第18話 願わくば
翌日、永遠は昼になってもベッドで丸くなっていた。
「永遠ー、具合が悪いのか?」
ウサギを抱いたブリスがキルトに包まった永遠の顔を覗き込んだ。
「そんなことないわ」
ベッドに腰掛けると、丸くなった永遠が転がってきた。
「散歩、行かねえの?」
「外は寒いわよ」
ブリスは窓の外を見た。空は青く、高く、澄み渡っている。
「すげー天気いいぜ。上着着りゃあ寒くねえよ。それか俺が腕に抱いていってやろうか」
それでも永遠は丸まったまま動こうとしない。
今まで欠かさず散歩してたのに、寒いなんて下手な言い訳だ。
永遠はなんだか様子がおかしかった。
本当は病気のせいで体がつらいのだろうか? だが弱気な永遠なんて見たことない。いつもは自分の痛みを人に見せないし、心配をかけまいと気丈に振舞ってるのにどうしたんだよ。
ブリスにはわからなかった。それがもどかしくてならない。
手を伸ばし、丸くなったキルトに置いた。
「本当に具合は悪くないんだな?」
「ええ」
たった一言、だがその一言は雄弁に永遠の気持ちを物語っていた。
永遠に触れていた手を力なく膝に落とした。
こんな永遠を見たのは初めてだ。いつも思いやり深くて、自分を犠牲にしてでも相手を幸せにしようとする人なのに。
困りきってクリスチャンを振り返った。
クリスチャンは脚を組んで椅子にゆったりと腰掛けていた。
こんな永遠を見るのは久しぶりだ。月夜の晩にただ一人、物思いに耽っていた女が舞い戻ってきたかのようだ。
またスタートラインに逆戻りか…。
組んでいた脚を解くと滑らかに立ち上がり、永遠の被っているキルトを剥がした。
「おい、乱暴なことすんなよ」
ブリスの言葉は無視した。
「また生きることも死ぬことも、どうでもよくなったのか?」
キルトを剥がれた永遠は自分を抱きしめて丸くなった。
「ほっといて」
腕を組んで永遠を見下ろした。
「君は勝手な人間だな。生きたいと思ったり死にたいと思ったり、君の気分ひとつに振り回されて我々は迷惑だ」
ブリスは口をあんぐりとあけてクリスチャンを見ていたが、我に返ると慌てて訂正した。
「俺はそんなこと思ってない!」
黙っていろと伝えるためにブリスを睨みつけた。
「ごめんなさい。もう迷惑はかけないから私にかまわないで」
隠れ蓑を失った永遠は髪に顔を隠し、自分自身も見えないくらい小さくなれればいいのにと、さらに強く体を抱え込んだ。
「本当にいいのか? 本当にもうしたいことはないのか?」
踵に尻を乗せてしゃがみ、永遠の顔の位置まで目線を下げた。そして優しい口調でもう一度尋ねた。
「本当に?」
その口調につられて永遠は重い口を開いた。
「私…」
続かない言葉の先を促すように、顔を覆う永遠の髪をそっとかきあげた。
「なんでもいってごらん。わたしが君の願いを叶えてやると約束しただろう?」
永遠はしばらくクリスチャンの顔を眺めていたが、やがて唇の端がゆっくりと上がり、笑みを形作った。
「だめ」
眉をひそめて永遠の言葉を繰り返した。
「だめ?」
永遠は頷いた。
「お願いは三つだけなのよ。なんでもなんて、だめ」
眉間の皺がさらに深まった。
「なぜだ。わたしはそんなに懐が小さく見えるか? 好きなだけ願えばいい」
それでも永遠は首を振った。
「決まってるのよ。ランプの精だって三つしか叶えてくれないし、どんなお話でもたいていは三つなの」
「…人間の考えることはわからない」
永遠はクリスチャンの頬に手を添えた。
「人間は勝手だから。なんでも、いくつでもいいよっていわれたら、きっと願いを叶える方はてんてこ舞いになっちゃうからよ」
ヴァンパイアの笑みを浮かべた。
「さっきあんなことをいったからあてこすっているな。君は勝手な人ではないよ。あれは気を引くためにいっただけだ―効果はあったようだな」
永遠が手を引こうとしたところを掴んで指先にキスし、引っぱたかれる前にさっと身を起こした。
「さて、では一つ目の願いをどうぞ」
「これが永遠ん家かー。なんかいいな、落ち着く」
ブリスは永遠の家のソファーでくつろいでいた。足元にウサギをはべらせ、腕には叔母さん手作りのけばけばしいクッションを抱いている。永遠は忍び笑いした。
「そう? ゆっくりしてて。お茶でも淹れるから」
慣れ親しんだキッチンに立ち、蛇口をひねった。
「これ誰?」
振り返るとブリスは棚に飾られた写真たてを覗き込んでいた。
「おい、人のものを勝手に見るのではない」
クリスチャンはそういいながらも写真を眺めた。
近くに行って確かめる必要はない。目を閉じれば細部まではっきりと思い浮かべられる。
やかんを火にかけながら答えた。
「両親よ」
「じゃあこのちっちゃい女の子は永遠?」
「ええ、そう」
二人がその写真について、正確には小さい永遠について議論を戦わせるのを、聞くともなしに聞いていた。
あの写真は六歳の誕生日に家の前で撮ったもので、家族が揃っている最後の写真だった。その後、父が死に、母が死んだ。そして私も―。
ブリスが手にした写真たての隣は母と私だけ。その隣は私ひとりで写っている。父が消え、母が消えるごとに私の中のなにかも消えた。私も死んだら家だけの写真が飾られるのかしら。
いや、そうすればもう写真を飾る人はいなくなる。
「…ゎ。とわ。永遠!」
瞬きを繰り返すと二人が隣に来ていた。
「どうしたの?」
ブリスとクリスチャンは眉をひそめて顔を見合わせた。
「具合が悪いのか?」
クリスチャンが額に手を当てて熱を確かめた。頭を振って彼の手をどけた。
「俺たちずっと呼んでたけど、永遠、ボーっとしてて―」
ブリスはそれ以上口にすまいと決めたように口元を引き締めた。
「なんでもないわ。ただ考え事をしてただけ」
永遠はポットに茶葉を入れてやかんの湯を注いだ。
「座ってて。ここではあなたたちがお客様なんだから」
クリスチャンはそれでも動こうとしなかった。ここで見守っている必要があるとでも思っているようだ。
しかたなくブリスに顔を向けた。その表情を見て、彼はクリスチャンをソファーに引ったてていった。
物思いに耽るために戻ってきたわけじゃない。私にはすべきことがある。それを為すために戻ってきたのだ。
トレーにカップを載せて二人のもとへ運んだ。
「煎茶にカップはおかしいけど、あなたたちはこっちの方が使い慣れてるだろうと思って」
クリスチャンはトレーからカップを持ち上げながらヴァンパイアの笑みを浮かべた。
「お心遣い痛み入ります」
ブリスは茶を飲みなれていないのだろう。恐る恐るというように口をつけている。
「お茶菓子がなにかあったかしら?」
立ち上がりかけたが、クリスチャンに引き止められた。
「君もここに座るんだ」
クリスチャンの表情を見て、三人で座るには窮屈なソファーに腰を下ろした。
「なあ永遠、我々は君の友人だ。そんなに気を遣うな。君が我々の為にいるのではなく、我々が君の為にいるのだから。そうだろう、ブリス?」
同意を求められたブリスは熱い茶をすすり、横目でクリスチャンを見た。
「まあ、そりゃそうだけど。けど茶菓子くらい出してもらっても別によかったろ」
にっこりとすると、またクリスチャンに引き止められる前に食器棚を開けに行った。使った記憶のないお客様用の高価な皿を、テーブルの上に取り出し始めた。
「そんな高そうな皿に茶菓子のせんの?」
「いいえ。この後ろに隠してあるのよ。私が食べきってなければだけど」
ブリスがそばにやってきた。
「なんで? 永遠は一人暮らしだろ。それなのになんで隠すんだ?」
「…習慣、かしら」
ブリスは頷いたが、その表情は納得なんてものとは程遠かった。だからさらに説明を加えた。
「私が甘いもの好きだってことは知ってるでしょ。だから母が生きてた頃は、食べ過ぎないようにって私の手が届かない場所に隠してあったの。それで、なんでかな―母がいなくなっても自分でここに隠したくなっちゃうのよね。変だと思うでしょ」
小さく笑った。
「そんなことねぇよ」
ブリスはまじめな表情でこちらの様子をうかがっていたが、顔をほころばせると棚の中を覗き込んだ。
「隠しといた方が安全だ。俺が食っちまうかもしれねーからな」
永遠に向かって捕食者の笑みを向けた。
「チョコ、発見」
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