第23話 再出発

 澄んだ水のようにどこまでも青い空。虹色に輝く雲。見ているだけで心安らぐ。わくわくする。青人は草原を駆け回り、待ちわびた空を全身で受け止めた。 

 誰かのために空を描くということ。それは簡単そうで、とても難しいことだ。

 描いているうちにいらないこだわりが出てきて、自分の『絵』を描いてしまう。それに自分では気付かない。「これこそ空だ」と思い込んでいる。それは、長く空色職人を続けている人にもよくあるという。

 そういう難しい仕事をしているんだ、おれたちは。


 目を覚ますと、自分がどこにいるのか思い出せなかった。暗闇に目が慣れると、天井に青空が張り付いていた。父さんの写真、大好きな青空だ。そうだ、ここはおれの部屋だ。

 みどりを家に送ったあと、青人も実家に帰ってきた。みどりは地上について何か分かったかな? いやそれより、家族とゆっくり過ごせたら、それで良い。


 側にあるカーテンに手を伸ばしてをめくると、窓の外の空は相変わらず黒いままだ。青空は夢のまた夢か。がっかりしてカーテンを閉めようとした時、目の端に白い靄が見えた。目を凝らすと、わずかだけど、空に白色が差している。

「すげえ!」

 きっと修復の成果だ。山吹も走り回っているのかな? 心臓がどくどく鳴り始めた。おれはまだ、空のために何の役にも立っていない。

 役に立ちたい。


 窓に張り付いていると、扉をコツコツとノックされた。

「青人、起きてる?」

 返事をすると、すっと扉が開いて母親が顔を出した。蜜ろうそくの優しい灯りと甘い香りが部屋に舞い込んだ。

「父さん、帰ってきた?」

「まだ。きっと今日は帰らないわ」

 仕事仲間と一緒に黒い空の調査に出たらしい。高空写真家の父は80年以来の黒い空を夢中で撮影しているに違いない。

「職業病だね」

 母は本当ね、と笑ったかと思うと、視線を落とした。どうしたの? と聞こうとして、止めた。母さんの気持ちは何となく分かる。


 母は机にろうそくを置き、ベッドの脇に椅子を寄せて座った。

「青人、わたしはね、父さんも青人も立派だと思う。黒い空に真っ直ぐ立ち向かっているから」

 研究層に戻ることは帰ってすぐ、伝えていた。母は深く息を吸うと、ふうっと長く息をついた。

「だけど、そのまま2人に会えなくなるんじゃないかって、不安だわ」

 しぼんで消えてしまうと思うくらい、母は小さく見えた。青人はそれ以上、悲しい顔を見ていられなかった。

「大丈夫だよ、母さん。おれも父さんも、必ず帰ってくる」


 母は手を伸ばし、青人を抱き締めた。青人は母親の小さな背中に手を回す。いつか、職人学校入学した時でさえ、恥ずかしくてすぐ離れた。だけど、今は違う。

「大丈夫だって」

 いつも励ましてくれた母さんを、おれが励ましてる。いつの間にか、受け止めるのは自分になっていた。母は気が済むと、青人の背中をポンと叩いた。

「あんたも父さんに似て、格好良くなったわね」

「元からだよ」

 母はあっははと、明るく笑った。見慣れた笑顔だ。全く、黒い空は気丈な人さえ弱くするのか。青人は窓の外を指差した。

「空は元に戻るよ。ほら、空の端が白いだろ?」

「本当......」


 母親が空を眺めている間に、青人は立ち上がった。持ってきた仕事道具から、小瓶と筆を取り出す。青色をろうそくの光が当たるところに撒き、小さな空を描いた。

 日の出前の空。希望の空だ。

「あら!」

 母の目がきらりと輝いた。分散してしまう頃合いを見て、母親は白いハンカチを出し、さっと写し取った。

「宝物ね」

 早く本当の空を描きたい。青人は心から思った。



 コツコツコツ。

 青人が次に目を覚ますと、窓をたたく音がした。

 誰だよ? 青人は寝ぼけたままカーテンを開けようとして、ハッと手を止めた。2階の窓を叩くやつは誰だ?


「青人」

 身構えた瞬間、よく知った声に呼ばれた。みどりだ。カーテンを開けると、みどりが側の木から手を振った。懐中電灯の灯りが枝の間を照らしている。

「何やってんの?」

 普段は慎重に行動するのに、時々、思っても見ないことをする。予定では8時にみどりを迎えに行くことになっていたが、念のためにと渡しておいた住所を頼りに来たらしい。


「あんまり早いから、ご家族を起こしちゃいけないな、と思って」

 時計を見たら、早朝5時だ。

「青いカーテンだから、青人の部屋だって分かったわ」

 だからって木に登るか?  みどりの言い分を聞いても、よく分からなかった。一見気を遣っているように聞こえるが、青人に気遣いはないようだ。呆れるのを通り越して、なんだか愉快だ。


「とにかく、こっち来な」

 いつまでも木の上にいられたんじゃ、心配だ。みどりは木の枝を力一杯に蹴って飛び込んできた。手を広げてみどりを受け止めたが、勢い余って2人とも倒れた。かっこ悪わりい。

「わっ、ごめんなさい!」

 みどりは慌てて青人の上から避けた。

「大丈夫。おかげで目が覚めた」

 みどりは瞬きをした後、くすくす笑った。良かった、昨日とは打って変わって元気だ。


「それで、どうしてこんな朝早く来た訳?」

 大胆にも木の上からやって来た女の子は、急にばつが悪そうな顔をした。

「親の顔を見ると出られなくなりそうだから」

「無理して行かなくて良いよ」

 みどりを街に置いていこうと考えていた。だけど、みどりはすぐに首を横に振った。


「わたしは地上の人間として、黒い空の犯人を捕まえたい」

「地上の人間としてって、どういうこと?」

 みどりの目が力を持って光った。

「黒い空は地上の戦争で使われている、白爆という爆弾が関係しているみたい」

 白爆......? 初めて聞く言葉だ。地上については知る術がない。地上から来た人は素性を隠すし、天上から地上へ行った人は少なく、話を聞いたことがない。


 みどりは白爆について語った。落とされた白爆は眩しい光と激しい爆風を放ち、街や人を飲み込む。散らばった破片は触れたもの全てを白い灰と化す。跡には白い灰の山が積もるだけ。

 想像しただけで、ぞっとした。

「白爆を受けた人は白を怖れて、黒に安らぎを求める。夜や洞窟の中で生活したり、黒い服を着たりして。だから......」

 みどりは一瞬ためらったが、はっきり口にした。

「灰谷さんと一緒に天上に来た地上の人間が空を黒くしたのよ。白爆を受けた人に違いないわ」


 だけど、疑問が残る。

「どうしてそいつは、空の描き方を知ってたんだろう? 地上の人は何も知らないはずだ。それに、初めて天上に来て、すんなり最上層に行けるか?」

 となるとやっぱり......。

「灰谷さんが教えたのか?」

 自分で答えて嫌になる。灰谷さんは親切な人だ。おれにだって空の描き方を教えてくれたんだから。灰谷さんは白爆の被害者を哀れんで脅威のない天上に連れて来たのかもしれない。その間に天上に色々について話をした。着いた途端、相手は一変、黒い空を描く異端者になってしまった……あり得ることだ。


「地上の門にいた女の人が教えたのかもしれないわ。うぐいす色の目を持つのは地上の人間だって、親に聞いた」

 みどりに言われて、どきっとした。地上出身、黒い服。それと顔半分の火傷。あの人は白爆の被害者の特徴によく当てはまる。

「後から冷静に考えれば、あの人、自分の都合の良いことだけはたくさん話してた。もしかしたら、あの人が犯人なのかも」


 辻褄は合うが、真実かどうかは分からない。2人は黙ってしまった。

「それからお父さんが言ってたんだけど、地上の人が天上に来るのは、事故でやむない場合でしょ? 灰谷さんと来た人が戦争被害者だとしても、天上に入る許可は出ないんじゃないかって」

「地上に帰すつもりで、日暗さんは記録しなかったのかな?」

「勝手に門から脱走したのかもしれない」


 次々と推論が出てくるが、答えは見つからない。真実を知っているのは、日暗だ。

 窓の外を見ると、黒い空の片隅に白い靄が漂っている。あの向こうに、空のために闘っている職人がいる。青人はみどりに向き直った。

「行くか?」

「もちろん」

 力強く頷く後輩を見、青人は立ち上がった。

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