其の伍 目的地はアーカム
異世界での二日目は雨から始まった。突き刺すような痛みを伴う氷柱と遜色のない雨は、数十秒の間隔でやみと降るを繰り返していた。リリスがいうには『朝雨』だとさ。太陽が起きる合図のようなもので、降らなかった日を知らないというリリスの横顔に口づけをする。はた迷惑な太陽だと思ったが、俺らの世界じゃ『恵みの雨』なんていうし、これはこれで有り難いのかもしれない。
「そんなわけで、朝雨が降ったら朝なの。ちなみに、昼雨とか夜雨はないわ」
「そうかい、そうかい。……なら、普通の雨はないのか?」
「普通の雨? あ、そうそう。雲雨のことね。それなら気紛れよ」
「分かった。諦める」
朝雨は時刻を知らせる意味にも使われてそうだな。太陽が起きれば雲を脱ぎ捨てる。雲を着て寝る状態が月なんだとよ。天からの水浴びではしゃいでいたアルラウネが戻ってきたし、朝雨もやんだようだから後片付けをしようかね。手早くな。相変わらず禍々しい色合いの太陽にうんざりする。歩き回った昨日と同じような気温に季節があるのかさえ疑わしい気分になってくるな。まあいいさ。なるべく早く、こちらの生活に慣れないといけないからな。俺と口づけを交わしたリリスは朝食を用意するといって河へ潜っていった。昨夜の魔獣が焼かれる匂いや味はいい。いかんせん、珍味を食べている気分になるのが難点だが。
「お? そんなに気に入ったのかね」
足元から懸命に登ろうとするアルラウネを摘まみ上げ、左肩に乗せてから移動の準備に取り掛かる。それらが整い終る頃に、リリスが魔獣を焼き始めていた。焼いたまま味付けをしないリリスと塩分の匙加減にうるさいアルラウネが揉めている。二人の味覚は外見と裏腹で面白い。適度に醤油を垂らしてひと口、二口と齧る。やっぱり美味い。特に足が美味いんだよ、こいつ。なんで唐揚げの味がするんだろうなあ。深くは考えないけどさ。なんか悔しいわ。
「そうそう。目的地のことなんだけど、やっぱりアーカムにするわ」
「最初はさけるんじゃなかったのか? 何か理由があんのか?」
強大な国家といえるアーカムではデミヒューマンが幅を利かせているため、それなりの勢力を作り上げるのは難しいという話だったはずだが────。
「ちょっと考えてみたの。聞いてくれる?」
「もちろんだ。聞かせてくれ」
俺を殺せる人物は二人────勇者と邪神に出逢うことが目的だが、どちらとも遭遇するのは難しい。特に邪神だ。逢う方法は目をつけられることだけである。あちらから見つけて貰えなければ簡単に逢えていい存在でもないから納得しているので、勇者に逢える策を練るほうが現実的だと話し合ったのが昨夜だ。こちらの世界を駆け回っているらしい勇者を探しながら、互いの常識を学びあうつもりだったのだがね。さて、リリス。やや俯き加減で上目遣いなんてしてないで、聞こうじゃないか。
「あのね。お風呂に入りたいの。────アルラウネに自慢したら入りたいって煩くって」
「ちょっと何をいってるか分からないんだが……詳しく聴こうじゃないか」
俺が汗水垂らしているとき、俺の邪魔をしたくなかったのか、暇だっただけだと思うのだが、自ら飛び降りて河へと歩き出したアルラウネがリリスに自慢しにいったらしい。朝雨を浴びる素晴らしさを淡々と語られたそうで、イラついたリリスが『お風呂って知ってる? 知らない? 知らないんだ?』と煽ったそうな。そこからは簡単だ。売り言葉に買い言葉である。本当に仲が良いから困るな。お前らは何がしたいんだ? 特に考えてなかったのはいわなくても分かる。その手の言い訳はいらん。
「だからね。お風呂、入りたいなあって」
「ど真ん中だな。……風呂自体はいい。俺も入りたいからな。だがな。他に方法はないのか? 他の場所でもいいはずだ」
「確かにそうね。シュウのいう通り、文化的な生活を送っている集落はあるわ、あるけどね。どうせなら、一番いいお風呂に入りたいじゃない」
「ど阿呆。却下だわ、そんな理由。もっと説得力を持たせろ。お風呂のためだけに敵地みたいな場所に向かうと? アホだろうが」
ふくれっ面でゴネても無駄だ。他の言葉を持ってこい。俺の目的に関係ない人を巻き込みたいとは思わん。
「アルラウネからもいってやって。この堅物を動かすのよ」
「知ってていってると思うが、俺はアルラウネの言葉が分からんから無駄だぞ」
なに驚いた顔をしているんですかね。呆れすぎて言葉が出てこないわ。それにしても、美人は得だねぇ。眉間を寄せて唸る姿さえもさまになる。その隙に残りの魔獣も食べてしまおう。お? アルラウネ。醤油を垂らしてやる。黙って食えよ。
「────他? 他の言葉よね。お風呂は健康にもいいし、肌ツヤを保つ秘訣にもなるから、シュウだって喜ぶじゃない? 昨夜も激しかったわけだし、触り心地って大事よね────」
俺のジェスチャーが伝わったようで、大きく頷いてみせるアルラウネと食べ尽くしてやる。欠片も残してやらないからな。だれがプレイで説得しろっていったよ。でっかい独り言だな、おい。
────結局、魔獣片手に独白していただけで、俺らが食い終ったことにさえ気付かなかったな。瞬きを繰り返したリリスが音を立てて魔獣を咀嚼し、俺とアルラウネを交互に睨み付けた。
「いいたいことがあれば聞こう」
「目的地はアーカムよ。いいわねっ」
目が据わってるじゃないか。華を左右に振るアルラウネが蹴飛ばされた。腹に据えかねているらしいので、抱き締めてやろう。リリスはな。意外と初なんだよ。すぐにしゅんとする。
「リリス、すまん」
「シュ、シュウ……あのね。その。除け者にされたらね。さみしいのよ」
「すまんな。悪かった」
「────ずるいのよ、それ」
風で靡く髪を丁寧に、髪の一本一本を意識して撫でつけていく。リリスの髪は癖になる。柔らかすぎない、程好い質感だからな。昨夜の眠る前もこうしていたら、気づかぬ間に眠っていた。正面から抱き締めあう静寂を破ったアルラウネが無理矢理、俺らの間に入るように身体を這っていく。こちらはお冠じゃなくて羨ましかったようだ。
「どうする、リリス。仲間に入れるか?」
「仕方ないわね。あたしの肩を貸してあげるわ」
────朝食の後片付けや俺の水浴びもすみ、リリスとアルラウネが仲良く会話していた。ひとしきり、じゃれあったからな。お互いに通じあう部分があったのだろう。詳細は知らない。訊かれなければ踏み込まないのが俺のスタンスだからな。
「そろそろ行くぞ」
「分かったわ。アルラウネ。その話は後にしましょう」
妖精に性別はないそうだが、アルラウネは女性の人格がある変異種だという。転生前ならリリスの足の爪ほどの実力だったとかいわれても、まったく実感がわかない。俺のレベルじゃ、キラーマンティスが精々だろう。まだ勝利したわけでもないから、俺が一番の雑魚だという事実だけは把握したよ。慎重にやっていくさ。
「それで? アーカムに向かうんでいいのか?」
「その前にね。寄りたいところがあるの」
「ほぅ。どこだ?」
「確か、『ミスカトニック』ってとこよ。最近できた集落らしくてね。アーカムと敵対しそうな雰囲気があるそうなの。通り道にあるみたいだからね。一度寄ってみたかったし、ちょうどいいかと思ってね」
「ふうん。そんなとこがあんのか。そこは近いのか?」
「まだまだ歩くわね。十日はかかるんじゃない」
「マジかあ。仕方ないとはいえ、疲れるな」
左手にある河沿いを歩く。右手の森林は相変わらず鬱蒼といしているうえ、羽虫が奏でる音が聞こえてくるようだ。どうやら、森林から出てくるキラーマンティスは希にしかいないようなので、ふとわいた一体と戦ってみることにした。リリスが見守るなか、異形の右手で顔を覆うように構えてにじり寄る。キラーマンティスは自重に負けているのか、数十センチほど浮き、周囲を警戒するように低空飛行をしていた。まだ気づかれていない。最大で最高の瞬間だ。
「シィッ」
結んだ唇から音が漏れる。振り抜いた右手はキラーマンティスを捉えられなかった。反射的だが、どこか無機物を想起させるように動くキラーマンティスの鎌のような両手が俺へ迫る。繰り広げられた攻撃を右手で防ごうにも、素早い動きに翻弄されてしまい、身体中から血が噴き出す俺には取れる手段は────特攻だっ。
「ねぇ、シュウ? もうちょっと綺麗に戦えないの?」
「これで精一杯だ。自爆特攻。もし死んだらラッキーだしな」
「呆れた。まあね。シュウの目的も叶うかもしれないし、そりゃあそうかもしれないけど……傷が再生されているわ。みて」
傷口が泡立ち、緑色のナニカが蠢いている。最初の死でみた夢。あれが気にかかる。あれ以来の俺は死ねなくなってしまった。あの不快で下劣のような叩く音、ナニカを吐き散らすよな笛の音色、一定の形を持たない変化し続けるさまをみる夢だ。アレらが発する音に返してしまった言葉をひどく後悔している。あの時にいってしまった。瞬間的で、本能的なものだったと思う。
────死にたくない。
「シュウ。ちょっとシュウ!」
「あ、ああ。すまん」
「どうしたの? あたしの声が聞こえてなかったようだけど?」
「何でもないさ。あ、そうだ。リリス。不定形のヤツで、眠り続けながら蠢いているようなモノに心当たりはないか?」
「なにそれ? 知らないわね」
「心当たりがあればいってくれ。あの夢をみたから死ねなくなった。そんな気がするんだ」
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