第二十一話 叶わなかった願い

 眩い光に包まれて、ほんの数秒気を失っていたヴァンは周囲を見回した。同じように一瞬気を失っていただろうランとそれに縋っていた女の子も目をしばたたかせていた。

 何が起きたのかきっと二人は理解していない。ヴァン自身も目を開いた瞬間はぼんやりとした頭で理解が追いついていなかった。先ほどまで崖から落ちそうになっていたのだが、気が付けば崖の上の地面に座り込んでいる。

 だが周囲を見て、数歩離れた先に彼女が木にもたれるように座っている姿を見て、全てを理解する。

 それはヴァンが望んだことではない。彼女が望んだことなのだ。

 本当ならいるはずのないシランがそこにいた。病弱で、こんな雨の日に山の中を歩き回ることなど出来るはずないのに、間違いなくそこにいた。

 力なく座り込むその姿に息を飲む。


「シラン……」


 ヴァンはその名を呟きゆっくりと近づく。同じようにシランに気が付いたランも驚き、そして慌てて駆け寄った。

 シランの身体は雨に打たれてとても冷たくなっていた。元々白い肌が更に白く、青白くなっている。その息遣いは浅く荒い。瞳は瞼で隠されており、こちらに向けてはくれなかった。


「シラン、なんで……こんなところに……シラン……」


 ひどく動揺したランがその細い身体を抱きしめる。何が起こっているのか本当にわからないのだろう。それは無理もない。ヴァンも何も知らなければきっとわからなかったはずだから。

 しかしヴァンは知っている。これは過去と同じで、シランが何をしたのか知っている。そして過去と違うのはそれがヴァン一人でなく、三人だということ。

 シランの魔法が三人をあの場から救ったのだと、頭では理解していた。それによってあの時以上にシランの身体は脆弱になり、今にもその生命の灯が消えてしまいそうになっている。その事実にヴァンはやはり泣いてしまいたくなる。

 抱きしめられているシランがそっと目を開き、弱弱しく笑った。


「よかった……みんな、ぶじ、だった……」


 小さなその声でランは何かに気がつき、その姿を見た。弱弱しく笑うその表情は、しかしとても満足げだ。その姿にランは悟る。理屈はわからなくても、今ここでこうしているのは、全てシランのおかげなのだと。彼女が望んだのだと。その為にいつも以上に彼女が弱まっているのだとわかってしまった。

 母娘だからだろうか。そっとランに触れるシランの手から全てを理解することが出来た気がした。理解できたからこそ、涙を流しながら強く抱きしめなおしたのだ。


「……シランちゃん!」


 背後から数人の足音が聞こえ振り返ると、フラマやイリス、三人の村人の姿があった。

 二人の姿を見た瞬間、ヴァンはその顔を歪める。泣いてしまうのを、もう、我慢できなくなる。


「師匠……イリス、さん……おれ、おれ……」


 シランが魔法を使ったとわかった。大きな魔力を使うとシランの生命力がなくなることも知っていた。それなのに、自分のせいで、自分の為に、シランは魔法を使ってしまったのだとヴァンは己を責めたくて仕方がなかった。

 言葉にできないがその気持ちが二人にはしっかりと伝わる。過去を知り、ヴァンの想いと願いを知っているだけによくわかる。

 だがここで嘆いて目を背けたままではいけないのだ。


「……ヴァン、シランをちゃんと見てみろ」


 フラマはシランに背を向けてしまっているヴァンの頭を撫でて促す。その場から動く力がない少女はじっとその姿を見ていた。そしてヴァンと目が合うと嬉しそうに笑うのだ。


「ありがとう」


 確かに、そう言った。小さな声だったが、確かに、そう聞こえた。

 それにヴァンは縋るようにシランに触れる。

 涙は勝手に溢れ、こぼれ落ちる。泣きたくないと思おうとしても勝手に泣き出してしまう自分がいる。


「どうしてっ……シラン……おれ、は……シランに、生きて」


 不満と悲しみが混じって、それでも望みが捨てきれなくて、諦められない。

 だがシランは何も言わず、手を差し出す。その色白の小さな手を、ヴァンは同じく小さな手で握り返した。


「……生きたよ、私。いき、た。だから、ヴァン、も、生きて……ヴァンの、ため、に」


 そしてヴァンの後ろにいる二人へと目を向け小さく微笑む。フラマとイリスはその微笑みに応えるように頷いた。それにシランは安堵し、ヴァンの耳元で誰にも聞こえないように囁く。最期の力を振り絞って。


「……え?」


 一瞬言葉の意味を理解出来ず、シランを見返した。

 しかし彼女はそれだけ言って、ゆっくりとその瞳を隠した。小さな息遣いも静寂に変わり、二度とその瞳を見ることも、声を聞くこともなかった。

 もちろんヴァンやランの、誰の呼びかけにも応えることはなかった。

 シランは静かに、穏やかな眠りについたのだ。


 雨の匂いが充満する山の中で、聞こえるのは誰のかはわからない、涙を含ませた悲しい声だけだった。


◇◆◇


 どうしても助けたかった女の子がいた

 元気になってもらいたくて

 でもどうしたらいいのかわからなくて

 ただ自分のせいだと責めて

 責めて、足掻くしかなかった


 女の子を守りたかった

 強くなって、あらゆるものから守りたかった

 自分が出来るせめてもの償いだと思っていたから


 でもそれは女の子の望みではなくて

 自分の願いとは違っていて

 知ってはいたけれど納得できなくて

 女の子の為だと自分に言い訳をした


 女の子は強くて

 自分は逃げるしかできない


 強さが欲しい

 過去を乗り越えて、未来を見つめる強さが欲しい

 希望をつかみ取れるだけの強さが欲しい

 女の子と向き合えるだけの強さが欲しい


 遠いあの日、あの時から

 自分の願いは何一つ叶えられていない

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