第9話 黒い絵の具
朝早く、けやき寮の女子たちは集められた。寮母は学校が休止されることを知らせた。それから、黒い空は異端の空だということも。授業がいつ再開されるか、未定らしい。
無理もない。朝の時間が来ても、空は真っ黒だ。朝日が出ないなら、朝なんかじゃない。1歩外に出れば、完全な闇が待っている。
こんな闇を誰かが描いたの? それとも、何かの事故?
何も知らない1年生たちは口々にひそめき合う。課題が延期になり、やるべきことがないために落ち着かない。空の色1つでこんなに不安になるなんて思わなかった。
「みどり」
呼んだのは桃枝だった。
「大人しくここにいる?」
「出掛けようって言うの? 何が起こるか分からないわよ。闇に紛れて泥棒が出るかも」
「だったら逃げれば良いじゃない。こんな真っ暗じゃ、見つからないって」
危ないことを言う子だ。
「……わたしも行くわ。モモ1人じゃ心配だもの」
というのは建前で好奇心がわいてしまった。変な提案だけど、寮にいたって仕方ない。
「それで、どこに行くつもりなの?」
「昨日行けなかった、2年生の実習棟よ。学校に行けば、誰か何か知ってるかも知れないわ」
確かに、学校の先輩か先生なら、この黒い闇について知っているかもしれない。実習棟に人がいるか分からないが、他に当てもない。
「何があっても、後悔しない?」
みどりは慎重に聞いた。真っ暗闇から何が現れても、不思議じゃない。
「うん。みどりは?」
「わたしも後悔しないわ」
ただ待っているより、闇の中に希望が隠れている気がした。
みどりと桃枝は、寮から持ち出した大きな懐中電灯を頼りに実習棟を目指した。
「モモ、こんな暗闇で道が分かる?」
「この川を上っていけば大丈夫よ」
川沿いを歩いていくと、キラリと光るものが見えた。
「ほら、あれよ」
桃枝が懐中電灯をかざすと、壁から天井まで曲面で繋がった、ガラスの建物が見えた。みどりは霧絵の具を集める傘を思い出した。
「全体がドーナッツみたいな形なの。この透明な部屋で2年生が空を描いてたわ」
建物の中も透明な壁で仕切られていた。たくさん部屋がある。入り口を探して円周に沿って歩いていると、木の壁や白壁で覆われた部屋があった。その内側は見えない。
「2年生の先輩によれば、画材倉庫や先生の研究室なんですって」
入り口をやっと見つけた。前方に誰かいるらしく、灯りが点いていた。足音を立てないよう、静かに入って様子を窺う。先生なら良いが、暗闇の中、誰がいるとも知れない。
ガラスの建物の中に人はいない。桃枝は灯りの終着点である、黒い壁の部屋を指差す。
「あの部屋まで行こ」
「そこまで隠れる所がないのよ。外からも丸見えだし」
「何も見つけないまま帰れないでしょ?」
それはそうだけど、慎重にいきたい。だったら……。
「灯りを消しながら行こう。それなら隠れられるわ」
「みどり頭いーね!」
2人は新しい部屋に入る度、灯りを消して進んでいった。暗い中、桃枝は何かをひっくり返した。跡に残らない霧絵の具であることを祈る。
無事に黒い部屋に辿り着くと、中から話し声が聞こえた。桃枝はさっと扉に聞き耳を立てた。みどりも後に続く。
「一体誰がこんなことを…」
「これを使って空に撒いたのでしょう」
「まさか」
「今回の黒色を回収したら、厳重に管理しなくてはいけませんね」
聞く限り、部屋にいるのは男2人らしい。桃枝が小さい声で尋ねる。
「ねぇみどり、何の話かしら?」
「黒を集めるんだから、黒い霧絵の具のことじゃない?」
「黒い絵の具?! それってもしかして…」
桃枝、声大きいって! ひとさし指を立てて静かに、と合図をする。
「とにかくこれは、報告しないといけませんね」
と、声がこちらに近付いて来た。まずい。
「行くよ!」
みどりは桃枝の手を取り、隣りの部屋まで走り抜けた。背後で電気が点き、異変に気が付いた大人たちが走り出すのが見えた。
「わたしたち、ヤバイんじゃない?」
「そんなこと言ってる場合じゃないって!」
みどりが再び後ろを振り返った時、
「あっ!」
ガッシャ!
バケツに足を引っ掛けてしまった。手を繋いでいた2人まとめて、盛大に転ぶ。みどりはすぐに立ち上がろうとしたが、ビリッと痛みが走った。軽く足を捻った。
部屋の灯りが点き、みどりは眩しさに手をかざした。
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