Ⅵ.空を描く日
第49話 青人の描く空
熱に浮かされた青人の頭の中で、白い空に浮かぶ星々がぐるぐると回っていた。空を取り戻した後、青人は高熱で倒れた。寒空の中、全身を濡らし、走り回ったせいだった。夢と現実とが覚束ないまま、これが人生最後の空なのか? と考えていた。
何日苦しんだか、やっと目覚めると、病室の窓から真昼の空が見えた。正真正銘、本物の青空だ。知らないところで空が鮮やかに染まっている。看護士の話では、青人と同じ3年生も空を描いているという。身体中を、何かがぴりぴりと駆けめぐった。
1週間後、青人は病院を飛び出し、眩しい陽光を浴びた。胸をいっぱいに開き、深呼吸する。特別広い空だ。
と、急に勢いよく背中をたたかれ、前につんのめった。
「わっ!」
振り返ると、山吹がにっと笑っていた。隣りで紅があははっと声を立てた。
「病み上がりだってのに、ずいぶん手荒い出迎えだな」
青人は大げさに背中をさすってみせた。文句は、はいはいとあっさり切り捨てられた。
「こんな時に寝てたくせに、よく言うね」
「1人いないだけで大変なのよ」
おまえら、親しき仲にも礼儀ありって知ってるか? だけど裏を返せば、おれの手が必要だってことだ。走りかけた青人を紅が呼び止めた。
「忘れものはない?」
そうだ。仕事始めに道具を忘れたら様にならない。紅と山吹はまただよ、とニヤニヤ笑う。言い返したいところだが、それより仕事場に行くのが先決だ。
地面に道具を広げ、1つ1つ確認する。刷毛は大小、筆は大、中、小、細、極細、隈取り。筆拭き用の薄布。
「それから小瓶。青人、山吹、紅」
青人の言葉に、山吹はにやりと笑った。
「それを言うなら青、黄金、夕日だろ」
空の三原色はそれぞれ自立する上に、合わせれば無限大だ。おれたちもそうでありたい。
行くぜ! と先陣を切ると、またまた紅が待ってと言う。
「バケツ、忘れてるでしょ」
「いっけねえ!」
相変わらず、格好つかねえなあ。紅はふっふと笑って、予備のバケツを差し出した。
「行こう!」
誰からともなく、3人は空の階段まで走り出した。
階段付近で空を見上げると、最上層の修繕作業をする高空機が引っ切りなしに飛び交っている。今回、角膜は再建される。これまで通り、空の事件や地上の航空機を防ぐためだ。しかし、少数ではあったが、角膜全てを取り払い、風通しを良くしよう、という意見も出ていた。
階段の入り口に着くと、4人警備員の集まっていた。2人は葵と紺藤だった。
「おう、やっと来たか」
「今日からよろしくお願いします」
青人が意気込んで挨拶すると、紺藤が寂しげに笑った。
「君たちを迎えるのは今日で最後だ」
「最後って、どういうことですか?」
首を傾げる紅に葵が答えた。
「わたしたちは明日から地上の門に就くんだ。今日は引継ぎだよ」
そう言えば、地上の門は警備団の管轄だった。2人の担当していた最上層は修復中だ。反対に、地上の門には新しい管理人が必要なんだ。
「これから1番重要な門になる。光栄だよ」
葵が誇らしそうに腕組みすると、紺藤も頷いた。
「やるからには、新しい時代にふさわしい、新しい門にしましょう」
「紺藤にしては良いこと言うね」
そりゃないですよ、という紺藤の言葉に、全員が笑った。2人にしばらく会えなくなるのは残念だ。だけど、地上の門に葵と紺藤がいるなら、同じ過ちは2度と起きないだろう。
葵は立ち去ろうとして、そうだ、と青人に振り向いた。
「青人。あんたもあんただけど、みどりも相当危ない子だよ。しっかり守ってやんな」
面食らってるうちに、紺藤が付け加えた。
「向こう見ずの勇気が1番怖いからね」
青人にも言っているんだろう。分かりましたと返事をすると、2人は微笑み、去っていった。
「いつか警備員じゃなくて、管理人になるんだろうな」
と山吹がつぶやいた。紅と2人、首を傾げる。
「天地がお互いに許せる関係になれば『警備』じゃなくなる」
その日は遠いかもしれない。でも、いつか実現する日を願う。いや、違う。その日を創るのはおれたちだ。
青人は空を描いている間、黒い空の事件が未だ収束していないことを知った。
灰谷と小夜をどう扱うか、議論は終っていない。紅が小夜を警察署に連れていくと、灰谷は全てを話した。最上層への無断侵入、警察からの逃走、白い部屋への押入りは日暗に扇動されたことと分かった。
問題は地上の子を天上に連れてきたことだ。前だったら、天上のことを自ら地上に知らせるは許されなかった。だけど、今回の論点は「地上の戦争被害者の救済が罪かどうか」だ。地上に癒えない傷を負わせたのは、天上の白色結晶だったのだから。
納得いかない結論が出たら、意見してやる。人が人を助けることが罪になってたまるか。
黒い空を引き起こした日暗、佳宮、佳也の3人は上空警察によって逮捕され、取り調べを受けた。
日暗の動向は山吹が見つけた告発文によって明らかにされた。日暗は文書と同じく、
「黒い空にした目的は、白色結晶が地上の戦争兵器として使われていると、天上の人々に知らしめること。そして白色の処分が目的だった」
と供述した。日暗は尋問のうち、
「天上は地上に目を向けなくてはならない」
と繰り返し主張していた。この事件は天上と地上が1つの世界であることを思い出させた。
どうあがいたって、日暗が新しい時代を招いたのは確かだ。だけど。
青人は握った大刷毛をすいと伸ばし、揺るぎない黄金の軌跡が輝く。目の前に眩しい金色の空が広がった。
だけど、ほかにやり方があっただろ? 日暗さん。
翌日、青人が燃える夕焼けを描ていると、警察官から名前を呼ばれた。ドームの螺旋階段を下りると、手紙を渡された。佳宮からの手紙だった。
「日暗はかつて、わたしの命を救ってくれました。だから、あの人を止めませんでした。望む通りにすれば良いと思っていました。ですが、わたしが間違っていました。あなたのおかげで、今もあの人の命があることに感謝しています」
文章はそれだけだった。青人は手紙を折れないよう丁寧に仕舞い、仕事に戻った。佳宮は白爆がなかったら、地上で笑って暮らしていただろうに。
青人の筆からぽたっと雫が落ち、足下に2つ、3つ、赤い斑点ができた。絵の具を含ませ過ぎた。
起きたことは変えられない。
日暗たちは「空における異端行為」の条文に乗っ取り、天上から追放......とはいかなかった。階段または高空機で天上へ戻ることもできるからだ。よって天上で永久収容されることになった。
それは、霧絵の具製作所長も同じだ。白色結晶を密輸し、地上の技術を得ていた。裏付けは前地上の門管理人、黄土が公表した論文『灰化原理』と密輸の詳細記録だった。地上の設計図や密輸の記録は所長の手で白色結晶の爆破とともに抹消された。しかし事件後、黄土が論文と地上の門の記録を持って現れた。自分も捕まるっていうのに。元研究者として黙っていられなかったのだろう。
白爆のせいで消えた命がある。所長たちの罪は、重い。
警察は彼らから黒い空の経緯を聞き出している。その後、地上の情勢や戦争について、知っていること全てを聞く予定だ。のちに地上へ赴き、白爆がいくつ残っているか、被害状況はいかほどか、調査するという。それから警備団や研究所など各団体の代表が集まって、天地のあり方について議論を始めるらしい。天上が地上を見直すんだ。
天上と地上を行き来する時代が来る。みどりが誇りを持って生きられる日が来るんだ。
あいつ、やってくれたな。まさかみどりに助けられるとは思ってなかった。
「青人、何やってる!」
左隣りで描いていた梨木の声にハッとした。気付くと、目の前が緑色に染まっていた。やっちまった。青空を描いてたのに。青人は慌てて青色を足していく。
「あんまりぼんやりしていると、病院に送り返しますよ」
右隣りの白陽は、筆をさばく手を止めずに言った。
「よく言いますよ、ぶっ倒れた人が」
と梨木が横槍を入れた。生徒だけでなく、当然、講師たちも借り出されていた。青人の両隣りを講師が挟んでいるのは、病み上がりの生徒への配慮らしい。
白陽は無心に筆を運んでいた。丹念に描く姿は、旧友の過ちを正しているように見えた。青人は講師を見習い、丁寧に修正した。
やがて終了時間を知らせる鐘が鳴った。青空の完成だ。研究層に降りた時には早くも、描いた空が広がっていた。良い出来だ。
何のために空を描くのか。青人は空を描きながら、ずっと考えていた。
空が人を悲しませたり、傷つけたりしたくない。エゴで塗り固めるためのキャンパスではない。
空は途方もなく可能性を委ねられるところだ。光を届け、鮮やかに世界を照らしたい。人に希望を与え、心解き放つところでありたい。
空が空であること。宇宙へ続く、果てしない存在であること。見上れば自由を、未来を感じること。他者と繋がっていること。地上も天上もなく、誰のものでもない。
大事なことは何なのか、やっと分かってきた。家族、友人、街、朝が来て夜が来る毎日。
皆が生きたいように生きられる空を描くんだ。
大切なことって案外シンプルだ。
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