第2話 みどりとあおと

2、みどりとあおと


「自由に描けって何よ!」

 空色職人学校1年生、林野みどりは憤慨していた。空色職人になろうと意気込んで入学したのに。初めての授業は描き方の技術も心得も、何の説明もなかった。しかも、2週間後に空を描いて提出することになった。自由にって、無責任にもほどがある。何をどうしていいか分からず、近くの森の道を当てもなく歩いている。


「学校ならちゃんと教えなさいよっ」

 行き場のない苛立ちが込み上げ、脇に立っていた木をドンッと拳で突いた。

「うちの学校は育てるところであって、教えるとこじゃないんだよな」

 辺りを見回したが、声の正体は見つからない。今のは誰? 背後の木がガサガサと音を立た。

「わっ!」

 飛び退き振り返ると、木の上から1つか2つ年上の少年が降り立った。少年は驚いたみどりを面白がるように、にっと笑った。

「仕事は教わるもんじゃない。覚えるもんだよ」

 不覚にも声を立ててしまったことにムカッと来た。

「じゃあどうやって描けっていうのよ。方法の1つくらい、教えてくれたっていいじゃない」


 腹立たしい顔に背を向け、去ろうとした時、

「おれは刷毛と筆で、霧絵の具を使って描くよ」

 と彼は言った。思わぬ答えに、みどりは再び驚いた。

「どうして教えてくれるの? 教えないんでしょ」

「教えないとは言ってないよ」

 彼はまた、にっと笑って答えた。

「黙ってるやつには教えない。だけど、聞いてくるやつには、誰だって教えるよ」

 よく見たら、その笑顔は屈託のない、明るい笑顔だった。

「おれはアオト。青い人って書いて『青人』ってんだ。あんたは?」

 思わぬ展開に、返事ができなかった。木の上から降ってきた人に空の描き方を教わるなんて。青人はみどりが固まっているがおかしかったのか、いっそう明るく笑い、手を差し出した。


「あんたって、面白いな。よろしく!」

 名乗ってその手を握ると、青人は、あ、と声を漏らした。

「みどりはやっぱ力強いな。どうりで木が揺れる訳だ」

 失礼な。

「悪かったわね。怪力でっ」

 ぐうっと力を込めて握り締めると、いってえ! と青人は手を放し、弁明した。

「嫌な気持ちにさせたなら、ごめん。でも、良い意味で言ってるんだ。力持ちだと、絵の具だのなんだの、いっぱい道具を持ち歩けるから、職人に向いてるんだよ」


 よく考えたら先輩なのに、手荒なことをしてしまった。何とも答えられずにいると、青人がまじまじとみどりを覗き込んできた。

「な、何?」

「みどりの目って、うぐいす色なんだな」

 目の色を珍しがられるのは初めてじゃない。みどり自身、同じ目の色をしているのは母親くらいしか知らない。青人はさて、と手を打った。

「じゃあ、アトリエにおいでよ。おれの描き方を参考にしたら良い」

 みどりは改まって頭を下げた。

「ありがとう。何も知らないから、色々と教えてください」

 青人はへえ、と感心していた。

「みどりはきっと、大きく育つ若葉のみどりだな」

 そうなのだろうか? そうだったら嬉しい。この人なら自分のことを知っても教えてくれる、そんな気がした。


 少し歩き、青人が前方を指差した。青々と茂る大木だった。

「木の上ってこと?」

 青人は頷き、大木をぐるっと裏へ回った。傾斜のキツイ、長い階段が木の上まで伸びている。床板は頼もしい枝に支えられ、周りにたくさんのバケツが提げられていた。幹に沿ったロープと滑車はものを運び上げるのに使うようだ。

 それにしても、階段はかなり高く、手すりもない。青人はみどりの気持ちを察した。

「もしかして高い所、苦手?」

「全然」

 空色職人になるんだから、高い所を怖がっていられない。みどりは階段に手をかけた。急勾配だから、格好悪いが手をついた。階段は木製で年期が入っているが、意外にしっかりしている。


 下を見たらだめだ。一気に登ってしまおうと、がむしゃらに手足を動かした。登り切った後、嫌な汗をかいていた。

「こんなに勢いよく登ったヤツいないよ」

 アトリエの主は、あっさり追いて笑った。笑われまいとして、結局笑われてしまった。思わずムキになってしまう。

「何でこんな面倒なとこに作ったの?」

「おれが作ったんじゃないんだ。ここ」

 頭上を仰ぐと、青い空が広がっている。

 アトリエを見渡すと、天井も壁もない。あるのは板張りの床と手すり。幹に打ち付けた釘に、筆や刷毛、よく分からない道具、食べ物や寝袋などが掛かっている。床に置かれているのは戸棚だけ。まるで木の上の見晴し台だ。空がいっぱいに広がる、気持ちのいい空間である。


 青人はみどりの視線に気付き、頭上を指差す。

「ほら、よく見ると骨組みがあるだろ?」

 言われて目を凝らすと、虹色に光る細い骨がわずかに見えた。教えられた点を中心に、頭上から床面まで、透明な骨が放射線に張り巡らされている。

「傘の骨みたい」

「そうそう! この傘が天井と壁になっているんだ。しかも霧絵の具を作るんだよ」

「霧絵の具を作る?」

 あ、バケツ! 手すりから下を覗き見ると、予想通り、バケツは骨の下に提げられている。中には、今の青空と同じ、青い水が溜まっている。

「当ったり! この傘で、大気中の空色をバケツに集めてるって訳さ。よく観察してたね」

 そうあっさり褒められると照れてしまう。

「このアトリエは先輩たちから代々受け継がれている場所なんだ。おれは灰谷さんって先輩に貰った。その人の描く曇り空はすっごくきれいなんだ。ここにいると、おれも良い空を描くぞって思うよ」

 青人は誇らしそうに語った。突然木の上から現れた可笑しな人が格好良く見えた。


「それで?」

 輝く目を青人に向けられ、ドキッとした。

「みどりはどんな空が描きたいんだ?」

「わ、わたしの描きたい空は……」

 みどりは煌めく目にただただ、たじろいだ。

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