第15話 そういうの、迷惑です


「……以上がドーリットル空襲の被害に関する最終報告です。大鯨たいげいは早期の消火活動が功を奏し致命傷を免れましたが、空母への改造工事は予定より遅れることが予想されます」


 大和前甲板。

 艦内では手狭になるため、天幕てんまくが張られ即席の会議場となっている。

 第一線の艦隊を預かる首脳陣は寿子の説明と手元の報告書に、苦虫を噛み潰した顔で口々に不満を漏らした。


「横須賀が四鎮守府の中で最弱とは知らなかったわ」

「白昼堂々帝都空襲を許したばかりか、1機も撃ち落とせないとは」

「大本営の『9機撃墜』って発表は何の冗談? 世間には速攻ばれて『くう撃墜』って馬鹿にされてるそうじゃない。大本営は嘘吐きの代名詞でも目指してるの?」


 艦隊首脳陣の不満と失望は、前線で戦う海軍乙女達の心情を代弁したものだった。

 彼女達は誰もが祖国を、より具体的には祖国に残した大切な人々を守りたいがために遠い戦地で命を懸けている。本土の防衛がおろそかになっていては、自分達が何のために戦っているかわからないと感じても無理はない。

 初っ端から重い空気に、寿子は笑顔を引きつらせつつ話を先に進めようとする。


「えー、今後の本土の防空ですが、所管の陸軍防衛総司令部との協議事項ということで……」

「所管? You must be kidding」


 冷然と話をぶった切ったのは他でもない、第四艦隊司令長官の井上成実中将だ。


「今日来る時試しに無通告で陸軍の防空管轄空域とやらを飛んでみたけど、何の妨害も無くここまで来られたわ。半年前と同じよ。何の備えもしていないわ」


 気まずい沈黙。その中、寿子の隣で居眠りしているように見えた黒島亀子が口を開き、列席者の注目を集めた。


「……悪い話ばかりじゃない。空襲のおかげで、中央の風向きが変わった」


 亀子の言い方は不謹慎極まりないが、事実だった。

 これまで絶対安全と喧伝けんでんされてきた葦原本土、それも帝都の空に易々と敵機の侵入を許したことで面目を潰されたのは海軍だけではない。

 むしろ、本土防衛の任を負う陸軍の方が痛手は大きかった。

 さらに空襲当日、総理を乗せた専用機が選挙の遊説ゆうぜいのため地方に向かう途中B‐25とニアミスした事件も重なり、政府・陸軍は海軍に対し至急東方に進出し太平洋上に哨戒線しょうかいせんを築くよう要求し始めた。

 彼等との蜜月みつげつ関係を権力の源泉とする嶋野は、これを無視するわけにはいかない。

 とはいえ彼女が率いる軍令部は依然としてごう分断構想にこだわっていたが、表面上それを尊重しつつミッドウェー作戦を組み込もうという寿子の政治的妥協策は、ここ数日の必死の折衝せっしょうで実を結びつつあった。


「では、軍令部と合意した第二段作戦の日程です。お手元2つ目の資料をご覧下さい。5月7日にポートモレスビー攻略、6月7日にミッドウェー及びアリューシャン攻略、6月18日に連合艦隊トラックに移動……」


 亀子の援護射撃に気を取り直して、寿子は今日の本題に入る。

 憤懣遣る方無い様子だった艦隊首脳の目の色が変わるのがわかる。これでようやく実務的な話ができると寿子が思ったのも束の間、


「おうおうおう、ここの戦艦は何でみんな停泊したまんまなんだい!」


 天幕の入口を開け放つなり泊地の戦艦群を指差して突っかかってきたのは、大きくはだけた胸元にさらしを巻き付けた少女。

 第四航空戦隊司令官の角田かくた斗角とかく少将だ。

 また厄介なじんが現れたと、寿子は頭を抱えたくなる。


「……えーとですね。敵主力との最終決戦に備え、戦艦は温存するようにとの中央の方針だそうですよお」


 角田斗角は連合艦隊の正規空母が残らず真珠湾攻撃に動員された緒戦で、小型空母龍驤りゅうじょうだけで南方作戦を支えた功労者だ。

 失礼のないよう精一杯の笑顔と束の受け売りで答弁したが、斗角は落語の噺家にでも転職した方が良いんじゃないかと思えるほど見事な江戸前のべらんめえ口調で、


「するってえとあれかい、戦艦は漬け物石かい? てやんでえ! 前線は火力が足りねえんだ火力が、芸者の背中のお灸だって借りてえくれえなんだぜ? 重巡なんてあった日にゃあ極楽よ、自分なんかいっつも空母の高角砲で艦砲射撃してんだ。ここの戦艦はみ~んなご無沙汰ぶさたで大砲ん中に蜘蛛くもの巣はってんじゃねえのかい? これじゃあ連合艦隊じゃなく、柱島有閑ゆうかん艦隊だってんだ!」


「上手い、角田さんに座布団一枚!」「でも蜘蛛の巣とか、ちょっと卑猥じゃない?」「え、何で?」


 首脳陣の雑談が始まってしまい、またも会議が空転する。

 成実といい、四とつく部隊の指揮官には問題児をあてるという人事局の方針でもあるのか? 斗角がベンガル湾で、龍驤の高角砲を使って敵の基地や輸送船を砲撃してきたという噂もどうやら本当らしい。彼女は今でこそ空母乗りだが、元は戦艦長門の艦長を務めたこともある生粋の鉄砲てっぽうだ。戦い方にも、地が色濃く出ている。


「悪い遅れた……ってうわ、角田かよ」


 そして、斗角の後ろから入ってきて露骨に嫌そうな顔をする別の鉄砲屋。


「しかも角田、その髪型! てめえ、どこまであたしにかぶせりゃ気が済むんだ!」

「おう宇垣の旦那、つまんねーこと気にすんなよ! それにこりゃあ旦那のポニーテールよりちぃとばかしハイカラだぜ。サイドテールつってな、敢えてこう横から垂らすのよ。文明開化の音がするだろ? そういや旦那、勤務中に書いてるって小説あれなんつったっけ、もじょ」

「喋るな黙れ! そしてベンガル湾に帰れ!」


「……えー、作戦の説明に移ってよろしいでしょうかあ。よろしいですねえ。まず最初の作戦、MO作戦と呼称しますがあ」


「ひああああ!」


 世界最強、南雲機動部隊の指揮官であらせられる南雲汐里が突然悲鳴を上げ、寿子の説明は三たび中断されられた。

 もう、指示棒を持つ手がぷるぷる震えてくる。だが。


「お、男の人ですぅ! 怖いですぅ魚雷発射管に隠れたいですぅ!」


 ここには来ないと思っていたのに。

 汐里の放った言葉に、寿子は身体の奥が締め付けられるのを感じた。

 この「女達の大和」に乗艦する男は1人しかいない。

 束の背後から恐る恐る、が顔を覗かせる。

 前に五十子がプレゼントした第二種軍装の上着に、同じ白の長ズボン姿。

 あの時「提督になったみたいだ」とはしゃいでいた快活さは、今の彼からはもう見出せない。

 恐らく、束が無理に連れてきたのだろう。


「怖がらないで汐里さん、ボクがついてるからね。男なんて鎧袖一触さ」


 列席者がざわつく中。

 一航艦のプリンスくさ鹿みねが立ち上がって彼を、源葉洋平を鋭く睨め付ける。


「そこのキミ! 一人称は何という」

「……えっ? ぼく、ですけど」

「困るんだよ、ボクと被るじゃないか! 拙者せっしゃかそれがしに改称したまえ。おいらでも可!」


 あんたもキャラ被りの心配かい! 寿子はついに指示棒をへし折った。




 寿子が、洋平の顔を見るなり指示棒を折った。洋平の目にはそう映った。

 さっきから洋平に向かって何か喋っているボーイッシュな少女の声は半分以上聞き流していた。

 もう寿子にとって、自分は嫌悪の対象でしかないのだろう。わかっていたことではあったが、はっきりと目に見える形でそう宣告されたのはショックだった。

 その隣に座る亀子の場合は、さらに辛辣しんらつだった。


「宇垣参謀長。どうして実験動物を、会議の席に?」


 身ひとつでこの世界へ来た洋平に、知識の穴を埋める術は無い。帝政葦原海軍にとって、洋平の知識の信用性は地に落ちたのだ。

 空襲の時、陰湿な嶋野が洋平に向けた目は、洋平が彼女にとって脅威で無いことを確信できたえつに満ちていた。

 ドライな性格をしている亀子にとっても、今の洋平はラ・メール症状の研究以外にきっと利用価値の無い存在なのだろう。


「亀ちゃん、怒るよ」


 議場の奥で沈黙を守ってきた五十子が、珍しく低い声で注意する。

 だが亀子は黙らなかった。


「怒る……私も。怒ってる。渡辺参謀に海軍省から、『あの男は、山本長官の愛人なら特別に任官を認めてやる』と、話があったそう。彼の……あなたのせいで、長官まで」

「……!」


 普段よりぶつ切り口調がひどくて片言みたいになってるが、話は伝わった。そうだった。亀子は感情をあまり表に出さないだけで決してドライな人間ではない。五十子を想う気持ちはとても熱い。


「中央め、よくも私達の長官を!」「愛人とか、もろ卑猥」「ねえ、さっきの蜘蛛の巣はどうして卑猥なの?」


 たちまち議場が騒然となる中、五十子はぜん身を乗り出して、そっぽを向く寿子に問い質す。


「え、ちょっとヤスちゃん、亀ちゃんが今言ったことって本当なの?」

「中央の嫌味はいつものことですから、いちいち報告してたらきりがありませんよお……」


 五十子がドンと机を叩き、寿子が肩をびくっと震わせる。列席者にも緊張が走った。

 前に寿子から聞いた話では、五十子が本気で怒ったのは後にも先にも真珠湾攻撃の前夜、ヴィンランドとの外交交渉が成功した場合は例え攻撃隊の発艦後であっても作戦を中止すると告げた五十子に、南雲達がそんなタイミングで中止なんて無理とごねた時だけなのだそうだが……。


「許せないっ! 冗談でも言っていいことと悪いことがあるよ、全くもう!」

「はっはいぃ、すみませんでしたあ!」

「わたしなんかの、あ、あ、あ、愛人だなんて! 洋平君に対して失礼にも程があるよっ!」

「はい、本当にその通りで……え?」


 寿子が半泣き顔で平身低頭しかけたところで、口をぽかんとさせた。

 洋平も何が起きているのか全くわからない。とりあえず五十子は、怒っているわけではないみたいだけど……。


「ぷっ……はあっはっはっは!」


 四航戦の角田少将と思しき少女が、豪快に吹き出す。列席する他の将官達にも緊張が解けた笑いが広がっていく。

 そこに凍てつく視線を一巡させ、全員を静かにさせたのはあの井上中将だった。


「五十子。Never say that again. 連合艦隊司令長官が『わたしなんか』とは何事なの。私は貴女を侮辱する人間を許さないわ。たとえそれが貴女自身であっても」

「ご、ごめん成実ちゃん……つい」


 五十子が頭をかく。なるというのが、井上中将の下の名前のようだった。


「黒島さんも。貴女らしくないわね、嶋野の思う壺なのがわからないの? それと、あの程度の空襲を知らなかったからといって彼の価値を決めてしまうのはpoor in imagination. だってあんなのは空襲のうちにも入らない、未来の歴史書に一文字も載っていなかったとしても、私は少しも驚かないわ」

「あの程度? 本土が爆撃されて、大勢の一般市民が亡くなったんですよお?」


 寿子が横から抗議するがそれをものともせず、成実は冷淡に言い放つ。


「Downfall, いずれ都市そのものが消滅するような空襲が始まるわ。その時が来れば貴女達にもわかるわよ。あの程度で騒げていた日々は、幸福だったと」


 洋平はぞくりとするものを感じた。

 成実の口調は、あたかも彼女自身がその目で見てきたかのようだ。単なる想像とは思えない凄みがある。

 まさか、いやひょっとして、彼女も未来人なのか?


「さて。いい加減話を戻したらどうかしら。MO作戦、ポートモレスビー攻略についてよね」


 成実が会議の再開を促した。寿子が「お前が言うな」という目をしつつ仕切り直す。


「はい……これは軍令部のごう分断作戦の一環として陸海軍が協同でニューギニア島南岸にある敵の要衝ポートモレスビーを奇襲攻略し、ニューギニア東部からソロモン諸島にかけての制空権を確立することを目標とした作戦です。既に我が軍はニューギニア島北岸のラエとサラモアに進出していますが、同島内陸は標高4000メートル級の山々が連なり陸路での南下は困難。そこで海路、南岸に回り込んで上陸します。海軍の任務は、陸軍輸送船団の護衛と上陸支援です」


 寿子は再び成実の方に目を向ける。


「軍令部と協議した結果、この作戦は南洋方面を管轄かんかつする井上長官の第四艦隊に担当して頂くことになりました。私としても、現地にお詳しい井上長官が適任かと」


「お世辞より増援が欲しいわね。敵は豪州防衛のために空母2隻、重巡10隻をこの海域に投入しているの。先月もラエとサラモアを攻略する際に逆奇襲されて、虎の子の六水戦ろくすいせんが大損害を被ったばかりよ。第四艦隊が今出せるのは軽巡3隻と駆逐艦5隻だけ。渡辺さんにする話ではないかもしれないけど、ウェーク島攻略の時沈んだ如月きさらぎ疾風はやての分の補充はどうなっているのかしら?」


「軍令部は、空母祥鳳しょうほうを第四艦隊に編入させると言っています」


 寿子が事務的な口調で告げた艦名に、洋平ははっとした。

 祥鳳。

 ドーリットル空襲の日に横須賀にいて、五十子を慕っていた納見美凪が戦闘機隊隊長として乗艦している空母。そして……。


「小型空母がたった1隻? That's a suicide mission. 敵は搭載機数90機以上の正規空母が2隻、攻略するポートモレスビーとその周辺の飛行場には合わせて300機以上の基地航空隊が待ち受けているのよ。祥鳳の搭載機数は確か30機だったわね。今は何が何機搭載されているの?」

「確認します、ええと」


 寿子は即答できず、手元の分厚い資料をめくり始めた。成実は苛立たしげに指で机をタップする。


「戦力の中身も把握してないのに、わかりましたと持ち帰ったの? 艦隊の編制は軍令部の専権事項かもしれないけど、交渉はGF司令部の役目でしょう。しっかりして頂戴」


「あの、零戦10機うち4機よう、九六式艦戦6機うち2機補用、それに九七式艦攻6機の計22機です」


 洋平は、気付いたらまたも口を出してしまっていた。


「……。彼の言ってることは正しいの?」


 成実の問いかけから30秒ほど経って、寿子の資料をめくる手が止まった。溜め息と共に、


「……合ってます。補用は分解格納された予備の機体ですから、戦力には数えられませんけど」


 成実は「そう」と呟いて洋平を一瞥すると、会議机の中央を見据えて再び声を険しくした。


「飛べる戦闘機僅か10機では制空権の確保どころじゃないわ、just a sacrifice. 小型とはいえ空母を生贄いけにえに捧げるなんて。そんな余裕、この国には無いはずよね。鉄もアルミも人命も」

「井上さん、制空権のことなら心配は要らないよ」


 将官の中から、先ほど洋平に話しかけてきたボーイッシュな少女が挙手する。


「軍令部から話は聞いている。五航戦の翔鶴しょうかく瑞鶴ずいかく珊瑚さんごかいに待機させ、敵空母が出現した場合の掃討に当たらせよう。彼女達は一航戦や二航戦と比べてまだ未熟だけど、この程度の任務なら良い訓練になると思う。それに井上さんは航空主兵論の大家だ。色々教えてやって欲しい」


 ボーイッシュな少女は胸に参謀さんぼうしょくしょ、肩章は少将。発言から察するに、第一航空艦隊の参謀長か。


「五航戦だけ? 草鹿さん、一航戦と二航戦は出せないのかしら」


 成実の要求に、草鹿と呼ばれた少女はとても爽やかな笑顔で、しかしきっぱりと首を横に振った。


「先輩達と一緒じゃ、五航戦がいつまで経っても一人前になれないんだよ。いつも五航戦の攻撃隊が手間取っている間に、一航戦二航戦がMVPをとってしまうんだからね。それに加賀はパラオでの座礁の修理でもうしばらくにゅうきょ中だし、他の3隻だって艦も女の子も連戦で疲労がたまっている」

「ぶう、りゅうそうりゅうはまだまだ戦えるの! 二航戦も珊瑚海に行くの!」


 先に来ていた多恵が頬を膨らませる。草鹿は「ははっ、そんなだから人殺し多恵たえまるなんて渾名がつくのさ」とやはり笑って相手にしない。

 嫌味や裏表を感じさせない体育会系の笑い方だが、洋平は元の世界の学校によくいた、クラスの問題に気付こうとしない教師達の鈍感どんかんな笑顔を思い出した。


「とにかく、一航戦と二航戦はしばらく休ませたい。故郷に錦を飾らせてやりたいしね。この海域に出てくる敵の空母は多くて2隻だろう? 同じ数なら五航戦には丁度良い難易度じゃないか」


 余裕たっぷりの発言に、成実は首を右に傾け、光の無い瞳で草鹿を覗き込む。


「貴女は何を言っているの。参謀なのにLanchester's lawsも知らないの? 損害発生比率は兵力差の二乗に比例して開いていく。主力空母同士なら2on2に見えても、攻略戦は敵がhomeで私達はawayよ。空母は動ける代わりに脆弱、陸上基地は動けない代わりに強固、基地航空隊を合わせれば航空戦力は敵側が圧倒的に上なの。意味不明な出し惜しみはせずに、出せる空母は全部出して」


 底無しの暗い双眸そうぼうが放つプレッシャー。しかし草鹿はそれすらもどこ吹く風だった。


「井上さんは心配性だな。だって奇襲するんだろう? 敵は油断してるから、基地も空母も敵機が飛び立つ前に一刀両断できるはずさ。それに我が零戦の空戦性能は凄い。敵の攻撃隊は運良く発進できても、こちらの艦隊に辿り着く前に1機残らず叩き落とされること請け合いだよ。鎧袖一触がいしゅういっしょくさ」


 鎧袖一触。よろいそでがほんの少し触れる程度の力で、敵を容易く打ち倒せるという意味だ。その四字熟語が聞こえた瞬間、成実が纏っている空気の温度がすとんと落ちた。


「草鹿さん、貴女が今吊るしてる参謀さんぼうしょくしょの先が尖った飾り金具、元は何だったかわかるかしら」

「え、これのこと? ボクは井上さんみたいに博識じゃないからちょっと……いや、ひょっとしてダーツかな。キミのハートを狙い撃ち! ははっ」

「正解はPencilよ。飾緒は鉛筆を吊るすためのひもの名残。戦場で将兵は銃や剣を武器に戦い、参謀は鉛筆を武器に作戦の優劣で勝負するものよ。……なのに貴女は口を開けば一刀両断だの鎧袖一触だの、恥ずかしいとは思わないの? それとも一航艦の参謀長ポストは、ぐもさんの子守さえできれば務まるのかしら?」

「うっ、うっ、うえーん! 怖いですぅ!」


 先ほど洋平が来た時悲鳴を上げていたショートボブの少女が涙目で、草鹿の背中にひしっとしがみつく。さすがの草鹿女史も顔色を変えた。


「井上さん! 今の発言は取り消してくれたまえ!」

「ひっく、みねちゃんをいじめないで……悪いのは私なんですぅ。私が一航戦の人達に、遠征から戻ったらお休みあげますって約束しちゃって。峰ちゃんは悪くないのに……うう、ぐすっ」


 ショートボブの少女が草鹿の背中で嗚咽混じりに何か言っている。あまり考えたくないが、泣いている彼女がこの世界における南雲長官なのか。

 列席者から成実に何とかしろと言いたげな視線が集まるが、成実は一航艦コンビを軽蔑しきった様子で一歩も退きそうにない。

 膠着状態の中、小さな舌打ちが聞こえた。束だった。

 井上成実は喧嘩を売るだけで建設的な代案を出そうとしないと、束はそう言っていた。そのことに苛立っているのか。いや、束の目は、成実でも草鹿・南雲でもなく、洋平の方を睨んでいる。

 この状況を、打開しろと? 

 会議場を見回す。寿子は洋平から視線をそらしている。亀子は机に突っ伏しているが、いつもの変ないびきが聞こえない。そして五十子は、議長席で手を組み、書類に目を落として黙考していた。

 空襲の悪夢は、今も洋平の脳裏でくすぶり続けている。

 だがそこに、束の叱咤が蘇る。


 ――てめえにはここでやりたいことがあったんじゃねえのかよ。


 洋平は、覚悟を決めた。


「祥鳳を攻略部隊の護衛につけるのは無意味です。どうせなら五航戦に随伴ずいはんさせた方が、まだ活かせると思います。例えば翔鶴と瑞鶴が攻撃に専念できるよう、祥鳳を直掩ちょくえん専用の空母にするとか」


 この提案には自信があった。

 第二次大戦中の空母は、艦載かんさいの発艦と着艦が同時にできない。

 ミッドウェー海戦で攻撃隊の発艦準備が遅れたのも、上空直掩機が燃料・弾薬の補給のために頻繁に着艦していたのが一因だ。

 しかし今回、翔鶴と瑞鶴の飛行甲板が攻撃隊の発艦でふさがる間、直掩機の補給に祥鳳の甲板が使えれば、切れ目の無い直掩ができる。洋平はゲームでも、艦隊の空母のうち最低1隻は直掩に特化したディフェンス役にすることで敵襲の被害を最小限にしている。

 だが、


「そういう守りの発想はボクは良くないと思うな。帝政ていせい葦原あしはらの空母たるもの、全艦攻めの態勢でいくべきさ。そもそも敵襲を許すという失敗を前提に作戦を立てるのは邪道だよ。士気に関わる」


 ハスキーボイスの反論に洋平は唖然とする。

 だから祥鳳みたいな搭載機数の少ない空母にも艦戦と艦攻が両方積んであるのか。それでは攻撃も防御も中途半端なものにしかならないのに。

 さらに、


「生憎ですが、軍令部が陸軍の協力を取り付ける際、最低でも空母1隻を輸送船団の護衛につけると約束してしまっています。護衛の空母無しでは、作戦の稟議が通らないです」


 冷ややかにそう告げたのは、寿子だった。

 久しぶりにかけられた声は、かつての親しみの欠片も感じられないほど無機質で。

 洋平は怯みながらも食い下がった。


「だったらいっそ、五航戦も珊瑚海に待機じゃなく一緒に行動させたら……」


「邪魔しないで下さいよお。何なんですか、今更?」


 叩き付けられる、怒りと不審のこもった声。


「ミッドウェーを、頑張って実現させようって。戦争を終わらせるっていう山本長官の、私達の夢をかなえようって。軍令部と交渉してようやく手に入れた妥協点が、今のこの第二段作戦なんですよ」


 だがそこに、もう一つの感情が加わる。


「私に言ってくれましたよね。1人で三下にならずに、僕も混ぜてくれって。あの時、本当に嬉しかったのに……この10日間、何してたんですか? 今更しゃしゃり出てきて、かき回さないで下さいよお。そういうの、迷惑です」


 言葉の辛辣さとは裏腹に、寿子の顔には寂しさが滲んでいた。

 洋平は、自分のあやまちを悟る。

 寿子が自分を避けていたんじゃない。

 空襲のショックから立ち直れず、これ以上心が傷付くのを恐れ彼女と顔も合わせなかったのは洋平の方だ。

 あの後、寿子は大和と帝都を往復したり、とても忙しそうだった。それでも話すチャンスは何回もあったのに、洋平は寿子が忙しそうにしていることさえ「避けられている」と都合よく解釈した。

 実際には寿子は懸命に前を向いて、ミッドウェー作戦を実現させるため彼女にやれることを精一杯やっていたというのに。


「渡辺さん」


 成実が、寿子に向かって口を開いた。


「貴女、さっきから二言目には『軍令部』だけど。この作戦、貴女達の発案じゃないわね?」


 質問というより、確認調だった。寿子は沈黙の後、渋々といった感じで頷いた。


「……MO作戦は、軍令部の富岡大佐と三代中佐が提示してきたものです。最初にご説明した通り、これは軍令部が推進する美豪分断作戦の一環ですから。協議の結果第二段作戦は、連合艦隊がMO作戦を先行して実施することを条件に、軍令部がミッドウェー作戦を認可するということでまとまりました」


 成実をはじめ、将官の何人かが嫌悪感を顕わにした。

 第二段作戦の方向性を巡る軍令部と連合艦隊司令部との対立は彼女達も知るところなのだろう。

 そして寿子の説明は、MO作戦は連合艦隊司令部として軍事的必要性を認めたからではなく、軍令部との政治取引として仕方なくやると言っているに等しい。

 

「Illogical……ミッドウェー作戦は、ヴィンランドの空母をおびき出して一挙に撃滅できる秘策なんでしょう? 軍令部に妥協してMOをやるにしても、普通やる順番が逆じゃないの?」

「当初はこちらも、ミッドウェー作戦を先行させるスケジュールを提案していました。ですが軍令部は、美豪分断が確実に行われる保証を求めています。私達の至上命題は、ミッドウェー作戦を実現させハワイ攻略に繋げることです。今の海軍組織で作戦の決裁権者が軍令部である以上、私はこれしか道は無いと」


 寿子を否定する資格は自分には無いと、洋平は思った。

 軍令部との交渉について寿子は多くを語らなかったが、相手はあの嶋野達だ。きっと筆舌に尽くし難い苦労があったはずだ。


「……寿子さん、本当にごめん」


 大変な時に、自分は何も役に立てなかった。

 だが、それでも、言わなければならない。


「言うのが遅くなってしまったけど、聞いて欲しい。……僕の知ってる歴史では、珊瑚海での海戦初日、祥鳳が沈む。五航戦は敵の機動部隊を発見できなくて、給油艦タンカーを空母と誤認して攻撃隊を出す。その間に、敵機動部隊が祥鳳を発見して、集中攻撃を受けて、それで」


「……!」


 寿子の顔に衝撃が走るのを、洋平は沈痛な思いで見届けた。

 タイムスリップ物で未来人が、その時代を懸命に生きる人間に対して超越者になれる瞬間だ。

 だが、快感なんて無かった。今自分がしていることは、あまりに残酷だ。

 せめて、もっと早くに言うべきだった。本当にこの10日間何をやっていたのかと自責しつつ、それでも続ける。


「……翌日は主力空母2対2ほぼ同時に相手を発見しての、史上初の空母対空母戦闘だ。作戦なんてものじゃない、ただの殴り合いになる。敵空母レキシントンを撃沈、ヨークタウンを大破させた代わりに五航戦も翔鶴が大破して戦線離脱、瑞鶴は無傷だけど艦載機の多くを失って戦闘継続不能。ポートモレスビー攻略は中断される。それだけじゃない、6月のミッドウェー作戦に五航戦の2隻は参加できなくなる」


 突っ伏していた亀子が、がばりとはね起きる。


「……それは、困る。ミッドウェーは一航艦の全戦力、空母6隻のつもりで計画している」


 しかし、そこで草鹿が「ははっ」と朗らかに笑った。


「心配は要らないよ。6月のミッドウェー作戦には、一航戦二航戦の最精鋭4隻が休暇を終えて万全の状態で臨む。正直、航空機の性能も兵の練度も低い敵を相手に6隻は多過ぎるよ、牛刀ぎゅうとう割鶏かっけいだ」


 もはや聞いたことのない四字熟語だが、多分ろくな意味じゃない。


「にしても、この男はGF司令部お抱えの占い師か何かかい? 敵正規空母を1隻撃沈1隻撃破、こちらが小型空母1隻の犠牲で済むなら、そう悪くない占いじゃないか。おみくじだと中吉ってところかな。まあ実際は無敵の零戦が守っている限りこちらの空母は安全だし、彼の発言を書いた紙を木の枝に結べば結果は大吉になるんじゃないか? ははっ」


 面白い冗談のつもりなんだろうか。さすがに一緒になって笑う者はいなかったが、寿子が衝撃から立ち直って彼女の決意を固め直してしまうには十分な時間だった。


「……未来人さん、いいえ、源葉さんの言うことが正しいとは限りませんよね? だって、あれだけ大きな空襲を知らなかったじゃないですか。今度も記憶違いかもしれませんよね?」

「珊瑚海海戦は、空襲とは違う! はっきりと覚えてるんだ。頼む、信じてくれ……」


 寿子はもう、洋平の顔を見ようとしない。

 洋平は席を立ち、議長席を振り返った。書類に目を落としたままの、赤から白にリボンを変えた頭に向かって訴える。


「五十子さんも、頼む。作戦を見直すか、それができないなら何でもいい、理由をつけて延期にしよう。このままだと祥鳳が沈むのは間違いないんだ」


 あのパイロットの子も、と思わず言いかけて止める。

 五十子が、書類からおもむろに顔を上げた。


「……洋平君のことは、信じているよ」


 五十子はいつもと同じ優しい微笑を浮かべる。洋平が抱きかけた淡い期待は、しかし次の瞬間、五十子がゆっくりと首を横に振ったことで打ち砕かれた。


「でもね、洋平君。早期講和のためには、ミッドウェー作戦をやらなくちゃいけない。軍令部の人達が考えているのは長期戦だから、そもそもわたしとは考え方が違うけど、今回はその軍令部をヤスちゃんが説得してミッドウェーをやることを認めてもらえた。その結果を尊重したいと思う」


 五十子は寿子にも「よく頑張ったね」と微笑みかける。そして、顔を引き締め宣言した。


「先へ進むために、回り道をしなくちゃいけない時もある。……やろう、MO作戦」


 列席者が背筋を伸ばす、ざっという音が響く。束が、への字口で腕組みをする。洋平は、くずおれるように机に手をついた。

 優しい嘘だと、そう思った。本当に洋平を信じてくれているなら、五十子がこんな決断を下すはずがない。彼女は洋平のことを本当はもう、いや、もしかすると最初から。

 だが、五十子は悪くない。彼女はとても優しくて、自分がどうしようもなく無力だっただけの話だ。

 身体から、急速に力が抜けていく。視界の隅で、成実が起立して五十子に相対するのが見えた。


「成実ちゃん、お願いできるかな」


「Certainly. 直ちにトラックに戻り、作戦の指揮を執ります」


 成実は、それまで口にしていた不満など最初から無かったかのように淡々と承知した。五十子に一礼し、足早に出口へ向かう。


「……不幸ね、貴方。よりによってこんな時代に来るだなんて」


 通り過ぎ様、洋平にだけ聞こえる声で囁く。

 洋平が顔を上げた時、その姿は既に天幕の外へ消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る