第7話 紅染める

 みどりと桃枝は山吹の案内で、桂の林に囲まれた白壁の小屋に辿り着いた。赤茶のれんが造りの屋根と相まって品が良い。山吹が扉をこづいた。

「べにー! いるか?」

 扉が内側からぱっと開くと、長い髪の少女が顔を出した。

「ベにじゃないわよ。ブッキ」

「ブッキはやめろよ。カッコ悪いっしょ」

「だったらお互い、古いあだ名はなしよ」


 みどりと桃枝は目を見合わせ、こっそり笑った。この人たちは毎回この会話してるんだわ。

「それよりかわいい後輩を連れてきたよ。紅の染め方、見せてやって」

 山吹は今度、「くれない」と呼んだ。目が大きくて華やかな美人だ。気が強そうで格好良い。

 ここでも先に挨拶したのは桃枝だった。

「1年生の桃枝です。課題のために、空の描き方を勉強しに来ました。よろしくお願いします」

 みどりも倣って自己紹介をした。

「よろしく。途中からになっちゃうけど、どうぞ」


 中に入るとすぐ、ミルク色の壁に囲まれた広い台所のような部屋だった。よく見ると、コンロも鍋も大きい。紅は火を掛けた鍋に近づき、中を覗き込む。

「今、茜染めをするところなの。生地がこれ」

 紅は白い布の塊を見せた。布はあちこち糸や紐で結んだり、摘んだり、干上がった獣の皮みたいだ。

「結ばっているところは染まらないのよ」


 紅は布の塊を鍋に放り込む。布はじゅわっと音を立てて、色が染み込んでいく。甘いような、独特の香りが立つ。紅は布を長い箸でつついた。

「これで布をひっくり返しながら煮ていくの」

「料理みたい」

「そうね。キッチンに鍋だものね」

 桃枝の感想に、紅は面白そうに答えた。しばらく2人のやり取りが続いた。


「いつも茜を使ってると、ああ、私の名前も茜が良かったなあって思うの」

「そうなんですか? 素敵な名前なのに」

「だって間違えやすいもの。分かってて言う人もいるけどね」

 紅がちらりと見た山吹は、にやりと笑った。

「ひどいやつだな」

「ひどいやつでしょ」

 気兼ねない仲ってこうなのね。みどりには羨ましかった。地上出身であることを隠すために、人と深く付き合ったことがない。だから素っ気なく突き放したり、曖昧に逃げたりしきた。だけどもしかしたら、ここでは欲しくてたまらないものが手に入るかもしれない。本当の信頼ってやつが。


 タイマーが鳴ると、紅は布をざるに取り出た。茜色の熱い液体を銀のボールに溜める。

「これは2番だしにするから取っておくの」

 布はまた別のボウルに移し、水にさらす。

「あとはよく洗って、脱水、乾燥」

 なるほど、部屋の中には洗濯機があった。それから、物干しの紐やハンガーなんかも。


「染めはね、水の仕事なの。水は天から降ってくる雨が大元だから、空と相性が良いんだと思うわ」

 桃枝が、カッコイイ、と声を上げた。山吹は紅の言葉に頷いた。

「霧絵の具も空中の水分を集めたものだしな」

 みどりも青人のアトリエの傘を思い出した。傘は大気を漂う霧を雫に変えていた。

「染料は茜とか藍とか、植物か、霧絵の具を使うの。化学染料は空になる時に同じ色が出せないから使えないのよ」


 染めものが原画になるなんて、思ってもみなかった。しかも奥が深そうだ。みどりもやっと質問した。

「思い通りに染められるんですか?」

「ううん。狙いはつけるけど、そのままにはいかないわ。だからこそ、良いものができたら、楽しいのよね」

 そう言った紅は生き生きしていた。


「こんなところで良いかしら?」

 紅が尋ねると、山吹がハイ先生、と手を挙げた。

「ハイ、山吹くん」

 紅先生は元気の良い生徒をあてた。

「昼飯にしましょう」

 紅は大袈裟に呆れてみせた。確かに正午を回っていた。

「はあ~、山吹またそれか。ま、時間に正確なことは尊重して、お昼にしますか」


 こうしてみどりたちは染めを教わった上、昼食も頂戴した。もちろん、食事用のコンロは別だった。桃枝はゴロゴロ回る洗濯機の前に座り込んでいた。みどりも、あの皮のような布がどう仕上がるのか、楽しみで仕方なかった。 

 外の桂の葉たちは、ひらひらと心地良さそうに揺れていた。

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