第三十五話 優しい人に嘘の笑顔を

 ふと間近で人の気配を感じ、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 おもむろに身体を起こせば目の前にフラマが不機嫌そうな顔をして座っていた。


「……フラマ……?」


 ぼんやりとした頭で出た声は思っていたよりも小さい。イリスは自分が本当に少しばかり寝ていたのだと気づき周囲を見回した。

 あれからどのくらい時間が過ぎているの分からない。しかし眠る前に見た周囲の記憶と今が余り差を見受けられないことから、そんなに過ぎていないと思われる。

 一番違うのは目の前にフラマがいることだ。


「……なんで、ここにいるの?」


 寝惚けた頭は上手く働かず、不思議そうに首を傾げるのみだ。

 そんなイリスの様子に、フラマは盛大なため息を吐き出した。


「……それは、こっちの台詞だ」

「……うん?」


 目の前に座るフラマは店員に飲み物を頼み、仏頂面のままイリスを見た。


「で、イリスはこんなところで何してるんだ?」


 恐らく一番の疑問だろうことを口にし、その視線を受けるとイリスは曖昧に笑うしかない。


「えっと、眠くなかったから時間潰しになんとなく?」

「……それでここで寝てた?」

「……なんか、眠くなっちゃったから、かな?」


 なんとも矛盾した答えだとイリス自身も分かっていたので、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。


「そ、そういうフラマはどうしたの?」


 フラマの物言いたげな眼差しに耐えきれなくなったイリスは無理やり笑顔を作りながら問い返した。


「……まあ、あまりにも雷が五月蝿かったから目が冴えたんだよ」

「そうなんだ……」


 窓の外を見れば確かに未だに雷光が走り、雷鳴が響いている。

 だが、恐らくフラマはこれぐらい気にならないはずなのだ。それに気づいたイリスは少しだけ眉尻を下げた。


「そう言えばヴァンは?」

「夢の中だ」


 フラマの苦笑しながらも簡潔に答える様に、イリスは思わず笑ってしまう。ヴァンは寝付きが凄く良い。


「まだここにいるのか?」


 おもむろにフラマが尋ねれば、イリスはまたもや曖昧に笑うしかない。外の様子を見る限りまだ部屋には戻れそうにないのだ。


「……ここで寝るのはやめた方がいいぞ」

「……気を付けるよ」

「もうちょい危機感を持った方がいいぞ」

「……? 気を付けるよ?」


 フラマの言いたいことがハッキリと分からず少しだけ首を傾げる。ただ心配してくれているのだろうということは、なんとなく分かった。


「……わかってないな」


 フラマはため息をつきながら、じと目でイリスを見やる。彼女の方からすれば、そんな目で見られる理由が分からないというのが本音だ。それを口にすればさらに呆れられそうなので、とりあえず大丈夫、とだけ伝えることにした。


「フラマってさーなんだかんだ言いながら優しいよね」

「……いきなり何?」


 唐突に始まったイリスの賛辞にフラマは眉をひそめた。


「それに心配性だよね」

「そんなことはないと思うけど」

「えーあるよ! あるある!」

「……なんでそんなに言い切れるんだよ……」


 イリスは自分のことのように自信満々に断言する。フラマ自身としては楽観的な方だと思っていたのだが彼女から見ると違うらしい。


「あのね、わたし結構フラマのこと知ってるんだよ!」

「たとえば?」


 出会ってから様々なことがあったせいでその期間が長く感じられるが、実は一ヶ月経つか経たないかぐらいである。


「フラマは水が怖かったんだよねー? 川に近づけなかったんでしょ?」

「……六歳までの話だ」

「あと犬も怖くて近づけなかったんだってね」

「……それも克服して平気だ」

「キノコが凄い嫌いで食べられなくて」

「……今は食べられる」

「でも嫌いだよね」


 時折料理の中にキノコ類が入っていると、フラマはほんの少しだけ嫌そうな顔を見せるのだ。きっと本人も無意識のうちに見せているのであって気づいていないであろう。

 そんな些細な変化を含め、イリスは楽しそうに指折りに挙げていく。それはどれも確かに事実だったことだ。


「あとは、フラマの初恋はーー」

「いや、というかなんでそんなに知ってるんだよ?! 兄貴か? 兄貴に聞いたのか?」


 だんだん恥ずかしくなってきたフラマはイリスを静止させる。彼女が過去を知っている理由は一つしかない。


「もー、クリムの話は大半がフラマのことだったよ。なんというか……七割フラマ、二割故郷、あとはたまに自分のことを話すぐらいかな」


 それこそ耳タコな程、イリスはフラマのことを聞かされていたのだ。

 そう告げられるとフラマは嬉しさと恥ずかしさと、少しだけ懐かしさが混じって複雑そうな顔をする。


「話しすぎだろ、ほんと。でも……兄貴らしいか……」

「昔からあんな感じなの?」

「……そうだな。ウザいぐらい俺に構ってたから」


 言葉とは裏腹に嬉しそうに表情を緩めるフラマにかける言葉を探す。しかしイリスは結局ありきたりなことしか言うことが出来ない。


「早く、クリムを見つけようね」

「そうだな。しかし、兄貴はいらんことまで話してそうだな……」


 そもそも初恋のことをなぜクリムが知っているのかが疑問だ。フラマは話したことは絶対にないはずなのに、バレていたことに驚愕する。

 眉間に皺を寄せて唸るフラマの様子が、どこか幼い子供を連想させる。兄であるクリムが関わってくると普段とは少し違う姿を見せ、それが微笑ましくも思える。


「……だからかな。フラマが優しいことも心配性なことも、努力家なことも、負けず嫌いなことも、わたしちゃんと知っているよ」


 気がつけばイリスは穏やかにフラマを見つめ、微笑んでた。

 たとえば犬の恐怖に打ち勝つために毎日山の中で猛犬相手に特訓をしたり、兄のクリムが王都に出掛ける際は必要以上に持ち物や道中を気にかけたことも知っている。

 確かに全部兄のクリムから聞いた話ではあるが、実際に会ってみてその通りだということも分かった。

 クリムの話もあって、出会って間もないはずなのに時折昔から知っているかのような錯覚をしてしまう。


「……まあ俺もイリスのこと結構知ってるけど」

「へ?」


 今度は反対に唐突に言われ、イリスは呆けた声を出す。そしてフラマはなに食わぬ顔で彼女と同じように挙げていくのだ。


「本を読むことが好きで」

「うん」

「意外と世間知らずで」

「……そうかな?」

「魔法に詳しくて」

「まあ、そうかもね」

「子供も好き」

「間違ってないね」


 簡単なやり取りに、一部を除けば全て正解だ。ただ、世間知らずということには些か疑問が残り口を尖らせる。


「なんというか、知識として知っていても実際には知らないって感じだ」


 そうフラマが説明してやれば、イリスは考え込むように押し黙った。


「あとは好奇心旺盛でお人好し」

「そう、かな?」

「甘いものが好きで雷が嫌い」

「……別に怖いわけじゃないよ」


 本当は暗闇に浮かぶ激しい光と低い音が怖いと感じるのだが、イリスは素直に認められず不貞腐れた顔をする。

 それが可笑しくて、フラマは少しだけ笑った。


「怖いなんて言ってない。嫌い、だろ?」


 そう付け足せば、イリスは少し恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。それにまたフラマは笑い、窓の外を見た。気がつけばずいぶん時間が経っていたようで、雷は既に静まっている。


「雷も鳴ってないし、部屋に戻るか」


 フラマにそう促されれば、彼女は素直に頷いた。そして同時にやはりフラマはイリスを気にかけてここに来てくれたのだと確信する。

 それが少しだけこそばゆく感じたイリスは気づかれないように微笑む。


「……やっぱりフラマは優しいなあ……」

「何か言った?」

「なんでもないよ!」


 それぞれの部屋の前につき、無意識に出た呟きを隠すようにイリスは笑った。

 咄嗟に作った笑顔を見て、フラマはふと思い出したかのように付け加える。


「……そう言えばもう一つあるな」

「何が?」

「イリスはよく笑うな」


 先ほどの話の続きだろうかと、首を傾げつつも肯定する。彼女自身それなりには自覚しているのだろう。


「それがどうかしたの?」

「……いや、なんでもない。おやすみ、イリス」

「変なの。……でも、ありがとう。おやすみなさい」


 疑問符を浮かべながらも、傍にいてくれたことに感謝を述べる。そしてイリスも寝る前の挨拶を口にし、心置きなく部屋へと戻った。

 それを見届けたフラマは部屋の扉を閉めながら直接言えなかった言葉を口にする。

 イリスはよく笑顔を見せる。その笑顔にはいくつかの種類がある。それはきっと誰にでもあるものだ。ただそのなかで、フラマが最も目につき、嫌だと思うものがある。何故ならそれが自然と完璧に見せているから。本人がそれを自覚しているかは知らない。


「……嘘の笑顔」


 知りたくもないものを、知っている。


◇◆◇


 わたしは今日のこときっと忘れない。


 今日までのこと、なに一つ忘れるつもりなんてないけれど。


 それでもやっぱり今日のフラマを覚えている。


 だって、改めて決意した瞬間だから。


 フラマもクリムも本当に優しい。優しい兄弟だね。


 優しすぎて、辛いよ。


 貴方達を悲しませたくないよ。


 だから、絶対にクリムを見つけるわ。


 クリムとフラマと、そしてわたしの為に。

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