壱 ラブレター


 宇吹遠和は、いつも独りきりだ。近寄りがたい雰囲気というものを常に纏っている。

 心臓病で長らく入院生活を強いられ、まともに登校することも出来なかった遠和は、今年の6月、ようやく地元の高校へ編入する事ができた。

 今年で17になる遠和だが、編入先は1年2組。クラスメイトは皆年下であり、病気療養していた遠和に対して好奇の目を送ることはあっても積極的な関わりを持とうとはしなかった。

 別にそれは構わない。高校生なんて、まだ大人ぶりたいだけの子供ガキだ。それに独りはなれている。


 遠和は暇な時間になると校舎を調べて回った。独りになれる場所は、探してみると意外とすぐに見つかった。今は使われていない美術室の鍵は開けっぱなしで、入ってみると埃臭いが悪くない。放置されたままのブルータスや模造品のバラ、くしゃくしゃに丸められた誰かのデッサン、そんなものが雑然と置かれたこの部屋を、遠和は己の城に決めた。

 美術室は人気の少ない専門棟の奥にあるため、移動教室などで誰かが通りかかることもない。電灯をつけられないため日中でも薄暗いものの、カーテンをわずかな隙間だけ開けて閉じれば外から見える心配もない。


 遠和は比較的綺麗な机と椅子を見つけて埃を払い、そこに腰掛けてスマートフォンを取り出した。

 カメラアプリを起動して、シャッターを切る。自動でフラッシュが炊かれ、埃っぽい室内が写真に収まった。

 遠和の最近の趣味は写真だ。自分の気に入った場所を密かに写真に収めている。その大半がこういった人気のない場所ばかりだが、ネットで公開してみると一部の人間には好評化をもらえた。

 その後、遠和は一通りこの部屋で寛いだ後、午後の予鈴とともにクラスへ戻った。



 五時間目の数学の教科書とノートを取り出していた遠和の耳に、クラスメイトの囁きが聞こえた。


「ね、ね、きいた?」「きいたー。また殺しでしょ?」「そうそう、こわいねぇ。首ちょん切られてたんでしょ?」「やだ、あたしグロいの苦手」「ここんとこ毎週へんな事件あるよね。なんだろ、ブーム?」「いやよ、そんなブーム」


 ――また、あったのか。

 この夜見ヶ岡市に影を落とす、度重なる殺人事件や失踪事件、奇妙な自殺。丁度遠和が編入したあたりから起きるようになったため、クラスメイトたちから妙な噂を立てられているのは自覚していた。


 ちらり。隣の席の少女が遠和を横目で盗み見て、それから前の後ろの席の子に耳打ちした。


「死神、今日もひとりでご飯食べてたんだね」

「くすくす、便所飯じゃないのー?」


 死神。それが遠和の密かなアダ名だ。殺人事件と重なって現れた女。ただそれだけで好奇心と物珍しさも手伝い恐ろしげなアダ名を頂いてしまった。

 実にバカバカしい。遠和は哀れみを込めた眼差しで隣の少女たちをひと無でにしてやった。慌てて二人は視線を逸らす。

 そもそも遠和はずっとこの夜見ヶ岡で暮らしていた。入院していた病院も夜見ヶ岡にある。編入が6月だったからといって、物騒なアダ名をつけられる謂れはない。大体、この学校の関係者が死んだという話は聞いていない。


 遠和は小さくため息をつき、黒板の方へ背筋を伸ばした。ただでさえ勉強は遅れ気味なのだ。編入試験はパスしたものの、まだ怪しい箇所が多い。

 遠和は遠くの大学へ行くことを切望していた。この街は、あまり好きではない。よくない思い出が多すぎた。


 それから十分。始業時間はとうに過ぎていた。数学の今井は時間には正確なのだが、今日はいやに遅い。席についたクラスメイトたちの間にも疑問符が浮かび始めていた。

「おっそいな、あの禿げ」

「今井が時間遅れるなんてあるんだな」

「俺見てくるわ」

 しびれを切らした生徒の一人が立ち上がるのと同時に、教室の戸が開いた。

「全員席に座りなさい」

 入ってきたのは中年太りした今井ではなく、ほっそりとした壮年の男。副校長の清水という男だ。清水は神経質そうな細面を青白くして、教壇の上に立つ。

「あの、今井先生は?」立ち上がっていた男子生徒が戸惑いがちに問う。

「……今井先生は、亡くなられました」

 予想外の清水の言葉に、クラスメイトたちが騒ぎ出す。

「殺されたんですか?! マジで!」

「静かにしなさいっ。詳しいことはまだわかっていません! 君たちはこの時間は静かに自習すること。先生たちは会議を開くので、絶対に教室から出ないこと。いいですね」

 先生たち、ということはおそらく他のクラスも自習なのだろう。遠和はなんとなしに隣を見た。

 ――やっぱりこいつ、死神だよ。

 隣の女子生徒が声を出さずに囁いた。



 あの後、六時間目も結局自習となった。

 放課後までに断片的に入ってきた情報をまとめると、昼食を買いに学校外へでかけた今井は始業時間になっても戻らなかった。発見された今井の死体は首を切断されて殺され、学校近くの公園に捨てられていたそうだ。頭部は同じ公園の、少しだけ離れた茂みに転がっていたらしい。


「ついにうちの学校でも死んだな」「こわー」「次おまえ殺されるんじゃね?」「やなこと言わないでっ!」「でも死んだのがハゲでよかったー」「ひでーなお前」「でも事実じゃん。あいつキモいし」「あはは、たしかにねー」


 身近な人間が死んでも、生徒たちは意外にも平常心だ。今井があまり生徒たちに好かれていなかったのか、それとも生徒たちが薄情なのか。それとも両方だろうか。

 遠和は律儀に自習していたノートを閉じた。流石に噂が噂を呼ぶ囁きの海に沈んだ教室では集中できない。

 手癖でスマートフォンを取り出してロックを解除すると、新着メールが届いていた。知らないアドレスからだ、珍しいことに。

 遠和のアドレスを知っているのは両親くらいで、あとは時々カードを作ったレンタルビデオショップから広告が届くだけ。スマートフォン中毒の自覚はある遠和だが、メールだけは殆ど使った試しがなかった。


【間もなくCARNIVALが始まります。健闘をお祈り申し上げます。】


「……なにこれ」

 メールにはそれだけしか書かれていない。迷惑メールにしては随分と奇妙な文面だ。普通の人間ならさっさと消去しているかもしれない。

 けれど遠和は、そのメールにいやな予感を覚えた。CARNIVALという単語が、

遠和の胸を掻き乱す。

「……まさかね」

 遠和はメールアプリを終了し、本来の目的であるネットサーフィンに没頭することで不安感を消そうとした。

 けれど、お気に入りの旅行ブログや廃墟写真ブログを眺めても、一行に遠和の気分が晴れることはなかった。












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