第39話 灰谷の記憶

 灰谷は冷たいコンクリートの収容部屋で、小さな窓から空を見上げていた。

 話すべきことは山ほどあるが、今は口にできない。まだ灰谷にも分からないことがたくさんある。

 おれは間違っていたのか? 

 白と黒の入り交じった空を見ると、心に重い雲が垂れ込める。この世の全ての人を巻き込むことになるとは、予想だにしなかった。

 灰谷は今まであったことを振り返った。


 高空機で地上へ降りた時、よく晴れた陽の中、見たこともない世界が広がっていた。広大な大地は天上の100倍、いやもっと広い。山も海も、初めて見る景色だった。地上から見る空は美しいと聞いていたが、地上そのものが目を疑うほど色鮮やかで美しかった。


 しかし、大陸に不自然な幾何学模様を発見した。コンパスで書いたような白い真円がいくつも散らばっていた。天上の街に積もる雪も、あんな機械的な形にはならない。灰谷の目は釘付けになった。

「あの白い円は何ですか?」

「戦争の跡地だ。決して近付いてはいけない」

 パイロットの佳也は静かに答えた。それ以上何を聞いても、行ってはいけないと言うばかりだ。降りていく間、灰谷は白い円がある方角を覚えた。


 地上研修と言っても、目的は果てしない空を観察すること。半年間どう過ごそうと自由だ。高空機が天上へ戻った後、灰谷は白い円を目指した。

 幾日か歩き、峠を越えると、眼下に白い一帯が見えた。目的地に近付くと、白く煤け、半身になった木々が立ち並んでいた。あるところから急に静かになった。


 生きものの声や植物の揺れる音が消えた。

 その先に、巨人に踏みつぶされたような家々の残骸があった。

「決して近付いてはいけない」

 というパイロットの言葉を思い出したが、戻る気はなかった。

 辿り着いた先は、白い灰が積もった無音地帯だった。並んだ四角い池だけが空を映して青い。灰谷は長く留まらず、その土地を後にした。

 地上は戦争の末、命の欠片もない場所を生み出している。誰が何のために? いくら考えても答えは出ない。いつの間にか、元来た道を走っていた。


 峠を越えた頃には、夜になっていた。川魚が飛び跳ね、星灯りを受けて鱗を輝かせた。見上げた星空は宝石を散りばめたように美しかった。空の向こうは地上の虚しさを知らない。

 気配に振り返ると、桶を手にした女の子が立っていた。その子が小夜だった。

 久しぶり人に会って嬉しかったが、小夜がなぜ夜更けに水を汲むのか、気になった。それから、小夜の目に潜む闇も。


 何日かかけて小夜から話を聞くうち、事情が分かってきた。あの白い地帯は元々、小夜が住んでいた町があった。その町に戦争のために落とされた白爆という爆弾が飛散した。雪のように舞い降り、生きているものも全て、白い灰にしたのだと小夜は語った。だからあんなに静かなんだ。

 白爆を受けて以来、小夜は家族を失い、たった独りだという。陽の光を怖れて洞窟に移り住み、夜をさまよっていた。

 人が暗がりの中で一生暮らすなんて、あってはならない。


 だから、小夜を天上に連れてきた。

 地上から人を連れていきたいと言っても、断られるだけだろう。直接、交渉するつもりで、天上の入り口に伸びる長い階段を上った。途中、あまりの高さに意識を失った小夜を背負い、なんとか上りきった。

 

 門を力一杯叩くと、管理人の日暗と佳宮が重い扉を開けた。

 佳宮は小夜を介抱するために宿泊室に連れていった。日暗は灰谷に事情を問いただした。灰谷は白爆に侵された町のことと、小夜の事情を話した。

「どうか小夜を天上に入れてください。お願いします」

 日暗は表情を変えず、灰谷に尋ねた。

「1度天上に入った地上の人間は、2度と帰すことはできない。君はあの子の一生を背負う気があるか?」

「はい」

 あの時、日暗の目に悲しい色が交ざっていたのはなぜだろう?

 門の管理人は、

「明日の朝、冷静になったら、また話そう」

 と静かに告げた。


 灰谷は宿泊室で目を覚ました。窓の外を見ると、深い青空に金色の星が輝いている。日の出前だ。時計の針は5時を差している。

 昨日、天上に小夜を連れてきたんだ。天上に入れるよう、管理人を説得なくてはいけない。


 重たい頭を起こし、ベッドから立ち上がる。長い階段を歩いた疲れだろうか? 半分夢の中にいるようなぼんやりした感覚だ。何とか意識を引き寄せ、部屋を出た。

 階段を下りると、管理人の机には誰もいない。


 建物を出ると、風変わりな庭がある。黒と薄灰の石、曲がりくねった樹木……地上のどこかにこんな庭があるんだろうか? 

 佳宮が灰色の石を渡り、こちらに向かってきた。深く被ったフードで顔はよく見えない。

「お早いですね」

「見回りですか?」

「ええ。日暗が昼番、わたしが日の出前までの夜番です」

 佳宮は淡々と語った。

 

 灰谷は気掛かりなことを尋ねた。

「あの、あなたはもしかして、地上の人なんですか?」

「なぜそう思うのですか?」

 佳宮の口調は先ほどと変わらない。灰谷は戸惑いつつ答えた。

「黒い服を着て、夜に活動するのは地上の白爆という爆弾を受けた人の習性だと、小夜が言っていました」 

 フードから覗く口元が微笑んだ。

「そろそろ夜が明けますね」

 佳宮が建物の中へ入ってしまい、灰谷は取り残された。地上の門が暗いろうそくだけで照らされているのは、佳宮のためなのかもしれない。


 扉を開けると、日暗と佳宮が何か話し合っていた。日暗は険しい表情で灰谷に尋ねた。

「あの子がどこにいるか知っているか?」

「小夜がいないんですか?」

 日暗は深刻に頷いた。

「宿泊室にもどこにもいない。それと一緒に、なくなったものがある」


 何だろう? 日暗に招かれ、宿直室について行く。日暗は透明なケースに入った黒い石を差し出した。石は卓上灯りに照らされ、暗く光っている。

「これは黒色結晶。黒い霧絵の具の固体だ」

 灰谷はハッとした。脳裏に小夜の言葉が蘇った。

 黒い空の下で生きたい。

「この結晶を投影室で使えば、80年前と同じ、黒い空になる」

 まさか、小夜が......?

「昨日、小夜はわたしの部屋に来て、この結晶を見てしまった」


 灰谷は日暗をにらみつけた。

「どうしてそんな危険なものを持っているんですか?」

「地上で発見し、研究していたんだ」

 そんな......だけど、今は日暗を責めても仕方がない。今度は日暗が質問した。

「小夜は天上のことをどれくらい知っている?」

「空の階段のことも、上の層で空を映し出すことも知っています。全部、おれが話しました」


 ぐずぐずしてられない。飛び出そうとした灰谷を日暗が止めた。

「高空機を出す。一緒に来い」

 パイロットの佳也が駆けつけ、灰谷は日暗とともに高空機に乗り込んだ。地上の門には佳宮が残った。

「駅までの道を辿ろう」

 高空機は飛び立った。空は日の出が近付く淡い虹色だ。眼下に広がる、地上の門から駅までの杉の森の間を3人で見張ったが、小夜の姿は見つからなかった。


「空の階段へ行こう」

 日暗の言葉に、佳也はもう少し天上の街を捜してはどうか、と提案した。

「初めて天上に来たなら、1人で研究層に行くこともできないでしょう?」

 灰谷はその意見に賛成したが、日暗は否定した。

「この辺りは地上出身者が多い。小夜に会ったら、協力するかもしれない」

 不安が募った。あり得ないことではない。天上の街をうろついているのならまだ問題はない。だけど、もし投影室に辿り着いたら、とんでもないことだ。


 高空機はスピードを上げ、研究層へ向かった。

 辿り着いた空の階段の様子は平時と変わりなかった。日暗が今後の動きを決めた。

「3人それぞれ分かれよう。佳也はこのまま高空機で見回り、おれは階段の入り口、灰谷は最上層で待機。良いな?」

 灰谷は頷いた。最上層、つまり最悪の場合を想定してということだ。


「灰谷、君が地上の少女を連れて来たことが知られてはいけない。階段からではなく、絵の具の輸送機に潜り込むんだ」

 堂々と入るより難しいのではと思った矢先、輸送者の作業着と帽子を渡された。

「どこから手に入れたんですか?」

「佳也の前職だからな」

 翌朝まで何も起きなければ佳也が灰谷を迎えに行くことになった。今考えれば、準備が良すぎることを疑うべきだった。だけどあの時は小夜を見つけ出そうと必死だった。


 高空機が搬送元の霧絵の具製作所付近に着陸すると、灰谷は素早く降りた。

「何事もなく再会できることを願う」

 日暗が言い残すと、高空機は誰かに見られぬよう、颯爽と舞い上がった。朝日に照らされたボディは金色に光っていた。

 灰谷は機体を見送ると、帽子のつばを掴み、深く被り直した。

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