第9話 挨拶に行く
これまた大きなお屋敷だった。外観は黒いの一言に尽きるが、クリスチャンの屋敷との違いは、辺りに色とりどりの花が咲き乱れていることだ。よほど腕のいい庭師がいるのだろう。でなければ開花時期の違う花が共存しているはずがない。
芳しい香りに包まれる中、永遠は気後れしてノッカーに手をかけたクリスチャンを引き止めた。
「ねえクリスチャン、やっぱりこの格好はふさわしくないんじゃないかしら」
自分の淡いクリーム色のワンピースを皺もないのに撫で付けた。
「大丈夫だ。よく似合っているよ。それに―もう見られている」
気付けば大きな扉が開いていて、金髪をきれいに後ろに撫でつけ、銀縁メガネをかけた男性がこちらを見ていた。
「まぁ!」
永遠はクリスチャンの後ろに少しだけ身を隠した。
「坊ちゃま、お待ちしておりました。お連れの方々もさぞお疲れでしょう。お部屋にご案内いたします」
どんなミスも見逃さない鋭い眼差しの持ち主が脇に一歩ずれ道を空けた。
「永遠、執事のエドモンドだ。エドモンド、先に両親に会いたいのだが」
「はい。愛の間でお待ちです」
エドモンドの後ろをクリスチャンと並んで歩きながら、美しい装飾品も目に入らずにこれから起こることを思って硬くなっていた。
「心配しなくていい。わたしがついている。それに両親は君を獲って食ったりしないから」
そうはいわれても生きているうちに『婚約者』の両親に会うなんてことが起こるとは思っていなかったのだから、やはり不安にならないわけがない。
ガシャン!
大きな音に驚いて振り返るとブリスの前に高価そうな、だがすでに原形を留めていない花瓶と思しきものが散らばっていた。
「どうしましょう!」
永遠はブリスの手を掴んで怪我はないか確かめた。血が出ていないことを確認した後、エドモンドとクリスチャンに顔を向けた。
「ごめんなさい。私が弁償しますから…」
「気にしなくていい。ずっと使っていなかったのだから」
クリスチャンは口にはしなかったが、それはスチュアート朝時代に両親が手に入れた値がつけられないほど高価なもので、永遠に弁償しきれるはずはなかった。
エドモンドはメイドを呼び片付けるようにいいつけた。
永遠はもうブリスがなにも触らないよう見張るため、自分の横を歩かせた。
ようやくエドモンドが足を止めたので、そっと安堵の息を漏らした。
「旦那様、奥様、坊ちゃま方をお連れしました」
扉の先には仲良くソファに腰掛け見つめ合う男女がいた。
エドモンドが咳払いをひとつすると男性がこちらに目を向けた。
「おやイヴ、クリスチャンが来たようだよ。あとかわいいお嬢さんと、ペット君も」
永遠の耳に小さな唸り声が届き、体の陰でブリスの手をとった。
女性の緑の瞳が輝いた。
「クリスチャン! また足音を立てないで歩いたんでしょう。まったく困った子ね。会えて嬉しいわ。ママにキスしてちょうだい」
そういう間もソファの二人は手を重ねたままだった。
クリスチャンの両親はとても愛し合っているのね。
母親の言葉を受けてもクリスチャンはその場を動かなかった。
「父上、母上、お久しぶりです。こちらは永遠です。そしてこっちはブリス、ペットではありません。彼は…友人です」
クリスチャンの母親は無視されて不満そうだった。
「おやおや、それはすまなかった。冗談のつもりだったのだがね」
クリスチャンの父親は永遠たちに席を勧め、エドモンドに茶を持ってくるようにいいつけた。
「で、永遠さんはクリスチャンのどこを気に入ったのかな?」
クリスチャンは父親似だった。正確には瓜二つだ。きっとクリスチャンが人間でいう四十代の姿になったらこんな感じなのだろう。
「クリスチャンはお父様似ですね」
部屋に彼の父親の笑い声が響いた。
「いや、そうかね。ということは、僕のことも気に入ったということかな? 実際この子と似ているのは見た目だけなのだよ。中身はまったく別物だ」
まったく暗い子でねと含み笑いをしながら付け加えた。
永遠は心の声が漏れてしまったことに赤面しながらもいわずにはいられなかった。
「そんなことないですよ。クリスチャンは優しくて、一緒にいて楽しい相手です」
クリスチャンの父親は永遠の手を取り顔を見つめた。クリスチャンと同じ金の瞳が確かに光を放った。
「…クリスチャン、いい人を見つけたね」
彼は父親の顔を見た。
「ありがとうございます、父上。しかしそれは止めて頂きたい」
クリスチャンは父親の手の中から永遠の手を引き抜いた。
「おやおや失敬。永遠さん、わたし達のことはアダム、イヴと呼んでおくれ。家族になるのだからね」
永遠はそわそわとクリスチャンを見上げた。
「私、年上の方を呼び捨てにするのは…」
その言葉を聞いたアダムは妥協案を提示した。
「ああ、君は日本人だものね。日本ではそういう習慣がないのだろう。ではアダムさん、イヴさんではどうかな?」
永遠は安堵の表情を浮かべた。
「はい。それなら」
「ねーえアダム、この人はやっぱり…。エリカの方がクリスチャンにはふさわしいんじゃないかしら」
イヴがアダムのほうに身を乗り出した。
「永遠さんに失礼じゃないか。君がパーティーを開きたがったのだろう?」
「だって考えていたのと違ったんだもの。この人はすぐに死んでしまうのよ」
言葉が重くあたりに漂った。
ブリスがぴくりとし、永遠は笑みを浮かべるなりこの重い空気をなんとかしなければと思った。
どうすればいいのかと考えているうちに、クリスチャンが席を立ち、手を引いて永遠も立ち上がらせた。
「母上、いくらあなたでもそのような言葉は聞き捨てなりませんね。わたしの婚約者に謝って頂きたい」
「でも本当のことでしょう。すぐにいなくなる人間なんてクリスチャンがかわいそうだわ。ママはあなたのためにいっているのよ」
イヴはねぇとアダムにすり寄った。
「いいやイヴ、謝りなさい。クリスチャンにはもったいない人だよ」
クリスチャンだけでなくアダムからも責められたイヴは頬を膨らませて永遠を睨んだ。
「あの…気になさらないで下さい。本当のことなんですから」
重い雰囲気に耐え切れず、考える前に言葉が口からでていた。
「母上、謝る気になれば我々は部屋にいますから」
クリスチャンは永遠の手を引き扉へ向かった。
クリスチャンがノブに手をかけようとした時、ちょうど扉が開いてトレーを手にしたエドモンドが入って来た。
「お茶の用意が出来ました」
クリスチャンは無表情に言いつけた。
「熱い茶を淹れてやってくれ。礼を欠いたことばかりいう舌が使えなくなるくらいの」
「マジであのババアなんなんだよ! 永遠にあんなこというなんて」
ブリスはベッドに飛び乗り胡坐をかくと悪態をつき始めた。
「ちょっとブリス! クリスチャンのお母様なのよ」
「いや、こいつのいう通りだ。長い間離れていたせいで忘れていたが、母は昔からなんでも自分の思い通りにしないと気の済まないわがままな人だった」
「だけど私のせいで、ご両親と喧嘩したり雰囲気が悪くなるのは嫌だわ」
クリスチャンは永遠の手を握り目を見つめた。
「君は優しいひとだな」
「なあ、俺がいるの忘れてない?」
ブリスは暑い暑いと手で顔を扇いだ。
部屋にノックの音が響くのと同時に扉が開いた。
永遠は手を離そうとしたがクリスチャンがそうはさせなかった。
イヴは繋がれた手を見て口元を引き締めたが、こわばった笑みを永遠に向けた。
「永遠さん、さっきはごめんなさいねー。お詫びにパーティーのドレスを一緒に選ぼうと思って、誘いに来たのよ」
「あっ、ありがとうございます」
クリスチャンは目を細めてイヴを見てから、永遠に優しい眼差しを向けた。
「行っておいで」
永遠がイヴの後から部屋を出て行くと、クリスチャンはブリスの前に腰を下ろした。
「お前に話があるのだ」
ブリスは眉を上げた。
「なんだよ、改まって…ああ、あれだな。さっき俺のことを友人だっつったのは、言葉の綾だとでもいいたいんだろう…別に俺は気にしないぜ」
「いや、それは言葉通りの意味だ。お前は友人…だとわたしは思っている」
ブリスは面食らったようだったが不揃いの瞳が輝いた。
こんなことをいいたかったわけではない。気恥ずかしさにむすっと息を吐いた。
「永遠のことだ。お前は永遠を大切に思っているな?」
「当たり前だろ? なに、俺に永遠を譲る気なの?」
「馬鹿をいうな、真面目に聞け。ではお前は永遠のためにどこまで出来る?」
ブリスが不敵な笑みを浮かべた。
「命だってくれてやるよ」
「では、わたしが永遠につらくあたっていた理由を話す」
「黒薔薇が咲いたのだ」
「はぁ? なにをいうかと思ったら、薔薇がなんだってんだよ」
クリスチャンは黙って眉を上げた。
「はいはい。どうぞお話下さい、ヴァンパイア様」
ブリスは天を仰いだ。
「お前は気付いていないかもしれないが、館の赤い薔薇は咲かないのだ。二百年間ずっと蕾のままだ。それが時折黒く染まる。すると必ずわたしのそばにいる女がひどい目に遭うのだ」
「永遠もひどい目に遭ったよな―薔薇のせいで」
ギロっと視線でブリスを射抜いた。
「お前の口はいくつあるのだ?」
ブリスはニヤーっと笑って犬歯を覗かせた。
睨みつけたまま続ける。
「それもわたしが目をかけてやればやるほど、ひどい目に遭うのだ。だからわたしが永遠につらく当たれば、危害は及ばぬかもしれないと―彼女だけはなんとしても守ってやりたかったのだ」
ブリスは頭を掻いた。
「それが本当なら、そんな薔薇抜いちまった方がいいんじゃねーの?」
「駄目なのだ。一度やってみた女がいたが、薔薇ではなく自分の指を切り落としてしまった。幸い彼女はヴァンパイアだったので手は元通りになったが」
ブリスは顔を引きつらせた。
「あんた、今すげーヴァンパイアっぽい顔してるぜ」
ブリスを無視して続ける。
「そこでわたしが抜こうとしてみたが、わたしではなく女に不幸が降りかかるので止めたのだ。実はあの薔薇は以前…愛したジョセフィーヌという女の植えた薔薇で、彼女の呪いではないかと」
ブリスは言葉をなくした。
そして腹を抱えて笑い転げた。
「マジでいってんの? アハハ、なぁ呪いって、腹いてぇ、ヴァンパイアが、いうことか?」
目に涙を浮かべクリスチャンの肩をたたいた。
「疲れてんだって、なんも起きやしねーよ。あんたはここで老体を休めてな。俺はあのババアにいじめられてねーか、永遠の様子を見てくっから」
部屋に一人残されたクリスチャンは小さな声で呟いた。
「彼女の亡霊を目にしても、そういっていられるか?」
イヴの後に続いて部屋に入ると、そこには腕を組んだエリカとかわいらしい女性がいた。
「ちょっとキティー! ドレスに皺が寄ってるじゃない。こんな簡単なことも出来ないの?」
「申し訳ありません、エリカ様」
「エリカ? 連れて来たわよ」
エリカと女性がこちらを向いた。女性の大きな瞳に浮かんだ涙に気づいて、知らない相手なのに胸が締め付けられた。
「あんた名前はなんだったかしら? トリだったかなんだったか、印象が薄すぎて忘れちゃったわ」
アハハとエリカのわざとらしい笑い声が響く。
「永遠よ」
ポツリと呟いた。
「キティー、用意したドレスを持ってきて」
イヴの主人然とした命令に、慌ててキティーが灰色のドレスを手に戻ってきた。
永遠は手渡されたドレスを掲げた。それは飾り気のないモスリンで出来ていて、色は雨に濡れたネズミの色だった。
「あなたにはお似合いよ。ねぇ、エリカ?」
「ええ、おば様。そのくすんだ色が地味な雰囲気とよく合ってると思うわ」
二人は顔を見合わせ笑った。
うってかわってエリカは笑みのかけらもない顔でじっと永遠を見つめた。
「良かったわね。これがはじめての晴れ舞台じゃない? あたしに感謝してほしいもんだわ。あんたに会ってすぐにおば様にお知らせしたのよ。クリスチャンがみすぼらしい猫を拾ったみたいだって」
イヴはくすくす笑った。
「そのときはあなたみたいなのだとは思わなかったものだから。いまさら婚約パーティーなんて必要もないけど、お客様をお招きしてるから仕方がないわね。さて、ドレスも選んだことだしお茶にしましょ。エドモンドにタルトを持ってこさせるわ」
二人が出て行くと静まった部屋の中は永遠とキティーだけになった。
永遠は二人の言葉を頭から締め出して、もう一度じっくりとドレスを値踏みした。きっとこのドレスにも一つぐらい良いところはあるわ。
けっきょく諦めて床に落とした。
ドレスを選ぶなんてよくいうわ。もう決めてあったじゃない、ステキなドレスに。
「お嬢様にはお似合いになりませんね。お顔の色が悪く見えます」
キティーは永遠の落としたドレスを摘み上げた。
「それに、これは侍女のものです」
この娘はいい人そうだわ。
「あなたはキティーというのよね? 私は永遠というの。あなたは、メイドさん?」
ペコリと頭を下げられどぎまぎした。
「はい、なんでもお言いつけ下さいまし。ぼっ、私、お嬢様のことは存じ上げております。皆、噂してましたから」
悪い噂でなければいいけど。エリカやイヴがいうよりひどいことはないだろうが。
「そうなの。私たちいいお友達になれそうじゃない? 年も近そうだし、私のことは永遠って呼んで。それと敬語は止めてね。偉くもなんともないんだから」
キティーの目がさらに大きくなる。
「そんな! 滅相もありません。お嬢様のような身分の方がメイドなどと懇意になるなんて、叱られてしまいます」
困らせてしまったようだ。どうしたものかと思っているうちにドアが開いた。
「永遠、ババアにいじめられなかったか?」
「ブリス! その呼び方は止めなさいっていってるでしょ」
ブリスの視線がキティーの手からたれた灰色の布切れに落ちた。
「もしかして、これ…あのババアが?」
「ブリスったら!」
ブリスが永遠の手を引っ張り歩き出した。
「行こうぜ。そんなの着る必要ねーよ」
ババアが自分で着りゃーいいんだなどといいながらずんずん進むブリスに引っ張られて、小走りになりながら永遠は振り向いた。
「あっ、じゃあキティー、またね」
だがキティーにその言葉が聞こえたかは定かでない。キティーはボーっとブリスだけを見つめていたのだから。
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