第25話 ネイビーガールズマーチ


 CV-6エンタープライズ、ブリーフィングルーム。

 レナ・スプルアンスが入室すると、集まっていたエンタープライズの幕僚達が一斉に立ち上がった。


「スプルアンス少将! ……フレンダ様の容態は?」


 ブラウンの髪に長身のおっとりした少女が、皆の不安げな表情を代弁するようにそう訊ねてくる。艦長のダルシネア・マーレ大佐だ。


「……残念ですが、フレンダ・ハルゼイは今回の任務の指揮を執ることはできません」


 レナが首を横に振ると、室内にざわめきが広がった。


「やっぱり、駄目だったか……」「フレンダ様無しで戦うなんて……」「代わりの指揮は誰が……」


 士官達の落胆の声に気圧されながらも、レナは努めて明るい声を出す。


「フレンダの復帰までこの私が、第16任務部隊の司令官をさせて頂くことになりました。頼りないかもしれませんが精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いします」


 室内のざわざわは、一層ボリュームアップした。


「あ、あの、皆さん、どうか落ち着いて下さい。これはあくまでフレンダが復帰するまでの一時的な人事です。病院のお医者さんの話では、ラ・メール症状の早期発症は時間とともに治まるケースもあるそうです。意思の強いフレンダならきっと、いえ必ず戻ってきます。元気になったフレンダにミッドウェーの勝利をプレゼントできるよう、みんなで力を合わせて頑張りましょう」


「あんなこと言ってるけど、スプルアンス少将って航空戦の経験ゼロだよね……」「まあ、敵のナグモ提督だって元は巡洋艦乗りだっていうし……」「ちょっと、サルの軍隊と私達を比較しないでよ」「葦原を侮っては駄目。レディ・レックスがやられたのよ? 私達だって空母対空母戦は今回が初めてだし、下手したら同じ目に」「ああ、死ぬならせめてフレンダ様の指揮の下で死にたかった……」


 良くない流れだとレナは内心で焦った。

 暗号解読はその後も進み、今や敵が攻めてくる日時も艦隊編成も航路も全て判明している。戦力面でも、ミッドウェー基地航空隊の圏内で戦えるこちらの方が優位だ。

 敵はヴィンランド機動部隊が到着する前にミッドウェー基地を奇襲攻略する前提で作戦を立てているが、こちらはそれよりさらに前にミッドウェー近海に待ち伏せる。レナ達がおかしな失敗さえしなければ、ヴィンランドの勝利は決まったも同然だ。

 しかし、こんな低い士気では勝てる戦も勝てなくなる。

 レナ自身フレンダがいないことに不安が無いといえば嘘になるが、それでも何とかして流れを変えないと……レナは意を決して大きく深呼吸すると、声を張り上げた。


「貴女達はっ……それでもフレンダ・ハルゼイの部下ですかっ!」


 ざわめきが止む。あっけにとられて口をぽかんと開けたままの士官達をレナは見回しながら、


「フレンダから何を学んだんです? ボスがいないと何もできない木偶乃坊パペットなんですか? 知っての通り私は機動部隊の指揮は今回が初めてですが、任命された時不安なんてこれっぽっちも感じませんでした。何故なら、私はフレンダ・ハルゼイを信じているからです。彼女は口も悪いしわがままですが素晴らしい指揮官で、私の親友です。そのフレンダが育てた部下達の能力に、疑いの持ちようなどありませんでした。無能な臆病者がもし1人でもいるなら、フレンダがそのままにしておくはずがないと。ですが今の貴女達は、逆境を前に尻込みする無能な臆病者そのものに見えます!」


 本来の気弱な自分を懸命に押し殺して、レナは声を上げ続ける。


「エンタープライズのことを、他の部隊のネイビーガールズは『ラッキーE』と呼んでいるそうです。マーシャル・ギルバートで、ウェークで、南鳥島マーカスで、優勢な葦原軍を相手に果敢に攻撃し生還し続けたからそういう渾名がついたんでしょう。けれど私は知っています。貴女達を護衛するノーザンプトンからずっと見てきました。幸運艦ラッキーなんかじゃない、冷静な計算とガッツで、100%実力で勝ち取ってきた勝利なのを知っています。フレンダ・ハルゼイと彼女が率いる素晴らしい女達を護衛できることは、私の誇りでした。……フレンダを信じた私は間違っていたんですか? エンタープライズの戦果はただラッキーなだけだったんですか? どうなんですか、フレンダ・ハルゼイの貴女達!」


 しばらくの間、ブリーフィングルームは静まり返ったままだった。レナは耐え切れなくなって、目を伏せてしまう。

 司令官とはいえ、恐らくはヴィンランド海軍一の精鋭を相手に勢いで暴言を吐いてしまった。怒らせてしまっただろうか、呆れさせてしまっただろうか。空母艦長経験者でも無ければパイロット出身者でも無い一介の巡洋艦乗りが、何を偉そうにと思われたに違いない。

 所詮、自分はフレンダに連れてこられた客将だ。太陽であるフレンダがいなければくすんでしまうだけの存在に過ぎない。どうしてフレンダは、自分なんかを後継に指名したのだろう。

 不意に、誰かが前に出る靴音が静寂を破った。

 すうっと息を吸い込む音。


「波がかいを砕くとも 風が柱を折ろうとも 決して消えぬ我等の燈火ともしび


 レナは驚いて顔を上げる。他の少女達の視線も集まる先、1人の士官が直立不動の姿勢で、ウイングマークの付いた胸を反らしていた。

 クリス・マクラスキー少佐だ。エンタープライズの艦載機を束ねる第6航空群司令でフレンダの信頼も厚かった幕僚だが、どちらかというと無口で、レナはクリスのことが少し苦手だった。これまで挨拶を除けば会話らしい会話をしたことが無い。

 そのクリスが。


「海の果てが見えずとも 闇が星を隠そうとも 決してくじけぬ我等の意志」


 彼女が歌っているのは、ネイビーガールズマーチだった。

 かつてフレンダが、好んでよく口ずさんでいた軍歌だ。

 淡々と、しかし声高らかに。

 他の士官達の間にも、歌声は野火のびのように広がっていく。


「母が辿り着き 娘達が受け継いだ ブドウ実る気高き我等の大地」

「嵐の海を突き進む我等の魂がかえる場所 ヴィンランドに神の祝福あれ」


 最後のフレーズを歌い終えたレナは、拳を天井に突き上げる。


「God bless Vinland ! (ヴィンランドに神の祝福あれ!)」


「God bless Vinland !」「God bless Vinland !」「God bless Vinland !」「God bless Vinland !」


 司令官の発声に少女達の連呼が続き、怒濤の如く空気を震わせる。

 下ろした手を水平に振って、レナは号令した。


「総員、直ちに出航準備にかかって下さい! エンタープライズ抜錨です!」


 士官達が先程までとは打って変わって自信と誇りに溢れた態度で敬礼し、持ち場につくため我先に部屋を飛び出して行く。クリス・マクラスキーに一言お礼を言いたかったが、言葉を交わす間もなくすぐに出口へ消えてしまった。

 最後にブリーフィングルームに残ったレナは、壁にそっと手を当てる。冷たい金属の壁なのに、不思議と熱が感じられた。

 そうだ。この艦には燃え盛るようだったあの子の余熱が、今も確かに残ってる。

 それは皆の、そしてレナ・スプルアンスの心の奥にも。




 CV-8ホーネットの艦橋は、安酒と煙草の臭いが充満していた。


「……ハルゼイのお嬢の代わりが、巡洋艦転がしてたひよっこってマジすか?」


 右目を囲う星型タトゥーが特徴の艦爆隊隊長ロディーがそう呟いたのを皮切りに、たむろしていた女達から口々に怒りの声が上がった。


「先任の姉御を差し置いて! 大体ウイングマークが無けりゃ機動部隊の長になれないってルールはどこ行ったんだよ!」「またあの糞提督のゴリ押しか? ざっけんな!」「司令部にカチコミましょう、姉御!」「スプ何とかってガキ、下の口ビール瓶でぶち抜いてアヘらせてやる!」

「……そんなんじゃ生温いっしょ。もっとキツイ目合わせないと。どうするっす姉御、ミッドウェーから戻ったらおかの知り合いにも招集かけて良いっすか?」


 ロディーが訊ねつつ振り返った先。

 メイベル・ミッチャーは艦長席にだらしなくふんぞり返り、いつものようにチューインガムを膨らませていた。


「姉御!」


 ぷーっ、ぱちん。


「……なんだいロディー、でっかい声出すんじゃないよ。途中で弾けちまったじゃあないか」

「みんな姉御に司令官になって欲しかったんすよ」

「たく……。聞きな、あばずれども」


 メイベルは足元のバケツにガムを吐き捨てると、おもむろに脚を組み直す。

 不機嫌の吹き溜まりのようだった空間が、それだけでぴしっと張り詰めた。


「うちのばあさまは、この国が誰にでもチャンスをくれる国だってほら話を真に受けてトメニアから渡ってきた移民の1人さ。チャンスを与えられるのは生粋のヴィンランド人だけ、うちらみたいなはみ出し者はシャバじゃ一生まともな職になんて就けやしない」


 外に向かって自由と民主主義を掲げるヴィンランド合衆国だが、国内には厳然とした差別がある。

 いわゆる「ヴィンランド人」とは、数百年前に大西洋を越えて新大陸に渡りその地を「葡萄の国」と名付けたヴァイキングの冒険者レイア・エリクソンの子孫達に、後から入植したブリトン人の血が合わさって生まれた民族だ。

 その後に旧大陸から渡ってきた移民達を、ヴィンランドは安価な労働力として大量に受け入れつつも、決してヴィンランド人と同等の地位を与えようとはしなかった。

 メイベルのようなトメニア系なら、「敵性民族」という偏見まで加わる。

 空母ホーネットに集められている将兵は、その大半がメイベルと似通った出自の娘達だった。


「けど、海軍は違う。中でも空母航空群は骨の髄まで成果主義、なんつったって敵主力艦へのキルボーナスは宝くじ並みだ。そうだろ?」


 頷きながらもまだ不服そうなロディーの頭を、メイベルはぽんぽんと軽く叩いた。


「名誉なんて豚にでも食わせときな。葦原の空母にとどめ刺したのはホーネットの艦載機ですって証拠写真を提督の机に叩き付けて、小切手を受け取るだけの簡単なお仕事だよ」

「それはそうっすけど、姉御……」

「んなことより、ロディーは今から報酬の使い道を真面目に考えな。間違ってもこないだみたく、サンディエゴのヒモ男に全額貢ぐんじゃないよ」

「えー! じゃあ姉御は何に使うんすか?」

「決まってるさ。貯金して、そんでもっていつかはこのいかれた戦争からおさらばして、カリブに家買ってのんびり暮らすんだよ」

「あ、良いっすねえそれ! じゃあ、あたしも彼氏のためにカリブに家買うっす!」

「だから、そういうのをやめろって言ってんだよ!」


 ロディーが半泣きになり、他の女達からどっと笑いが起こる。


「それと毎度のことだけど、ゼロファイターとは絶対やり合うんじゃないよ。うちらは臆病者だからね、おっかない敵は全部他の2空母のお嬢様方に押っつけて、うちらは美味しいとこだけかっ攫うんだ。わかったね」

「うっす!」


 女達が先程までとは打って変わってやる気に溢れた態度で敬礼し、持ち場につくため我先に艦橋を飛び出して行く。

 見送ったメイベルは新しいチューインガムを取り出しながら、


「さあ、錨を上げな。ホーネット出るよ」

「アイアイマム!」


 活気付く艦橋。

 メイベルはアームレストに頬杖をついて、ガムをくちゃくちゃと噛み始める。

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