第10話 紺藤の証言

 紺藤は眠りの中、記憶を辿っていた。


 空の階段の警備員になったのは元々、空と高いところが好きだったからだ。最下層の街より上の仕事を探していた。空色職人は面白そうだが、絵は得意ではない。風読み師などの研究職も性に会わない。体力には自信があったから、上空警察と空層階段の警備の採用試験を受けた。どちらも合格したが、迷わず警備を選んだ。理由は単純に高い空にずっといられるからだ。


 夢の中でも空の階段にいた。いつもと違って階段に座り、のんびりと星空を眺めている。星の光が特別明るい日は、制服にも星が映る。袖口に水手紙座が浮かんでいた。ふと階段の下を見ると、誰かが立っていた。

 黒い人影だった。


 立ち上がろうとしたが、めまいを覚えて階段に崩れた。腕に映っていた星座は消えていた。ハッと空を見上げると、あるはずの光がなくなっていた。いや、星たちは空の端から暗闇に飲み込まれてく。気付けば、眼下から暗闇が身に迫っていた。紺藤は必死で逃れようとしたが、思うように動けない。

 誰かが遠くで、名前を呼んでいる。段々と近づいてきた。


「紺藤さん」

 青人が3度呼ぶと、紺藤は目を覚ました。

「起こしちゃってすいません。苦しそうだったんで」

 隣りにいた山吹も紺藤を覗き込んだ。

「大丈夫ですか?」

「……ここは?」

「病院ですよ」

 紺藤は窓の外を見やった。その先に黒い空が広がっていた。

「夢じゃない、か」

「夢、ですか?」


 青人が尋ねると、紺藤はさっきまで見ていた夢を話した。上手く口が回らないのか、ゆっくりと語った。話が終わると、山吹が青人を見た。

「もしかしてその黒い人影って、青人が見た女の子じゃないか?」

 青人も同じことを思いついたが、紺藤は首を横に振った。

「どこまで現実なのか分からないから、何とも言えないな。ただ、気を失う前に予定外の人物が現れたのは確かだ。残念ながら、それが誰だったのか、何があったのか、よく思い出せない」


 そこまで言うと、紺藤は気付いたように顔を上げた。

「葵さんは無事か?」

 青人と山吹はちらりと目を合わせ、重く頷いた。

「まだ訪ねていませんが、運ばれてきたのを見ました」

「様子が分かったら、教えてくれないか?」

 青人が約束すると、紺藤は安心したように目を閉じた。

 

 廊下に出た後、山吹が口を開いた。

「どうするんだ?」

「……待つしかないよ」

 本当はすでに葵を訪ねようとしたが、面会謝絶だった。

 

 もう1度、葵の様子を聞こうと受付に向かう途中、背後から呼び止められた。

「君が青人くんか?」

 振り返ると、2人組の警察官が近付いてきた。何だか、嫌な予感がする。数秒黙っていたが、素直に答えた。後ろめたいことは何もない。

「君の先輩、灰谷について聞きたいんだ」

「灰谷さん、ですか?」

 青人が聞き返すと、警官はちらりと周囲を窺い、

「別な場所で話を聞こう。一緒に来てくれ」

 と歩き始めた。


 何だろ。灰谷さんに何かあったのか? ますます嫌な予感が募って、心臓がどくどくと鳴り出した。大丈夫か? と山吹に声を掛けられ、辛うじて頷いた。誰もいない病室に入ると、年長の警察官が聞いてきた。

「灰谷と最後にあったのはいつかな?」

「地上研修に出発した日以来、会っていません」

 灰谷はこの新月、地上研修に出た。地上への研修は、実務経験2年以上で行ける。最も空が美しく見えるという地上に下り、空を観察するのが目的だ。だけど地上を嫌って、希望を出す人はごく稀だ。


「天上に帰ってきたことは知っているか?」

「え? 灰谷さんは天上にいるんですか?」

 研修の期間は確か半年間だから、まだ帰って来るはずがない。

「最後に会った時、変わった様子はなかったか?」

「いえ、特に……」

 若い警官が何やら手帳に書き込んでいるのが気になった。


「どうして灰谷さんのことを調べているんですか?」

「昨日の深夜、捜査に回ったところ、最上層の投写室で倒れていた灰谷を発見したんだ。黒い空に関与している疑いがある」

 青人は言葉も出なかった。重い沈黙が漂う。

「……灰谷さんはこんな事件に関わる人じゃありません」

 誰より誠実に空を描く人だ。青人に空を教えてくれた先輩だ。


 ずっと話を聞いていた山吹が口を挟んだ。

「倒れてただけなら、警備員と変わらないですよね?」

「警備関係者以外にいたのは、灰谷だけです」

 若い警官が手帳をめくりながら答えた。青人は恐るおそる尋ねた。

「灰谷さんは今、警察にいるんですか?」

「いや、逃走中だ。救急隊が灰谷を担架で運んだが、車に乗せる前に脱走した」

「今でも起きない人がいるのに」

 と山吹は呟いた。余計なこと言うなよ、と青人がにらむと、山吹は悪い、と目を伏せた。

「何か思い出したらいつでも通報してくれ」

 警官は言い残し、去っていった。青人はその背中をぼんやりと見送った。


「青人、大丈夫か?」

「…大丈夫だよ」

 灰谷さんはどうして最上層にいたんだ? 何かあったのか? 何かがあったとすれば……。

「山吹、帰ろう」

「あ? ああ」

「……休みたいんだ」

 さっき大丈夫と言ったばかりだ。山吹が不思議に思っても無理はない。

 おれは1人で行きたいところがある。

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