第40話 黙秘

 灰谷は飛行場へ向かい、上層行きの白い輸送機の側に隠れた。やがて1人の作業員が現れ、点検を始めた。タンクに霧絵の具を充填している隙に、開いた扉から輸送機に忍び込む。灰谷は最後部の荷物入れに身を隠した。しばらくすると複数人の声が機内に飛び交った。号令の後、体が一瞬浮き上がった。出発だ。


 霧絵の具の輸送機は上層までしか入れない。最上層への絵の具搬入は、輸送機を上層に停め、タンクから階段へ長いパイプを渡す。灰谷は全員が降りたタイミングを見計い、高空機から降りた。パイプの点検をしているフリをしながら、階段を上る。いつも作業を見ていたから、真似するのは簡単だった。


 警備員の目をすり抜け、最上層に入った。床面に縁取られた霧絵の具採取のプールで、空と同じ薄水色の絵の具が波打っていた。微かな水音が懐かしい。投影室では朝番の職人たちが空を描いていた。普通ならあの輪の中にいるのに。灰谷は空を描いていた自分がとても遠くに行ってしまったように感じた。


 灰谷は門を出ることなく、夜中まで投影機の整備室内にいた。深夜過ぎの投影が終わり、誰もいなくなってから出た。

 目の前には見渡す限り、星空が広がっていた。星は地上から見るとその数に驚くが、天上からは大きく明るく見えた。まるでこの星空を見るために来たような錯覚を覚えた。 


 突然、門の扉が豪快に開いたかと思うと、すぐに閉まった。誰かが入って来た。油断していた灰谷は身を固くした。

「灰谷? おまえ、地上にいるはずじゃないか」

 警備員の葵だった。灰谷は質問に答えず、聞き返した。

「何かあったんですね?」


 葵は切迫した様子で頷いた。

「下から黒い霧がわいている」

 黒い霧......あの黒色結晶が使われたんだ。葵が灰谷の表情を読んだ。

「何か知っているな?」

「黒い空の危険性を知って、見張っていました」

 灰谷は最低限のことだけ話した。葵が更に何か尋ねようとした時、門が開いた。押し寄せた真っ黒な霧に飲まれ、直後の記憶はない。


 灰谷は頬を叩かれ、目を覚ました。救急サイレンと叫び声が頭に響き、鈍い痛みを覚えた。暗い森を赤ランプがぐるぐると回り、照らしていた。

「灰谷」

 やっと焦点が合うと、目の前にいたのは日暗だった。

「小夜を捜せ」

 そうだ。その瞬間、一気に意識が冴えた。今捕まったら、地上から小夜が来たことが知れてしまう。


 日暗の手を借りて飛び起き、森の暗がりに駆け込んだ。背中に浴びた怒号を振り切り、どこまでも走った。その後、森の中を警察に追われながら、小夜を捜し回ったが、なかなか見つからない。

 何が起きたのが、さっぱり分からない。だが、頭上に黒い空が広がっているのは事実だ。逃げている間、現実が重くのしかかってきた。この空を招いたのは小夜を連れてきた自分だ。


 日暗と佳也に会いたかったが、どこで何をしているのか分からない。1人で捜し回ってもらちがあかない。腹を決めて青人のアトリエに行ったが、留守だった。近付いてくる灯りが見えた。警察だ。急いでメッセージを書き、掛かっていた白衣のポケットに忍ばせた。すぐに木を降りて逃げた。


 警察を1日掛かりでやり過ごし、紅のアトリエへ行った。久しぶりの後輩との再会にほっとしたのも束の間、足下にある黒い靴を発見した。しかし、小夜はすでに部屋の窓から消えていた。

「小夜!」

 灰谷は姿の見えない小夜を追った。


 黒い空が禁止されていることも、かつて黒い空がもたらした被害も小夜に話していた。白爆を受けた小夜には、被害者たちの辛さが分かるはずだ。

 なのに、なんでこんなことをした? それとも本当は何の関係もないのか? それだけを知りたかった。


 灰谷が小夜を追った先に、日暗が現れた。

「小夜を見ませんでしたか?」

「小夜は無事だ。君が協力してくれれば、地上に帰す」

「協力? どういうことですか?」

 協力も何も、最初から小夜を捜すために、一緒に研究層に来たのだ。

「黒い空にしたのはわたしだ」


 灰谷の頭の中で引っかかっていたものが解けた。黒色結晶を持っていたのも、自分を最上層へ行かせたのも、日暗だ。そのせいで警察に追われている。本当は小夜は何の罪もないんだ。怒りに全身が震えた。

「どうしてこんなことをした?」

「白色結晶を処分するためだ」

 白い霧絵の具の固体? 灰谷は白色結晶の存在を初めて知った。


「地上の惨状を見たんだろう? 白爆の原料は天上で造られた白色結晶だ。おれの目的は絵の具も結晶も白色全てを抹消することだ」

「そんなこと......」

「信じられないか? だがそれが現実だ」

 今までも騙されている。油断ならない。

 

 灰谷が答えないうちに、日暗は次の指示を出した。

「3度目の爆発が起きたら、職人学校の2年実習棟にある、白い部屋に押し入るんだ。捕まったら、空が修復されるまで黙秘を続けろ。そうすれば小夜は返す」

「あなたのことを黙っていなければならない理由がありますか?」

 自分で空を黒くしておいて、本当に直すつもりがあるのか。そのまま濡れ衣を着せるつもりかもしれない。

「黙って待っていれば、君の疑いは晴れる。何より小夜のためだ」


 灰谷には最後の言葉が1番響いた。

「……どうやって修復をするつもりですか?」

「白色結晶1つで空は直る」

 白色結晶は白爆の原料なんだろ? そんなものを使ったらどうなるか、想像できない。

「白い部屋には2人の監視がいる。3度目の爆発の後、ブレーカーを落として闇に紛れるんだ。上手く部屋に入ったら、正面の壁に向かって走れ」

 返事をしない間に、日暗は暗闇に姿を消した。

 

 灰谷は収容所の窓から四角い空を見上げた。白と黒が絶えず空にはびこっている。冷え切った部屋の中、どこから間違っていたのか、繰り返し自問していた。

 本当にこのまま黙っていて良いのか? だけど、事実を話したところで、信じてもらえるだろうか。

 だからこそ、空の階段に行くよう、青人に伝えた。だけど、それも間違いかもしれない。白色結晶がどれほど危険なものか分からない。気が弱って、とんでもない過ちを犯したんじゃないか? 何度考えても、確かな答えは見つからなかった。


 切り取られた空は鈍く沈んでいる。良くない色だ。

 空が描きたい。

 灰谷は自分自身に苦笑した。こんな空にしたのは誰だ?

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