第25話 上昇

 みどりと青人は研究層に戻るため、天上の街の駅に向かった。到着した頃、駅は騒然としていた。たくさんの客が窓口や構内の駅員に何かを訴えていた。

 研究層往きの時刻表に「運休」の張り紙が貼られていた。電車がなければ、研究層に戻れない。ここで足止めにあってはいられない。青人たちは窓口の列に並ぶことにした。


 1番前にいる女性の興奮した声が聞こえる。

「夫に着替えと食糧を渡したいのよ」

「でしたら郵送をお勧めします」

 対する駅員の冷やかな声が低く響いた。女性が諦めずに何言か主張すると、

「あなたの安全のためです。郵送手続きは向かいの窓口です。次の方」

 窓口の駅員は手強そうだ。どの客にも安全のためです、と無表情に突き放した。


 駅全体がざわざわと落ち着かない。電車がないと嘆く人、駅員にわめく人、ぶつぶつ不平を言って帰る人。駅内に抗議の声が飛び交っていた。青人の隣りで、みどりが顔をしかめた。

「皆、不安なのね」

 朝なのに、夜と変わらず暗い。空は一筋の白が差したけど、まだまだ黒に支配されていた。黒色が人の心にも垂れ込めている。誰もが重い心を抱えきれず、不満を吐き出している。ざわめきの中、不安はかえって募っていく。

 ざわざわざわざわざわざわざわざわ。みどりは引きずられ、息苦しそうだ。青人は頭の後ろに手を組み、のびをした。

「まー、正直に言ってみるしかないな」

 必要以上に気負うことはない。みどりはくすりと笑った。


 ついに青人たちの順番が来た。駅員は2人を見た瞬間、ため息をついた。

「せっかく帰ってきた生徒さんを研究層には行かせられない。諦めなさい」

「病院にいる人に会いたいんです」

 青人の言葉に、駅員はわずかに表情を変えた。

「ご家族か?」

「いえ、家族ではありません」

 はいと言ったら楽だけど、嘘をつく気はない。駅員はやれやれと首を振った。

「ご家族はこちらにいるんだろう? 家族以上に大切なのか?」

「その人に会えば、黒い空の真相が分かるんです。誰にとっても、1番大切なことじゃありませんか。お願いします」

 青人はみどりと2人、頭を下げ、駅員の返事を待った。

「そういうことは警察に相談しなさい。次の方」


 抗議をする間もなく、そのまま押しやられてしまった。青人が悔しながらに電車をにらんでいると、みどりが耳打ちした。

「貨物列車に忍び込むのはどう?」

 金網の向こうで、貨物列車は物資の支給のため、出発を準備されている。青人はそれだ、と指を鳴らした。2人で様子を窺おうとした時、


「待ちなさい」

 背後から呼び止められた。話を聞かれたか? つまみ出されるのを覚悟した時、みどりが声を上げた。

「お、お父さん」

 呼び止めたのは、みどりの父親だった。

「君が青人くんか?」

「はい」

 もしかして、みどりは家を出ると言ってないんじゃないか? という心配をよそに、父親は声を潜めて言った。

「君たちを送るから、ついて来なさい」

「研究層へですか?」


 父親は答える代わりに微笑み、脇道へ導いた。人気はないが、灯りに照らされた通りだった。みどりの父は娘に苦言を述べた。

「みどりは黙っていなくなるからな」

 娘は憮然として訴えた。

「だってお父さん、ひとことも言ってくれなかったじゃない」 

「朝、気持ちが変わってないか、確かめるつもりだった。だが、もうその必要はないな」


 何度か道を折れると、大きな倉庫が建ち並ぶ広場に出た。シャッターにそれぞれ番号が振ってある。みどりの父は7番の倉庫の鍵を開けた。中で待っていたのは4人乗りの高空機だった。水色のボディーに白い翼を持った鮮やかな機体だ。丁寧に磨かれ、輝いている。

「高空機で行くんですね!」

 父親はコートの下に高空服を着ていた。こんな時だが、青人はわくわくしていた。高空機に乗ったのは、父さんの撮影に付き添った1度きりだ。

「本当にありがとうございます。危うく上に行けないところでした」

「君の話も聞かせてもらったからね」

 みどりの父は青人と駅員とのやり取りを聞いていた。


 まもなく、本来の乗客である、雲読み師の風真がやって来た。風真は街にいる間に黒い空になり、仲間が走り回っている現場に戻れないでいたのだという。青人とみどりはこっそり同伴させてもらうのだ。

「風真さん。うちのが一緒にお邪魔して申し訳ありません」

「いえ、全く構いません。勇敢な娘さんたちですからね」

 風間は青人たちの事情を聞いていた。そう言ってもらえると嬉しい。


 4人が機体に乗り込むと、シャッターが上がる。高空機はごうとエンジンを唸らせ、倉庫を滑り出た。パイロットが4枚の羽を巧みに操ると、機体は風に乗って舞い上がった。上昇気流を旋回し、高度を上げていく。

 青人は思わず、すっげえー! と声を上げた。窓に張り付いて街を見下ろす。電車より空を飛んでいる実感があって、気持ち良い。

 街は見る見るうちに遠ざかっていく。明かりはまばらで、やがて暗闇に消えていった。


「あっちはすごく明るい」

 みどりはある方角を指差した。巨大なライトが広大な土地を煌々と照らし出している。答えたのは風真だった。

「東区の穀物畑だよ。農家の人々が作物が黒く染まる前に、急いで収穫しているんだ」

 東区は大規模な農園を営む地域だ。暗い最下層の地盤で、畑の続く丘の上だけが明るい。みどりの父が目を細めた。

「葉もの類はもうだめらしい」

「そんなに速く?」

 みどりは食い入るように闇に浮かぶ丘を見つめた。黒の浸食は修復より速い。のんびりしてられない。やがてその光も星のように小さくなって消えた。


 黒い空中は非常に視界が悪い。パイロットはモニターと高空機のライトを頼りに飛行した。前方に霞みが掛かる。

「やっと雲が見えた」

 風真がライトに照らされた雲の波が見つめた。

「毎日、観測していた雲たちが見えなくなって、落ち着かなかった。ほっとしたよ」

 風真は愛おしそうに微笑んだ。青人も何だか嬉しくなった。

「雲が好きなんですね」

「雲読み師は誰だってそうさ。君たちも空が好きだろう?」

 風間の言葉に、青人とみどりは頷いた。

「空が闇に消えて不安だろう?」

「いえ、空も雲と同じく、黒の中にちゃんとあります。空を待っている人たちのために、おれたちがこの闇を払います」

 風真は笑みをいっそう深くし、雲を見据えた。

「こんな暗闇で悪天候になれば大変だ。何とか解析して予報を出さなくてはならない」


 厚い大地と根に覆われた研究層の地盤が迫ってきた。高空機は地盤に開けられた入り口を通り、研究層に入った。先に雲読み観測所へ向かい、風真が降りた。

「健闘を祈るよ」

 風真と別れると、いよいよ、病院の屋上に辿り着いた。青人はみどりに続いて機体から降りようとして、父親に呼び止められた。

「青人くん、くれぐれもみどりを頼む」

 真剣な父親の顔だった。気の利いたことを言いたいけど、言葉が見つからない。代わりに、はいとはっきり返事をした。

 

 みどりの父はじっと青人を見た後、微笑んだ。

「透さんの息子さんらしく、真っ直ぐだな」

「父をご存知なんですか?」

 透は青人の父の名前だ。

「空の人間なら透さんの作品を知らない者はいない。澄み切った空そのものを写す人だ。個展で何度かお話したことがある。君の名前は知っていたよ」

 青人は透がそれだけ有名だとは知らなかった。しかもまさか、みどりの父親と知り合いだとは驚いた。


「残念ながら、わたしは君たちを見守ってやれない。わたしはわたしの仕事がある。君たちは君たちの仕事を存分にしてくれ」

 胸が熱くなった。駅員には子ども扱いされたけど、みどりの父は職人として扱ってくれてた。

「分かりました」

 またしても単純な返答しか出てこない。何か言う前に、離れていたみどりが叫んだ。

「何を話してるの?」

 気を利かせて待っていたが、しびれを切らしたらしい。父は笑って手を振った。

「頑張れってことだ」

 みどりの父親は再び青人によろしく頼む、と言い残し、飛び立っていった。

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