第三十四話 眠れぬ夜の音
アガサスが部屋に戻ったあとも、残りの三人はゆっくりと夕食をとりながら談笑をしつつ時間を過ごしていた。
いつもなら時間が空けば大抵がフラマとヴァンの組手の時間となるか、たまにイリスがヴァンに魔法を教えるかのどちらかである。しかし現在宿の外は激しい雨が降り続いている。室内で暴れまわるわけにもいかないので、イリスが魔法に疎い二人に簡単な座学をするに留まっていた。
現在は現代魔法と古代魔法の違いを説明中である。
「古代魔法の中には召喚魔法なんてものもあるんだけど……これはこの世界に存在しないものを呼び出す魔法だって言われているよ」
「存在しないもの、ですか……?」
曖昧な表現に首を傾げるヴァン。それにイリスは苦笑しながら言い足す。
「そうだね……たとえば物語に出てくるような存在、かな?」
「ドラゴンとか魔王とかですか?」
昔読んだことのある本に登場していた存在を思い浮かべ、ヴァンは半信半疑ながら訊ねる。
様々な物語に竜、悪魔、天使、聖霊、といった存在が登場するが、もちろん現実の世界にそういったものは存在しない。
「本当かどうかは分からないけど、すっごい昔はそういったものが存在していたらしいよ? で、人前には普段姿を現さない存在を呼び出す為の魔法が召喚だったんじゃないかって推測されているの」
そこまで研究者に推測はされているが、確固たる証拠もなければ実証することも出来ていないので、そこで研究は滞っていると聞く。
「もしかしたらアガサスさんだったらもっと詳しく知っているかもしれないね」
正規の研究者として勤めている間は古代魔法を調べていたと以前言っていた。どの古代魔法かまでは聞いてなかったが、それなりの知識を有しているだろう。
「って、フラマ、そんな嫌そうな顔しなくてもいいと思うよ……」
あからさまに顔をしかめたフラマに対し思わず苦笑いせずにはいられない。
「で、でも、本当にそんな召喚が出来たら凄いことですよね?!」
慌てて思いついたように声を出すヴァンにイリスは眉を下げた。
「……本当にね。でもそんなのが出てきたらみんなパニックになっちゃうよね」
「そうですね……どうしたらいいんですかね?」
研究が滞っている原因の一つはそこだとイリスは密かに考えている。
仮に召喚魔法が成功したとして、そのあとの対処法が不明な為、踏み込めないのではないのだろうか。本当に竜や悪魔が出てきたら、現代魔法でどうにか出来るとは考えにくいのだ。
「本当にどうしてらいいんだろうね……」
想像しても思いつくはずはない。出ない答えを求めるように窓の外に広がる雨の世界を静かに眺めた。
時折聞こえる雷鳴に混じってヴァンが欠伸を噛み殺す音が聞こえる。
その様子にフラマは苦笑し、促した。
「部屋に戻るか」
寝るには少しばかり早い時間帯ではあるが、たまにはこんな日があってもいいだろう。
イリスも特に異論することなく、三人は二階にある宿の方へ戻る。
「……おやすみなさい。フラマ、ヴァン」
イリスがそう告げるとそれぞれの部屋に姿を隠すのだった。
◇◆◇
パタン、と扉が閉まる。
閉じられた扉を背にし、薄暗い部屋の中を見る。ベッドと小さな机と一つの椅子、そして壁際にある小さな窓からは雨の叩きつける音と、そとの暗闇に光が走る。
「……嫌だなあ……」
窓の外を見つめては、イリスはため息をついた。
暗闇に雷鳴が走れば少しだけ肩を震わす。
アガサスに指摘された際、咄嗟に否定の言葉を出したが、イリスは雷が嫌いであった。正確には、独りでいる暗い部屋に響く雷鳴と雷光が嫌いなのだ。
だから明るい部屋や多数の人がいる場所で雷を目にしたところで、驚きはしても怯えることはない。食堂にいれば大丈夫だったのだ。
しかし部屋に戻り独りになってみると、嫌だと思う気持ちが溢れてくる。
「……どうしよう……」
思い切ってフラマ達の部屋を訪れるか。変な目で見られるかもしれないが、なんとか誤魔化せるかもしれない。せめて雷鳴が聞こえなくなるまで、と思うがそれはいつのことか。下手をすれば一晩中かもしれない。それは眠そうなヴァンをいつまでも起こしてしまうことになるかもしれず、申し訳ないと思い直し、選択肢をなくす。ではアガサスの部屋かというと、そこにはなんとなく気が進まない。
「……っ!」
考えている間に一際大きな音が鳴った。それから何度も雷光が窓から差し込み、思わず部屋を飛び出す。彼女の両隣の部屋にはそれぞれ旅の供がいるが、どちらの部屋にも行くことはできず肩を落とした。
例え窓がなくても、聞こえてくる雷鳴にイリスはどうしようもなくなって、一先ず先ほどまでいた食堂に行くことにする。
この建物は二階・三階が宿となり、一階が受付と食堂を兼ねている。食堂は宿泊者向けに夜遅くまで営んでおり、深夜の時間帯は酒場となるそうだ。生憎、本日の天候により外からの来店者は少ないが、予想外の宿泊者数が出来たことから、所々席が埋まっていた。
部屋にいるよりかはマシと考えたイリスは、空いている席について閉店間近まで居座ることに決める。
深夜まで営業しているとはいえ、一晩中ではない。残り時間はあと五時間ほどか。それまでに雷が終わっていますように、と密かに願いながら店員に暖かい飲み物を頼んだ。
程なくして一つのマグカップがイリスの前に置かれる。中身は甘いココアである。
マグカップを手で包み、暖かい湯気を軽く吹きながら少しだけ口に含んだ。その温度と甘みが心を落ち着かせる。
窓の外を見つめたが、ここにいる限りこれならなんとか耐えられそうだ。しかし勢いで部屋を飛び出してきたはいいが、なにもすることがない。話し相手もいなければ、時間潰しに読む書物もなかった。
「しまった……本でも持っていればよかったな」
長ければあと五時間弱はここに居座ることになるのだ。流石に手持ち無沙汰すぎるだろう。部屋に戻れば何冊か本があるのだが、いつ雷が落ちるかわからない中、あの部屋に戻るのは嫌だと思う。
「ああ……もう……」
呟いて、思わずテーブルに突っ伏す。温かい飲み物で少し気が緩んでしまう。
このまま眠ってしまえば、もしかしたら雷なんて気にならないかもしれない。閉店時刻になれば、店員が見兼ねて起こしてくれるだろう。むしろ出来れば、気が付いたら朝になっていて、青空が広がっているといいなとさえ思う。なんとも都合がいい考えにイリスは自分で呆れなくもないが、身体を起こす気になれず、そのままでいた。
暫く思案して、もうしばらくこのままでいよう、と身動きをせずにいる。
そしてそこまで考えて、イリスはその瞳を閉じたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます