「終末計画」
麗かな風の中、何の変哲もない田舎道で一匹のトンボがゆらゆらと風景を楽しんでいました。トンボの名前はトム、昼下がりの気持ち良い空気に適当な草を見つけてそこで昼寝をする事にします。
「こんな気持ちの良い天気は久しぶりだなぁ……」
適当な草に掴まって羽を納めながら彼は眠りにつきました。本当にほんのちょっと眠るだけの予定だったのです。
しかし、トムはそれからしばらく夢の世界で遊んでしまいました。自分の身にこれから何が起こるのか、そんな事考えもしないで。
彼が目を覚ましたのはそれからどのくらい経った頃だったでしょう? 周りの景色が全く違っているので、最初はまだ夢の続きなのかと思ったくらいでした。
トムの目線は以前とは遥かに違っていました。あれほど見上げるまでに大きかった森の木々が、今ではそこらの一年草より遥かに小さく見えます。
彼はおかしいなと思いながら身体を上げ、空に飛び立ちました。ものすごい風が森の木々をなぎ倒していきます。
その余りの臨場感に、これは夢じゃないなとトムは気付きました。
そう、巨大化していたのです。大きさで言えばその全長は30mを軽く超えていました。地上の何よりも大きくなってしまった彼は、しばらくその巨体で楽しめるだけの風景を楽しみました。
まばらに見える人間達の集落。車がマッチ箱のような細い道。高く上がれば雲にさえ届きそうで、下を見下ろせば人間達が蟻のように働いている。
その様子はとても新鮮で、面白いものでした。
人間達は空を舞う巨大トンボを見て、ある者は逃げ、ある者は嬉しそうに眺め、あるものは武器を取りだしある者は写真に収め、ビデオを回し――、のんきな田舎だけに異形の存在が一匹上空に現れたくらいではそんなにパニックにはなりません。
トムは今まで見た事のない風景を探して村を下っていきました。今の大きさだと何処に行くのもあっと言う間です。自慢の4枚の羽の高速飛行ですぐに人の沢山居る街までやってきました。
初めて見る景色に彼は目を輝かせます。
流石にビルの乱立する都会では人々の対応が違いました。トムが来た事で道路では次々に車がぶつかり合って大変な事故になっていきます。建物からは人が次々と出てきて何処かに逃げようと必死になっていました。
周りを見渡すと付かず離れずの微妙な位置にヘリコプターが沢山飛んできて、巨大トンボの様子を何処かに放送しているようでした。
「ねぇねぇ、何をやっているの?」
トムはそのヘリコプターに興味を持って、周りを飛んでいる沢山の報道ヘリのひとつに近付いていきました。その事に気付いたヘリはすかさず逃げ始めます。
追いかけっこだな? そう思った彼はヘリを楽しそうに追いかけました。
ヘリと巨大トンボの高速のやり取りは街を更にパニックに落とし入れました。幾らヘリの機動性が高いとは言え、昆虫のそれには敵いません。様々なアクロバット飛行を繰り返したヘリでしたが、行く手をビルの林に取り囲まれてしまい――。
「うわっ! 危ないなぁ!」
ビルの一部が炎上する中、彼は空中で立ち止まってその様子を冷静に見ていました。周りに目をやると、遠くから沢山の飛行機が自分に向かってやってくるのが分かります。
そう、トムを倒そうと軍隊が動いたのです。
その様子を彼は大勢の友達が遊びに来てくれたと勘違い。無数の飛行機の群れにトム自身から向かっていくのでした。
軍隊の方はと言えば、トムが自ら向かってくるとは思っていなかったので、対応が追いつかず、みんなバラバラに対応しなくてはならなくなります。統制が取れていれば、例え巨大昆虫と言えど軍隊の敵ではありません。
しかし、一機一機がバラバラのままでは、分はトムの方にありました。
彼はただ遊びたかったのです。銃弾の雨もトムには遊び道具のひとつにしか感じられませんでした。そもそも、バラバラの飛行機はお互いに弾を当てないようにしなければならず、中々攻撃出来ません。
それでいてトムの方はと言えば、無邪気に飛行機と戯れようとします。
軍隊の飛行機は巨大トンボの動きに放浪され、次々に仲間同士とぶつかっていきました。次々に落ちていく軍隊の飛行機はやがて街を火の海に変えていきます。
道は使えない、火の手は伸びる、たった一匹の巨大昆虫の前にひとつの街は完全にその機能を停止してしまいました。
「何だか騒がしくなってきたなぁ、僕、騒がしいのはちょっと苦手なんだ」
燃え盛る街を見たトムはそうつぶやきます。
「ここはもういいからもっと別の場所に行こう」
そう言って彼は山を越え海を越えて別の場所へ飛び立ちました。今のトムには世界がとても小さく感じられます。元の大きさの頃は一生その先を見る事もないと思っていた目の前の海も、今では水たまりを飛び越えるように簡単に渡る事が出来ます。
トムは行く先々で先に起こした街と同じ状態にしていきました。彼自身はただ無邪気に遊んでいるだけなのですが、街の人々にはそうは映りません。
その機動力で何処に現れるか全く予想のつかないトムに、国中がパニックになりました。
彼はしばらくその状況を楽しんでいたのですが、そろそろお腹が空いてきました。これだけ大きな身体になってしまったのです、元の大きさの頃食べていたものでは間が持ちません。
何を食べればいいだろうと思っていたトムは、ある動物に目が行きました。
「そうだ! コレを食べればいいじゃないか! こんなに沢山居るんだし!」
彼が目をつけたのは人間でした。身体が大きくなってしまったトムにから見れば、人間はただのエサにしか見えなかったのです。
彼は得意の高速飛行でまずひとり食べました。人間は簡単に胃袋に消化されてしまいます。その胃袋への新鮮な刺激にトムはもっともっと人間を食べたくなりました。
人間達は次々と彼の餌食になりました。元の大きさの頃は小食だったのに、この大きさになってからはどうにも食欲が収まりません。トムは食べて食べて食べ尽くしました。
「美味しいなぁ、美味しいなぁ」
この巨体を維持するには膨大なエネルギーが必要です。
でも人間は飽きるほどいるのです、エサ切れの心配はありません。彼は手当たり次第に人間を食べていきました。
人々はトムに食べられまいと必死に逃げようとするのですが、道は使えない、鉄道もダメ、しかも彼の高速移動は目にも止まらない早さで、もうどうしようもありません。計らずも阿鼻叫喚の地獄絵図がそこに展開する事になってしまいました。
トムはただ自然の摂理に、自身の欲求に忠実に行動しているだけなのに。
しかし、食事の時に彼の動きは止まります。そこを軍隊のミサイルが狙いました。
「うわああああッ!」
トムのわき腹をミサイルが直撃しました。体液がそこから溢れ出します。
「痛いよう、痛いよう」
彼はすぐにそこから逃げ出しました。以前のようなスピードの出ないトムを軍隊は隙を与えず攻撃します。彼もやられまいと必死に逃げます。
しかし、早く動くたびにやられた所から体液が噴出します。
トムの体液は空気に触れると強力な酸に変わりました。それを浴びたものは一瞬の内に溶けてしまいます。
街のパニックは更に大きいものとなりました。
それを察知した軍隊は直ちに攻撃を止め、彼を追い出す事に専念しました。下手に攻撃したらその噴出する体液だけでまた大きな被害が出てしまうからです。
トムは元の田舎に戻ろうとしました。フラフラと意識の朦朧とする中でただ生まれ故郷だけを目指して飛び続けました。途中で毒の体液を振りまきながら。
彼が見覚えのある景色を見た時、既に彼の意識は殆どありませんでした。
「ああ……戻ってこれた……」
やっと森に戻ってきたトムはついに力尽き、その場に倒れてしまいます。そして自分の出した体液にその体を蝕まれ、その身はみるみる溶けていってしまいました。
その彼の最期を見た者は誰もいなかったそうです。多くの街をパニックに落とし入れ、多くの命をその身に収めた巨大生物の余りに淋しい、余りにあっけない最期でした。
――とある研究所で、その様子を一部始終映し出しているモニターがありました。
そのモニターには映像の他に「実験終了」と言う文字が冷たく表示されていました。
(おわり)
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