し、うなずいた。

「熱出しちゃったそうです」

 昼休みの二年の教室の中で、綾華さんは五人の女子を従えて、サンドイッチや菓子パンを並べ、おしゃべりの最中だった。

 昼休みが始まると、俺はとっととパンを胃に流し込んですぐに二年の教室に向かっていた。

 一年にとって二年の教室に行くというだけでなかなかのプレッシャーなわけで、しかも訪ねる相手が綾華さんときているから、タイミングなんて考えていたらダメ。食べ終わって勢いで立ち上がったら、そのまま突撃。

「ふーん、病欠ならしょーがないか」

 由紀のことだ。

 昨日、あれからしばらくして俺たちは別れた。なにしろあそこの家は心配性だから、いつまでも一緒にはいられない。

 時間をくれ、といってあるから、なにも結論は出ていないけれど、由紀の家に近い交差点で別れるときには、由紀らしい、おとなしい笑顔を見せていた。

 で、今朝、顔を見に隣のクラスに行ったら、病欠が判明。

「んじゃ、今日は仕事無しなわけね」

「そういうことです」

「メールかラインくれりゃそれで済むじゃんか」

 ごもっとも。でもできなかったんです。

「携帯、忘れてきちゃって」

「だめじゃん」

 まったくです。

 たぶん、由紀からも連絡がスマホに入っているだろう。こういう日に限って忘れるってのは、どういうことなんだろう。

「でも、会計と話はしたんでしょ?」

「しました。まだまとめてませんけど」

「早くまとめなよ。各クラス担当に渡す資料、早く作らなきゃいけないんでしょ」

「そうなんですけど、メモってたの、由紀なんで」

「ああ、そうなんだ。由紀の復活待ちかあ」

「すいません、コピーしてもらっとけば良かったんですけど」

「それは仕方ないでしょ。週明けにやれば、まだ間に合うだろうし」

 ここで別の声がわりこむ。

「すげー、綾華、マジで仕事してんだ」

「うそくせーとか思ってたけど」

 口々に、まわりのお姉さま方が騒ぎ始めた。

「うっせーよ、あたしは仕事はマジメだっての」

 綾華さんは照れるでもなく、むしろ堂々といい放った。行事の仕事なんかマジメにやってらんねー、とかいい出しそうな人だと、俺も前は思っていたけれど、今はこの人がどれだけ自分の責任に対して真面目かはわかっている。

「彼が噂の子なんでしょ?」

 と、一人のお姉さまが俺を見ていうと、今度は俺に照準が。

「あー、綾華と仕事一緒になったら、一年の女からぼこられたっていう」

 誰が、いつ、ぼこられたと。

「まじで? かわいそー」

「ねー、こんなにかわいいのにさー」

 かわいいですと。何をどう見たらそーなるんだ。

「今度いじめられたらお姉さんたちが守ってあげるからね」

「そーそー、いつでもおいでー」

「は、はあ」

 完全に遊ばれているのがわかる。わかっていても、五人の先輩に口々にいわれて、まともな神経を維持できるほど強くない。精神的にはどん引き。

「きれいな顔してんじゃんね」

「思ったー、焼けてるからワイルドっぽいけど、顔はきれいだよねー」

「これで小っちゃかったら女装とかさせてー」

「それいい、絶対かわいいよー」

「えー、ちょっとー、マジ好みなんだけどー」

「あんた彼氏いんでしょうが」

「あんなんどうでもいいから、この子連れて歩きたいよー」

「うっわ、ガチ浮気発言だよ、引くわ」

「美形は世界の宝だよ? 大切に保護しなきゃだよ? 誰も保護しないんなら自分が保護するって、むしろ偉くね?」

「その理屈、おかしいし」

 勘弁してください、この空気……近所の還暦迎えたおばちゃんたちくらいにしか「かわいい」だの「美形」だのいわれたためしがないんです。妹には「頑張って強く生きていってね」とかいわれてるんです。

 俺が心の底からどん引きしている様子を見て、さっきから黙って見ている綾華さんは、くすくすと笑っている。

「ねーねー、ID とか携番教えてよー」

「さっき携帯忘れたっていってたじゃんか、なに聞いてんだよ」

「えー、持ってなくても、自分のは覚えてるでしょ、ふつう」

「覚えてる?」

 一斉に全員の目が俺の顔に集中する。

 俺の早期警戒警報装置が、いち早く激震の気配を察知した。直下型地震の前兆を捉えた。

 まずい。

 地震のたとえが適当でないなら、これは凄まじい地雷原だ。内戦直後のカンボジアなんか目じゃないぞ。一歩でも間違えたら吹き飛ばされる。

 教えちゃダメだ。この人たち全員に教えたら、俺は無意味なメールの嵐に巻き込まれ、溺れ死ぬに決まっている。

「……いやあ、買ったばっかで……番号もメアドも覚えてないんです。ごめんなさい」

 うそ、とはいいきれない。買ったばかりなのは事実。ただし、機種変更なので番号もメアドも変わってないし、どちらもばっちり覚えている。

「えー」

「覚えとけよー」

 ブーイングの嵐。

 ここでぐずぐずしていたら、メモに走り書きした番号なんぞ渡されかねないから、俺はすぐさま撤退することにした。

「それじゃ綾華さん、俺はこれで。月曜に仕事進められそうなら、また連絡します」

 ぺこりと大きく一礼して、周囲の声をぶった切って、俺はそそくさと立ち去ろうとした。

「うん、わかった」

 綾華さんは鷹揚にうなずくと、ごく当たり前のように、自然に立ち上がった。俺の不自然なお辞儀とは正反対の、そこで立つことが脚本どおりとでもいうかのような、恐ろしく自然な動作。

「それからさ、各クラスに渡す書類なんだけど」

 と、綾華さんは仕事の話を続けながら、歩き出そうと……いや、逃げ出そうとしていた俺に歩調を合わせ、進み始めた。それがあまりにもこちらのリズムと一致していたから、俺はむしろ綾華さんのペースに引っ張られるように歩き始めた。

「要は、クラスごとの企画をとっとと出してもらって、必要な資材があればそのリストを作りたいわけよね」

「ええ、そういうことです」

「企画の管理までやるんだっけ?」

「ええ、むしろ本来はそっちがメインですし」

「じゃあさ、期限つけてさ、遅れたらペナルティがあるって書き込んどけば?」

「それは考えました。ついでに、教務主任あたりと掛け合ってみて、もし大丈夫なら、全校一斉に帰り前にでも時間とってもらって、クラス企画のホームルームをやってもらおうかと」

「おお、すごいこと考えるね、あんた」

「生徒会長とか、生徒会担当の先生とかとも話してからですけど」

「その場には行きたいな、なんか面白そう」

 綾華さんがわずかに前を歩くままに、俺たちは二年の校舎の外れまで来ていた。右手に生物室、左手に化学室、正面に物理室が並ぶ通称「理系三角地帯」。

 綾華さんは勝手に化学室の扉を開けた。鍵はかかってなくて、中には誰もいなかった。

「ここ、昼休みは開放してるんだよね。試験勉強用に。誰も使ってないか、弁当部屋になっちゃってるけど」

「はあ」

 なんだろう、なんでこんな部屋に来たんだろう、なんかまずい発言があったかなあ、などと考えながら、俺が生ぬるい返事をすると、がらがらと背もたれ無しの椅子を引っ張り出しながら、綾華さんが俺を見た。

「ごくろーさん。あいつらに囲まれて、怖かったんじゃない?」

 そういって、にやりと笑う。

「あ」

 と、俺は声を上げて、そのまま頭を下げた。

「ありがとうございました、ほんと、助かりました」

 助けてくれたんだ。きっと、あまりにも俺が情けない顔をしていたから。

「うん、素直でよろしい」

 綾華さんは、相変わらず規格外な姿で、でもそれがとても似合っていて、恐ろしく綺麗だった。その姿で椅子にぺたりと座り、両足の間に手を置いて座面をつかんでいる。

 笑顔に曇りがなくて、陰もなくて、さっきのにやりという顔から、すごく澄んだ笑顔になっていた。

 この顔か、と俺は思った。この顔で、この人は女子の心すらつかむ校内のスターになったんだ。



「あたしね、アキちゃんのこと知ってたよ」

 と、綾華さんは突然話を切り替える。

「どっかで聞いた名前だなあ、とは思ってたんだけどさ」

「まあ、この辺じゃありふれてますけどね」

 と俺が答えたのは、佐藤姓だけで一クラスは作れるほど校内に佐藤が多いから。綾華さんは足を組みながら首を振る。

「そういうんじゃなく。アキちゃんってさ、掛巣さんの秘蔵っ子とかいわれてない?」

「ああ……そっち筋ですか」

「そう、そっち筋」

 恐るべし、カケスさんの伝説。未だに校内に影響力を残すか。娘の誕生日が近いからって、その話で三十分は引っ張るというマイホームパパのくせに。

「ヤローどもの噂になってたの思い出したんだ。普段はどう見てもおとなしいマジメ君のくせに、喧嘩は恐ろしく強いって」

「それは大いなる誤解ですよ、勘違い。事実は結構しょぼいですよ」

「強いかどうかはどうでもいいのよ、この場合。大事なのは、二年三年のやんちゃどもが、アキちゃんに一目置いてるらしいってこと。たいしたもんじゃんか」

「一目、ねえ」

 そうなんだろうか。麻雀に呼ばれたり集会らしきものに誘われたりすることはあるけれど、たいていは明らかに人数集めの網に引っかかっただけっぽいんだが。

「その噂があったから、あの子達もアキちゃんに興味ありありだったんだよ」

「そうなんですか? 綾華さんと仲良くするなって同級生女子にぼこられたって噂らしいですけど」

「それもあるけどさ」

 綾華さんは悪びれずにうなずいた。

「そうそう、それってどうなの? ほんとに同級生の女子になにかされたわけ?」

 聞かれたから、俺は自分が何をいわれたか、どんな目で見られているかを説明した。

 綾華さんはくっきりとした二重の目で俺を見つめながら、笑み崩れる一歩手前、という顔をしている。

「へえ、大変だねえ」

「その大変さの何割かは綾華さんのおかげなわけですが」

「あたしはそんなの知んないもーん」

 ぷいっと横を向いた綾華さんは、明らかに笑いをこらえている。そして顔を正面に戻して、臆面もなくいった。

「学園のアイドルと二人きりで話したりできるんだよ? その程度、安いもんじゃない?」

「自分でいいますか、それ」

 思わず失笑してしまった。

「誰もいってくんないから自分でいってみた」

 綾華さんも笑っている。

「確かにすごい人気ですけど。同性にあそこまで好かれるってのは、もう才能ですよね」

「やっぱりー? あたしって天才っぽいんだよねー、困っちゃうなー」

 大げさに身振りをしている。もう、明らかに突っ込んでくれオーラが漂っている。

 同級生なら盛大にスルーして逆ツッコミを待つところだけれど、そこまでこの先輩と距離が近付いていると自惚れるほど、俺は自信たっぷりに生きてない……

「調子の乗り方はいたって普通でつまんないっすね」

 ……などと考えつつ、こういうこき下ろしを口にしてしまうあたりが、俺の悪いところだろうか。

「えー」

 綾華さん、一気にふくれっつらになる。

「その突っ込み、冷たくない? アキちゃんってあたしのこと嫌いなんじゃないの?」

「とんでもない」

 わざとらしく肩をすくめて、俺はせいぜいわざとらしく聞こえるように続けた。

「本当に嫌いな人に冷たいツッコミするなんて無粋なことはしませんよ。愛情と敬意あればこそ、冷たい突っ込みも出来るんです。親愛の情ですよ」

「ちょーうそくせー」

 綾華さんはふくれっつらのまま抗議している。その顔が、無表情でいると大人びた美貌なのに、異様にかわいい。

「アキちゃんってこの前のラーメン屋とかでも思ったけど、ごまかすの上手すぎだよね」

「ごまかしの人生歩んでますから」

「すげーむかつくんすけど」

「むかつかせてるんです、もちろん」

「うわっ、やな奴っ」

 二人ともニヤニヤ笑っている。変な空間。

「ところでアキちゃん」

 と、綾華さんはニヤニヤしたままいう。

「彼女とかいないの?」

「なんですかいきなり」

「聞いてるのはこっち。お姉さんの質問に答えなさい」

「いないですよ。いるように見えないでしょう」

「うん、見えない」

 失礼な。

「というのもだね、君。どうだろう、さっきのお姉さま方のどれか、紹介したげようじゃないか」

「は?」

 素で聞き返してしまった。

「あんなんだけどね、いい子ばっかだよ。ちょうど彼氏いないのもいるし、かわいがってもらえるぞ」

「はあ」

 思いっきり不審がっている声になってしまった。

「そう警戒するなって。何も企んでないから」

「企んでる人が正直に企んでますっていうわきゃないと思うんですが」

「いかんねえ、もっと人を信じないと。人生つまらなくなるぞ」

「その顔でいわれても説得力ないです、綾華さん」

 綾華さんの顔は、どう見ても底から企みがちらちら目をのぞかせている。

「ああ、ひどいわ、あたしを少しも信頼してくれていないのね」

 今度は悲劇のヒロインですか。

「綾華、ショックで立ち直れないわ。悲観したあまり、眠れないままに夜の街をさ迷い歩いたあげく、うっかり深夜のファミレスでパフェなんか食べちゃったりしそうだわ」

「ただの夜更かしでしょ、それ。つか、ニキビ出るからやめた方がいいっすよ」

「そのドライアイスのようなツッコミが快感に変わったりしたら、あたし人間やめたほうがいいかもね」

「よくそういう大げさな言葉がぽんぽんと出てきますね」

 半ば本気で感心していると、綾華さんも半ば感心したような声を出した。

「あんたもどこまでもクールでドライだよね。ここまであたし相手に萎縮しない後輩って初めてだわ、まじで」

「恐れ入ります」

 萎縮しないってんじゃないだろ、これは、と心の中でつぶやく。かわいげがないだけだな、あるいは好かれる気が無いか。

 そりゃ好かれた方がいいに決まってるけれど、なにしろ素敵な彼氏持ちの上級生相手に、好かれようと努力してビクビクするなんて無駄もいいところだ。

 どうせ俺ごときがこの人の友達やそれ以上に昇格する可能性なんかないんだから、仕事仲間でいるうちは、せいぜい地で勝負するしかない。かっこつける気も、必要以上の気を使う気もない、というのが正直なところ。

 これだけの美人を相手にしようというのだから、そのくらいの気でいないと、心のバランスが取れない。

 男は、美人を前にすると喋るのもつらくなってしまう生き物なのだ。女だって、いい男の前に立ったら、言葉を出すことすら難しくなるだろう?

「こりゃあの子らの手に負えるガキじゃないわ。しばらく付き合って、あたしがみっちりとお姉さまとのかかわり方ってのを調教してからじゃないと」

「調教って……仕事はマジメにやりましょうね?」

「マジメにやるよ? もうマジメってのはあたしのためにある言葉だってとこ、見せてあげるわ」

「何に対してマジメかは別として、ですか」

「いい所ついてくるねー、さすがに」

「勘弁してくださいよ、ただでさえ同級生たくさん敵に回してるのに」

「気にすんな、ここに味方がいるだろ」

「なにかしら陥れようとしている、実に頼りがいのある仲間がいますね」

「悪意にとっちゃいかんよ、君」

「よくそれで人の事を『政治家みたいでむかつく』とかいえますよね、感心しますよ」

「対抗してるだけだもーん」

 なんだか、心の底から楽しんでいるように見えて、こっちまでわくわくしてくる。

 気が合うってのは、こういう人との関わりの事をいうんだろうか。

 ここでチャイムがなって、舌戦終了。

「あら、残念。もうちょっとバカ話したかったんだけどな」

「こっちは疲労困憊ですよ」

 最後の憎まれ口を叩くと、綾華さんは鮮やかに切り返してきた。

「うそつけ、めちゃめちゃ楽しかったくせに」

 図星だったから、とっさに何もいえなかった。綾華さんは、花が咲くような笑顔を見せた。

「やっぱアキちゃんといると飽きないわ」

「……オヤジギャグ、じゃないですよね、まさか」

 今度は綾華さんが黙る番だった。

 ラストにそんなつまらんギャグを平気でいうとは。

 なかなか深い人だ。

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