第14話 猜疑心に苛まれる

 永遠の反応を見ようとちらりと横を見下ろした。

 彼女は腹を見せるウサギを抱いたまま、そびえるようなモミの木を見上げていた。

 「すごく大きいわ。いつからここに根を下ろしているのかしら」

 木に近づき手を触れた。

 「こいつは両親が植えたのだ。わたしが生まれたときに」

 「じゃああなたの兄弟なのね。六百年もここで見守ってくれているんだわ」

 永遠の言葉に驚いた。

 自分もそう感じていたから。ただの木が兄弟だなどといえば笑われるかと思ったが、移ろいゆくものの中で共に成長してきたのだ。そこには思い入れ深いものがあった。

 「立派なクリスマスツリーになるでしょうね」

 そういってから彼女は困ったように笑った。 

 「あなたの大切な家族にちょっと不謹慎かしら?」

 「そんなことはない。こいつだってたまには着飾ってみたいだろう。今年のクリスマスは共に祝おう」

 ウサギを撫でて、彼女は物思いに沈んでいる様子だった。

 「…そうね。きっと素敵でしょうね」

 心もとない表情に思わず永遠を抱きしめた。

 「あぁ、永遠。だいじょうぶだ。きっとだいじょうぶだから。あれ以来痛みはないのだろう…?」



 「…えぇ」

 クリスチャンが腕の分だけ距離をあけて顔を見つめた。嘘か真かを見極めるためだとすぐにわかった。

 「永遠?」

 「本当よ。痛みはないわ」

 たまらずに視線を逸らした。

 「お願い。もう一度ぎゅってして」

 クリスチャンは望みどおりにしてくれた。

 ウサギは睡眠を邪魔されて煩わしそうに腕から跳び下りた。

 本当に痛みはなかった。それに彼に出会う以前に感じていた体の中から引き裂かれるような痛みも嘘のようになくなった。

 だがそうだとといって楽観は出来ない。日々自分の体が病魔に蝕まれていくのを感じる。両親の最期を知っているだけに死ぬのは怖くないが、その過程が怖かった。

 愛するひとに自分の醜い姿を見られるのは恐ろしい。彼がどう感じるかと思うと恐ろしくてたまらない。

 もし彼が私を変えてくれれば…。

 彼の胸に顔をうずめたまま思案した。

 「ヴァンパイアは人間の病には罹らないのよね?」

 「ああ」

 大きな鼓動の音に消されてしまいそうな短い返事に一瞬ひるんだ。

 でももう引くことはできない。聞いておけば良かったと、きっと後悔したままになってしまう。

 「じゃあ病に罹った人間がヴァンパイアになったら―」

 「治る。だが君をヴァンパイアに変えることはしない」

 クリスチャンが後を引き取り、口にしない問いに答えた。

 どうして。私がいなくなってもかまわないから?

 心のどこかでクリスチャンのためらいを感じ取っていたのだろう。急いで自分の想いをうちあけた。そうすればクリスチャンが考えを変えてくれると信じて。

 「私はあなたを愛してる。ヴァンパイアになってもかまわないのよ」

 だがクリスチャンは体を強張らせ、永遠を離した。

 「死なずに済むなら、か?」

 予期しない言葉に目を見開いた。

 「違うわ。ずっとあなたと一緒にいたいからよ!」

 クリスチャンは嘲るように鼻を鳴らした。

 「どうだか。過去にわたしを愛しているといった女は、次の瞬間には刃を向けたぞ。君が死から逃れるためにわたしを利用しないとどうしてわかる?」

 体がぶたれたようにのけぞった。

 ひどい。どうしてそんなことがいえるの。たしかに短い間一緒にいただけだが、なにもかも計算ずくだなんて。

 彼はなにもわかっていない。なにも。

 無意識に背筋を伸ばし、強張った声で言い返した。

 「ほかの人と一緒にしないで」

 「永遠?」

 ブリスが左腕にウサギを抱き、眉をひそめて立っていた。

 「なんでもないわ。あなた、どこへ行ってたの?」

 ブリスが隠していた右手を差し出した。

 「これ。さっきのお詫びに」

 小さな花だった。握り締められてくたっとした売り物になんてなりようのない花。

 ブリスの髪は乱れ、服は枯葉や砂埃で汚れていた。

 心遣いに涙が滲んだ。弱った心にひたむきな優しさはつらすぎる。

 「ありがとう…水につけないとね」

 涙が溢れてしまう前に急いでバスケットからカップを取り出し、二人に背を向けた。

 「待て。一人で目の届かないところへ行くな」

 足は止めなかった。

 ついてきたければ来るだろうし、やろうと思えば力ずくで止めることも出来る。

 好きにすればいいじゃない。

 彼は愛を知らない、愚かで、頭の固い『怪物』なのだから。

 モミの木のもとに行く途中にあった川へ向かった。予想に反して彼はついてこなかった。口ではああいったものの、本当は離れられてほっとしているに違いない。

 川岸に立つと水が轟々と流れる様子になんとなく心が落ち着いた。

 こんなはずじゃなかった。

 彼に愛を告げれば、おとぎ話のように幸せになれるはずだった。

 だがそれは間違いだったようだ。

 『愛している』という言葉は彼の心を溶かすどころか、さらに頑なにさせてしまった。

 どうして私だけは別だなんて思ったのだろう。

 ゆっくりと笑みを浮かべた。それがクリスチャンがよくする表情とそっくりなことを、永遠は知らない。

 もとはといえば私がいけなかったのかもしれない。多くを望みすぎたから。彼とは三ヶ月限りの契約だったのに、永遠を望んでしまった。人恋しくてそばにいてほしかっただけなのに、彼の心を望んでしまった。

 もう困らせるのはやめにしよう。

 川べりにしゃがみこみ、カップに水を汲んだ。ブリスから貰った野花を生けた。

 この花を摘むのにどれほど苦労したことだろう。彼の服が汚れていたのも頷ける。ピクニックの道すがら、花と名のつくものは一本たりとも目につかなかったのだから。

 カップの水に波紋が広がった。

 あぁ、愚かなのは私だ。どうして今になって間違ったひとを好きになってしまったのだろう。

 熱い雫が次から次へと転がり落ちた。

 だめだ、止められない。

 カップをわきに置き、手で顔を覆った。こんな顔では二人の元に戻れない。だけど遅くなれば心配して探しに来てしまうだろう。

 心を落ち着けようと、立ち上がり深呼吸を繰り返した。それでも心は頭を裏切り嗚咽が漏れた。

 その時、震える背中になにかがぶつかって永遠はバランスを崩した。



 ブリスは後を追おうとしたクリスチャンを引き止めた。

 「少し時間をやれよ。あんたが行っても余計にこじれるだけだろ」

 クリスチャンはいつになく緊張した面持ちで身体を強張らせていた。

 「喧嘩でもしたのか?」

 「彼女がわたしを愛しているといったのだ」

 「ふーん」

 気のない返事をしながらも、実際は永遠の心を掴んだのが自分であればと思わずにいられなかった。

 「じゃあなんで永遠は涙目だったんだ?」

 「お前が花をやったからだろう」

 子どもに言い聞かせるようにゆっくりと教えてやった。

 「その前から泣きそうだった」

 クリスチャンが息を詰まらせたような声を漏らし、硬い口調で語った。

 「愛しているからヴァンパイアになってもかまわないといった。死から逃れるためにわたしを利用しようとした」

 真っ直ぐにクリスチャンを見つめた。

 「別にいーじゃねぇか。それで永遠が生きられるなら」

 「利用するだけすれば彼女はわたしの元から離れていく―目的を達成したのだから」

 「なんでそんなに懐疑的なんだよ。永遠はあんたのことを本気で愛してんだよ。だからあんたといたいんだ。けどあんたのためなら命だって惜しまないはずだぜ」

 なんの反応も見せず立ち尽くすクリスチャンにたたみかけた。

 「あんたはどうなんだよ。永遠を愛してんなら生きていて欲しいはずだ。幸せになって欲しいはずだろ。永遠のこと大切なふりしといて、あんたこそ本当は愛してねーんじゃねぇの?」

 好きな女をほかの男とくっつけようなんて、われながらバカだと思う。

 俺だって出来ることなら永遠と一緒になりたいさ。こんな陰気くさい奴から永遠を奪ってやれたら―。

 けどそれじゃ永遠が幸せになれない。愛してるからこそ、自分のことよりもブリスは彼女の幸せを優先した。

 「わたしは彼女の愛が信じられない。以前、わたしが愛した女には裏切られた。今度は利用されないとどうしていえる?」

 思いの丈をこめて睨みつけた。

 「利用されるってどうしていえんだよ」

 今度は静かにたずねた。

 「なあ、あんたが守ってんのは永遠か? それとも、あんた自身か?」

 クリスチャンに背を向け、永遠を探しに向かった。

 「あんたは馬鹿だ」

 ブリスはウサギを抱きなおした。

 永遠は途中に見た川へ行ったんだろう。

 もう十分近く経つから、急がないと入れ違いになってしまうかもしれない。

 水の流れる音が聞こえてきた。

 風上にいるから、永遠がどこら辺にいるのか匂いではわからないが、じきに姿が見えるだろう。

 「お前太りすぎだろ。なに食ったらこうなんだよ」

 もう一度ウサギを抱きなおしたとき、なにかが水に落ちる音を鋭敏な耳が捉えた。

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