第17話 Q&A
みどりは青人と2人、天上の街の駅か西北西の端にある地上の門を目指していた。行く道は街から離れた。暗い空を照らす灯かりも段々と数が減り、ついには消されていた。
「誰も通らないのね」
こんな時に地上へ行く人はまずいない。大切な電気を消費してまで、この道を照らす必要はないということだろう。みどりの懐中電灯が切れ、最後は青人のランタンだけが頼りになった。
青人は立ち並ぶ杉林を見上げた。
「いつもなら杉の形は好きなんだけどな」
空を黒く塗りつぶした人物がこの道を通ったかもしれないと思うと、杉の影は不気味だった。
だけど、わたしたちはこの先に用がある。みどりは灰谷の書き置きを思い出した。
『おれが天上に連れてきたせいで、とんでもないことになってしまった。早く見つけ出さないと』
灰谷さんが地上から連れてきたのは誰なんだろう?
青人が急に立ち止まり、前方に目を凝らした。遠くで灯りが揺れている。誰か来る。瞬間、青人はランタンの火を吹き消した。
「こっちだ」
みどりは青人に手を取られ、杉の間に隠れた。息を潜める。こんな時にこの道を通るは誰?
灯りが近付き、相手の姿が見えてきた。濃紺色の制服の2人組、上空警察だ。青人は小声でつぶやいた。
「病院で会った警官だ」
警官がみどりたちの前を通り過ぎる間、その会話が耳に入った。
「灰谷は1人だったんですね。たった3日で事件を起こすなんて可能でしょうか?」
「地上の滞在期間を含めれば20日間だ。準備をするには十分だ」
警察も地上の門に話を聞きに行ったんだ。離れていくのを待つ間、あるの言葉が引っかかった。
――灰谷は1人だったんですね。
書き置きには誰かを連れてきたとあった。それとも......。
灰谷さんは嘘をついてる?
「そんなはずない」
青人はつぶやき、遠ざかっていく灯りをにらみつけている。灰谷さんはよっぽど大切な先輩なんだ。
「青人」
みどりの声は虫の鳴き声さえない森に、しんと響いた。青人がハッと顔を上げた。
青人はマッチを取り出し、火を点けた。小さな火はランタンに移ると、赤い炎をあげた。
「行こう」
青人の目は赤く燃えていた。闇ばかりを見つめていられない。
それからどれくらい歩いたか。2人の頭上を何かが飛び去った。気配のなかった森に、ほう、という鳴き声が響いた。フクロウだ。まもなく前方からほう、ほうと、仲間の声がこだました。
行く先にぼうっと暗い灯りが揺れていた。近付くと、高い杉の木をそのままに建てられた、大きな塀が現れた。錆びた燭台のろうそくが、柱に彫られた文字を照らし出していた。『地上の門』だ。門の扉は固く閉ざされていた。
青人は分厚い木の扉をコツコツと叩いた。
「誰かいますか?」
返事はなかった。青人が再びノックしようとした時、みどりは拳を振り上げた。
ゴンゴンゴンゴン!
「誰かいるんですよね? 開けてください。中に入った警察の人たちと会いましたよ!」
青人はにやりと笑った。みどりに倣い、力いっぱい扉を叩いた。
ドンドンドンドン!
「聞きたいことがあるんです! おれたちはそのために来ました」
2人は扉を叩き続けた。
「そんなに叩かなくても聞こえています」
背後から、女性の凛とした声が掛かった。杉の木が化けたような、背の高い人だった。全身、黒服をまとい、顔はほとんどフードで隠れている。みどりたちと黒服の女性はお互いを見定めるように、長い間、対峙していた。フクロウがまた遠くでほう、と鳴いた。
「聞きたいこととは何ですか?」
先に女が沈黙を破り、青人が答えた。
「空色職人の灰谷さんについて聞きたいんです」
「警察に会ったなら、彼らに話した通りです」
みどりが前に歩み出た。
「子どもには教えられないと、何も話してくれませんでした。あなたから話を聞きたいんです」
女は黙っている。フードの奥でどんな表情をしているか、分からない。青人が進み出た。
「大事な先輩なんです。知っていることを教えてください」
夜の鳥たちがほう、ほう、ほうと、森のあちこちで歌っていた。
「では、わたしにも聞かせてください」
女は真っ直ぐみどりに歩み寄ってきた。青人がかばうように間に入った。女が黒いフードを下ろした時、2人は息を飲んだ。顔の左半分がひどい火傷で覆われていた。
そして、その瞳はうぐいす色だった。
「あなたたちの聞きたいことを話しますから、あなたはわたしの質問に答えてください」
みどりは口をぐっと結び、相手の目を食い入るように見た。うぐいす色の目と目が強い視線を交わす。
「分かりました。でも、そちらの話が先です」
「良いでしょう」
女は2人の脇を通り過ぎ、門の前に立った。取り出された鍵束がじゃらりと重い音を立てた。女は門を開けると、その白い手で中へ招いた。
黒服の女は先に門の中に入った。
あの人はわたしに何を聞きたいの?
みどりは本当は分かっていた。うぐいす色の瞳は、自分と母親だけの特質だと思っていた。だけどきっと、地上の人間の目の色なんだ。
あの人も地上の人なんだ。あの人が聞きたいのは、地上の人間について、だ。
ふいに、みどりの肩に温かい手が置かれた。青人の濃い茶色の目が見つめる。天上の人の目はみんなこの色だ。青人は声に出さず、口だけを動かした。
――無理すんな。
みどりに判断を委ねていた。
街に下りた時、青人が言ったのと一緒で、みどりも正直、怖い。知るはずもなかったことが、隠されていたことが闇の中でずるずると姿を現してきた。その中にわたしも含まれてる。わたしは地上の人間なんだ。知られたくもないことが露になってしまう。
だけど、引き返しはしない。わたしもこの優しい人に近付きたい。空を描きたい。
――大丈夫。
みどりは青人に頷き、門を潜った。
ろうそくが点々と並び、ぼうっと浮かぶ建物までの道を結んでいた。広場には黒い小石が敷き詰められ、平たい薄灰色の石が飛び飛びに並んでいた。見たことのない光景だった。
女は灰色の石の上だけを渡って歩いていく。みどりたちはそれに倣った。まるで黒い空の間に浮かぶ雲を渡っているようだ。炎のせいで足下が揺らいで見える。青人が気付いて、ランタンを渡してくれた。それでも一歩一歩、慎重に踏み出す。
道の途中に、うねり曲がった木が立っていた。幹は深くしわ寄り、曲がった枝は腕のようだ。枝には深緑色の針が飛び出すように生えている。怪しげな木は広場にいくつも立っていた。
「へえ! 初めて見た」
青人は奇妙な木を熱心に観察し始めた。女性が振り返った。
「これは松という木です」
「マツ? もしかして地上の木ですか?」
女性は愉快そうに微笑んだ。
「気に入って頂けたなら嬉しいです」
石を渡っていくと、建物に辿り着いた。女性は新しい鍵を使い、扉を開けた。室内の左側は受付らしい。背の低くなったろうそくと分厚い皮の記帳が置かれていた。机の向こうには扉があり、『宿直室』と書かれていた。右側には階段があり、入り口に『宿泊室』と書かれていた。
そして部屋の正面奥は、太い格子で塞がれていた。嫌に暗い。手を差し出した青人にランタンを返す。青人が灯をかざすと、格子の先は家が建つほど広く、空っぽだった。
みどりは黙って立っていた女性に思わず尋ねた。
「ここが地上へ通じているんですか?」
「最初の質問ですか?」
火傷を負った肌が燃えるように光った。
「これから交替で質問をしましょう。もちろん、答えは全て真実を語ります。わたしが先に答えますから、次はあなたが答えてください」
「答えなければ?」
「それで終わりです」
「......分かりました」
相手が作ったルールに乗るか迷ったが、仕方ない。できるだけ多くのことを聞きたいから、話してくれそうな質問から始めなくてはいけない。
「質問を変えます」
みどりが視線を送ると、青人が尋ねた。
「灰谷さんが地上から戻った日のことを教えてください」
女は机に近付くと、記帳の表紙をめくり、あるページを開いた。
「灰谷は今月18日午後16時47分、徒歩で帰還しました」
みどりたちは記録を覗いた。
新月18日16時47分
帰還者 灰谷
帰還予定秋月30日より早く、徒歩にて突如、帰還する。
記録者 日暗
みどりは淡々と書かれた文章を何度も読み返してから尋ねた。
「記録者の日暗さんは誰ですか?」
「先にわたしが質問します」
そうだ。思った通り、難しいやり取りになりそうだ。
「あなたは地上の人間ですね」
青人が心配そうな顔を向けた。だけどもう、始まってしまったことは止められない。もう迷ってはいられない。
「はい」
女は口元に笑みを浮かべた。
「日暗はこの門の責任者です。あなたはいつどこで生まれたのですか?」
「わたしは13年前に天上の街で生まれました。日暗さんはいまどこにいるんですか?」
「研究層の病院にいます」
みどりと青人は顔を見合わせた。1番会いたかった人はすぐ近くにいたんだ。
相手は構わず、新しい質問をした。
「あなたたちは何のためにここに来たのですか?」
「わたしたちは空色職人を目指しています。どうして黒い空になってしまったのか、何があったか知りたいんです」
「黒も本当の空ですよ」
「え?」
相手は表情を変えず、次の質問をどうぞ、と言った。真意を聞きたいけど、大事な質問を使ってはいけない。
「......あなたが知っている灰谷さんと日暗さんの動向を教えてください」
「灰谷は帰還した後、不審な言動を残して最上層へ向かったため、日暗は跡を追いました。警察によると、その夜、日暗は空の階段で被害に遭い、今も意識不明で研究層の病院室に入っているそうです。灰谷が最上層で倒れていたこと、後に逃走したことも先ほど聞きました」
単純に話を聞いていると、灰谷さんが黒い空の犯人のように聞こえる。ただ、「不審な言動」という曖昧な表現は曖昧すぎる。
「ご両親とも、地上の方ですか?」
みどりは親の素性を明かすのをためらった。だけど、地上の人間だと答えた時点で、自然なことだ。
「はい。灰谷さんの不振な言動とは、どんなことでしたか?」
「黒色の保存場所について聞いてきたのです」
青人は息を吸った後、唇をかんだ。何か言いたかったのを我慢したのかもしれない。
女は気にせず会話を進める。
「あなたは黒い空をどう思いますか?」
「恐ろしいことだと思います。太陽の光がなくては人は生きていけません」
「そうですか」
みどりは女性の残念そうな物言いに苛立った。あなたは黒い空が怖くないの? 良いと思っているの? と聞きたい気持ちを何とか抑える。
「灰谷さんは1人でしたか?」
「いいえ」
青人と視線を交わす。じゃあ、誰と一緒だったの? その続きが語られるのを待った。
「あなたの氏名を教えてください」
あっ……!
みどりは息が止まりそうになった。女がじっと見つめる。暑くもないのに汗をかいた。
名前を教えたところで、姓名は隠している。親が誰か家がどこか、突き止められるとは限らない。だけど、この人がどこまで知っているのか、何をするつもりか、分からない。もしかしたら、お父さんもお母さんも危険な目に遭うかもしれない。
だけど、後1つ質問すれば、求めていた答えに辿り着く。
誰が地上から来たのか。
ここで終われない。
「わたしの氏名は......」
「答えられません」
遮ったのは青人だった。女性は静かに微笑んだ。
「では、ここまでです」
みどりは目の前が真っ暗になった。
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