第2話 バイトの途中
休日の俺は勤労少年なわけで。
勤め先は、親父の知り合いの土建屋。今時の高校生には珍しい、とよくいわれる。俺もそう思う。
理由は、まあ、いくつかあるんだけれど、ひょろい非力くんの俺が多少体を鍛えられたりするんじゃないか、なんて淡い期待もあったのは事実。
実際、半年も勤めていたら、体つきが変わった。身長だけは平均より少し高いけれど、風で折れそうな体(両親談)だった俺が、久しぶりに会った中学校時代の同級生に「……路線変えた?」と怪しまれる程度には筋肉質になった。
会社が暇な時はバイトの俺なんかいてもかえって邪魔だから、呼ばれもしないで休みになる。でも秋になると工事関係は忙しいようで、土日祝日は入れるだけ入って欲しい、と頼まれていた。
体的にはかなりきつかったけれど、慣れってのは怖いもので、毎週末にぼろ雑巾になっても、次の週末には「さあ、ここからが今週の本番だ」みたいな気合が入るようになっていた。
その分、学校がおろそかになりがちで、月曜日なんかは本気でサボろうかと何度も思った。
サボらず遅刻寸前でもどうにか通っていたのは、親や教師に何か言われるのが嫌という小心さからで、学業が学生の本分だとか考えていたわけじゃない。
まあ、自転車で10分もこげば着いてしまうところに学校があれば、それほど通学に苦労なんかない。
それはともかく、文化祭の会議があった翌日の土曜日、天気も回復して残暑の名残のように蒸し暑い感じになったその日、俺はとなりの街にいた。
現場は片側2車線の国道。その横にある小さな道、側道というらしいけど、その側道と国道の歩道との間にある細くて掘ったままの水路を、コンクリート製の水路に直す工事。
生い茂ったやけに背が高い雑草をかき分けながら、高さを測ったり幅を測ったりしていたのは夏休みのこと。今では水路はすっかりコンクリート製に変わり、今日はそこに蓋をかける仕事だった。
監督は親父の知り合いのカケスさん。俺は完全にカケスさんチームの一員で、朝7時半過ぎに会社に着くと、何もいわれなくても機材を現場車に積み込んで、後部座席の荷物に埋もれるようになりながら乗り込むのが当たり前になっている。
社員の人や作業員のじいさんたちに、
「お前、進路の心配だけはねーな」
とかいわれる始末。
一応進学したいんですけれど、ぼく。
「冗談抜きに、お前、卒業したらうち来いよ」
社長の息子さんは会社で営業をしていて、つい最近そういわれたりもしている。
「工業高校じゃないから資格取れないっすよ」
と答えたら、
「んなもん少し勉強すりゃ誰でも取れるから」
と返された。
土木業界はどこも厳しいはずなんだけど、使える人間はやっぱり確保しておきたい、特に若手で使えそうな人間は減ってきているから、今のうちにつば付けときたい、というのが息子さんの考えらしい。
カケスさんがそういっていた。
「ジュニアのいうこと、真に受けるなよ」
とカケスさんはいう。
「お前、大学行きたいんだろ?」
「ええ、まあ、行ければ」
「行っとけって。俺みたいな頭悪い奴じゃどうにもなんないけど、お前頭いいんだからさ。親父さんだってお前が大学入ったらすげえ喜ぶぜ」
「はあ……」
カケスさんはもともと地元じゃ有名な不良だった(当時はバリヤンといったらしい)けれど、今じゃ俺のことをこんな風に考えてくれる、真面目ないい兄貴みたいな人。
「勉強の邪魔になるんなら、こんなバイトすぐ辞めちまっていいんだからな。まず自分のこと考えろよ。お前人がいいから、頼まれると断れねえから心配なんだよな」
昼前、俺は自動的に仕事から外される。
使いっ走りをするためだ。
現場が車でも使わないと買い物もできない場所だったら別だけれど、今日はすぐ近くにコンビニもある。そうなると俺の出番。
お茶やら弁当やら雑誌やらの注文を取って、お金を預かって、メモをポケットに入れて歩き出す。
コンビニに入ると、外の蒸し暑さが嘘のように涼しい。もう10月にも入ろうって時期にこれだけ暑いと、コンビニの涼しさがあらためて天国に感じられる。
かごを持ってさっさとメモに書かれたものを集めてしまうと、自分のお昼を選ぶ。
から揚げ弁当ととんかつ弁当のどっちにとしようか迷っていると、ふと、となりでサンドイッチを手に取った背の高い女性と目が合った。
あ、と思った。
私服で、帽子をかぶっていたから、とっさにはわからなかった。でも顔を見てわかった。
永野先輩だった。うちの学校の有名人、高嶺の花の象徴、そしてちと怖い人。
ピンクのチェックのウェスタンシャツと黒いキャミソール、ミニのデニムスカートにスウェードのブーツという格好。細いネックレスを重ねがけしていて、胸元できらきら光っている。
「あ」
と、先輩も俺の顔を見て声を上げた。
じつは、会議のあと、渋谷さんと肩を並べて教室に戻る前、永野先輩とは言葉を交わしていた。
実行委員のそれぞれの担当が決まって、俺と渋谷さんはクラス企画の管理担当になった。
その同じ担当に、永野先輩もついていたんだ。
それは偶然というわけでもなく、要は、永野先輩が2年の4組で、俺も4組、クラスごとに仕事を割り振った結果、そういうことになった。
クラス企画担当は1年と2年の3組4組の実行委員。
永野先輩か、もう一人の2年生が担当のリーダーにならなきゃいけないけれど、どっちも渋った。当然だけれど。
「わたしはやだから」
あからさまに不機嫌に宣言した永野先輩は、いっそ潔い。
もう一人の2年生は男子で、永野先輩とは明らかにそりが合わない感じ。俺以上の小心者という印象で、正面切って永野先輩に何かいえる雰囲気じゃなかった。
もちろん俺も渋谷さんも永野先輩に何かいえるはずもなく、
「適当にやってよ。手が必要なら手伝うくらいはするけどさ」
とのたまう永野先輩のいうことを、黙って聞いているしかなかった。
といって、しょぼんとしている先輩も渋谷さんも、このままの状態だとかわいそうな気がする。仕事始めの前からこんな有様じゃ、俺も気分が良くない。
なんとなく、仕事モードになってしまった俺は、あまり深く考えずに口を開いていた。
「リーダーがどうとかはともかく、手分けしてやりましょうよ。誰かが犠牲になって仕事抱え込むんじゃ、寝覚めが悪いし」
俺がそういうと、永野先輩は少し意地悪そうな顔になった。
「じゃああんたがリーダーやんなよ。寝覚め良くなるよ?」
かちん、ときた。
俺は小心者だけど、人に苦労押し付けて平然としていられるような下衆に笑顔をくれてやれるほどの間抜けでもない。
あんた、という呼ばれ方もむっときた。
「こき使いますよ。わざわざ指名するくらいだから、従ってもらえるんでしょ?」
今考えると、よくまあいえたもんだけれど、その時は一瞬で頭が熱くなっていた。
永野先輩は驚いたような顔をした後、落ち着けよ、とでもいわんばかりに笑った。
「オッケー、従うよ。じゃリーダーはあんたって事で」
「構いませんよ。先輩もそれでいいですか」
と、俺は萎縮しきっている男子の先輩に聞いた。先輩は小さくなったまま、うなずいた。渋谷さんは無表情なまま、俺と永野先輩とを見比べているようだった。
「とりあえず仕事がどんなもんだか全然わかってないんで、今指示出せっていわれても困ります。だから今日は解散ということでいいですか」
俺は一刻も早く永野先輩から離れたくなっていたから、とっとと終わらせることにした。
「さんせー」
永野先輩は能天気な声を出して右手を上げた。
なんか上手く乗せられてしまったような気もするけれど、やる気が無い人の相手はむかつくばかりだし、この後渋谷さんと一緒になっていたときに話した、「学校で高校生ごときに使われるの、なんかむかつくんだわ」という気持ちもあったから、リーダーになったこと自体はどうでも良かった。
「それじゃ解散しましょう。次のミーティングとかは、後で連絡しますんで」
「よろしくー」
永野先輩はどこまでものんきそうな顔をしていた。
気まずい、と思ったのは俺だけじゃないはずだ。
でも、意外に永野先輩は大人だったらしい。
「あれ、どしたの、そのかっこ」
気さくに声をかけてきた。
たぶん、何もしていない休日なら、俺は声も出せずにおろおろしていただろう。そんなに外向的な性格じゃないし、ただでさえ美人の前では上がってしまうのが男の哀しいさが。まして、昨日のこともある。
でも、この日は仕事中で、さんざん声を出している。冗談を飛ばしながら仕事をするのがカケス組のモットーだから、俺も頭がそういうモードに切り替わっている。つまり、会話して当然という気分になっていた。
「どんな風に見えます?」
下は作業ズボン、上は長袖の作業用シャツ、という姿は、どう見たって土木作業員だろう。
「ガテン系の奴隷労働者?」
すごい表現を使ってきた。
「奴隷……まあ、そんなもんです」
合ってなくはない。使いっ走りのガテン系アルバイト君だし。
「バイトかなんか?」
「バイトです。すぐそこに現場があって」
「ああ、もしかしてその道の下のところ? 水路の工事してるよね」
「当たりです。よくわかりましたね」
「だってうち近所だし」
永野先輩がノーメイクだということに、この時気付いた。
ギャル系だから化粧が濃くて、すっぴんじゃ顔わかんないだろうな、なんて思っていたけれど、意外に昨日とあまり変わらない。だとすると、ごく薄いメイクであれだけ目立っているということか。
いや待て、順番が逆だ。ノーメイクでこんなにきれいな顔してるってのは、相当すごいんじゃなかろうか。
とか何とか考えつつ、へえ、この辺なんですか、と生ぬるい返事をする。
「まだ暑いのに大変だねえ。もしかして夏の間とかずっとここで働いてたり?」
「そうでもないです。あちこちの現場行ってたし」
「そうなんだ。もしかしたら知らずに通り過ぎてたかもなあ、なんて思ったんだけど」
「そんなに近いんですか」
「だからすぐそこだってば」
昨日とは違うブレスがかかった腕を上げて、永野先輩が外を指差した。その指が長くて、きれいだった。
不思議な感じだった。
つい昨日までは、話す事はおろか正面に立つことすらありえなかった永野先輩が、こうして俺と話している。
というより、永野先輩みたいなタイプと話すなんてことが人生においてありうるなんて考えたこともない俺が、妙に落ち着いて、ごく普通に話している。
「梅雨のときとか台風のときとか、あの辺ってすぐに水浸しになってたんだよね。工事で水路ができたら、少しはましになるかな」
「なると思いますよ。水路と川との合流も付け替えで改善されたし、水路の掃除だけちゃんとやってくれれば、簡単にはあふれませんよ」
「へえ、それ助かるわ」
ここまで話したところで、俺たちは立ち話を中断した。
店が混んできていた。
そりゃそうだ、お昼時なんだし。
弁当なんかが置いてあるところで立ち話していた俺たちは、どうみてもでかい障害物。先輩はたぶん170近い身長だし、俺も180近い。二人とも細身だけれど、ピザ(体格のよろしい方々のこと)じゃないから邪魔にならないってことはないわな。
「とりあえずレジ済ませようか」
「そうっすね」
永野先輩と俺は同時に苦笑した。
その後先輩と話すことはなく、俺は使いっ走りの任務を無事完了。
近くにある木陰でから揚げ弁当を食べ、土木工事の現場では欠かすことが出来ないお昼寝の時間に突入。
弁当のごみを片付け、さてごろりとしようかな、というところで、カケス組で顔なじみになった作業員に声をかけられた。
「晃彦、お前、なんかいいことあったのか?」
「はい?」
「妙に機嫌よさそうな顔してるからよ」
「別に、特には無いっすけど」
大あり、だったんだろうな。
美人の先輩と親しく話す、というシチュエーション自体が俺にとっちゃすごい幸運だったけれど、それは大きな問題じゃない。
気が合わなさそうで、顔を合わせる機会がこれからもあるだろうと思うと、ずーんと気分が沈んで行くような感じがしていた永野先輩と、ああしてごく自然に話せたのが嬉しかったんだ。
なにか、頭の上にぶら下がっていた石が取り除かれて、いつ落ちて来るか気が気じゃないという状態から解放されたような、ほっとした気分も混じっていた。
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