小さな祈り
早稀
第1話 会議は踊らない
「やっぱ見た目だけならあの人だな」
教室の窓から校庭を見下ろしつつ、誰かが偉そうにいっているのが聞こえる。
話の前後は何となく耳に入っていたから、誰のことかは分かる。一学年上の、とてつもない美貌ととてつもない不良伝説で知られる人だ。
確かに黙って立ってりゃ、下手なモデルなんか太刀打ちできない美少女。小市民の俺なんか、近寄るのも恐れ多い。
「この学校、美人は割と多いけどな」
「あれは反則でしょう、格が違うというか」
「同じ美人でもさ、ああいうのは親しみやすい感じでいいよな」
別の「美人」に話が移った。もっとも、俺はその話の輪には加わっていなくて、近くにある自分の席でうとうとしながら耳にしているだけ。だから、話の美女の姿は見ていない。
しばらくすると、別の女子の話題になる。その女子が下を通っているのだろう。
「ちょっと暗くね?」
「わかってねえな、ああいうのがいいんだよ」
「おとなしすぎるのもつまんないだろ」
「俺は眼鏡はパスだな。つーか、お前、眼鏡っ娘好きかよ」
「あれ外すと超美少女なんだぜ、お前らが知らないだけで」
「ばーか、知ってるっての。でも男嫌いなんだろ、確か」
誰の話か知らないけれど、とりあえず興味も無かった俺は、いつの間にかしっかり眠りの中に落ちて行ってしまっていた。
そんな昼休みが終わり、午後の授業をこなすと。
放課後、俺は担任に呼ばれた。
もうこの時点で嫌な予感はしていた訳で。
うちの学校では、クラスから一人、文化祭の実行委員というものを選んで、生徒会に差し出すのが決まりになっていた。クラス委員二人のうちの一人も同時に差し出されて、生徒会執行部の手足となって働かされる。
だいたい文化部員は部活にかかりきりで実行側に回るなんて不可能で、体育会系だってその時期は何かしら大会があったり、文化祭に独自の企画を持ち込んだりで忙しい。
生徒会だって部活持ちが多いから、どうしても手薄になる。
そこを、帰宅部の人数で埋めようというわけだ。
俺はバイト持ちだけれど、休日のみ。部活は最初から入っていない。もちろん、担任はそのことはバッチリ知っている。
なんか嫌な予感はしていたけれど、見事的中。
「どうせお前放課後とか暇だろ」
という担任の鶴の一声で、俺は文化祭実行委員という称号を頂戴するはめになった。
ばりばりの帰宅部員だし、彼女がいる訳じゃないし、そりゃ暇だけれどさ。
文化祭実行委員の初会合は、雨の金曜日。
自転車通学の俺にはきつい天気で、多分帰りは日も落ちてしまって、一層みじめさに拍車がかかるだろうなって簡単に想像がつく。
場所は生徒会室じゃ手狭だということで第2会議室。特別教室や職員室が入っている校舎。
俺が入ると、もう席は半分くらい埋まっていて、黒板の前に並んだひな壇には、生徒会長を初めとする生徒会執行部幹部の面々。俺とは縁もゆかりも無かった人々。
まだ会議前ということで、私語が禁止されたりしているわけではないけれど、微妙な緊張感が流れていた。なんでだろう、と思いながら、空いている席を探す。
みんなそれぞれに隣がいなさそうな席を選んで座ったようで、両隣が空いている席は無い。仕方なく、知っていそうな人を探すと、いた。会議室に並ぶ長い机の列、その後ろから3番目に、隣のクラスの女子。
「渋谷さん、隣、いいかな」
声をかけられた方は、びっくりしたように顔を上げた。
「あ、ああ、晃彦くん」
俺は1年4組、渋谷由紀は3組。中学が一緒だった。
「……どうぞ」
同じクラスになったことはないけれど、口をきいたことがないわけでもない。体育祭の時は合同のチームだったし、共通の友達もいる。
「じゃ遠慮なく」
俺のことを名前で呼ぶのは、別に親しいからじゃない。うちの田舎には掃いて捨てるほどいる「佐藤」という苗字のおかげで、佐藤姓の人間は容赦なく名前で呼ばれる。この会議室の中にも何人か佐藤がいるはず。
俺が座ると、渋谷さんは居心地悪そうにいすの上で身じろぎした。
急に俺みたいなのが隣に座っちゃって、悪かったかな、と少し自己嫌悪に陥りかける。
そこで、部屋に流れる緊張感の正体がつかめた気がした。そうか、さほど親しくもない人間がごちゃごちゃ集まっているからか。
渋谷さんはあからさまに俺をうとましがることはなかったけれど、それでも何となく強張っているような気配が伝わってくる。かといって、別の席を探しに行くのも、今さら難しい。
仕方無い。
今日一日くらいは、居心地の悪さに耐えよう。渋谷さんにはいい迷惑かもだけれど。
渋谷さんは、黒いまっすぐな髪を伸ばして、前髪は眉にかからないくらいのところでそろえている。化粧っけもなく細い銀フレームのメガネをかけている姿は、どこを切っても地味という印象。あるいは、おとなしい優等生。
色が白くて顔立ちもかなり整っているから、渋谷さんさえその気になれば、男子を手玉に取るくらいのことは簡単にできそうだけれど、中学時代から今まで、彼女が男子とまともに喋っている姿を見た記憶が無い。
引っ込み思案、というやつか。
同じおとなしい系……とは最近周囲は見てくれなくなったけれど、自分ではおとなしい系だと信じている俺も、今までそういう渋谷さんに興味が湧かなかったわけじゃない。高校に入って、中学時代よりずっときれいになったような気もしていたし。
でも、なにしろ縁が無かった。さすがに、ちょっと口がきけたくらいで「こいつ俺に気があるんじゃねーの」とか「実は運命の…」とか考えられるほどめでたい性格でもない。
机の上に並べてあるプリントの類をぺらぺらとめくりながら、何となく黙っていると、それが気まずかったのか、渋谷さんが口を開いた。
「……晃彦くんも、押し付けられたんですか?」
よほどつまらなさそうな態度に見えたのか、そんな事をいう。俺はちょっとびっくりした。渋谷さんから話しかけてくるとは思っていなかったから。
「うん。そういうってことは、渋谷さんも?」
行儀悪くズボンのポケットに突っ込んでいた左手を出して、座り直しながら聞くと、渋谷さんは髪を揺らしながらこくりとうなずいた。
「帰宅部だから放課後は暇だろうって担任がさ。いい迷惑だ」
「そうですか」
「渋谷さんも帰宅部だっけ」
「はい」
そう、思い出した。中学時代も敬語が彼女の癖だった。
「まあ、どうせ言われたことやってりゃいいんだろうから、適当にサボって気楽にやろうかなって思ってるけどさ」
「はい」
自分から話を振った割りに、受け答えは短い。その上声も小さい。
そもそも俺を見ていない。
隣に座られてうっとうしいのかな、ならシカトしてくれてた方が気楽なんだけどな、なんて思ったりもする。
俺が黙ったら、渋谷さんも口を閉じた。
二人してプリントを見ながらじっと時間が過ぎるのを待っている。
なんだか気が重い。
定刻になった頃、会議室はほぼ満員。人数分の席しか準備していないらしい。
俺の右隣は渋谷さん、通路を挟んで左隣は空席。
そろそろかな、という感じで、ひな壇の生徒会長たちが動きかけたとき、その左隣の席に遅刻寸前のタイミングで人が現れた。
何となくそっちに視線を移す。
うつむき加減で動いた視線の先に、まず短いスカートの下に伸びる白くて細い足が飛び込んできた。
ちょっと驚きながら、目は上へ。
指定の制服では絶対にないグレーのポロシャツ、その上にノースリーブのパーカーを羽織ったその姿は、俺とは別世界の人種。ブレスが光る手首と指輪が、住む世界の違いを見せつけている。
人をじろじろ見る趣味はないから、俺はそこで視線を外した。
それに、それが誰だか、顔を見なくてもわかった。校内では有名な人だ。
2年の永野綾華さん。
とてつもない美形で、派手で、社会人の彼氏もちで、友人関係も華麗で、度々教師と衝突しつつ、それでも成績だけは落とさないから学校側もあまり強くいえない、という無敵な人。
ここまで世界が違うと、たとえば俺みたいな一般大衆の男子は、憧れの感情すら持たない。異次元の人。遠くから鑑賞することはあっても、同じ空気を吸っている人間という実感は持てない。
当然、口を聞いた事もなければ、そもそも声を聞いた記憶が無い。
だいたい、見なくても、ろくに知らないはずの俺ですら雰囲気でわかってしまうこの存在感。
スターとかカリスマとかいうのって、こういう人のことをいうんだろうな。
生徒会長を初めとする面々、あまり気合が入っていない感じがした。
文化祭が、事実上最後の仕事になる今期の執行部のはずだけれど、学校行事が盛んなのに、生徒会は活気が足りないというのが俺の実感。
生徒会の顧問をしているわが担任も、いつだったか嘆いていた。
「自分たちの生徒会なのに、どうしてこうやる気がないかねえ」
んなこと1年の俺たちにいわれても、とその時は思った。生徒会役員を出していない1年生じゃ、がんばりようがない。
文化祭の仕事はプリントの中にあるチェックシートやタイムテーブルで把握できるから、この会合はここに来た時点で終わっているようなもの。だらだら説明をしている執行部の面々をぼんやり見ていてもつまらない。
むしろ、この人たちのやる気の無さと、それでも運営できている生徒会について考える方が面白かった。
そんな事でも考えていないと、隣にいる渋谷さんが、やっぱり俺なんかが横にいたら居心地悪いだろうなあ、とか、逆隣にいる永野先輩はやっぱ俺の事なんか虫けらくらいにしか見えてないんだろうなあ、とか、鬱になることしか頭に浮かんでこない。
まず、この会議の無駄さ。
なにしろ、配付したプリントを執行部の面々が順に読み上げていくだけ。特別なコメントが入るわけでもなく、声も小さくて後ろにいるとよく聞こえない。
かろうじて、会計担当の役員の話だけはまともに聞こえた。簡潔で、明瞭で、この人がお金を見ているからなんとか生徒会が機能しているんだろうな、というのが凄く良くわかった。
集まっている人数は、一学年8クラス、全学年で24クラスからクラス委員二人のうちどちらかと文化祭実行委員一人の二人ずつ、計48人プラス執行部10人ほど、といいたいところだけれど、うちのクラスはクラス委員二人がどちらも手が離せなかったということで俺だけ出席、そういうクラスがいくつかあって、でも総勢50人くらい。
これだけの人数を集めておいて、なんでこんな会議なんだろう。誰かが意見をいうわけでもなく、時々ひそひそと私語が目立つくらいで、異様な盛り下がりぶりを見せる場内。
最後列に近い席から見回すと、誰もが、自分が文化祭を背負って行くんだという覚悟を担った背中じゃない。どう見てもお客様。
バイト先で、たとえば大先輩カケスさんたちが見せてくれる、自分が仕事をするんだという責任感を漂わせた背中とは、比べものにならない。そりゃ社会人と高校生を比べちゃいかんだろうにしても。
俺もやる気なんかかけらもない。それにしたって、中心になるべき執行部まであの覇気の無さってのは、やばいんじゃなかろうか。
なんて思っていたら、両隣で同時にため息がもれた。右の渋谷さんはひっそりと、左の永野先輩はわざとらしいほど大きく。
大きいため息に引っ張られて、左に注意を向けてみると、永野先輩は、貧乏揺すりこそしないものの、この退屈な会議に明らかにいらだっている。
まさか爆発はしないだろうけど、ちと怖い。同じ机で並んでいる逆隣の人、ご愁傷様。通路を挟んでいる、この偶然に感謝。
それから右に注意を向けてみると、渋谷さんは頬杖をついてタイムテーブルのプリントに落書きをしている。何を書いているのかと目だけを動かしてのぞいてみると、視力2.0の俺の目に、やけに上手いアンパンマン。その隣に食パンマンがあるということは、そっちを先に描いていたということか。
落書きに選ぶ題材が微妙なら、描く順番も微妙、しかもあの尋常じゃない技術。
なんて恐ろしい子……!
退屈この上ない会議が終わると、俺はなんとなく渋谷さんと一緒になった。
なんとなくってのはちと違うか。
渋谷さんと俺は、文化祭実行委員の仕事の割り振りで、同じ仕事の担当になった。各クラスで開かれる企画物の管理担当。
責任者は二人いる副会長のうちのひとりで、伝統的に一人は三年生から、一人は二年生から選ばれる副会長のうち、二年生の先輩。
その人を中心に話を進めて行くんだけれど、今日は顔見せだけだった。全体会議が長すぎたからだろう。
正直、授業をまともに6限食らった後であの会議はしんどかった。この上、担当者会議までやるなんて言い出したら、たぶん全員怒るか無言で帰っていたと思う。
席が隣で仕事も一緒になったから、その流れで俺は渋谷さんと一緒に歩いていた。
校内は部活上がりの生徒たちがうろうろしていたりして、それほど寂しい様子でもなかった。俺たちは肩を並べるようにして、だらだらと自分たちの教室に向かって歩いていた。なにしろクラスが隣だから、向かう方向は一緒。
「クラスの企画を管理するっていったってさ、企画を審査するのは執行部だし、予算管理は会計係だし、別にやることないじゃんなあ」
ちんたら歩きながら、プリントを眺めていて会議中に思ったことをいってみる。
渋谷さんは、真ん中より少し後ろ、という身長順だから、それほど小柄とはいえないけれど、うつむき加減で歩くから実際より小さく見える。
「雑用係、でしょうか」
小さく首をかしげながらいう。
「ありそう」
たぶん、そういうことなのだろう。
各クラスへの資材の貸し出しやその管理は、基本的にはクラスが自分たちでやることにはなっている。でも、その書類を作ったり、チェックしたりする人間は必要。そういう意味での管理だったら別に構わないけれど、たぶん、それだけじゃ終わらないだろう。
「どうせ自分らで管理するなんて約束、どこも守らないだろうし。結局俺らが全部やった方が早い、みたいな感じになりそう」
だとすると、書類作りはさっさと済ませてしまわないと、後で必要になってから、なんて考えていたら追いつかなくなりそうだ。
「各クラスの企画が出そろう前に書類作って、使い方の簡単なマニュアルも作っちゃって配付して、ついでに自分たち用のチェックリストも作ろうか」
俺は、考えている事をそのまま口に出しながら歩いた。俺がしゃべっていないと、渋谷さんはきっと一言も喋らないから。
気まずいからな、そういうの。
「資材のリストは去年のがあるけど、数とかチェックしなきゃいけないし、そのあたりもちゃちゃっと終わらせないと、後が怖そうだね」
もうすぐそこに渋谷さんの教室。その奥が俺の教室。
「新規購入分の予算配分なんかはどうなってるんだろう。購買分は会計と相談なのかなあ。確認しとかないと」
渋谷さんの教室の扉がすぐ横に来た。
もうこれで今日はお別れだと思ったから、俺はここでようやく渋谷さんを見て、「そんじゃ今日はお疲れ」とでもあいさつして行ってしまおうと思った。
渋谷さんは、顔を上げていた。俺を見ていた。整ってはいるけれど表情に乏しそうな顔が、微妙に変わっていた。
「そんじゃ……どうかした?」
思わず俺があせると、渋谷さんはさっと視線を外してうつむいた。
「……ううん、すごいなあ、と思って」
「なにが?」
何かすごいことをしてしまっただろうか。とりあえず自覚は無し。
「仕事、できる人なんだなあって」
「始まってもいないのに、んなのわかんないだろ」
「ううん、始める前からそうやって仕事の先が読めるの、すごいと思います」
渋谷さんは聞き取りにくくない限界の小声でいう。
「ああ」
そういうことか、と俺は納得した。
「バイト先でさ、こうやって仕事の先の先を考えてる人がいるんだよ」
親父の友達でバイト先の社員、カケスさんのことを考える。
土木工事の監督仕事は「段取り8割」だ、とカケスさんはよくいう。事前の段取りがきちんとできれば、仕事は8割方成功したようなものなんだって。
「後で苦労するのが嫌なら、とかいう問題じゃなくてさ、大人が仕事やってて、段取りが上手くいかなくて失敗したら、自分以外の他人に迷惑がかかるだろ。金だってばかばか出て行くし、土木工事なんかだと下手すりゃ死人が出る」
だから、仕事に責任を持つ人間は、始まる前にきちんと手順を考えて、準備して、問題が起こってもわたわたしなくて済むようにしてないといけない。
カケスさんはたかが高校生バイトの俺に、そんな事をよく話してくれる。まあ、ちょっとうざい話なのも事実だけれど。
二人で廊下の端に並んで立ったまま、俺たちは話を続けている。
「……でも、自分で選んだ仕事じゃないですよね、実行委員も、クラスの管理担当も」
渋谷さんは、プリントを挟んだルーズリーフを抱くようにして持ち、まだうつむいたまま話している。
「なのにちゃんと仕事のこと考えてます」
「うーん」
それってすごいことだったのか、と、ちょっと俺は感心した。
それが当然だと思っていたから。
というとかっこつけているみたいだな。
「確かにそうだけどさ、実行委員だって断ろうと思えば断れたんだし。それをしなかったんだから、やることはやんないとなあ」
それに、と俺は付け加えた。たぶん、これが一番本音に近い。
「誰かにいわれて動くだけなの、俺嫌いなんだよね。バイトで大人に囲まれて仕事してるとさ、学校で高校生ごときに使われるの、なんかむかつくんだわ」
そういうと、渋谷さんはびっくりしたように俺を見た。
「……そういう物の見方もあるんですね」
不思議な感想を漏らすと、渋谷さんはまたうつむいて、
「バイトしてるの、すごいですよね」
とつぶやいた。
「すごいかねえ」
単にしがらみなんかもできちゃってて、やめにくくなってるだけなんだが。
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