「ジャックとおばけ」

 僕は黒猫のジャック、今日もまた家を抜け出してお気に入りの場所で昼寝をしている。


 そこはとても景色のいい丘の上。街も見下ろせるし空もよく見える。夜には満天の星がそりゃあもう美しい。僕はこの場所で昼寝するのを日課にしているんだ。


 そんな僕のお気に入りの丘につい最近お墓が建てられた。小さな女の子が毎週日曜日に花を捧げている。丘の先の一番景色のいい場所にそのお墓はあるんだ。

 とっておきの場所を取られて僕はちょっと悔しく感じていた。

 でもお墓だから仕方ないと思って諦めてもいるんだ。


 今日は10月31日、ハロウィン当日。

 ハロウィンは本当はみんなが思ってる楽しいお祭りじゃないんだ。


 昼間こそ、この一年の収穫の恵みに感謝するお祭りだけれど、夜にもなればこの世と霊界を隔てる門が開いて、おばけたちが一斉にこの世にやって来る。

 この中の悪いおばけにあの世に連れ去られてしまわないように、ハロウィンの夜はみんな身を隠さなきゃいけないんだ。

 今ではもうすっかり形骸化したし、知らない人も多いけれど、今でもおばけはその日にやって来る。嘘じゃないよ、本当の話。


 だから僕達がしっかり管理して、おばけが悪さしないように目を光らせているんだ。人間達には見えないおばけも僕らからは丸見えだからね。

 それを知った昔のドルイドの司祭達が僕達猫をおばけの監視役に任命したんだ。

 ずっと大昔の話だけどね。

 今ではすっかりドルイドの信仰者はいなくなってしまったけれど、僕達は昔からのしきたりをずっと受け継いでいるのさ。


 10月31日の日が暮れる……もうすぐ境界の門が開く。辺りが暗くなって星たちがまたたき始める頃、おばけ達はぞろぞろとこちらの世界にやって来る。

 だけどおばけが悪さしたのは昔の話で、今じゃハロウィンはおばけ達の年に一度の現世ツアーみたいになっている。これは時代の変化もあるけれど、僕達の努力の結果の表れでもあるね。


 毎年この機を狙って世界に混乱をもたらそうとする魔女や妖精が邪魔をしに来るけど、その度に僕達が阻止して来たのさ、えっへん。

 今年のハロウィンも奴らの悪巧みには気をつけないと。


 今年は仲間のリサと共に西区のお化けの誘導を担当。彼女は勇敢なシロネコガール。これほど頼もしい相棒はいないね。

 組んだのは今回が初めてだけど、きっとうまくやれると思う。厄介なトラブルさえ起こらなければね。


 おばけ達のツアーは何事も起こらず順調で、うまく行きすぎて逆に怖いくらい。仮装する人々に混じって楽しそうに一年ぶりの現世を楽しんでいる。この雰囲気はやっぱりいいね。


 と、その時、僕はツアーおばけ達の中にひとり迷いおばけがいる事に気がついた。今のおばけ達はみんな統率が取れていて、列から離れるおばけなんていないはず。

 悪い予感を感じて僕はそのおばけの所に行って話を聞く事にした。


「どうしたんだい?ツアーは今日が初めて?」


「分かんない、僕はどうしてここにいるの?」


 迷いおばけはどうやら招かれざる客のようだ――どうやら何も覚えていないらしい。

 おかしい……お化けが無秩序に現世にやって来ていた昔ならともかく、今のハロウィンはしっかり管理されていて、勝手にやって来るおばけなんているはずがない。


 僕はそこにある種の疑惑を感じて、このおばけの世話をする事にした。ツアーおばけの管理をリサに任せると、この迷いおばけを案内していく。


「今日は楽しいハロウィンの夜だよ!折角だから楽しもう!」


「う、うん……」


 迷いおばけは多少気乗りしない風だったけど、必死のアピールで僕の言う事を聞いてくれた。仮装の楽しい人達や楽しい雰囲気の屋台、大道芸人たちのパフォーマンスを見て喜ぶ迷いおばけ。この様子なら特に何も起こらないかなと思った矢先だった。


「あ、妖精さんがいる!」


 不意に現れた妖精に迷いおばけは興味を持って、そいつを追いかけて駆け出していった。僕は急に走り出したおばけに驚いて必死に追いかける。

 その時はこれから何か悪い事が起こらないかそれだけが心配だった。


 その様子を見ていたコウモリが夜の闇に消えていく。コウモリはずっと――最初からその様子を監視していた。迷いお化けが境界の門から出てきたところからずっと――。

 おばけが妖精を追っている事に気付いた時はもう手遅れだった。妖精はお化けを誘導する役目だったんだ。


 僕とおばけは妖精に導かれてある場所にやって来てしまっていた。その場所とは、街の外れの共同墓地。夜の共同墓地は無数のお墓が建ち並んでいて、いかにも怪しい雰囲気に満ちていた。


「待っていたよジャック」


 僕とおばけを待っていたのはやっぱり魔女だった。妖精とコウモリを下僕にしっかりと計画を練ってのご登場だ。彼女はほうきにまたがり、妖しい笑みを浮かべながら僕を見下ろしていた。

 毎年の事だけど、彼女の企みはいつも厄介だ。その度に阻止してきたけど、一度だって楽に済んだ試しはない。


「さあおばけさん、自分のお墓を探してごらん」


 魔女はそう言っておばけに自分のお墓を探させる。街の共同墓地、住人の誰かが死んだなら必ずここにお墓があるはずだった。


「えっ?えっ?」


 魔女の言葉を素直に聞いた迷いおばけはそう言いながら自分のお墓を探し始める。

 でも自分の名前も忘れてしまっているおばけに、自分のお墓なんて探しようもなかった。


「僕はなんて名前だったの?どうして死んじゃったの?」


 混乱する迷いおばけは一生懸命お墓を探そうとするものの、困ってしまって頭を抱えるばかり。それを見た魔女はニヤリと笑いながら困っているおばけに助け舟を出した。


「お前の名前はケーリーだよ。名前を思い出せばみんな思い出せるだろ?」


 親切にも魔女はおばけに名前を教える。そこに今回の彼女の企みがあるようだった。

 わざわざ困っているお化けを助けるような事を魔女がするはずがない!僕は魔女に怒りの抗議をする。


「名前を教えて何をするつもりだ!それに彼の名前は本当にケーリーなのか?」


「おや?私の言葉を疑うつもりかい?ケーリーはどうやら思い出したようだよ?」


 僕が魔女に企みを問い正そうとしていたその時、おばけ、ケーリーの身に異変が起こっていた。


「僕の名前がない……僕は……僕は……」


 名前を思い出したケーリーは必死に自分のお墓を探していた。そして、その行動が実を結ばなかった事にショックを受けていた。

 その結果を聞いて、勝ち誇ったように魔女は決定的な一言を彼に告げる。


「そうさ、あんたは墓も作ってもらえなかったんだ!誰からも愛されてなかったんだよ!」


 魔女の言葉が傷心のケーリーにさらに追い打ちをかける。やばい!彼の心に憎悪が広がっていく……このままではケーリーは悪霊になってしまう!


「ケーリー、落ち着くんだ!ここに墓がなかったとしても……」


「うるさい!お前なんか大嫌いだ!」


 ケーリーは中途半端に記憶を思い出し、そして街の人々に対する悪意を膨らませていた。そう、彼は悪霊になってしまったんだ!悪霊は人々を混乱に陥れ、不幸を呼び込んでしまう!


「ふふふ、そうだよ……自分を愛してくれなかった街の住民なんか呪ってしまえばいい!」


 ケーリーを煽りに煽る魔女。怒りで我を忘れたケーリーはみるみる巨大化していく。


「そうか!これが目的だったのか、最初から!」


 僕はやっと魔女の目的に気が付いた。彼女は高笑いしながら今回の企みについて話し始める。


「そうさ、境界の門にこいつをおびき出したのもこの私さ……本当にうまく動いてくれたよ」


 魔女ならば報われないお化けを操る事も簡単だ。最初にケーリーを見つけた時に気付くべきだった。これは完全に僕の誤算だ。だからこそ、ここで彼を止めるしかない!


「ケーリー、僕は君を行かせる訳にはいかない!」


「フオオオオ!」


 もはやケーリーには誰の言葉も届かなかった。怒りで完全に正気を失ってしまっていたからだ。

 彼はすごい勢いで僕に襲いかかってくる!猫特有のしなやかさで素早く避けたものの、いつまでも攻撃をかわせるかは分からなかった。


「さて、私は空から高みの見物としようかねぇ……」


 魔女は戦いが始まると、どこか遠くに飛び去ってしまった。それはこの戦いのとばっちりを避ける為だったのかも知れない。

 けれど、そんな事を考える余裕は今の僕には全然なかった。


「ウオオオ!」


 悪霊化したケーリーの攻撃は鋭く、僕はいつの間にか体に細かい傷をいくつもつけられてしまった。傷から流れだす血をぺろりと舐め、何とか適度な間合いを保つ。

 ケーリーを絶対街に近付けてはいけない……僕はただそれだけを考えていた。


「ガアアアッ!」


 ケーリーの拳が超高速で迫ってくる!その時、僕はぬかるみに足を取られ、そのまま足を滑らせてしまう。しまった!やられるっ!


「ギャアアアッ!」


 僕が覚悟を決めた時、何故かケーリーの方が悲鳴を上げて倒れていた。


「何やってんのよ!あなた本気!?」


 その声を聞いて顔を上げる。僕の危機を察してリサが助けに来てくれたのだ。

 流石頼りになるシロネコガール!彼女のお陰で僕は何とか一命を取り留めた。


「貴方の爪にも退魔の力は宿っているでしょ!何で使わないの!」


 リサの言葉が僕の胸にズシンと響く。

 けれど僕はケーリーをこのまま倒すのは何か違う気がしていた。


「彼はちょっと混乱しているだけなんだ!だから!」


「何か策があるって言うの?だったら早くして!反撃が来る!」


 ケーリーはすぐ起き上がって今度は標的をリサに変えて襲い始めた。彼女の為にも僕は早く対策を考えなければならなかった。

 一度悪霊化したお化けを正気に戻すのは難しい。

 でもケーリーの場合は本当の事をちゃんと思い出せなていないだけ……。その隙を魔女たちに利用されただけ……。


 それに僕はケーリーと言う名前を何処かで見た覚えがある――。何とか記憶を手繰り寄せて整理する事数分、鈍い頭がようやく答えを導き出した。


(そうか!もしかしたら!)


 それを思い出した僕は何とかケーリーの注意をこちらに向けなければと思った。だから少しだけケーリーに傷をつけて注意をこちらに向ける事にする。


 シャッ!


 リサと対峙していたケーリーの隙を突いて僕は動き出した。気配を消して背後から飛びかかった僕の退魔の爪が彼の頬をかすめる。案の定、ケーリーは僕に意識を向けて来た。良し!作戦成功!


「こっちだ!ついて来い!」


 僕はケーリーについて来いと促すと一目散に走り出す。そう、あのとっておきの場所へと。


 その場所にはひとつのお墓があった。備えられたばかりの花もそこにあった。

 ここから見下ろす街の夜景も素晴らしくて、見上げた空はその夜景と同じか、それ以上に美しかった。


「ここは……」


 丘についたケーリーはそう言葉を漏らすと動きを止める。この場所に来た事で彼はいつの間にか怒りを鎮めていた。


「ここが君の一番好きだった場所だろ?」


 僕はケーリーに話しかけていた。そしてお墓の前の花を指し示しながら


「君が愛されていない訳がないじゃないか」


 と、彼に声をかける。


「ここに僕のお墓があったんだね」


 そう言ったケーリーはもう元の姿に戻っていた。彼はもう全てを思い出したようだった。


「僕はこの場所が一番好きだったんだ……」


「奇遇だね!僕もそうさ!」


 そう言って僕とケーリーは笑いあう。その時、黒猫とおばけに奇妙な友情が生まれた気がした。星が美しく見える丘の上、銀色のお月様の光の下で。


 もうすぐ夜が明ける――そんな時間まで2人は楽しく話を続けた。ケーリーの生い立ちもジャックの過去も――。2人はまるで昔からの友人のように語り合い、その話のネタは尽きる事がなかった。

 朝になれば境界の門は閉じる――2人に別れの時が近付いていた。


「もう行かなくちゃ、ジャック、ありがとう」


「ああ、またな!」


 ケーリーは霊界に帰っていく大量のおばけの列に戻っていく。僕はそれをずっと見送っていた。


「きーっ!また失敗したじゃないの!来年こそアイツをギャフンと言わせてやるんだから!」


 その様子を見ていた魔女は大変悔しがりながら、またどこかへと去っていく。

 ふぅ……。飛び去っていく魔女達を見ながら僕はやっと安心出来たのだった。


「ジャックー!」


 リサがやって来た!僕の苦労を労ってくれるのかな?


「早く家に帰らないとまたユウキが心配するわよっ!」


 ユウキとは僕の飼い主の事だ。やばい、無断外出を続けていたのがバレたらまた外出禁止になってしまう!実はつい最近やっと外出禁止の罰が解けたところだったんだ。


「ありがとう!すぐ家に帰るよ!」


「まったく、いつも自分の事は後回しなんだから……」


 家に急いで帰ってくジャックを見送りながらリサも自分の家に帰っていった。

 あれほど賑やかだった夜も、こうして静かに終わりを告げていく。

 猫達の活躍のおかげで今年のハロウィンも無事に何事もなく過ぎていったのだった。


 やがて水平線の向こうから新しい太陽が顔を出し11月1日の朝が始まる。ハロウィンの夜にこんな出来事があった事を人間達は誰一人として知らないまま。

 でも、きっと知らない方がいいんでしょうね。猫達も普段は普通の猫を”演じて”いるんですから。



(おしまい)

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