第二十八話 月を背にする研究者
アガサスを追うと不本意ながら決まってしまったのでフラマは気持ちを切り替えて周囲を見る。
街中で赤い光りが点滅しているが、ここでぐずぐずしていては絶対的に追うことなど出来なくなるだろう。
それ以前に警備隊に捕まえることが出来ない存在を一般人のフラマ達が追いつくことなど果たして可能なのか。
「フラマ、たぶん大丈夫だよ。なんとかなるよ」
「何を根拠に……」
フラマの考えを読み取ったように言うイリスに怪訝の眼差しを向ける。対する彼女は空を見上げて四方に点滅している赤い光りを見比べた。
「やっぱり……」
そして一つの方角を見つめて目を細める。彼女が見る方向にもやはり赤い光りが点滅していた。
「とりあえずあっちに行ってみよう!」
「なんで?」
「あっちの方角で上がっているのが魔法だからだよ!」
イリスの言う意味が分からずフラマは首を傾げるが、その場にいる研究者二人は理解したようだ。
「なるほどな! しっかしよくわかったな!」
「それも流石アガサスといったところかしらん?」
ジャックとマリーがそれぞれ感嘆の声をあげるが、ますますフラマには理解し難かった。
「説明はあとだよ!」
イリスはそう言うとフラマの腕をとり問答無用で走り出す。いきなり引っ張られたフラマは瞬間よろめきながらも後に続いた。
その場に残されたジャックとマリーは二人の背中を静かに見送るだけだった。
◇◆◇
暫く走った後、速度を落としたイリスに従ってフラマも足を緩める。そこは研究施設が建ち並ぶ裏通りで、遠くの方で警備隊の声が聞こえてもこの通りにその姿はなかった。
赤い光りが頭上から注がれる以外は何もない暗い道の周囲を見ながら、イリスは未だ複雑な表情をしているフラマに説明を施す。
「この辺に上がっていた信号だけ他とは違うものだったんだよ。ほとんど差はないから分からないんだけど……よく見たらわかる人には分かるよ」
警報信号は云わば人工的なものである。全てが同じ色合い、光り具合、点滅具合といった感じだ。しかしここだけが他と違ってより濃い赤の光りを出していた。
そう言われたフラマはもう一度空を見上げ近くの赤い光りを目を凝らして見る。確かに遠くの光りに比べると若干ではあるが濃い気がした。しかしそれも本当に些細な程度で、気のせいと言われればそれまでだ。
「この光りは個人が魔法で作ったもの。似せようとはしても、個の魔力が表れた魔法だからそれぞれに差が出てくるものなの」
魔法の世界はとても奥が深いのだ。だから世間が魔法から疎くなったとしてもそれに魅せられる人が後を絶たないのも事実なのである。
「それでも僕は君が凄いって褒めてあげたくなるよー」
突然、声が降ってきた。フラマでもイリスのものでもない。
驚いて周囲を見回したが声の主らしき人物は見当たらなかった。
「僕としては自信作だったんだけどなー」
どこからか響く声に検討が付かない。だがここで先に動いたのはフラマの方だった。
周囲は広大な敷地を囲むように塀がずっと続いている。目を細めて突然走り出したフリマにイリスも慌てて続いた。
そして手前にある脇道を曲がってすぐのところ、高い塀の上にその人物はいた。
いつの間にか赤い光りは消え、月がくっきりと暗闇に浮かぶ。月の仄かな光りがその人物の姿を顕にする。
ひょろりと高い身長に群青色の髪を靡かせ儚げな印象を抱かせる。しかし薄い眼鏡の奥には灰色の瞳が楽しそうに輝いていた。
ふと頭をよぎるのは研究者達が話していたアガサスという名前だ。
「そっちの君は勘がよさそうだねー」
呑気な口調で話しているが、その服装が意外なものでイリスは眉をしかめる。恐らく研究所に忍び込んだと思われる人物だろうが、なぜか彼を追っているはずの警備隊の恰好をしていた。それだけでなく、その顔をどこか見たことあるような気がする。
「昼間の時に怪しいと思っていたけど……そういうことか」
「昼間?」
剣呑な雰囲気を纏ったフラマが独りごちると、イリスは首を傾げその言葉に思い当ることを思い出そうとした。
「……あ! もしかして案内板の前で?」
この街に着いてすぐ、案内板の前で出会った警備隊である。ほんの数分間話しただけで、記憶は頭の隅に追いやられていた。帽子を深く被っていたせいで顔もはっきりと見たわけでなかったが、言われてみれば確かにあの時の警備隊であった。
「正解だよ。やっぱりあの時から怪しまれていたのか。まあ、別にどうでもいいんだけどね。僕はなんとなく、また君たちに会える気がしていたよ」
「……どういう意味だよ?」
今は帽子を被っていないのでその顔が可笑しそうに笑っているとすぐにわかった。まるで今の状況を楽しんでいるようだ。
「君を見ているとあの男を思い出したんだ。それにそっちの彼女も興味深いしね」
「あの男って……」
「ところで、君たちは僕を追っているんだよね。研究資料を返してほしいのかい?」
フラマの呟きを無視し、男は笑いながら訊ねる。それにイリスは訝しがりながらも聞き返す。
「じゃああなたが盗んだんですね」
「盗んだわけじゃないよ。ちょっと拝借しただけで、あとできちんと返すさ」
男の言い分に二人は顔を顰める。その様子を見て男は更に可笑しそうに、今度は声を出して笑った。
「返すつもりなら、今返してください。マリーさん達が困っています」
「ああ、マリーか。懐かしいなあ。ちゃんと返すからちょっとだけ待っていてと彼女に伝えてよ。ああ、なんだったら君たちが取りに来てもいいよ」
「はい?」
名案と言わんばかりに手を叩いて男は言う。またもや話が何かおかしな方向に進みそうな予感を感じ、フラマだけでなくイリスも身構えた。
「なんとなく察しているだろうけど、僕はアガサス。君たちを僕の研究所に招待するよ。まあ、仮の研究所だけどね。そこにおいで。そんなに遠くないから」
「意味が分からんな」
「返してほしいんでしょ? 取りに来たら返すよ。それに君はあの男のことも知りたいんじゃないのかな?」
目の前の男は推測通りアガサスと名乗った。
その口から出たあの男とは、やはりフラマが思う人物のことだろうか。その疑問を表情から読み取ったのかアガサスはわかりやすいように教えてやる。
「確かクリムとか言ったかな。どう? 興味がそそられるでしょ?」
言葉を返さずとも、フラマとイリスは間違いなく反応を示した。それを了承と受け取ったアガサスは手を掲げ赤い光を灯らせる。
「じゃあ待ってるよ。そうだね……明日の昼頃に東の湖においで。迎えをやるよ」
そこまで言うと手の中の赤い光をフラマとイリスの方へ放り投げた。
二人は驚き咄嗟にその光を避ける。
ちょうど二人の間に赤い光は落ち、小さな火花を散らして弾けた。
「ちょ……街中で攻撃魔法使うなんて、どういうつもり?!」
殺傷力は低いが、当たれば火傷するぐらいの初歩級の攻撃魔法である。初歩級と言えど、特別な許可がない限り、大きな街から小さな村まで攻撃魔法の使用は禁止されているのだ。下手をすれば犯罪者扱いされかねない。
「ははは。大丈夫だよ、それじゃあね」
驚きで声を上げるイリスを他所に、アガサスは楽しそうに笑った。何が大丈夫なのか分からないが、気がつくと彼の姿はその場から消えていた。
残ったのは暗闇に浮かぶ月だけだった。
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