第10話 婚約パーティー

 パーティーが始まってしまった。階下からは招待客たちの話し声が響いてくる。

 どうしよう、なにを着ればいいの?

 持ってきたトランクを引っ掻き回してみたものの、ふさわしいものは見つからなかった。

 どうしてパーティーなのにドレスを持ってこなかったの?

 なぜならドレスなんて持ってないからよ、おばかさんね。

 自分で自分の質問に答え、眉を寄せて複雑な表情を浮かべた。

 ワンピースじゃ駄目かしら?

 そのうちの一着を手にしたままそっと部屋を抜け出て階下を覗くと、色とりどりのドレスが目に入った。

 空に浮かぶ手の届かない星ぼしのように輝いている。

 駄目よ。これじゃカジュアルすぎるわ。

 部屋に戻りながら考えた。

 いっそあの灰色のずた袋に身を包もうか。一応ドレスだしワンピースよりは浮かずに済むかも。

 「すまない、遅くなってしまった」

 クリスチャンが部屋に滑り込んできた。クリスチャンはタキシードに身を包み、髪はひとつに縛られている。その戒めから抜け出した一房が額に垂れかかり、ロマンティックな雰囲気を醸し出していた。

 彼がこんな盛装をしているならますます浮いてしまうわ。

 永遠はため息を吐いた。

 「これを身に着けて欲しい。わたしが選んだものだから君が気に入るかはわからないが」

 永遠はピンクのリボンがかかった白い箱を受け取り、鏡台に載せた。

 リボンを解くと、中には袖の無いシャンパンゴールドのドレスと揃いの手袋、パールの装飾品一式が入っていた。

 「クリスチャン…嬉しいわ。だけどこんな高価なもの受け取れない」

 「そんなことをいわないで。着飾った君が見たいのだ。わたしの為に身に着けてくれ。それに後であげたい物がまだあるのだ」

 「…ありがとう、クリスチャン」

 彼の首に腕をまわし引き寄せると、頬に唇を押し当てた。

 クリスチャンは驚いたようだったがその後で優しい笑みを浮かべた。

 「侍女は呼んである。わたしは下で待っているから」

 クリスチャンと入れ替わりにキティーが入って来た。

 「素敵な婚約者様ですね」

 永遠は笑みを浮かべた。

 「ええ、私にはもったいない人だわ」



 彼女が階段を下りてくるとホールにざわめきが起こった。誰もが永遠に目を向けており、クリスチャンとブリスもその例に漏れなかった。

 ドレスは肌の白さを引き立てつつも健康的に見せ、ぴったりと体のラインにフィットして膝から下に流れる様子は繊細な美しさを演出していた。髪はアップにされ、頬にかかる後れ毛がアンニュイな雰囲気でありながら、パールは温かみを持って各部分に馴染んでいた。

 「すげー…」

 自分自身、粋にタキシードを着こなしているブリスが、言葉を見つけられずに最もストレートに感想を呟くのが聞こえ、招待客の中からも賞賛の声があがるのを鋭敏な耳が捉えた。

 クリスチャン自身も永遠の姿を視界に収める前から、存在を感知して階段の踊り場を見上げていた。そして彼女が姿を現してからは目を逸らすことなど不可能だった。

 彼女のためにあつらえさせたドレスも高価な装飾品も、美しくはあれど添え物にすぎない。

 本当に美しいのは永遠だ。今日の彼女は頬に赤みが差し健康そうで、内面から輝きを放っていた。

 …病など忘れたかのように。

 …これからふつうの人間がもつくらいのときは、共に過ごせるかのように。

 胸に巣食う苦痛に、実際に痛みを感じたかのようにクリスチャンは胸を押さえ、顔を歪ませた。

 それでも一時たりと永遠から視線を外すことのなかったクリスチャンは、彼女の足取りが乱れたことを頭が理解する前に体が動いていた。



 永遠は階段をゆっくりと下りながら、安心を与えてくれる見知った顔を捜していた。大勢の中でも大切な人は簡単に見つけられた。その横には目も眩むばかりの美しい男がいる。

 ブリスの横に並ぶ女性が気の毒だわ。

 微笑を浮かべ二人を視界に収めながらも、永遠が見つめているのはたった一人の男で、その男も決して永遠から視線を外さなかった。

 熱い視線を絡めたまま、クリスチャンの元へと着実に階段を下りている途中で胸を押さえた彼の顔が歪んだ。

 ああ、どうしよう。彼が苦しんでいる。

 病気? それとも怪我?

 慌ててクリスチャンに駆け寄ろうとして足がもつれた。

 落ちる…。

 頭のどこかにその言葉が浮かんだ。

 致命傷を負うときや、死ぬときには時の流れがゆっくりに感じられるという。

 まったくその通りだと思った。

 身体が傾くのを感じながらもう一度クリスチャンに視線を投げたが、彼はそこにいなかった。

 永遠は瞳を閉じ、この世界に別れを告げた。

 だが着飾った身体が冷たい床に横たわることはなかった。

 身体が傾いではいても倒れこんだそこは暖かく、逞しい腕がしっかりとその場に繋ぎとめていた。

 クリスチャンがゆっくりと永遠の倒れかかった身体を起こさせ、顔を覗き込んできた。

 「だいじょうぶか?」

 クリスチャンの頬に手を当てた。

 「永遠?」

 あぁ、この顔が見たかった。もう見られないかと思った。

 彼の困惑した顔を貪るように見つめた。

「あなたと、もう一緒にいられなくなるかと思ったの」

 目に涙が浮かんだ。

 「ああ、永遠…。わたしが君を守るから」

 クリスチャンは出来もしない約束を口走り、永遠が苦しくないほどに、だがぎゅっと抱きしめた。



 多くの目にこちらの一挙一動を監視されているのはわかっていた。

 だが、それでも構わない。彼女の身体が階段から投げ出された映像が頭に焼きついて、クリスチャンの背筋を凍らせた。

 今は永遠が腕の中に、自分の保護下にあるという事実を噛み締めていたい。そしてなによりも彼女に安心感を与えてやりたかった。

 しばらくそのままでいてからもう一度尋ねた。

 「もうだいじょうぶか?」

 永遠は気丈にも微笑を浮かべ頷いた。

 手を自分の腕にかけさせると、共に階段を下り始めた。

 階下へ降り立つとアダムとイヴが近づいてきた。近づいたのはアダムで、イヴは手をアダムの腕にかけていたために否応なく付いてきただけだったが。

 「いやー、ハラハラしたよ。永遠さんの身体が宙に浮くのを目にしたときは、心臓が止まるかと思った。老体には刺激が強すぎるよ」

 ハハハと楽しげに笑うその顔は、言葉とは不釣合いに皺もなく若々しい。

 対照的にイヴは眉間に皺を寄せた。

 「私が選んであげたドレスじゃないのね。あなたにはちょっと派手じゃないかしら」

 クリスチャンは腕にのせられた永遠の手に手を重ねた。

 「申し訳ありません、母上。わたしが彼女にこれを着るよういったのです。こちらの方が彼女には似合うと思ったので」

 クリスチャンはヴァンパイアの笑みを見せた。

 「我々は少し辺りを回ってきます。皆、永遠と知り合いになりたがっているでしょうから」

 「ああ、そうだな。若い者同士楽しみなさい」

 アダムは青春だなぁといいながら、不服そうなイヴを連れて去っていった。

 二人が離れるのと入れ替わりにブリスが近づいてきた。

 「すげー、綺麗だ」

 心のこもった賞賛に永遠は、はにかみの表情を浮かべつつも小さな笑い声を漏らした。

 「ありがとう。クリスチャンのおかげよ」

 ブリスは強張った笑みを作り、無言で頷いた。

 クリスチャンは永遠の言葉に誇らしそうな笑みを浮かべてはいても、ブリスのように手放しで褒めてはくれない。

 心ならずも笑みが小さくなった。

 「綺麗なのはあなたの方よ。女性たちはみんなあなたのことを見ているわ」

 ブリスは辺りを見回し、眉を上げた。

 「男も見てっけど」

 「永遠を見ているのだ」

 クリスチャンは口元を引き締めた。

 永遠の腰に腕をまわし、男ならではの方法で崇拝者たちに自分のものだと見せつけた。

 「ではホールを回るとしよう。このままでは向こうから押しかけてきそうだからな」

 背の高い壮麗な二人の男に挟まれ、次から次へと相手に会う度に永遠の頭は混乱の一途をたどった。

 「クリスチャン、ここにはヴァンパイア以外の人もいるのよね? 私、もう覚えられそうにないわ」

 「覚える必要はない。わたし自身、皆を知っているわけではないのだ。だが見分けるのは簡単だ。ヴァンパイアは黒を好む」

 永遠は辺りに目をやった。確かに黒いドレスやタキシードの人が大勢いた。

 「そしてデーモンは自尊心が強く見栄っ張りだから、派手な格好をしているだろう? ウェアウルフは…」

 クリスチャンがブリスを一瞥した。

 つられて永遠も視線を移した。

 「身なりを気にしない」

 ブリスのジャケットのボタンは全てはずれ、タイも曲がっている。

 「もうブリスったら」

 永遠はボタンを留め、タイも直してやった。

 クリスチャンは永遠を横目で見ながら、そっとタイを引っ張って緩めた。

 だが永遠が気付く前に次の崇拝者がやってきた。

 近づいてくるのが誰かに気付いて、クリスチャンは自分で乱したタイをきっちりと締め直し、身を引き締めた。

 「僕もあなたとお知り合いになりたいな」

 金髪にはしばみ色の目を持つ男は永遠をじっと見つめている。

 「ルーク、ジュリーはどうした?」

 クリスチャンは警戒して身体を強張らせていた。

 ルークと呼ばれた男は乱れのない髪を撫で付けた。

 「クリスチャン、相変わらず気が利かないな。ジュリーはあそこに座っているよ。そんなことより、この麗しのレディーを紹介してくれないか?」

 永遠は男が気のなさそうに指差した方向を覗き込んだ。壁際に置かれた椅子に、ぽつりと一人きりで座っている女性がいた。

 彼女はこの人の恋人なのかしら?

 考えている途中で、男が身体を動かしたために彼女の姿が遮られた。

 永遠にはクリスチャンがしぶしぶというようにいうのがわかった。

 「永遠だ」

 彼はわざわざ付け加えた。

 「わたしの婚約者だぞ」

 男は一度もクリスチャンに目を向けなかった。

 「レディー、お会いできて光栄です。僕はルーク・ファブリスタ。以後お見知りおきを」

 永遠だけに優雅なお辞儀をする。

 「素敵な首飾りですね」

 ルークの言葉は真珠を指しているように思われたが、異様な光を帯びた瞳は首に透けた青い血管に向けられていた。

 ルークが手を伸ばしてくると、本能的に一歩退いた。

 同時にクリスチャンとブリスも永遠を背後に隠し、ルークの前に立ちはだかった。

 ブリスは牙を剥き、唸り声を上げた。 

 クリスチャンは拳を軽く握り、いつでも戦えるように身構えると釘を刺した。

 「永遠に手を出そうなんて考えない方がいいぞ。貴様がその汚い手で永遠に触れる前に殺してやる」

 ルークはせせら笑い、ポケットに手を入れた。

 「殺す? 殺せたためしがあるか?」

 クリスチャンは無表情のままだった。

 「いや。だが気は晴れた。貴様の黒い血の滴る心臓を掴み出したときにはな」

 ルークは口元をピクリとさせ、髪を撫で付けると二人の男が匿った女を見た。

 「せいぜい大事にするんだな。今のところはほかの女性を慰めに行くとするが―いずれ僕のものになるんだから」

 二人はルークがほかの女性のところへ行くのを用心深く見送った。

 「いけ好かねー」

 ブリスは牙を剥いたままだ。

 「永遠、奴には気をつけろ。あいつは女たらしだ。女を見れば手を出さずにはいられない性質なのだ」

 永遠はクリスチャンをひたと見つめた。

 「大丈夫よ。一目見たときから、あの人のこと嫌いだから」

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