第12話 見えない敵

 青人はけやき寮の前でみどりの帰りを待っていた。寮の女の子に聞いたのだが、どこに行ったか分からないらしい。何でこんな闇の中、出掛けたんだ? と、人のことは言えないけど。


 どれくらい待っただろうか。小さな灯りが近付いてきた。やがて2つの人影が浮かびあがる。向こうも青人に気付き、歩み寄ってきた。みどりだった。もう1人の少女が尋ねてきた。

「あなたが青人さんですか?」

 そうだよ、と答えると、少女はなぜか嬉んでいた。彼女は先に帰ってるね、とみどりに言い残し、寮へ入ってしまった。


 みどりは思い詰めた表情で地面を見つめていた。何かあったんだな。何と言おうか考えた末、口をついた言葉は至って簡単だった。

「少し歩こうか?」

 みどりは頷き、消え入りそうな声で言った。

「アトリエに行って良い?」

 一昨日、気持ち良く刷毛を振るった時と別人みたいだ。青人のランタンとみどりが持つ懐中電灯で、森にいくつもの影が重なり合った。揺れる影は、2人の心をそのまま移しているかのようだ。

 

 寮から十分離れると、みどりが尋ねた。

「80年前の黒い空って知ってる?」

「うん。授業で教わったよ」

 本当は初めの課題の後に習うことだ。異端事項を先に聞いたら、自由に描けないからだ。

「じゃあ、その黒い空は地上の人間が描いたって思ってる?」

「一体どこでそんな話を聞いたんだ?」

 みどりはしまった、というような顔をした後、ほっとしたような顔をした。

「誰にも言うなって言われた話なの…...」


 みどりは実習棟に行き、梨木と白陽に会ったと言う。黒い絵の具が学校にあったこと、そして、黒が地上だけに存在していた色だということを語った。

 青人はまず、学校が黒を保管していたに腹が立ったが、それは置いておく。

「それだけ一気に聞いたら混乱するだろうな。黒が地上の色だってのは、おれは初めて聞いたし、ほとんどの人が知らないと思うよ。それに、黒い空が地上の人の仕業だなんて決めつけられない」

「そっか」 

 みどりの表情が少しほどけた。


「黒い空が天上と地上のどっちの人間のせいかなんて、関係ない。悪いのは黒い空にしたやつだ」

 青人は口にしたところで、灰谷の顔が浮かび、チクリと胸が痛んだ。いや、灰谷さんは違うんだ。不安を打ち消そうと、わざと大きい声を出す。

「だけどおれたちは違う。人のために空を描こうとしてるんだ。そうだろ?」

 みどりはうぐいす色の瞳で青人をじっと見、力強く微笑んだ。

「もちろん」

 一昨日の快活な女の子が戻ってきた。その明るさに青人の方が勇気づけられた。


 アトリエに着くと、青人はバケツを見て、あっと声を上げた。続いてみどりも覗き込む。

「真っ黒だ」

 全てのバケツに黒色が溜まっていた。青人はひとつひとつ拾い上げ、捨てていった。怒りで震え、霧絵の具が波立った。様子を見ていたみどりも、青人を手伝った。

「みどりに聞きたいことがあるんだ」

「何?」

「地上のこと」

 みどりは手を止めた。青人は代わりにバケツを受け取り、中身を捨てた。

「おれも秘密の話をするよ」


 青人は警察が灰谷を黒い空の容疑者として追っていることを話した。それから、地上研修に行った灰谷がなぜか早く帰ってきたこと、最上層の投写室で倒れた後、逃げ出したということも。

「灰谷さんが天上に早く帰らなけらばならないこと、もしくは黒い空に関係するようなことが地上にあるか、みどりは知ってる?」


 みどりはよく分からないと、首を横に振った。

「だけど、たぶん戦争のせいだと思う。地上の人間だって教わった時、親が『戦争は国と国のしょうがないケンカだ』って言ってた。苦しむのは巻き込まれる『国民』なのにって。戦いが終わっても、病気や貧困で苦しむんだって。詳しく聞かなかったけど、今もひどい状況なのかもしれない」

「それって黒い空みたいじゃないか」

「えっ?」

 真っ暗な冬と同じだ。

「人が人を苦しめると分かってやるなんて、許さねえ」

 青人は怒りに震えた。胸の内がカッと熱くなる。


「だめ!」

 みどりに手を取られ、青人はハッと顔を上げた。

「確かに怖いし、憎いよ。だけど、それじゃ相手と同じ。誰かを傷つけようとする人と。その心はだめ」

「みどり......ありがとう」

 こうやって誰かが止めれば、ありがとうと言えば、世界は平和なのかもしれない。


「青人は灰谷さんを探すの?」

「ああ。それにこの空を真っ黒にしたやつを見つけ出す」

「だったら手伝うわ」

 思いがけない言葉に青人はびっくりした。みどりの勇気がここまでだとは思わなかった。

「怖くないか?」

「怖いわ。でも、このまま解決しない方が、もっと怖い」

 80年前の「敵」が見つかっていれば、今の黒い空はなかったかもしれない。青人はみどりに手を差し出した。

「よろしくな」

 2人は2度目の握手を交わした。


 真っ暗なのは変わりないが、本当の夜になって気温が下がってきた。この春は暑いくらいだったが、2日目でこんなに変化するなんて、尋常じゃない。こうやって冬になっていくのか?気温以下の寒さを感じ、身震いした。

 みどりが腕をさすっている。青人は枝に掛けていた白衣を差し出した。

「白衣しかないけど」

「青人は大丈夫?」

「うん。これ以上寒くなるといけないから帰ろう」


 みどりは、ありがとう、と言って白衣を受け取った。袖を通し、ポケットに手を入れると、首を傾げた。

「あれ? 何か入ってるわ」

 みどりが取り出したのは2つ折りの紙片だった。その紙を受け取って開くと、覚えのない走り書きだった。


『おれが天上に連れて来たせいで、とんでもないことになってしまった。早く見つけ出さないと』


「灰谷さんの字だ」

 この字は間違いない。警察の目を盗んで、メッセージを残したんだろうか。やっぱり灰谷さんは黒い空と関わっていたのか。一体、何があったんだ? どうして?

 青人の頭の中を、同じ疑問がぐるぐると回った。みどりが紙片を覗いた。

「地上から連れてきた誰かが、黒い空を描いたってことかしら。灰谷さんはその誰かを探しているんじゃない?」

 冷静になって読み返すと、みどりの言ったように読める。

「そいつを止めようとして最上層に行ったのか……?」

 灰谷さんが犯人じゃないなら安心だ。だけど、誰かを連れてこられるはずがない。地上の人が天上に来ることは、事故以外、許されていないのに......。


 そうか。

「地上の門の管理人なら、誰が来たか知ってるはずだ」

 最下層にある、地上と天上の境となる門は他の門以上に厳重に管理されている。天上に来たなら、管理人が許可を出したはずだ。

 灰谷に直接会えば、話は早い。だが、警察が青人の周辺を探っているから、灰谷はなかなか近付けないだろう。隠れながら誰かを探すことにも、苦労しているに違いない。


「地上の門へ行ってみよう」 

「うん。最下層に下りれば、わたしの親にも地上のことを聞けるわ」

 明日、2人で最下層に下りることに決めた。黒い冬になってしまう前に、解決したい。

 アトリエを降りると、肌寒い風が辺りを吹き抜けていった。

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