第三十一話 天才と少女


 部屋の入り口からは僅かだが煙が入り込んでいる。外の通路から流れ込んでいるだろう煙を背景に一人の少女が入り口を塞ぐように立っていた。

 桃色の長い髪を黒のリボンでツインテールにし、髪と同色の長めのワンピースには黒のレースとフリルがふんだんに盛り込まれている。一見動きにくそうな服装をしている少女はイリスよりも少し年下だろうか。橙色の瞳を輝かせながら軽快な足取りで部屋の中に入ってきた。


「ごきげんよう、みなさん」


 少女の口から鈴を鳴らしたような可愛らしい声が発せられる。

 呆然としているフラマやイリス達に対し小首を傾げ、その傍らに立つアガサスを見て嬉しそうに笑った。


「あなたがアガサス・カルレウム?」

「そうだけど、君は誰かな? 招待した覚えはないよ」


 若干の苛立ちを込めて問えば少女は微笑し、さらに近づいてきた。


「私はモネ。はじめましてね。あなたに用があったから押しかけさせてもらったわ」

「……なんの用かな?」


 アガサスの目の前で立ち止まったモネと名乗る少女はゆっくりと手を差し出した。その小さな手には大きな赤い石のついた指輪が嵌められている。


「私と一緒に来てくれないかしら?」


 突然の申し出にアガサスは動じることなくモネを見据える。

 モネはイリスよりさらに身長が低く、アガサスからするとだいぶ見下ろす形となってしまう。


「なぜ僕が君と一緒に行かないといけないのかな?」


 全く心当たりのないアガサスは至極当然の質問をした。

 それに対しモネは再び小首を傾げる。


「さあ? 理由なんて知らないわ。ただ先生がアガサスを連れてこいって言ったから、私はそれに従っただけだわ」

「……先生?」


 怪訝そうに問えばモネは嬉しそうに手を合わせた。


「ええ、そうよ! 先生はとっても凄いの。だからアガサス、あなたは一緒に来ないといけないわ! ねっ?」

「そう言われてもね……その先生って誰かな? 僕は知らない人の所に行くつもりはないよ」

「そんなの一緒に来ればわかるわよ。拒む理由がないわ」


 無理矢理な理由を押し付けてくるモネに対し、アガサスだけではなく成り行きを見守っていたフラマ達も眉を顰めた。

 そして自信に満ち溢れている少女の顔を見てため息をつく。


「残念だけど、僕は君とは行けないよ。悪いけど帰ってくれないかな?」


 あくまでも穏やかに言うアガサスに、モネはその表情を曇らせた。

 そして再び手を差し出す。


「そう……本当に残念だわ。でも、あなたは絶対に私と来なければいけないの。だって先生がそう言っていたんだから!」


 差し出されたモネの手の平から赤い光が球体として現れた。

 それを見た瞬間、アガサスはヴァンを、イリスはフラマの手を引き飛びのいた。

 彼らがその場を離れた瞬間、モネの手から赤い球体が投げられ爆発と共に弾ける。

 部屋には爆音が響き、爆風が立ち込める。


「なんっ……だ!」


 爆風に煽られながらも隣に立つイリスを支えながら踏みとどまったフラマは目を見張った。彼女に手を引かれていなければ、今頃あの爆発に巻き込まれていただろう。

 フラマが爆発のあったさらに奥を見れば同じようにヴァンを支えているアガサスの姿があった。

 ヴァンの無事を確認し安堵したのも束の間、再び赤い光が見えて爆発が起こる。

 今度はイリスに手を引かれる前に、フラマが彼女を引き寄せて飛びのいた。


「ったく、一体なんだっていうんだ!」


 イリスを支えたまま悪態をつけば、彼女も顔を渋らせて唸る。


「もう……本当に無茶苦茶だわ」

「あれは? 魔法か?」

「……たぶん中級程度の攻撃魔法だと思う……」


 イリスのはっきりしない物言いに首を傾げたくなったが、その前に再び爆発音が鳴り響いてそちらに目を向ける。

 見ればアガサスとヴァンがいる方で爆発が起こっていた。

 間一髪のところで二人はその攻撃を避けていたが、連続して赤い球体が放たれる。

 フラマが危ないと思った時には、いつの間にかアガサスも赤い球体を現しては投げ放っており、空中で二つの球体がぶつかり合って大きな爆発を起こした。

 その爆発で建物の天井は弾け飛び青空が広がる。

 風が吹き抜け砂煙を散らし、太陽の光が差し込んで周囲を明るくした。


「さ・す・が」


 部屋の中にあったものは全て吹き飛び、瓦礫となった空間にモネは何事もなかったかのように立っていた。

 そして変わらず可愛らしい声を発して不敵に笑う。

 吹き抜ける風が少女の長い髪とスカートを靡かせていた。


「攻撃魔法を打ち返してくれる人ってあんまりいないから新鮮だわ」


 手を合わせて喜ぶモネは軽快なステップでアガサス近づき瞳を輝かせた。そしてその隣にいるヴァンを見てなぜか頭を撫でる。


「ねえねえ、この子だれ?」


 突然頭を撫でられたヴァンは驚きされるがままとなる。

 しかしモネは笑顔のまま恐ろしいことを口にする。


「この子アガサスの大事な子? ねえ、頭吹き飛ばしてもいい?」


 その言葉に恐怖しヴァンはその手から離れようとしたが、モネの小さな手はしっかりとその黒髪を握りしめていた。


「それは脅しかな?」

「さあ? どうかしら。ねえ、一緒に来る?」

「……だから行かないって。それにこの子のこと、僕はあんまり知らないよ。あっちの連れだからね」


 そう言ってアガサスはフラマの方に目をやった。モネも目だけそちらに向ける。少し離れた場所にモネを睨み付けるフラマとイリスの姿があった。


「どういう関係?」

「知り合いの弟かな。お兄さんを探しているんだって。君は知っているかい? クリムという王国騎士を……」

「クリム!!」


 その名を聞いた瞬間モネは目を見開き、アガサスとフラマを交互に見つめた。

 そして何を思ったか、ヴァンの髪を手放し軽快なステップを踏んだまま今度はフラマの方へと近づいた。


「へえ。ふーん。そうなの」


 フラマの前で立ち止まると上から下へと隅々まで見る。

 凝視されたフラマは思わず一歩下がってしまった。


「あなたがクリムの弟……結構かっこいいわね」

「……兄貴を、知っているのか?」

「名前だけね」


 そう言って次にフラマの隣に立つイリスへと目を向ける。


「こっちの子は? あなたの彼女?」

「いや、違う」


 フラマの即答にモネは満足そうに頷き、イリスを見て失笑した。

 フラマの発言か、モネの態度か、それとも両方か知らないがイリスはその顔を不満げに歪める。

 だがそれには気にも留めず、モネは振り返りアガサスに笑顔で告げた。


「今日は帰るわ。また日を改めて迎えに来るわね」


 どういう風の吹き回しか知れないがそれだけ言うとモネはフラマの手を引き、その頬に唇を寄せた。


「次はフラマ、あなたも一緒に迎えに来るわ」


 その一瞬の出来事にフラマもイリスも固まり反応が遅れてしまう。

 先に我に返ったのはイリスの方だが、その時にはすでにモネは颯爽と駆け出していた。

 後を追いかえようにも不自然な砂煙が立ち上がり、それが収まる頃にはモネの姿はどこにも見当たらなかった。


「なんなの、あの子……」


 イリスは呆然と立ち尽くして小さく呟く。そして不満げにフラマを見た。


「……なに」

「……別に」


 物言いたげな眼差しに今回は訊ねる。しかしやはりイリスは言いたい事を何も言わないのだ。

 そんな一連の様子を傍目で見ていたアガサスは小さく笑いながら二人に近づいた。その後ろからはヴァンが不安そうに続く。


「弟君もなかなか大変だね」

「……それほどでも」


 素っ気無く答えるフラマの様子にアガサスは更に笑いが込み上げてくる。

 フラマは何がそんなに可笑しいのかと怪訝にしていると、ぽん、とその肩にアガサスの手が置かれた。


「なんか面白そうだから、僕も暫く君たちについて行くよ」

「……はっ?!」


 そんなことを突然言われてフラマは驚き飛びのく。驚いたのはもちろんイリスやヴァンも同じだ。


「なんでそうなるんですか……?」


 イリスが怪訝そうに問えば、アガサスは目を細めて彼女を見る。


「そうだね、君のことがもっと知りたいからかな」

「はい?」

「それに久しぶりにクリムにも会いたいし。ここにはもう居られないしね」


 アガサスが周囲を見回しながら言うと、確かにその通りだった。建物の原型をほとんど残していない、ただの瓦礫の中に居続けることは出来ないだろう。


「まあ、君たちがなんと言おうが勝手について行くから気にしなくていいよ」

「……なんかどっかで聞いたことがあるような……」


 自由勝手なアガサスにフラマは親近感を覚え、イリスをちらりと見る。だが彼女は目が合うとすぐに逸らしてしまい、明後日の方角を眺める。

 なぜか可笑しな展開になってしまい、ため息が自然と零れた。


「……僕は欲深いからね。望んだことは何一つあきらめることができないんだよ」


 意味深に笑うアガサスを目にして、フラマの頬が引きつるのもこの際仕方がないのだ。

 考えたくもないが、そういうわけにもいかず、どうしたものかと頭を悩ませる。

ふと瓦礫をぼんやりと見ているヴァンの姿が目に入った。


「……研究資料、なくなっちゃいましたね」


 その小さな呟きに瓦礫の中に消えていった存在を思い出し、フラマは今度こそ考えることを放棄した。

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