第48話 空の輝き

 青人は突き落とされた絵の具からはい出し、夢中で叫んだ。

「死ぬな!」

 最上層に破裂音が響いた。白色結晶が遥か上空に吹き飛ばされていく。結晶を目で追っていると、日暗が青人の上に落ち、もろとも水中に沈んだ。青人は衝撃で泡を吐き、まともに絵の具を飲み込んだ。鼻孔がぎんと痛む。


 水上に顔を出そうとした時、青人は首根っこを掴まれた。じたばたと抵抗すると、無理矢理、引きずり込まれた。溺れる! 決死に抵抗して手を振り払い、水面へ泳いだ時。


 墨色の絵の具がカッと光輝いた。全方向を白い光が包み、叩き付けるような水圧が襲った。眩しい波に飲まれ、水底へ打ち落とされる。光が消えていく。

 意識が遠退いた時、再び誰かに掴まれ、水面に引き上げられた。

「青人、しっかりしろ!」


 背中を叩かれ、水を吐く。肺がぎゅっと押しつぶされたかのように苦しい。声の主を捜したが、姿はない。

 天を仰ぐと、空は真っ白だ。墨色だったプールも白に変わっていた。顔を出したのは角膜の外。辛うじて残った角膜の内側で、白い灰が降っていた。白色結晶が爆発したんだ。

 側の水面にしぶきが上がった。紺藤が気を失った日暗を抱えていた。そうか、紺藤さんが逃がしてくれたんだ。


 キンと宙を切る音が聞こえた。空を見回すと、1機の高空機が近付いてくる。紺藤が大きく手を振ると、高空機のハッチが開き、救助ベルトが下ろされた。紺藤がベルトを引き寄せ、日暗に装着する。青人も一緒に手伝った。

「ベルトを掴んで」

 青人は言われた通り握り締めた。紺藤は青人を支えるようにベルトに取り付いた。

「上がるぞ。絶対離すなよ」


 紺藤が片手を上げると、3人は空中に引き上げられた。大気はごうごうと騒いで、全身にまとわりつく。

 機体に近付くとワイヤーのスピードが次第に緩まり、やがて止まった。人の手で機内に引き入れられた。扉が閉まると、急に静かになった。

 聞き慣れた声のため息が重なった。

「みどり......」

 みどりは床に座り込み、引きつった笑みを見せた。どうしてみどりがいるんだ? おまけに救急ベルトを身につけている。


 紺藤は先に立ち上がり、仁王立ちした葵に頭を下げた。

「ありがとうございます。助かりました」

「助かりましたじゃねえ!」

 葵は怒号を上げた。すごい剣幕だ。操縦席にどかっと座り、操縦桿を叩いた。

「なあにが一緒に生きますだ! ろくに打合せもしねえで、どうするつもりだ全く!」

 葵の声で狭い機内が震えた。紺藤はすみません、と背を丸めた。

「日暗さんは無事なんだろうね?」

「は、はい。僕が気絶させただけです」


 葵は鋭い目でこちらを見た。おれとみどりも縮み上がった。

「それから、あんたらが助かったのは、わたし1人の力じゃないぜ」

 紺藤は頬を掻き、みどりに振り向いた。

「本当にありがとう」

 みどりは恐縮して、いえ、と目礼した。

 

 呆然としていた青人も、やはり葵に名前を呼ばれた。

「あんたのやったことは捨て身にもほどがある。自分の命を大事にしろ」

「はい......」

 黒い霧の中、必死で最上層に来た結果、結晶を持つ日暗に立ち向かうことになった。だけど、日暗が青人をプールに落とさなかったら、葵さんたちがいなかったら......今頃、空に舞う白い灰になって、消えていた。

 

 葵はにらみを解き、ふっと笑った。

「ま、わたしも人のこと言えないねえ。後で警備団長から大目玉だ」

 みどりが慌てて立ち上がった。

「わたしは自分でついて来たんですよ」

 葵はそうだねえ、と愉快そうに笑った。


 高空機は天上の周りをゆっくりと旋回する。白色結晶がもたらした空は、一点の曇りもなく、美しかった。

 その先に、淡く輝く光が見えた。1つ2つ、いや、もっとたくさんある。青人は指差してその光を数える。小さな輝きが結ぶ形に見覚えがあった。

「星だ」

 青人がつぶやくと、全員、身を乗り出し、空を見つめた。

 白い星空だ。


 誰も見たこともない空だ。明るい空に星が輝くなんて。こんな空があるんだ。夜、太陽が隠れている間は、生きものが眠り、休めるように暗い空を描く。それが鉄則だ。だからこの空は2度と見られない。

 この白い星空は、天上を走り回ったおれたちへのご褒美なのかもしれない。

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