第11話 三日月の贈り物
しばらく三人で固まっていると、アダムに声をかけられた。
「クリスチャン、そろそろ始めようか」
「はい」
アダムは一息つくと、ホールによく響く声で告げた。
「皆さん、我が息子クリスチャン・ベルナールと麗しい未来の花嫁にご注目下さい」
アダムはさあと目顔で前に出るように知らせた。
なにが始まるのかしら?
人事のように思考を巡らせていると、クリスチャンに手を引かれ招待客の中心に進み出た。
「音楽を!」
深みのある残響の中、ヴァンパイアの楽団によってゆったりとした音楽が奏でられる。
クリスチャンの右腕が腰にまわされた。
ぎょっとして目を見開いた。
まさか…。無理よ、出来っこないわ。
「クリスチャン、私に踊れなんていわないわよね…?」
揺るぎない金の瞳に見下ろされた。
「いわない。わたしがリードするから、君はただ流れに身を任せていればいい」
嫌々というように永遠は頭を振ったが、無常にもクリスチャンが動き始めた。
クリスチャンのいったとおり、彼の動きに合わせて体が自然に動いた。
ダンス経験など皆無の永遠にも、クリスチャンがすばらしく優雅な踊り手であることはわかった。
クリスチャンにくるりと回され、永遠は楽しそうに笑いかけた。
引き寄せられ、周りを見てごらんといわれて目を瞬いた。彼だけに意識を向けていて気が付かなかったが、ペアになった男女がホール中で身体を揺らしていた。
初めは戸惑っていた永遠も曲を変え、相手を変えて踊るうちにくつろぎ、心から楽しみながらホールを移動していた。
だが、一曲が終わってもまた次の一曲が始まり、ヴァンパイアのような無限の体力を持たない永遠は、疲れ知らずに踊り狂うものたちの間を縫って壁際に置かれた椅子へ向かった。
途中、一度も相手を変えず二人きりの世界に浸っているアダムとイヴを見つけた。
本当に仲のいい夫婦ね。いつか夫婦円満のコツを聞いてみたいものだわ。
「こんばんは」
永遠は皆が会話を楽しみ、踊りに喜びを見出す間も一人ぽつねんと壁の花と化していた女性に声をかけ、隣に腰を下ろした。
「あなたは踊らないの?」
クルクルと回るものたちを見ながらたずねた。
「踊るのは好きじゃないの」
チラッと女性を見た。
「私、ダンスは初めてだったの。だけど楽しかったわ」
彼女もこちらを向いた。
「踊っているのを見たわ。あなたは素敵な人だもの。皆あなたと踊りたがるわ。だけどあたしは…」
彼女は肩をすくめた。
「こんなだから」
彼女の髪は後ろでひっつめにされていて、顔の造作もこれといった特徴はなく地味な感じだった。だがなんといっても、ドレスに無駄なリボンやフリルがあしらわれているところが、彼女の雰囲気に合っていない。
「あなたが私のことを素敵だと思ってくれているなら、それはこのステキなドレスのおかげよ。なんならドレスを交換しましょうか?」
悪戯っぽい笑みを浮かべた。
彼女は目を見開いた。
「いけないわ! 汚してしまったら大変だもの。そもそもあたしには小さすぎるわ」
彼女は永遠の表情を観察し、笑みを返した。
「ドレスのおかげなんかじゃないわ。あなたが素敵なのよ」
彼女はもっと笑ったほうがいい。笑うと特徴のない顔が一気に華やいで見えた。
「クリスチャンがあなたのことをジュリーと呼んでいたんだけど、私もそう呼んでいいのかしら?」
「ええ、もちろんよ。あたしもあなたのことを永遠と呼ばせてもらうわね」
「じゃあ私たち、もう友達ね」
手袋に包まれた右手を差し出した。
ジュリーはその手を見つめ、ゆっくりと握った。
「人間の友達は初めてだわ。まぁ、友達はほとんどいないのだけど」
手を離すと永遠は椅子から立ち上がった。
「あなたさえよければ飲み物を取ってくるわ。私、実はのどがカラカラなの」
永遠は微笑んだ。
「あたしも行くわ」
二人で飲み物と軽食の置かれたテーブルまで来た。
「たくさんあってどれにするか悩んでしまうわ。これはお酒かしら?」
永遠はピンク色の液体が入ったグラスを顔の前に持ち上げた。
「お酒、弱いの?」
ジュリーはすでにほとんど無色の液体を口に運んでいた。
ワイングラスに入っているから、恐らく白ワインだろうと目星をつけた。
「わからないわ。私、未成年だもの」
ジュリーはもう一口飲んでから永遠を見つめた。
「人間って短い命なのに、どうしてわざわざ楽しみを奪うような決まりを作るのかしらね?」
永遠はただ肩をすくめた。
ジュリーはひとつずつ指先で軽くグラスに触れていった。
「ワイン、シャンパン、アセロラジュース、ピーチカクテル、ウィスキー、牛乳…」
永遠はジュリーを見つめた。
「すごい! ヴァンパイアの力?」
ジュリーがアセロラジュースといったグラスに口をつける。
確かにアセロラジュースだわ。
彼女は肩をすくめた。
「あたし、触れたものの成分がわかるの」
へぇーと永遠は頷いたが、目はクリスチャンを探していた。彼の相手の女性が赤い髪で少しドキッとした。だが予想に反して赤い髪は短かった。
「イイ男よね」
「えぇ」
上の空で答えてから、ジュリーの言葉に気付いて顔を赤らめた。
「あなた、彼のところに戻りたいんじゃないの? あたしのことは気にしなくていいのよ」
「いいえ、もう疲れちゃったの。私はヴァンパイアじゃないんだもの」
永遠はジュリーを見ていたが、彼女は下を向き、空になったグラスを弄んだ。
「…永遠は、どうしてあたしがルークと結婚しているのか、不思議に思わない?」
恋人かなとは思ってたけど、まさか結婚してたなんて。口が裂けても二人がお似合いの夫婦だとはいえない。
「彼を愛してるからでしょ?」
ジュリーは鼻を鳴らした。
「まさか。彼はわたしの財産目当てに結婚したの。当時は彼があたしのことを愛してくれてるんだと思っていたわ」
ジュリーはため息を吐いた。
「馬鹿よね。今では財産も食いつぶされて、古いドレスを手直しして着ているの」
腕を広げてドレスを見せた。
「離婚したいとは思わないの?」
「離婚しようがしまいが彼にとっては同じことよ。いつも女の後を追いかけているわ。あたし、永遠にはあいつの毒牙にかかって欲しくないの。だけどあなたは目移りする余裕はなさそうね、彼一筋みたいだから」
熱くなった頬を手で挟むと、ジュリーはにやっとした。
「ヴァンパイアを殺す方法があるのを知ってる?」
永遠は首を傾げた。
「ヴァンパイアは不死身なんだと思ってたわ。太陽も平気みたいだし」
「一度試してみたのよ。でもルークはあたしを愛していないんだって思い知らされただけだった」
永遠がどういうことか聞こうと口を開いたとき、ブリスがニヤニヤしながらやってきた。
「すっごくかわいいよな」
「なにが?」
牛乳のグラスを取り一気に飲み干しているブリスに尋ねた。
ブリスの心を射止めたのは誰かしら?
「かわいいなー」
会話が成り立たず永遠は眉をひそめた。
「ブリス?」
よく見ると足元が少しふらついているようだ。
「彼、酔ってるんじゃない?」
ジュリーが新しいグラスを傾けながら言った。
「ブリス、お酒を飲んだの?」
ブリスの手が新しいグラスに伸びた。
「んー?」
牛乳をぐびぐびと飲み干している。
「ブリス、聞いてるの?」
「んー、牛乳を六杯飲んだだけー。あれっ、七杯だったかな? どーでもいいや」
くすくすと笑うブリスに永遠は目を丸くした。
牛乳で酔うなんてことがあるの? でもウェアウルフについてよく知ってるわけじゃないし、この様子を見れば…。
「ほんっとかわいい。永遠大好き!」
「きゃっ」
ブリスにいきなり抱きつかれて永遠は小さな声を漏らした。
「あらま、あなたも罪な女よね。イイ男を独り占めだなんて」
「ちょっと、恥ずかしい。ジュリー、見てないでなんとかして」
ブリスの胸を押してもびくともしない。それどころかどんどん顔を近づけてくる。
ふわっと体が軽くなった。
クリスチャンがブリスの襟首を掴んでいた。
「わたしに喧嘩を売っているのか?」
「乱暴なことはしないで。酔ってるみたいなの」
「そのようだな」
クリスチャンはぐっすりと眠り込んだブリスを肩に担ぎ上げた。
「ジュリー、しばらくだな。永遠とはもう意気投合したのか」
「ええ、楽しませてもらってるわ」
黙って二人を交互に見ている永遠を横目で見たジュリーは顔をほころばせた。
「あたしたちはただの親戚よ。クリスチャンとルークが従兄弟なの、知らなかった? まあ、クリスチャンは言葉足らずだから仕方がないかもしれないわね」
クリスチャンはジュリーをねめつけた。
「君は相変わらずお喋りだな。永遠に余計なことを吹き込んではいないだろうな?」
「いいがかりはやめてよね。あたしたち女は結束しなくちゃ―」
「グー」
ブリスが寝息を立てた。
「ベッドに寝かせてあげましょう」
永遠はクリスチャンの袖を引っ張った。
「ああ、そうだな。ではジュリー、また」
階段を上りきるまでのこり数歩という所で、階上をドレス姿の人影がさっと横切った。
クリスチャンはドキリとして足を止めた。
まさか、こんなところまでわたしに付いて来たのか…?
だが今宵はパーティーだ。ドレスを着た女性はいくらでもいる。
たとえそれが数世紀前の型だとしても。彼女が好んで着ていたものと瓜二つだとしても。
階上に上がってみると人影は跡形もなく消えていた。
永遠はクリスチャンの様子には気付かずに、部屋へ先に駆け、扉を開けた。そのままクリスチャンが通るまで扉を支えていた。
「ありがとう。だが君がそんなことをする必要はないのだぞ」
永遠を横目で見ながら通り過ぎ、ブリスをベッドにどさりと下ろした。
永遠は甲斐甲斐しく毛布をかけてやっていた。
「今、何時?」
部屋の照明は月明かりだけで、彼女には時計の針が見えないのだろう。
「十二時過ぎだな」
永遠が小さなあくびをするのを見逃さなかった。
「もう眠いのだろう? 招待客のことは放っておいて休もうか」
「いいの? お父様達に挨拶もしないでいなくなっても」
タイをはずし、無造作にテーブルに落とした。
「二人は互いのことに夢中で、我々のことなど忘れている」
薄闇の中で永遠の顔に笑みが浮かんだ。きっと彼女も同じ結論に至ったのだろう。
「こっちへおいで」
窓際のひときわ明るい場所へと永遠を誘った。
髪が月明かりに淡く染まっている。
「美しい」
彼女の口元がほころんだ。
「本当にそんな気がしてきたわ」
手袋のはずされた指が頬に触れた。
「ねぇ、ヴァンパイアを殺す方法があるって本当?」
ジュリーの仕業だな。
クリスチャンは柄にサファイアが埋め込まれた短剣を取り出した。
「どうしてそんなもの持ち歩いてるの?」
「護身用だ」
永遠に短剣を握らせ、その上から手をかぶせて己の手の平に刃先を滑らせた。
「やめて!」
痛みが手の平を焼いた。
永遠の手から短剣を抜き取り、鞘に戻した。
「だいじょうぶだよ。ごく浅く切っただけだ。わたしだって痛いのは好きじゃないから」
「どうして?」
永遠は口に手を当てて、ぼんやりと傷口を見つめていた。放心した様子が心配になって顔を覗きこんだ。
「すまない。やって見せたほうがわかりやすいと思ったのだが」
永遠は頭を振った。
「治らないわ」
「そうだ。でも治癒能力は人間に比べて非常に高いから、明日には痕さえ残っていないだろう」
話しながらドレスを汚してしまわないようハンカチを手に巻きつけた。
それからこのことが、自分にとってどれほど重要な意味を持つのかわかってほしくて、永遠の指を握り、頬に押しつけた。
「ヴァンパイアに愛された者は、そのヴァンパイアを殺すことができる。恐らく、愛がヴァンパイアを弱らせるのだろう。剣で刺すにしろ、毒を盛るにしろ、生物が死に至るいかなる方法でも殺せる」
「あなたを傷つけたくなんかなかったのに」
永遠は傷ついた手を癒そうとするように、小さな手でそっと包み込んだ。
「意思は関係ないのだ。ヴァンパイアの死に必要とされるのは行為だけだから」
なにを考えているのだろう。永遠の瞳が長い睫毛で隠れた。
「わたしは過去にも二人の女を愛していた。だからうろたえる必要はない。愛などその他の感情と同じで移ろいやすいものだ」
ふいに心が無防備になった気がして恐怖を覚えた。そのせいで突き放すような言い方になってしまった。
かといって傷つく危険をおかしてまで、心を無防備な状態にしておくことはできなかった。
一度深呼吸をし、穏やかな雰囲気を取り戻すために努めて明るい声を出した。
「君にあげたいものがあるといったのを覚えているか?」
「なにかしら?」
永遠の瞳が輝いた。
気持ちを察してくれたことに感謝して微笑を浮かべ、タキシードの内ポケットに手を入れた。
一呼吸置いてからそっと手を抜き取り、淡いリボンのかかった白く細長い箱を捧げた。
贈り物を受け取った永遠はじっと箱を抱えていた。
「開けないのか?」
「開けるわ」
彼女はゆっくりとリボンの端を引っ張った。時間をかけて包装紙を剥き、紙をテーブルに置いた。
「白い箱に、白い包装紙?」
永遠が笑い混じりにつぶやいた。
「おかしいか?」
「あなたらしいわ」
謎かけのような回答に困惑して顔をしかめた。
「それは褒めているのか?」
「たぶん」
クリスチャンは髪に手をやった。
プレゼントを早く開けたくてうずうずしている子どものような気分だった。
永遠がどんな反応をみせるか早く知りたい反面、その楽しみがすぐに失われてしまうことを残念にも感じていた。
「まぁ…」
ついに箱が開かれた。
中身は立体的な丸みを帯びた銀色の三日月に、丸くカットされたルビーが載ったデザインのペンダントだ。
「ありがとう。どうして月が好きだってわかったの?」
「君はかぐや姫みたいだったからな。月を見てはため息を吐いていた」
永遠が手の中の月を指先で撫でた。
「それは月が美しいからよ。別に天から迎えが来るわけじゃ…」
彼女は唐突に口をつぐんだ。
別れのときを口にしないことが暗黙の了解となっていた。だから気づかなかったふりをした。
「月は君のため、ルビーはわたしのために選んだ」
安堵と疑問がない交ぜになった表情で彼女は首を傾げた。
片方の口角だけを上げて意味深な笑みを見せた。
「その紅い色を見れば口に君の味を思い出す。見ただけで君が欲しくなる」
思惑通り頬が赤く染まった。
「つけてやろう」
ペンダントを受け取り、大きな手で器用に留め金をとめた。
永遠にこちらを向かせ出来栄えを確かめた。
「うまそうだ」
「ブリスの言葉遣いがうつったんじゃないの?」
照れ隠しに彼女がくすりと笑い、催促されたと勘違いしたのかクリスチャンの頭を引き寄せようとした。
されるがままでいたが、彼女の顔と三十センチの距離までくるとピタリととめた。
永遠の髪に手を差し込んでピンを引き抜き始めた。
「なにしてるの?」
「下ろしている方が好きだ。君の柔らかい髪に手を差し入れられるから」
永遠もクリスチャンの後頭部をまさぐった。
「なにをしている?」
「私もあなたの髪を解こうと思って」
クリスチャンがピンをすべて床に落としきったとき、ようやく永遠も革紐を解いた。
「きつく縛りすぎよ」
「ふむ?」
すでに永遠の髪に指を通し、耳の下に唇を這わせていた。
「クリスチャン?」
牙は立てていなかった。ただ唇で暖かい脈動を感じていた。
「君に、こうしなければならないと思って欲しくない。その…贈り物の見返りに」
永遠はクリスチャンの髪に指をもぐらせた。
「私はそうしたいからするの。あなたに私をあげたいから」
永遠の身体からふっと力が抜けた。
腕で身体を支えてやりながら、ゆっくりと二口だけ彼女を味わった。
「んっ…もう、いいの?」
咬み後を舌で舐めて傷を癒した。
「また具合が悪くなったら困る」
「あれはあなたのせいじゃないのに」
いや、わたしのせいだ。傷つけまいとしたのに、けっきょくはあのざまだ。
だが口にはせず、永遠を抱え上げベッドに運んだ。
「歩けるわ」
「わたしがこうしたいのだ」
彼女をベッドに下ろそうとして動きを止めた。
「…しまった。ドレスのことを忘れていた。侍女を呼ぼうか?」
永遠は首を振った。
「後ろにファスナーがあるの。下ろしてくれる?」
クリスチャンの腕から滑り下りた彼女は背を向けた。
ドレスがふたつに分かれると、永遠はシュミーズ一枚の姿でベッドに潜り込んだ。
「おやすみ」
そばを離れようとしたが、永遠が袖を掴んで引き止めた。
「眠れないわ。一緒にいて?」
どういうことだ? 彼女のまぶたは今にもひっつきそうだというのに。
なにを考えているのかわからないが、結論は出ていた。
永遠の指を袖から離させてジャケットを脱ぐと、するりと彼女を腕で包みこんだ。
彼女はクリスチャンに身をすり寄せると同時に眠りに引きこまれた。
しばし寝顔を見つめた。かすかに開かれた唇に引き寄せられながら、結局は額に口づけを落とした。
「おやすみ」
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