Ⅳ.空を駆ける

第24話 白陽と日暗

 白陽は長い廊下を歩き、学長室を訪ねた。扉を開けると、学長は微笑を浮かべて出迎えた。ただし、目の奥に鋭利な光を携えていた。この人こそ心底知れぬ人だ。

「白い部屋の管理は代理人を立てました」

「相変わらず首尾がいいですね」

「この時分にわたしが外れるとは、どういった用件でしょうか?」

 白色絵の具が足りないかもしれない今、第1の任務は白色結晶を守ることであるはずだ。まして、ほかの講師が空の修復に出払っているため、生徒を代理に置けと学長から命じられたのは驚きであった。


「過去の黒い部屋の管理者を調査してほしい」

「過去の、ですか」

 黒い部屋の管理者は本人と学長だけの機密だった。黒色絵の具の危険性から、鍵の所在を知るのは最小限の人間に絞られていた。

「黒い部屋の鍵は今、わたしが持っている」

 白陽は相変わらず、学長の心中を見て取れなかった。


「前任が日暗であったことは知っていたのだろう?」

 白陽がわずかに目を見開いたのを、学長は見逃さなかった。どこまでお見通しなのか。

「3年前、霧絵の具製作所の研究員になる間際に本人から聞きました」

 本来なら、鍵の所持は明かしてはならないことだ。それ故、白陽は告白を黙っていた。

「あの鍵は複雑なものだが、合鍵が作れない訳ではない。さらに過去の管理者であった残り2人はすでに別の人間が張り付いている。日暗には君が適任だ」

 白陽と日暗は職人学校の同期、腹心の友であった。予感はしていたが、こうして学長から語られると、現実味を帯びてきた。


「それで、地上の門へ行けと仰せですか?」

「いや、日暗は研究層の病院にいる。あの日、灰谷を追って階段の入り口で倒れていたそうだ」

 ということは事件の後に駆けつけた、と考えるのが自然だが。

「この調査の目的は悪魔でも疑いを晴らすためだ。日暗にしろ、他の管理者にしろ、灰谷についても同じ。空色職人から異端者を出してはならない。だがもし、いずれかが犯人であった場合、いち早く防がなくてはならない」

 学長は黒い空を仰ぎ見た。

「もしそうなら、自ら捕らえるのが1番だろう?」

 白陽は頭を下げ、学長室を後にした。

 闇を怖れることはない。

 かつてそう言った旧友に思いを馳せる。

 

 白陽と日暗は名前と性格が正反対であった。白陽は陰気で無関心、日暗は前向きで明るい性格であった。白陽にとっては日暗が唯一の友人であった。何でも正直過ぎる白陽とは、明るく受け止める人間でなくては付き合えなかった。どんなに優秀でも、愛想は必要だ。


 白陽の転機は、職人学校2年の秋だ。白陽はある生徒に、

「君の話はまるで中身がない」

 と言い放った。この発言を聞きつけた現学長、当時講師主任はすぐさま白陽を呼び出した。白陽本人はなぜ呼び出されたのか理解できぬまま、講師の前に現れた。

「白陽くん、君は優秀な生徒だ。物覚えもよく、描写力にも長けている。だが、君は職人にはなれない」

「なぜですか?」

「空は常に他者のためにある。他者の気持ちを理解できないようでは、空を描けない」

 白陽はその意味をすぐに理解した。

 空は人も街も自然も、この世の全てのためにある。空色職人はその全てのために空を描くのだ。自分の所業が相手に何をもたらすのか、分からなくてはだめだ。

 白陽は学長の言葉を深く胸に刻んだ。


 日暗は消沈した白陽の話を聞くと、明るく笑った。

「誰だって得手不得手はある。完璧な人間なんていないだろう。白陽だってそうだ。観察力があるんだから人の気持ちだってすぐに分かるようになる」

 白陽にはいつもと変わらない友が有難かった。

「君のように陽の照るような明るさがほしいよ」 

「闇を怖がることはない。ひっそりとした夜が心を癒すこともある。白陽は白陽で良い」

 それから白陽と日暗はお互いをいっそう認め合い、尊重してきた。


 だが、人は闇に浸かっては生きていけない。陽の光を浴びるからこそ、夜を迎えることができる。白陽は黒い空を見やった。

 日暗は地上研修から帰った後、思い詰めた表情をするようになった。その年度終わり、日暗は黒い部屋の鍵を持っていたことと、霧絵の具製作所の研究員になることを白陽に告げた。翌年、地上の門の管理人になったことは、人伝てに聞いた。

 何があった?

 明るい陽に深い闇が落ちた理由が、白陽には分からなかった。

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