Ⅲ.白の追求
第14話 街の光
早朝の駅は暗い霧に包まれ、ぼんやりと辺りを照らしていた。青人は待ち合わせの時計塔を目指し、人の波をぬって歩く。外灯の下、駅はいつもの10倍くらいの人で溢れて返っている。この闇の中じゃ、みんな街に帰るよな。
気付くと上着が人に挟まれ、青人は進めなくなった。これじゃいつになったら電車に乗れるか分からない。やっと時計の下に辿り着いても、人だかりでなかなか見つからない。
「青人ー!」
柱を1周した時、精一杯伸ばした手が大きく揺れた。みどりは背の高い大人たちに埋もれていた。青人も大きく手を振り返し、歩み寄る。何とか会えたところで、すぐに改札に出来た列に並ぶ。改札までの列は駅の外まで延びていて、最後尾は時計塔より離れていた。
「早く来て正解だったな」
「山吹さんは帰らないの?」
「山吹は空の修復に呼ばれたんだ」
「空の、修復?」
「80年前と同じで、白色で空を元に戻すんだ」
「そう言えば、白先生が言ってた。昔の空色職人たちは直すのに1ヶ月掛かったって。おかげでたくさんの人が犠牲になったとも」
「全く馬鹿げたことさ」
列の後ろから声が掛かった。振り返ると、古びた杖に身を預けた、白髪の老婆だった。
「わたしのふた親は、その黒い空のせいで死んだ。父親は闇夜でそのまま帰らず、母親はわたしらに食わせるために苦労をして、死んじまった」
老婆の地の底から響くような声に、青人とみどりは息を飲んだ。
「土も家も親の亡骸までも、真っ黒になった。あん時は寒かったよ。空が元に戻っても、黒い絵の具はそこかしこに染み付いて、簡単には消えなかった。あの光景を絶対に忘れないよ」
最初は怒りに震えていた老婆が、終わりは涙に震えていた。震える手を、隣りにいたおばさんが優しく包んだ。
「大丈夫よ。うちの人が空を直してくれるから」
旦那さんは空色職人らしい。
「おどかしてしまってごめんなさいね」
「いえ......」
老婆とおばさんが列から離れた背中を、みどりが呼び止めた。
「わたしたちが空を取り戻します。だから泣かないでください」
老婆がおお、と低く声でうなった。おばさんはありがとう、とにっこり笑った。
やり取りを聞いていた大人たちが話し掛けてきた。
「お嬢さん、言うねえ! 負けてらんねえな」
「わたしたちもやれることをやるわ」
「街に戻ったら、食糧を送ろう」
重く淀んでいた人たちがにわかに活気づき、口々に何か言い合った。青人はしばし呆然とした。たった一言でこんなに変わるのか。
「みどり、すごいな」
みどりは照れたように頬をかいた。
「ううん、すごいのはみんなよ。わたしの言うことに、何の根拠もないのにね」
人って強いな。
改札を抜けてホームで待っていると、水色の電車がいよいよ滑り込んだ。青人は人知れず頷いた。
大丈夫。おれたちは必ずやる。
眼下に広がる天上の街は、光の集合となって見えた。希望の光にも見えるし、儚い灯火にも見える。始発に乗って来たと言うのに、まるで夜景だ。
電車の中は人でぎゅうぎゅう詰めで、青人たちは隅に立っていた。窓の外の街を指差す。
「駅は中央、地上への門は西北西......みどりの家はどこにあんの?」
「真北よ」
天上の街は研究層へ向かう駅を中心に、十六方位に分けて言い表す。
「じゃあ、門に行ってから、みどりの家族に地上の話を聞こう」
「うん。青人の家は?」
「北北東。でも、家には行かないよ」
「良いの?」
「うん。里帰りはまた今度」
今度があるか分からない。だけど、これは空の真相を突き止めると決めた自分への戒めだ。
電車は滑らかに曲線を描き、駅に到着した。電車を降りると、北西区の地図をもらい、街外れの地上の門へ向かう。
「みどりさ」
青人は街の光を見上げた。街灯に集まる虫たちはどこにもいなかった。
「おれも本当は怖いんだ。灰谷さんがこの事件にどう関わっているのかを知るのも怖いし、空を真っ黒にしたヤツも怖い。だけど、おれたちの街をこのままにはできない。朝の街は赤や青や、いろんな色の屋根も見えたし、空に伸びる時計塔や協会もあった。それは、空が見せてくれていたものなんだな。だから怖いけど、立ち向かわなくちゃいけない」
みどりが青人をじっと見つめていた。
「この先、危険なことがあるかもしれない。その時は自分の身を守ることを優先してくれ」
「分かったわ。青人もね」
頼もしい答えだ。
「約束だぞ。みどりは無茶しそうだからな」
「えっ、そう?」
「急に予想外の行動を取るからさ」
この子が大筆を振ったことが忘れられない。みどりも同じことを思い出したらしい。
「青人、空が元通りになったら、描き方を教えてくれる?」
「もちろん」
「これも、約束ね」
2人は仄暗い道へと進んでいった。
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