第四話 隠居した薬師


 突如訪ねてきた二人組を、ハーミルという老人はしかめっ面のまま何も言わず家へと招き入れた。

 外観通り家の中もこぢんまりとしており、必要最低限の家具がある以外は特に目立ったものはない。隠居したといっても元薬師ならばそういった資料や材料で部屋が溢れているものかとフラマは想像していたが、違うようだった。


「……茶は出さんぞ」


 そう言いながら近くの椅子に座るように促し、自身も腰掛ける。


「で、いったい何のようだね?」


 決して歓迎された雰囲気でないのは致し方ないだろう。

 しかし、そんなことをも気にするイリスではないのだ。


「何年か前、クリム・クロッカスって男の人が訪ねてきましたよね?」

「さあ、どうだったかな」


 惚けた返事をするハーミルに対し、イリスは隣に座るフラマを引っ張りながらもう一度問う。

 突然引っ張られたフラマとしては思わず声をあげ、非難の眼差しをイリスに向けたのだが、彼女はそれを綺麗に無視していた。


「この人によく似た、クリムって男の人が訪ねて来ましたよね?」


 ハーミルは目を細めてフラマを見る。

 何か思うところがあったのか、ひとつ頷いた。


「まあ、そこの兄ちゃんに似た男は来たよ。四年ほど前に。お嬢ちゃんと同じく、しつこかった……」


 一瞬遠い眼差しをしたかと思うと、ハーミルはその皺を刻ませ笑みを浮かべた。

 そしてフラマを上から下まで見る。


「……おまえさんは、あの男の身内かね?」

「クリムは俺の兄貴です」

「そうか、どうりで似ているはずだ」


 数年前に突然にやってきたクリムのことをハーミルはよく覚えていた。目の前のフラマと同じように赤い髪と整った顔立ちをしていた。しかし、より印象的だったのは容姿ではなく、その言動である。一見、自分勝手な言動と捉えられなくはなかったのだが、その瞳に宿る意志は固く、近年稀にみる若者だと思った。

 また、当時この町を騒ぎ立てていた輩を一掃し平穏な町に戻してくれたという手腕もあった。

 これには褒美と王都への報告もしなくては、と話をしていたのだが彼はそれを固辞した。

 自分のことは一切触れずに、ある情報だけもらえればいい。町からの褒美はそれだけで十分だと言い、町を去っていったのだった。


「クリムはあなたからある情報を得たはずです」

「……なんの話かな」


 確かにハーミルはある情報をクリムに伝えた。しかしそれは町を平穏にしてくれた褒美としてだ。彼は自分がここにいたということを余り他人に知られたくなかったようだった。いくら身内がいるとはいえ、安易にそのことを教える必要はない。


「わたし達はあなたがクリムに伝えた情報を教えていただきたいと思って、ここまで来ました。でも、あなたは教えてくれる気がなさそうですね?」

「義理もないと思うがね」


 確かに、とフラマもイリスも頷く。いきなり押しかけてきて情報を与えろというほうが不躾である。


「クリムはこの町の平穏を取り戻した。だから、そのお礼として情報を与えたのですよね?」

「お嬢ちゃんはよく調べているようじゃな」


 そんな話は初耳のフラマとしては驚き彼女の方を見た。本当にどこまで、調べてきているのやら。自分なんかよりも、よっぽど真剣にクリムのことを探しているのかもしれない、とフラマは思う。


「正式な報告書には書いてなかったけど、時期的なものを考えれば簡単に推測することができますよ」


 実際のところこの数年でクリムを探しにきた者も何人かいた。町中で聞き込みをしている者を見かけたこともあるし、ハーミル自身を訪ねてきた者もいるのだ。

 しかしながら、町の住民はどうかわからないが、ハーミルは一度も訪ねてきた者たちにクリムのことは話していない。

 イリスとハーミルはお互いを無言で見やり、思案する。なぜか身内で一番関係者のはずのクリムの方が無関係な感じになってしまっている。

 長い沈黙ではなかったが、ふいにイリスはぽつりと呟いた。


「……奇跡の花、のことですよ……」

「奇跡の花?」


 イリスの呟きに聞き返したのはクリムだが、確かな反応を見せたのはハーミルの方だった。

 老人は声には出さずとも、皺のある顔に目を見開き驚きを表している。


「なぜ、それを?」

「王立図書館に『奇跡を呼ぶ花』というタイトルの書物がありました。クリムはそれを調べている形跡も。著者は、元王宮薬師のハーミル=リーフレット。あなたのことで間違いありませんよね?」


 にっこり、と笑顔で言うイリスにハーミルは言葉を詰まらせる。

 そこまで調べていることに感心しながらも、全く話についていけていないフラマはイリスに疑問を投げかけた。


「それはどういう本なんだ?」

「おとぎ話ともいえるような内容の本よ。一つの花が奇跡を呼ぶの。本の中にはいくつかの所説が書かれていて、奇跡の花、もしくは願いの叶う花、いのちの花、魔力の花、とかいろんな呼び方が書かれていたけど、どれも夢のようなこと、現実には起きないようなことが起きる、まさしく奇跡を呼ぶ花のことだったわ」


 イリスの説明にいまいちピンとこないフラマであったが、相変わらずハーミルは渋い顔をしたままだ。

 本の内容を詳しく知りはしないが、少なくともフラマの知る兄は、花に興味があるタイプではなかったはずだ。

 そして、仮に興味があったとして、クリムがその本を調べていたことが失踪に繋がるほどの重要なことには思えない。

 そんな心情を察したのか、イリスはハーミルを見ながら付け加えた。


「この本はね既に廃盤となっていて、おいそれと手に入るものではないの。でもさすが国一の蔵書を扱う図書館よね。許可さえ取れれば閲覧することは可能だったわ。流石に、持ち出しは禁止になっていたけど」

「……確かに王立図書館なら既存じゃろうし、あの男も同じようなことを言っておった」


 話を静かに聞いていたハーミルはため息混じりにそう言った。


「わしが書いたあの本は夢物語だ」

「……でも、あの本はある意味危険だか、廃版になったんですよね?」


 ほんとうによく知っておる、と老人は目を細めて頷いた。

 一度世間に出回った本が廃版となる理由は様々だ。ハーミルが著した『奇跡を呼ぶ花』は一部の間で妄信的に人気となった。人には何かしら叶えたい願いがあり、奇跡の花があれば素晴らしいと、夢を見始めた。


「夢物語が危険って、どういうことだ?」


 普段からあまり本を読まないフラマとしては、子ども向けの本か絵本のようなものを想像してみたが、危険性には結びつかない。


「夢を見ることじたいはいいんだよ。それは人の自由だから。でもあの著書は空想じゃなくて、現実の話だと読んだ人に思わせた」


 真実がどちらであれ、一部の人間は奇跡の花は確かにあると思い込み、禁忌に触れることをし始めたのだ。

 人の理想や欲望を現実のものに出来る存在に魅せられ、行動を試みる。

 ただ追い求め、探すだけならば構わない。失踪するものが増えたという報告も一時上がったが、それも国全体でみると微々たるものだった。

 しかし、思い込みは常軌を逸し、禁忌の研究をも活性化させてしまうことになる。


「国が危険視したのは、禁忌の研究だった。それまで目立った事例はなかったのに、奇跡の花を信じた研究者達は禁忌の研究を本格化させてきたと言われているわ」

「それって、どんな研究なんだ?」


 話の雲行きがどんどんと怪しくなる。この話のどこらへんからクリムが関わりだしてくるかフラマには想像もつかない。

 初めて聞く話が多すぎたのだ。


「奇跡の花の捉え方が多数あるから、禁忌についても諸説あるのよね。魔力増加、人工生命、……あ、宗教的なことで神降ろしや転生なんてものもあったかな? あとは古代魔法の実用化なんていうのもあったけど、これが禁忌かどうか微妙だと思うのはわたしだけなのかな?」


 イリスは思いつく禁忌とされている行為をいくつかあげていく。禁忌といっても判断がつきにくいものもあり、一概に彼女があげた行為が全て禁忌となるわけではない。常識的な範囲を上回ると禁忌と判断されるようになる。つまりとても曖昧な概念なのだ。

 実際、最後に挙げた古代魔法の実用化は正規の研究でも取り組まれている内容もあるので禁忌と言い切るのは難しいところだ。


「いろいろあるけど、最も危険視されていることは決まっているの」


 『なにかわかる?』と聞かれたフラマは、しかし禁忌の知識などなにもなく、ただ首を横に振る。


「……死者蘇生……反魂の儀とも呼ばれているよ」


 なぜかイリスは少し悲しそうに言う。そして、目の前の老人も悲しそうな表情で頷いた。

 大切な者を亡くしたとき、また会いたいと願う気持ちからこの研究は始まったと云われている。

 しかし理に反するこの行為は最大の禁忌として、国から厳しく禁じられている。実際に成功したという事例は残されておらず、研究を行う段階で取り締められてきた。

 だが、国の目から逃れて密かに研究を続けている者がいるのも事実であり、『奇跡を呼ぶ花』をきっかけにその研究が顕著となることで、廃版へと最終的に繋がったのだ。

 そういった著書の廃版や禁忌の成り行きを語った後、イリスは切り出した。


「話を戻すけど、クリムはその奇跡の花について調べていたらしいの。禁忌に触れたかどうかはわからないけど、そのためにハーミルさんを訪ねてきたことは間違いないでしょ?」

「そうじゃ……だがたいした話をしたわけではない。お嬢ちゃんが今話したことぐらいじゃよ」


 禁忌の花の背景や ハーミルのことは、イリスの持つ情報と大差なく、クリムも同じだけ知識を持っており、確認をとりにきたに過ぎなかったのだ。 

 老人はそれぐらいしか話してないと言うが、なにか、決定的な情報があったのではないかとイリスは考えている。


「……なあ、確認したいんだけど。その奇跡の花は爺さんの作り話なのか?」


 ふいに、フラマは口にする。

 ハーミルは夢物語だと述べ、イリスは現実だと思わせる内容だと語った。実際にその本を読んだことのないフラマからすれば、それはつまり作られた話だと解釈していいのだろうか。

 イリスはその疑問に答えず、曖昧に笑みを浮かべ、ハーミルを見る。

 真実は著者しか知らないのだ。

 そしてそれこそがクリムが訪ねてきた理由だと、イリスは思う。


「……それは、各々の夢が信じるものとなる」

「はあ?」


 意味がわからない返答にフラマは剣呑とする。

 一方でイリスは、なるほど、と頷き、挑発的な笑みを見せた。


「なら、わたしは奇跡の花を信じるわ。あの著書の内容も、ハーミルさんのことも。だから、あなたがあの本を書いたときのヒントが欲しいの。きっと見つけてみせるわ。クリムもそう言ったんじゃない?」


 迷いなく言い切る様子に僅かにハーミルは目を見開き、そして苦笑する。

 それが肯定を意味しているのだろう。

 本当にクリムが奇跡の花を探しているとすれば、確かに言いそうだとフラマは兄を思い浮かべて思う。

 彼は自信家であり、実際にやりとげてしまうところがあるのだから。

 しかしフラマとしては、それよりもイリスの言い様になぜ、と思う。何を根拠にとか、なんとなく確信があり言い切っているように思えることに疑問がひとつ浮かぶのだ。

 そして、再びよぎったのはイリスとクリムの関係だ。

 フラマは口にこそ出さなかったが、その疑念について頭の隅で考える。

 そんな思考を巡らせているフラマを他所に、ハーミルはイリスに問いかけた。


「お嬢ちゃんはなぜ、信じるのじゃ?」


 本当か嘘か、好奇心か欲か、夢物語を信じると言い切れるのはなぜか。

 ここで初めてその存在を知ったフラマも、決して信じるとは言い切れない。

 でも、イリスは信じるのだ。夢か現かわからない存在を。


「だって、信じた方が夢も希望もあるじゃない」

「夢と希望……」

「ええ」


 ただイリスは満面の笑みを見せる。

 ふいに、フラマは、彼女のこの笑みを見るのは本日何度目だろうと思った。彼女は出会ってから良く笑う。その中にいくつかの種類があることにも気づいた。


「お嬢ちゃんは……本当にあの彼と同じようなことを言うなあ」


 しみじみと呟く老人は、観念したかのようにため息をついた。

 本当にクリムに対してたいしたことを語ったわけではない。

 ただ一つ、イリス達が知らない情報を彼に与えたのだ。

 それは彼の人柄に惹かれてなのか、それとも町に平穏を取り戻してくれた礼なのか、ハーミル自身はっきりとしない。しかし、どちらともだろうと思う。


「君たちが知りたいのは彼の行方なのじゃろ。今そこにいるかは知らんが、旅だった行先は想像つく。……じゃが、君たちにそれを教える義理がわしにはないと思わんかね?」


 その言葉にフラマとイリスは顔を見合わせる。

 クリムの場合は町の為に一働きしたのだ。ここで二人がなにもせずに情報を得るのは難しいかもしれない。

 つまり同じように何か町の為に――いや、老人が納得いくことをしなければならないのだろう。


「つまり、なにかしろってことだよな?」

「ハーミルさんはわたし達がなにをすれば快く教えてくれるんですか?」


 フラマとイリスの怪訝な様子に老人は小さく笑う。

 無理難題を押し付けるつもりはないが、ある程度の手腕がなければこの先には、奇跡の花までには決してたどり着けないのだ。


「……最近、少し厄介なことが起こっていてな」


 厄介な、という言葉にフラマは思いっきり嫌そうな顔をし、ほらきた、と内心で呟く。

 だがその心の声が他の二人に聞こえることはなく、ハーミルは少し厄介なことを教えてくれた。


「町の噂にもなっているのじゃが、どうやらその奇跡の花の偽物が出回っているらしい」


 ハーミルが語るには、近隣の町で奇跡の花を元にしたと思わせる薬が流行しているのだとか。なんでも、その薬を使えばどのような病もほんの一時で治してしまうという。一度、隣町からこの町まで来ていた人物に実物を見せてもらったことがあるが、あきらかに偽物だということがわかった。しかし、偽物だと知らない人々は法外な価格でその薬に手を出すという。

 幸いにもこの町にはハーミルという元王宮薬師がいるということで、町の住人がそういったものに手をつけることはないのだが、近隣の町ではそういうわけにもいかない。『奇跡を呼ぶ花』の著者としても、薬師としても身近なところでこのような噂が出回っているのを放置するにも気が引けるのでなんとか抑えたいという。


「つまり、その偽の薬を売りまわっている人物を捕まえてこいってことかしら?」

「いや、そこまで物騒なことは言わんよ。ただ、偽の薬を手に入れてきてほしいのじゃ」


 ハーミルが言うには、その薬はもしかすると国から使用禁止されている成分が含まれている可能性があるらしい。前回見せてもらったときは詳しく調べることができなかったのだが、様々な噂から薬を服用した症状を聞き、可能性を思い付いた。きちんと調べ、国に報告すべきだと考えているという。


「法外な価格で取り引きされているものを手に入れるってどうすんだよ?」

「それは君たちの手腕が問われるんじゃないかね」


 試されているとしか思えない状況にため息がでる。

 やっぱり首謀者を捕まえた方が手っ取り早い気がするとフラマは思うのだが、どうしたものか。

 捕まえるのも薬を手に入れるのも簡単なことではなさそうだ。


「さて、どうするのじゃ?」


 老人はどこか面白そうに聞いてくる。

 するかしないかだが、せっかく得られそうな手がかりをフラマもイリスも捨てておくつもりはなかった。


「ま、なんとかするしかないな」

「そうだね」


 二人は互いに頷くのを確認し、立ち上がる。

 決めるが早いが、すぐさま行動に移ることにした。

 ほどほどの挨拶をし、ハーミルの家から立ち去る間際、イリスは振り返り一言付け足す。


「ハーミルさん、待っててね。すーぐ、終わらせて戻って来ますので!」


 元気よく言うそんな彼女の姿が、ハーミルには眩しく見えた。

 そして二人はハーミルの家を後にしたのだった。

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