其の四 異世界珍道中?

 蒼い花の妖精あらため『』は名付けられたことが嬉しかったようで、大輪の花びらを撒き散らした。地上に降りた花びらが成長していき、次々と蒼く小さい花を咲かせていく。これが異世界。幻想的な光景に目を奪われてしまう。


「この瞬間は綺麗なのよね」

「確かに、綺麗だな」


 どこか穏やかな静寂が包むなか、アルラウネが小刻みに震えだした。次第に大きくなる揺れ。萎んでいく大輪にどうすればいいのか分からずにリリスの横顔を眺めた。射抜くようにアルラウネをみており、両手を握り締めている。唇をきつく結んだリリスが瞳を閉じた。何かが起ころうとしている。現状の理解が追いつかない俺は、立ち尽くしたまま瞬きを繰り返すことしかできなかった。


「シュウ、いい? そのまま待ってなさい」

「だがっ──分かった。黙ってる」


 アルラウネの震えが治まるまで、どれくらいの時間が経過したのだろうか。ひどくぼんやりとした気分になっている。リリスが右肩を強く掴まなければ、そのまま棒立ちになっていたのだろう。鈍痛を堪えながらリリスの顔色を窺うと、呆れたように息を吐かれた。


ね。さっきまでの身体じゃ動き回れないから身軽になったのよ。その分、しているわ」

「転生に弱体化……身体が萎んでるのが?」

「いつみても不快だわ。なんて」


 舌打ちをするリリスに気を取られていると、アルラウネが破裂する音で身構えてしまった。アルラウネが舞い散るさまが儚い。ふと気づく。アルラウネが産んだ咲き乱れる蒼い花のなかでも、一際目をひく一輪のがお辞儀していた。ゆっくりと茎や根を動かして近寄ってくるのが可愛らしい。掌サイズだな。足元まで歩いてきたので、左手に乗せてみよう。


「アルラウネの子供になんのかね」

「こいつがアルラウネよ。転生し終ったわけ」

「マジでか……お前がアルラウネか」


 華を上下に動かす仕草が変わらない。その辺の蒼い花は風にあおられる程度なのに、踊るように動くのはこいつだけだ。相変わらずといってもいい。華を振り回して喜んでいる姿に苦笑する。


「まあいいわ。これで連れて歩けるわね。行くわよ、シュウ」

「あっ、おう。分かった」


 左手から肩へ登ろうとしたのか、左腕に巻きつき上へ上へと蠢いている。息切れしたように項垂れる華が笑えた。好きにさせておくか。アルラウネに構っていたらリリスが歩き出していた。魔獣が潜む森林を避けて河沿いに行くからといって、置いていかれるのは困る。


「シュウ?」

「分かってる。すぐに行く」


 リリスの後を追いつつ、異世界の風景を楽しもう。この辺の草花は墨色が基調となるのか、全体的に暗めの印象を受けるのだが、藍色や黄緑色などの花もある。リリスがいうには墨色以外の花々は妖精らしい。という種族になるそうで。


 アルラウネを一瞥する。刺を生やした茎で登るため、コートが傷ついている。すまんな。このコートは一張羅なんだ、右腕に移動させよう。それにしても義手に分類していいのだろうか。質感はゴムとかタイヤのようで、が異形だが────感覚が鈍い。特に触感だな。右手で突いてみたアルラウネに何も感じない。


「ちょっとシュウ。嫌がってるじゃないの」

「お? あんだけケンカしても心配するのか?」

「違うわよ。痛い痛いって煩いの」

「マジか。すまん」


 右手で持ち上げて左肩に置いてやる。頬を突くアルラウネの抗議を流していたら、首に巻きついてきやがった。喉仏で咲く華にリリスが笑う。腹がよじれるんじゃないかってほど、声をあげて笑ってやがるリリスは無視して、投げ捨てられていたカバンを右手で拾った。やはり鈍い。腕力は左腕の数倍はあるだろう。カバンを握ったまま上下運動させても疲れらしい疲れを感じない。黄泉帰ったことで感情が希薄になるわ、義手というかリリスというか、身体能力も変化した気がする。これが悪魔化? いや、半悪魔化だったか。


「はあ、笑ったわ。本当に似合わないわね」

「バカいってないで、行くぞ」


 あの時、深緑の腕にしていたら、今以上の事態に陥っていたのだろうか。考えたくないな。


「はいはい。分かったわよ。カバンをちょうだい。シュウが持ってたら、殺されたり復活したりするのに邪魔でしょ?」

「いっておくが、殺される趣味はないぞ」

「そうよねぇ。弱いだけ……右腕を盾にすれば、それなりに戦えるんじゃないの? 攻撃は爪ですればいいし」

「右腕? そんな強いのか、これ」


 カバンを渡して右手を開閉する。手頃なところに木があるな。全力で振り抜いてみるか。物は試しだ。巨木と呼んでもいい木にぶつかる轟音、右手の指が鋭すぎたのか、抉れた木が倒れていく。何度も瞬きをして確認したが変わらない。感覚的には野球ボールを投げるようなオーバースロー。現実には倒れた木がひとつ。


「まあまあね。あの羽虫になら勝てると思うわ」

「あ、ああ。そうだな」


 これは練習しておかないと酷い目にあうだろなあ。右手をみつめて惚けていたのか、アルラウネが頬を突く痛みでハッとした。リリスに置いて行かれている。駆け寄って文句のひとつでもと急げば、鋭い視線を周囲にやっていた。声をかけようとした瞬間、リリスの右手が光っていることに気づく。羽音はなし。別の魔獣でも現れたというのか。


 ────は四足歩行の獣だ。パッとみた感じでは犬に思えるが、が縦に並び、胴長の。鳴いた。瘤のような泡から触手が生え、リリスに踊りかかる。光る手で捌ききるリリスの無表情とは対照的に、犬の目が瞬きを繰り返した。唸り声をあげて威嚇しているのだろう。リリスが嘲笑い、腕を振る。たったそれだけで弾き飛ばされていた触手が爆発していき、小さく鳴いて走り去っていった。


「今のも魔獣ね。あんまり美味しくないの」

「好き嫌いの話か? あの犬みたいなのも魔獣か……なんていうんだ?」

「魔獣に名前とか種族なんてないわ。魔獣は魔獣。それだけよ」

「さすがに不便だろ。俺なら名付ける」

「なら、シュウ。さっきの魔獣と羽虫の魔獣の名前は?」

「犬が『バンプドッグ』で、羽虫が『キラーマンティス』だな。どうだ?」

「なら決定ね。次からそう呼ぶわ」


 まことに遺憾である。リリスのぞんざいな対応に文句をつけながら歩いていく。一応、耳を傾けているのだろう。的確に相槌を打って流すのがうまい痴女はどうしてくれようか。


「うん? アルラウネか、どうした?」

「お腹空いたって。あたしにいわれても知らないわよ。シュウに頼みなさい」

「俺にいわれても困るだろ。何を食べるんだ? ラーメンの汁か? 他にあるのか?」


 さあ? 首を傾げるリリスが可愛い。さすが痴女だ。そのあざとさ、嫌いじゃないぜ。


「バカいってないで、どうするの?」

「どうするといわれても、何を食べるんだ? 俺の世界なら水と日光が栄養になるが……こいつは妖精だろ?」

「確かにそうね。妖精なんて以外にしたことがないわ。アルラウネ、何が食べたいの?」


 ひどく物騒なリリスの言葉は聞き流すことにして。アルラウネが希望したのはラーメンである。醤油ベースの極普通のラーメンだったけど、醤油にハマったのだろうか。試しに醤油を垂らしてみると華が回る回る。でかいボトルの濃口醤油があって良かったけどな。俺の料理にも使うから、強請られても無理。そんなにあげてやれん。早急に他の食べ物を教えてくれ。


「醤油には限りがあるんだ。他にないか? ラーメンもダメだ」

「他? 他ねぇ。なんかあるの? ちょっとアルラウネ。聞いてるの? はしゃいでないで、いいなさい!」

「塩分か? 塩分がいいのか?」


 はしゃぐアルラウネを叱るリリスとの道中が騒々しくて楽しい。陰湿な森林を避けて河沿いに進むことは正解だったようで、休憩の度に河の水が飲める。赤紫色とはいえ美味いし、適度に冷えているのだ。これ以上は望まん。強いていうのなら、魔獣が河から上がってくる光景がつらい。秋刀魚やマグロみたいな魔獣に両足があり、えっちらおっちらと口ずさみ、いや、鳴きながら歩いている姿だ。誰かの共感が欲しい。俺が思っていた異世界と違う。なんかこう、幻想的なファンタジーって共通認識があるだろ? 映画や物語とかで。


「なにいってるのよ。異世界は異世界。魔獣は魔獣。それ以上でもそれ以下でもないわ。シュウたちの世界でどう思われてようと、あたしたちに関係ある?」

「まあ、そうなんだが……」

「そんなことより、日が暮れるわ。休む準備をしましょう」

「日暮れ? まだ明るいだろ」

「あ、そうね。簡単にいうと


 この気持ちはどういえばいい?


「マジにいってんのか?」

「マジにいってるの。太陽が寝て、の」

「すまん。準備しながらでもいいから説明してくれ。かなり混乱してる」

「分かったわ。準備の合間に話すから」


 朱色の太陽は沈まない。うっすらと浮かぶ雲が集まり太陽を覆い隠していく。全て飲まれた太陽が月へと変わっていった。ドーナツの外側が碧く、中心はうっすらとした朱色である。組み立て式のテントの外で眺める異世界の空は異常だ。何度も思い、分かりきっていたことだけれど、改めて実感していく異世界の空気に俺の気持ちが動かされない。それもこれも、黄泉帰った経緯と半悪魔化のせいだろうか。それとも邪神が繋げた門か、リリスと出逢ったことだろうか。分からないことを考えても分からないままだ。こうして踏みしめる灰褐色の大地は硬い。コンクリートに土を撒いたような、足の裏が痛くなるはずの歩行すら苦を感じていないのだ。


 ────俺も日常も変わった。ただそれだけだ。


「うん? お前もいたな。……慰めてんのか? 落ち込んではいないよ」


 頬に華を擦りつけるアルラウネを左の人差し指で撫でる。河にいた魔獣を塩焼きにしているリリスが声をかけてきた。残念だが美味い。どうしてこう、いちいちグロテスクなんだろうかね、この世界は。


「どう? 食わず嫌いでしょ?」

「美味いのは美味い……が、納得はしてない」

「面倒な性格ね。みなさい。アルラウネは喜んでるわよ」

「こいつ。塩分なら何でも喜ぶだろ」


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