Ⅴ.追跡
第37話 日暗の家
山吹は紅と2人、桂の林を抜け、ツタの森の中、白陽から教わった家を捜していた。紅のアトリエの周り、桂林とはまるで違う。愛嬌のある丸い葉の木々と違い、この一帯は木々にツタ葉が絡み付き、陰気である。あえて住もうとは思えない。
紅はうっそうと茂る森を見回した。
「その家、もしかしてつぶれてしまったんじゃないかしら?」
確かに、この勢いだと、建物を浸食しそうだ。だが、山吹にとっては嬉しくない。
「いや、どこかの陰に隠れているんだ」
そうは言っても、似通ったツタの群集の中をぐるぐる回っている。ほかに建物はないからすぐ分かる、と白陽は言ったが、見つけるのは困難だ。
紅がある方向を振り返り、目を凝した。
「どうした?」
「足音がする」
耳を澄ますと、落ち葉を踏む音が聞こえる。2人は足音の方へそっと歩み寄る。視界を遮るツタを払い除けると、新しい道が現れた。
走っていた黒服の少女が気付き、振り返った。
「紅さん」
「小夜?」
紅と少女はお互いに駆け寄った。
「あなた、どこにいたの? どうして灰谷さんから逃げたの?」
小夜は近くの樹木に手をついた。荒い息を整えるのに時間が掛かった。
「灰谷さんはどこですか?」
紅の質問には全く答えていない。紅は少女から切実なものを感じた。
「警察署にいるわ」
「連れていってください。お願いします」
小夜は必死だった。決して沈んだ影ではない。
「時間まで出るなと言われたんですが、もう待っていられないんです。灰谷さんに会わせてください」
「誰に待つよう言われたの?」
「日暗さんです。昨日の夜から出たまま、帰ってきません」
山吹が白陽から聞いた名前だった。この子は黒い空とどう関係してるのか? 山吹は詳しい話を聞きたかったが、時間という言葉が引っかかった。これからまた何か起こるのか?
「先に君がいた所に案内してくれないか」
小夜は2人をツタの群生へ導いた。葉を払うと、扉が現れた。
「紅はこの子と一緒に警察署に行って」
「山吹はどうするの?」
「おれはここで手がかりを探す」
小夜は細い鍵を山吹に差し出した。
「外に出たら渡すように言われました」
山吹は鍵を受け取り、日暗の家に入った。
家の中は森の中より暗かった。電灯を点け、床を踏むと、ぎいいと嫌な音がした。やはり傷んでいるらしい。廊下は両脇に積まれた本で狭い。その間を歩き、ひとつひとつ部屋を確認していく。台所と居間、物置き、次の部屋が書斎だった。ほこりの積もり方を見ると、久しく住んでいなかったようだ。鍵の掛かった部屋はなかった。
まず、書斎から探ることにした。机に積んだ本の題名を見ると、『空色の起源』、『気象と空色』、『季節と時刻の空』などがある。これらは山吹も知っていた。
本棚に目をやると『黒い空の記録』というタイトルに目が止まった。過去の黒い空から18年後、新聞記者が天上の街の被害者に取材した文章だ、と紹介されている。
東区、リンゴ農園。26歳男性トウマ(当時8歳)
「慌てて実っていたリンゴを家族総出で収穫した。数日晒された実は黒くなってしまった。次の年にできたリンゴはどれも種が黒い。両親は20年以上育ててきた樹を全て燃やした」
西南西地区、羊川。57歳女性イナキ(当時39歳)
「羊川の水は黒く染まり、白い空に修復されてからもなかなか魚は現れなかった。子どもが遊ぼうとするを幾度となく止めた。1年後、やっともとの澄んだ水に戻った」
西区。女性42歳サノ(当時24歳)
「幼い息子を見つけ出しのは修復された後だった。大木に寄り添って息絶えていた」
山吹はここで本を閉じた。この本を読んだ人が、黒い空にするだろうか。隣りにある『白色の研究』を手に取った。
『白色は皮膚を染める強浸透の色である。扱いには重々注意しなくてはならない。安全に使用するには水や他の霧絵の具で薄めること』
白色の扱いが難しいことは梨木から聞いていた。目次を見ても、肝心の白色結晶について書かれていない。
山吹は本を棚に戻し、小夜に渡された鍵を取り出した。この鍵はどこで使うんだ? 机の引き出しを確かめたが、鍵穴はない。
そう簡単に見つかる訳ないか。椅子に座って部屋を眺めた。膨大な本と資料から日暗という人物が研究に没頭していたことが窺える。
本棚を見直すと、ある箇所の本が凸凹に突き出ていた。本棚の中だけはきれいに並んでいたから、余計に目に入った。本を抜いてみると、奥板が張り出している。これって……。まとめて本を抜き取ると、隠し戸が現れた。鍵穴もある。
これだ。
持っていた鍵はぴったりとはまり、かちりと音を立てた。
中には、厚い封筒が入っていた。
山吹の鼓動が速まった。震える手で封に納められた文章を読む。
『黒い空はわたしの引き起こしたことだ』
見つけた。
すぐにでも警察に届けるべきだが、気になって先に目を通す。
『全ては地上への無関心が招いたことだ。天上は地上の悲惨な戦争に目を背けてはならない。その戦争に天上で造られた白色結晶が使われているという事実からも。白色結晶は霧絵の具製作所から密輸され、白爆という恐ろしい兵器になり変わっている』
これは単なる自供じゃない。告発文だ。
手に持った紙面からスタッと何かが落ちた。拾うと、2枚の写真だった。1枚は緑豊かな田園で、もう1枚は真っ白な塵が積もった風景だ。並んだ水面の形だけが、同一の場所であることを示している。
山吹は先を読まずにはいられなかった。
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