第二十六話 酔い酔われ
昼食後、街を散策してみたが人通りは少なく研究者と思われる人物に出くわすことはなかった。街で見られるのは研究者ではない、そこに住む一般の人だ。どうやら夜遅くにならないと研究者は施設から出てこないらしい。
研究施設の方にも何件か訪ねてみたのだが、案の定門前払いを食らった。
完全に手詰まりとなった三人はとりあえず研究者が現れると教えてもらった時間帯まで宿で過ごすことにした。
「あれ、ヴァンは?」
イリスは自室の隣部屋のドアを軽く叩いた。そこに姿を現したのはフラマ一人である。ヴァンが出てこないことに首を傾げて尋ねると可愛らしい答えが返ってきた。
「寝てるよ」
「あらま。まあこの時間帯じゃあ仕方がないかな」
時刻は程なくして深夜になろうかというぐらいだ。小さな町や村だと一般的に寝静まっている時間帯である。しかしこの街ではこれぐらいになってやっと多くの研究者が施設の外へ踏み出すのだという。
起こすのも可哀想なのでヴァンはそのままにし、二人で街に繰り出した。
「不規則な生活リズムよね」
「全くだ」
不可解なものを見るようにイリスが言うと、フラマも全面的に同意を示す。
深夜の街は昼間よりも賑わっていた。昼間と同じ商業地区に足を踏み入れれば、どの店も開いている。街の住人達も研究者に合わせて営業をしているようだった。恐らくそのリズムが繰り返されることによって今のような環境になってしまったのだろう。
無関係の立場からすると理解し難いものがあるのだが、研究者というのはそういうものだと無理やり納得することにした。
「フラマ、あの店」
商業地区の一角に飲食店が密集している通りがある。その中でも一際賑わいを見せている店に二人は足を踏み入れた。
店内は小綺麗に装飾されているが、人が溢れて喧しい。これが昼間ほどの人ならば、ちょっと感じの良い店になるのだろうが、酒に集まる人々で台無しにされていた。
「あらん、見かけない顔ね……どこの所属?」
街で見かけたことのないフラマとイリスの顔に一人の女性が声を掛けてきた。白衣を着ておらず、胸元を大きく広げた服装で、一見しただけでは研究者とは判断出来ない。しかし所属を尋ねてくることからなんらかの関係者と伺える。
艶かしい姿をした女性は酒のために顔をうっすらと赤らめていた。
「ずいぶん若いじゃねえーか、研究者じゃねーだろ。店員か?」
「この店にこんな子達はいなかったわよん。ばかねえ」
「知るか、この酔っぱらい」
へらへらと笑う女性に対し隣に座る無精髭の男性は悪態をついた。
そして訝しげに二人を見る。
「おれはここに長くいるからなあ、大体の研究者の顔は知ってるはずなんだが……新顔かあ? 新人が配属されるなんて聞いてねえけどなあ」
あからさまに怪しまれて少々たじろいてしまうが、イリスはニッコリと笑みを作り弁明した。
「違いますよーわたしたちは旅人ってやつです」
「あ? 今時そんな奴いるのか?」
「現にわたし達がそうです」
「へー……」
それで興味が失せたのか男は飲みかけの酒に再び口をつけた。
逆に女性の方は興味を抱いたようで、身を乗り出してくる。
「ねえねえ、もしかして訳ありってやつ? 男女二人旅ってなんかあるわよねえ?」
「二人旅じゃないですけどねー訳ありちゃ訳ありかな」
イリスがそう答えると女性は嬉しそうに席を勧めてきた。話を聞く気のようだ。これは好都合なので二人は揃って席につく。
女性の名をマリー、男性がジャックと言うらしい。
「実はですね、ちょっと人探しをしていまして」
「人探し? あ、ちょっと待ってね。おねーさん、これと同じものあと二つねー!」
マリーは通りすぎる店員に声をかける。すぐさま同じものが二つ運ばれフラマとイリスの前に置かれた。
飲めと言わんばかりに勧められたので仕方なく口にする。アルコールの含まれた赤い液体は甘くて苦い。フラマは平然としているが、イリスの方は思わず顔をしかめることになってしまった。
「私が貴女ぐらいの時にはこれをずっと飲んでいたのよん」
「おまえは只の飲んだくれだろうが」
イリスよりも十は歳上と思われるマリーは自分のグラスの中身を一気に飲み干し、茶々を入れてきたジャックを睨み付けた。
「こんなオジサンほっときましょ。それで、誰を探してるの?」
「実は兄を探してます。俺によく似ているらしいんですけど……どうやら南の孤島にある研究施設に向かったかもしれないって聞いて。何か知りませんか?」
「お兄さん……? そうねえ、貴方に似ているんだったら結構格好いい男なんでしょうねえ……」
そう言う彼女はフラマを上から下まで眺めてうっとりと笑う。それにフラマは乾いた笑みを浮かべた。
「残念だわ……いい男のことは忘れないんだけど、記憶にないのよねえ」
「そう、ですか。研究施設のことは聞いたことありますか?」
若干肩を落としてしまうが、そんな簡単にいくはずもないので仕方がない。フラマは研究者二人に目を向けるとマリーはジャックの方を見た。
「あー、研究施設なんて結構あるからな。南って孤島だらけのとこだろ? そりゃゴロゴロあるんじゃねーのか」
ゴロゴロと研究施設はないだろうが、確かに南の方は孤島がそれこそゴロゴロと存在している。実際に有名な研究施設の別館があるという噂も聞いたことがあるほどだ。そのうちのどこかに目的の研究施設があると思われるのだが、絞り込むのは骨がおれそうなことだった。
「ちなみになんの研究してるとこだ? 内容によっては所在がわからんこともないぞ」
ジャックの申し出にフラマはイリスを見た。どこまで話していいものかと考えたのだが、彼女はフラマの視線を受けて小さく頷いただけだ。
ちびちびと赤い液体を飲んでいた彼女のグラスは半分も減っていないのだが、顔はうっすらと赤らんでいた。
その様子にフラマは嘆息し、近くの店員に水を頼んで彼女の前に置いておく。
イリスは差し出された水を不思議そうに見ていたが、やがて赤い液体のグラスを脇に置き水の方に手を伸ばした。
「優しいわねー羨ましいわ」
にやけた顔のマリーに冷やかすように言われたが、フラマはそれには反応せず話を続けた。
「『奇跡を呼ぶ花』って知ってますか? それに関係する何かを研究してると思われるんですけど」
「そりゃまた……古い話が出てきたなあ」
邪険にされるかと思いきや、研究者二人は意外そうな顔をするものの、案外すんなりと答えてくれるようだ。
「そうよねえ……一昔前にブームになっていたのは知っているけど、今の研究者じゃ関わっている人なんてほとんどいないわよねえ」
「そりゃそうだ! おれが研究者になる前の話だかんな! ま、禁忌になるかもしれないことに全うな奴は関わらないさ。好んで追放者にはなりたくないだろうよ」
鼻で笑うジャックにマリーも同意のようだ。
そこで話は終わりといった感じで各々が飲み物を口にしたところで、マリーは不意に思い出したように一人の名前を呟いた。
「アガサス……」
「あん?」
フラマにはその名が聞き取れなかったのだが、隣のジャックには確かに聞き取れたようで、訝しげにマリーを見る。
「ほら、昔いたじゃない。確か彼も『奇跡を呼ぶ花』を愛読していたわ」
「……ああ、あの変人か……」
記憶を少し遡り思い出すのに十数秒かかったが、ジャックはつまらなさそうに頷いた。
「確かに変人みたいなものだったけど……彼は天才だったのよん。ただ、そうね。天才が故にってことかしら……」
言葉を曖昧に切り、寂しげな顔をするマリーにフラマは首を傾げた。
「その人がどうかしたんですか?」
「……追放されちゃったのよん。詳しくは知らないけど、禁忌に触れてしまったらしいわ。その時のアガサスはあの本に執着していたようだから……もしかしたら何か知っていたかもしれないわねーって思ったのよん」
マリーの言うことは分かるが、その人物は現在追放されてしまっている。一度追放された者は如何なる理由があろうと正規の研究施設に足を踏み入れることはできない。そしてこの街に関して述べるならば、街自体に姿を現すことは難しいだろう。
「だがあいつは変わってるって言うからな。もしかしたらひょっこり街に現れるかもしれないぞ」
「あらん、そうなると警備隊は大変ねー」
他人事のように話す二人の会話に耳を傾けながらも、フラマはその名を心中で何度か呟いていた。
「ま、所詮おれらが知ってるっていうのはこれぐらいだ」
「大したこと話せなくてごめんなさいね……」
フラマは首を横に振り、それぞれに礼を述べる。元よりそれほど期待していなかったので落胆することもあまりなかった。
そう伝えようとしたところで、ジャックと同じ年頃の男性がひそひそと彼に声を掛けてきた。
「おい、ジャック。聞いたか?」
「……何をだ?」
ジャックが振り返ると年配の男性が声をひそめてくる。顔見知りのようですぐに反応し、促した。
「追放者が現れたらしいぞ」
「はあ?」
「しかも第三研究所に侵入したらしい」
「なんだって?!」
耳を疑うような内容に思わず聞き返す。その声の大きさに周囲を一瞬静まり返るが、すぐに喧騒に包まれた。しかし近くにいたマリーは黙ったまま同じように驚きを表している。
「……いったいどこのどいつだ?」
なるべく目立たないように声を潜めたままジャックは訊ねた。
「はっきりとしないが……アガサスじゃないかって噂だ」
「アガサス……」
その名前にマリーとジャックは固まった。
それはまさしく今し方話していた人物の名だ。
「……とりあえず、研究所に戻るぞ」
「そうね……」
二人はそれ以上話さずそのまま席を立つ。
フラマやイリスに簡単に挨拶をし、急ぎ足で店から出て行った。
残されたフラマもすぐに立ち上がり、イリスを見る。彼女も同じ考えなのかすでに席を立っていた。
「行こう、フラマ」
若干顔は赤いままであったが、しっかりと話は聞いていたようだ。
そして二人も研究者の後を追うように店を出て行った。
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