第22話 白色結晶

 白陽が行ってしまった後、山吹は白い部屋の側、ガラス張りの演習室で、かつかつと食事をしていた。梨木からとにかくメシを食えと言われ、いりません、とは言えなかった。朝から働き詰めだった山吹は話よりも食欲を取った。

「美味いか?」

 梨木が聞くと、山吹は頬張りながら頷いた。水を飲んでようやく返事をする。

「木先生って料理上手なんですね」

 三日月ナッツと鶏の甘辛炒め、野菜スープ、天空草のサラダ、ハムとセロリのピクルス……作り慣れた人の献立だ。

「意外な才能だろ?」


 梨木は満足気に笑った。快活な木先生と淡白な白先生がコンビで仕事をする姿をよく見かける。正反対の2人の仲が良いことが不思議だ。山吹としてはストレートに感情を表す梨木の方が親しみやすい。

「嫁さんの方が上手いんだが、さすがに街に帰した」

「木先生、結婚してたんですか?」

 梨木はにやりと笑って身を乗り出した。

「おう、悪いか?」

 山吹はその「にやり」を見て、奥さんが本当に好きなんだな、と思った。

 

 食事を終えて食器を洗っていると、梨木が荷物を持ってきた。長い木材の束を入れたバケツとブリキの道具箱だ。

「いよっと」

 足を使って器用にドアを開け、白い部屋に滑り込む。山吹は思わず笑ってしまう。用事を済ませ、木先生の後に続いた。

 梨木は円卓の椅子に座り、木材を選んでいた。いつの間にか、円卓の上には布が掛けられいた。汚さないためだろう。


「せっかくだから仕事しようと思ってな」

 梨木は空を描く筆や刷毛など、道具製作が専門なのだ。おれもやります、と山吹が言うと講師はひとつ頷き、小枝と小刀を手渡した。

「不器用は小筆から」

 山吹の実力は授業で知れている。まあ、木先生からすればみんな不器用なんだけどな。

 梨木は子どもの背丈ほどの材を取り、角を削ぎ始めた。山吹はリズムの良い洗練された手つきに思わず見とれてしまう。授業でもないので、講師は手を止めている生徒を咎めはしない。時間はいくらでもある。


 山吹はやっとひと削りしたところで、手を止めた。

「先生、この部屋には何があるんですか?」

 白い絵の具があるのか、と山吹が聞いた時、白先生は正確には違う、と答えた。話はそこでお預けになっていた。

 梨木は材を天井にかざし、出来映えを確かめた。すでに半分は見事な曲面に仕上がっている。


「白色結晶だ」

「え?」

 山吹は講師の技に魅入って、答えを聞き逃しそうになった。梨木は材を置き、山吹に向き直った。

「物質には気体、液体、個体があるだろう? 空色は気体が空、液体が霧絵の具、固体が色結晶。即ち、白い霧絵の具は白色結晶と同じだ」

 空色に結晶があるなんて。山吹には聞いたこともない話だった。


「霧絵の具を圧縮したのが色結晶だ。石ころ程度の結晶1つで空が染まるらしい」

 結晶1つで空が染まる......? 山吹はある結論を出す。

「白色結晶1つで、修復できるってことですか?」

 梨木が頷くと、山吹は愕然とした。2週間も掛けて、総出で白色絵の具を運び回り、師匠たちが血走った目でキーを叩いたりする必要がないってことか!

「なぜ霧絵の具で修復させるんですか?」


 講師は質問には答えず、視線を落とした。山吹は口を開きかけた時、いきなり腕をぐいとひねられ、悲鳴を上げた。

「いってえー!」

 梨木は生徒が痛がっているというのに笑い出した。

「山吹、力抜け。抵抗するから痛いんだ」

 山吹はいきなり掴むなよ、と心の中で毒づきながら力を抜いた。確かに痛くない。落ち着いて自分の腕を見ると、あっと声を漏らした。


「白いだろ?」

 木先生が手を放すと、山吹は白くなった皮膚を観察した。そう、霧絵の具はすぐに気体化するから、色は残らないはずだ。まして、食器を洗い、水仕事をした後だというのに、落ちていない。そう言えば、修復していた職人たちは全身真っ白になっていた。

「白は身近な色のようだが、空色としては黒を打ち消すほど強い色だ。上級者でもめったに使わない。それだけ、生物に影響を及ぼす色なんだ」


 山吹は青ざめた。

「じゃあ、白色を使うのは危険なんですか?」

 師匠たちやすれ違った職人たち、1人1人の顔が思い浮かぶ。

「だから扱い慣れてる上級者は大丈夫だ。まあ、乾爺は黒い空と心中しそうな勢いだがな」

 山吹には冗談にならなかった。にらみつける山吹に木先生は悪いわるいと謝り、真面目な顔をした。


「白色結晶はさらに危険だ。飛散した破片が触れたものは、一瞬で白い灰になってしまうらしい」

 白い灰。山吹は冷たい白鳥石の天井や壁が迫ってくるような錯覚に襲われた。鋭利な白い石片が全身に突き刺さるのを想像し、身の毛がよだつ。

「つまり、結晶を使えば空は簡単に戻るが、使ったやつは死ぬ」

 とどめを刺された思いがした。


「だから絵の具で修復するのが安全だ。だが、白色絵の具のタンクは被害に遭った。もしものことがあれば、結晶の出番があるかもしれない。相手が知ってたら厄介だな」

 梨木は山吹が上の空で聞いているのに気付き、苦笑した。

「おいおい、大丈夫か? って言っても、急に巻き込まれたんだから、無理ないか」

 山吹は辛うじて手を上げ、大丈夫です、と答えた。


「あの、一応聞いておきたいんですが、白色結晶はどうやったら飛散するんですか?」

 この部屋を守れと頼まれたのだから、知っておくべきだろう。木先生が答えにくそうに頭をかいた。嫌な予感がする。

「常温に晒すと爆発する」

 めちゃくちゃ危険じゃないか。山吹はようやく、白陽の言葉を理解した。白い部屋を守ることはとても重要な仕事だ。


「安心しろ。ここの白色結晶はそう簡単に爆発しないから。白さんも言ってたが何かあった時、おまえが逃げる時間はある。死ぬのはおれ1人だ」

 講師は生徒の気持ちを知ってか知らずか、明るく言い切った。冗談何だか本気なんだか分からない。もしかすると両方なのか。山吹は少し冷静を取り戻した。


「安心できないというか、もっと厳重に守った方がいいんじゃないですか?」

 木先生は面白そうに山吹を見る。

「仰々しい警備隊を張り付いたら、安全か?」

 それは、今まで気付かなかった分からないでもないけど。山吹はすぐに納得できなかった。

「それに、ここに結晶があると知っているやつなら、おまえは大丈夫だ」

「どういうことですか?」

「生徒は傷つけないってことだ」


 山吹はその意味を理解できなかった。梨木は作りかけの木材と紙ヤスリを手に取り、削り始めた。

「木先生と白先生は、犯人が誰なのか、知っているんですか?」

 梨木はなかなか答えない。山吹が見つめていると、ある時、ぴたりと手を止めた。

「可能性がある、というだけだ」

 梨木は材にまとわりついた木屑をふっと吹いた。

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