第4話 その言葉が聞けただけでも

 綾華さんと一緒に仕事をしている、というだけで、嫉妬されたりする。

 男ならまだわかる。でも、嫉視の大半は女子から来るのが理解できん。

「何であんな地味なのと」

「あいつごときが綾華さんと一緒にいて相手してもらえるなんておかしい」

「綾華さんと同じ仕事について、ちょっと調子こいてんじゃないの」

 口ではいわないにしても、目がはっきりそういっている。主に派手系の女子。

「綾華さんにはセレブな彼氏がいるんだからな、変な夢見てんじゃねーぞ」

 ラーメンをおごらされた翌日の朝、今まで口を聞いた事もないような、顔しか知らない同級生女子に面と向かっていわれたときは驚いた。

 てか、引いた。

「同じ空気吸ってんのが生意気なんだよ、調子くれてんじゃねーぞ」

 明らかに、ラーメン屋にいったことが周囲にばれていて、そのことで批難されてるんだけれども。

 こっちが展開についていけずに黙っていると、その女子は高々と舌打ちしてから、俺を押しのけるようにして歩き去っていった。

 腹が立つより、呆然としてしまった。

「由紀の存在って完全にシカトされてるよな」

 その後、友達と朝の一件を話しているうちに、綾華ファンの女子の視界には、まるで由紀が入らないことに気付いた。

「あいつ影薄いしな」

 と、友達もいう。

「よく見りゃきれいな顔してるし、男子人気もあるんだけど」

「そうなん?」

 俺が聞き返すと、友達はうさんくさそうな顔をしている。

「あるに決まってんだろ。素で聞き返してんじゃねーよ、女に興味ねーにしてもよ」

「別に無くはないぞ」

「知ってるか? お前、一時ゲイ疑惑が持ち上がってたんだぞ」

「……知ってるよ」

 あまりに男子とだけつるみ、女子との接点がないままに過ごしてきてしまった俺には、すっかりガテン系の体格に育ってしまったこともあって、マッチョナルシスト疑惑やゲイ疑惑がささやかれていた。

 まあ、それもちょっと前のことで、ひたすら地味に生きたいと願っている俺の存在なんて、クラスの中でだってそう重いものじゃなかったから、噂話の寿命もごく短かった。喜んでいいのか、凹むべきなのか。

「まあ、目立たないにしても、注目してる男子は多いよな」

「ふーん」

 そんなものか。まあ、かわいいなあ、とは思うけれど。

「でも、ああいう女の」

 と、友達は視線を俺から外さずに親指をある方角に向ける。馬鹿笑いしながら下品に机の上に座り込んだりしている女子の一群。

「視界には入らないだろ。自分たちのはるか下に生息してる低級な生物くらいにしか思ってねーよ。おれたちも含めてな」

 そりゃいくらなんでも自虐過ぎやしないかい、と思ったれど、口にはしない。低級、高級はともかく、別の世界に生きている人間だってことには賛成だったから。




 で、さらにその翌日に、三人でほこりをかぶりながら、文化祭用の備品チェックを行ったわけだ。

「なあ、これ終わんないじゃね?」

 という綾華さんの苦情を聞きながら。

 チェックが終わり、片付け直し、作業が終わったのが午後八時過ぎ。

「ありえねー……」

 綾華さん、完全にへばっている。体力は無いらしい。もう減らず口も叩けません、という顔で、生徒会室の長い机の上に寝転んでいる。

 由紀の方も、手を洗って生徒会室に戻ってきたときには、表情が完全に失われていた。本気で疲れると、顔の筋肉まで疲れ果てるものだ。

 倉庫代わりの部屋の鍵を閉め、生徒会室に戻って備品リストを完成させた俺が顔を上げると、机の上に仰向けになっている綾華さんも、椅子に座り込んで身じろぎもしない由紀も、頼りなげな蛍光灯の明かりの下で、疲労という字を全身にまとったようなどんよりとした雰囲気の中に沈みこんでいた。

 綾華さんの脚線美をそれとなく眺めながら、なんかエロイなあ、などと不埒なことを考えていた俺は、そんな自分の視線に気付かれるのは死んでも阻止しなければ、という観念に背を押され、声を出した。

「さあ、帰りましょう。今日も一日お疲れ様でした」

 由紀が顔を上げる。意識が戻ってきた、という顔で目を二、三度しばたかせ、無表情なまま俺を見る。

 綾華さんは無言のままだるそうに体を起こし、髪をかき上げた。半分寝ていたようで、目が淀んでいる。

「……ああ、お疲れ」

 声まで淀んでいる。

 意外すぎることに、この人がよく働いた。愚痴をこぼしつつ、八つ当たりしつつ、見た目からして明らかに体力の無い由紀の分まで働いた。

 体力の点では二人とは比較にならない俺も、自分ではよく働いたつもりだけれど、体力の無さを考えれば、綾華さんも、そして生真面目が服を着て歩いているような由紀も、きっと俺以上に働いていた。

「今日もラーメンいきます?」

 疲れてはいるにしても、二人ほど体力が無いわけでもなく、バイトで重労働を当たり前にしていれば備品チェックなんて大した作業でもないわけで、俺はわりと平気だった。

 だから何気なく自分の空腹を基準にそういってみたんだけれど、見事にふられてしまった。

「……吐くぞこのヤロウ」

「わたしも今日はちょっと……」

 疲れすぎて食欲なんかかけらも出ないらしい。

「じゃあ、まっすぐ帰りますか。そろそろ鍵閉めないと、職員室も閉まっちゃいそうだし」

 生徒会室の鍵は職員管理だから、そろそろ返さないと苦情が出る。文化祭間近になればともかく、今の時期から遅くなってもいい顔はされない。

「いいよ、今日はもうここで寝てくから」

 綾華さん、また寝転びやがった。

「んなわけにゃ行かんでしょうが。帰りますよ」

 付き合ってると調子に乗る、という気配がびんびんに伝わってきたから、俺は冷めた口調で返しながら立ち上がった。

 由紀が、だるそうに立ち上がった。

「大丈夫? 帰れる?」

 ふらふらしているから俺が尋ねると、かばんを持った由紀は、珍しくメガネの奥で微笑んだ。

「大丈夫、心配いりません」

 どう見ても大丈夫という顔じゃないけれど、まあ、この子も家は近い。自転車で10分の俺よりさらに近い。電話すりゃすっ飛んでくる家族もいる。

「なんなら親呼んどきなよ。余計なお世話だけど」

 なぜ知っているかというと、この前のラーメン屋の時、帰りが遅い娘を心配して携帯に電話をかけてきた由紀の親父さんが、俺たちが食べ終わって店を出た頃に、近所だというのに車をかっ飛ばして駆けつけたからだ。

 完璧な良家の子女モードの綾華さんが、華麗なほどのご挨拶で親父さんに事情説明してくれたおかげで、親父さん、すごく安心していた。

 その後ろで俺が噴き出しそうなのを必死でこらえていたことは内緒。ついでに、由紀が帰った後、思いっきり右太ももを蹴っ飛ばされて悶絶したのも内緒。実はそのあざが今もくっきり残っているのはまじで内緒。

「大丈夫です。ちゃんと歩いて帰れますから」

 そういいながら、由紀は扉を開ける。俺もそれに続きながら、顔だけ振り向いていう。

「ほら、帰りますよ。本気で泊まる気なら、鍵閉めちゃいますから、先にトイレだけでも済ませといたほうがいいですよ」

 結構ひどいことを、しれっといっている。

「ちょっとー」

 綾華さん、完全にむくれた顔でのそのそと起き上がる。

「扱いひどくない? 由紀とのその差はなんなわけ?」

「手や脚が出てくる人と、そうでない人の違いでしょ。この前のあれ、痛かったなあ」

「あれはアキちゃんが悪かったんでしょーが」

 だるそうに机から下りると、綾華さんは髪を揺らしながら首をひねらせ、いかにも肩がこっていますという顔をした。

「まあ、ともかく、今日はお疲れ様でした。助かりました。ありがとうございます」

 あまり長くこの人と舌戦が出来るほど上等な人間でもないという自覚くらいはあるので、俺は軽く頭を下げて、あいさつした。

 綾華さんはかばんを持って、胸元をきわどく開けた姿で扉に向かってきながら、そんな俺を見てつぶやいた。

「別にあんたのためにやったわけじゃないし」

 そりゃそうだ。

「あんたは平気そうね。あたしたち散々こき使っといて」

 憎まれ口。疲れているからか、ニヤニヤしている顔もあまり明るくない。

「以後、こき使わないように善処します」

「すげーやな感じなんだけど、政治家みたいで」

「そりゃ失礼、とりあえず出ましょうよ」

 綾華さんを誘導するように扉を出て、さっさと生徒会室を閉めてしまう。

「じゃ、俺はこれ返してから帰りますね。お疲れ様でした」

 鍵を振って、俺はさっさと歩き出す。



 この時の俺の気持ち。

 なんとなく、二人から早く離れたかった。

 いつまでも一緒にいたい、とか、どっちかといい雰囲気になれたら、とかいう感じは一切無かった。

 実のところ。

 女慣れもしていなければ、まして相手が無敵な美人の綾華さんに、密やかな人気の美少女の由紀と来れば、俺が相手できるのも仕事があるうち。

 用事が無くなったら、正直、一緒にいるのはすげープレッシャー。

 自意識過剰なだけなんだろうし、失礼なのかもしれないけれど、とにかく、その場から離れたかった。

 そう、俺は逃げ出した。

 へたれでチキンな自分を守るために。




 だから。

 職員室で生徒会室周辺の部屋の鍵束を返し、使用簿に名前を書き込んで、先生といくつか言葉を交わし、「まっすぐ帰れよ」といわれて解放され、生徒昇降口で靴を履き替え、外に出た時。

 俺を待っていたらしき人影に声をかけられて、俺は本気で驚いた。

「うおおおおおい」

 現実にこういう場面でこういう声を出すやつがいるとは思ってもいなかったけれど、いるんだな、ここに。

「うわあっ」

 叫ばれた方も驚いていた。

 もう照明も消されてしまった昇降口外の暗がりに、背の高い女子がひとり立っていた。

「なんなんだよ、びびんだろっ」

 綾華さんだった。

「びびったのはこっちですよ、んなところからいきなり声かけられたら」

「こんないい女に声かけられてびびるって、ありえねーよ、失礼きわまりねーだろ」

「暗闇からいきなり声かかってびびんない方がおかしいですって」

「ちっ、このびびりのへたれめ」

「俺はびびりでへたれですよ」

「うわ、さらっと認めやがった、根性無いな」

「世間のすみっこで静かに暮らしていくのが夢の、ちっちゃい男っすよ、俺は」

「どこがちっちゃいんだっての、ガテン系のくせに」

 ちょっと喋っているうちにどちらも落ち着いてきて、毒舌の吐き合いになってきた。

 つい最近まで、想像もしなかった。まさか、この人と言い合いができるようになるなんて。

「どうしたんですか、さっきまで小指で押しただけでぶっ倒れそうだった人が」

「こき使われて疲労困憊のかわいそうな美少女を、誰かが送りたいなあって思ってるんじゃないかと思って」

「へえ、そんな奇特な奴がこの学校にいるんですかねえ」

「いないの?」

 ありえないことに、綾華さんが俺を見上げるようにして首をかしげている。

 恐ろしく可愛らしい。

 この中途半端な暗さの中で、この人の周囲だけ淡く輝いている錯覚すら起きる。

 でも、そこは自他共に認めるへたれ。

「いるんですか?」

 鸚鵡返しは失礼極まりないけれど、からかわれているのにその気になってしまうよりよほどまし、という打算が、一瞬で頭をよぎっていた。

 綾華さんは少しの間黙って俺を見た後、ふっと笑った。

「なるほど、なかなかいい逃げっぷりだわ」

 へたれを自称するだけあるね、と、綾華さんは続けながら歩き出した。なんとなく、俺も半歩遅れてついていく。

「送る送らないはどうでもいいんだけどさ」

 綾華さんの足取りはそれほど軽くない。

「明日の予定、聞いてなかったから」

「ああ、そういえば」

「あたしも色々忙しくってね。予定立たないと困るんだわ」

 声が非常に冷たい気がするわけですが。

「明日は仕事は無しです。会計と話して、新規購入の件まとめるだけなんで」

「あたしは用無しか」

「一人いりゃ充分ですし。出ます?」

「冗談でしょ、んなめんどい事」

 重いなりにすたすたと歩いて行く。

「てかさ」

 綾華さんがポケットを探った。

「いちいち会わないと連絡取れないんじゃ困るんだよな」

 取り出したのはスマホ。じゃらじゃらストラップをつけているイメージがあったけれど、組紐のアンティークなストラップが一本、薄い無地のカバーにぶら下がっているだけだった。

「番号とメアドちょうだい」

 綾華さんが立ち止まる。俺も立ち止まる。

 暗がりでも表情はわかる。綾華さん、今日一番の不機嫌顔だった。

 慌てて俺も引っ張り出して、QRコードを出す。

 お互いのスマホが番号を認識しあうと、綾華さんは白いスマホをしまい、また歩き出した。

「……あんた、チャリ通でしょ。さっさと帰んなよ」

「まあ、ここまで来たから、駅までは送ろうかと」

「いいよ、彼氏呼んでるから」

 綾華さんの声がどこまでも冷たい。そのセリフに、俺もちょっと腹が立った。

「……じゃあ、送ってもらおうなんて期待する意味ないですよね」

「だから、送る送らないはどうでもいいっていっただろ」

 彼氏、といえば、噂の社会人の彼氏という奴だろう。セレブな彼氏、とかいってたやつもいたな。

「そうですか」

 俺なんか足元にも及ばない、この人にふさわしい男なんだろう。別に顔を見てやろうという気も起きなかったから、俺はからだの向きを変えた。

「遅くまでつき合わせてすいませんでした。この先は出来るだけ負担がかからないようにしますから、今日のところは勘弁して下さい。それじゃ」

 向かって左手にある自転車置き場へ歩き出した俺の背中で、綾華さんの声がした。

「ああ、もう、そういうんじゃなくってさあ」

 イライラした声。といっても、自分に対するイライラだってことくらいは、いくら俺でもすぐにわかった。

「あんたたちと仕事するの、嫌だとかじゃないんだよ」

 俺は立ち止まった。振り向かなかったのは、なんとなく、綾華さんに顔を見られるのが嫌だったから。なぜかはわからない。

「あんたくらい、あたしにまともに向き合ってくる後輩なんていなかったし、由紀もくそマジメなくせに憧れてるとかいってくれちゃうし」

 ほとんど、衝撃的といって良かった。俺にとっては、綾華さんみたいなスターが、いくら流れで一緒に仕事をすることになってしまったにしても、俺なんかの存在を受け入れるなんてことは、ありえないことだった。

「一緒に仕事してさ、一緒に疲れきってさ、くだらない話してさ、そういうのって今まで無かったから、結構楽しいんだよ」

 さすがに俺は振り向いた。綾華さんは街灯の光を受けて、茶色い髪をきらきらと輝かせていた。表情は無表情に近いけれど、今までになく真摯だった。少なくとも俺にはそう見えた。

「あたしも性格歪んでるから、むかつかせたんなら謝る。でも、喧嘩別れみたくなって帰るの、嫌なんだ。次に話しにくいじゃんか」

 絶句していた俺は、衝撃を受け止め損ねてくらくらしていたけれど、何とか持ち直した。

「……俺も」

 頭が止まりかけていて、俺は気の利いたことなんか口にする余裕がない。だから、出たのは素の言葉。

「綾華さんと仕事するの楽しいです。話してて楽しいです。喧嘩別れは嫌です」

 綾華さんのほほが、ふっと柔らかくなった。

「じゃあ、おんなじだ。喧嘩別れはやめとこうな」

「はい」

 多分、俺のほほも柔らかくなっていただろう。

 何となく無言のまま、二人で見つめあっていた。

 といっても、なにしろ中途半端に暗いから、しかもお互いの距離があるから、情熱的な見つめあいにはならない。

 そのうち、綾華さんが動いた。

「引き止めて悪かったね。なんか仕事が入ったら、すぐ教えてね」

「わかりました。こちらこそ遅くまですいませんでした」

「いいっこなしでしょ、それ。リーダーはアキちゃんでも、あたしたちってチームなんだからさ」

 綾華さんは手をひらひらさせながら、校門の外へと歩き出した。

「苦労も成果も、分け合うのがチームってもんじゃない?」

 その言葉が嬉しくなって、俺は綾華さんの背中に向かっていった。

「その言葉が聞けただけでも、この仕事引き受けて良かったです」

 綾華さんは振り返らず、相変わらず手だけひらひらさせていた。

「まあがんばろーぜー」

 帰りの自転車をこぐ足が異常に軽かったのは、きっと気のせいじゃない。

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