第8話 招待状が届く
ブリスは明け方近くに戻ってきた。一目散に永遠の体温を確かめた。
「下がってない」
頬に指を残したまま、数時間前の憤りを感じさせない声で問うた。
「目は覚ました?」
クリスチャンは何度掻きあげても落ちてくる煩わしい髪を撫で付けた。
「ああ、何度か。水を飲ませた」
「医者を呼んだ方がいーかもな」
「この辺に医者はいない。いるのは…」
「お医者様は要らないわ」
永遠が薄目を開けた。
クリスチャンは永遠に顔を近づけた。
「だいじょうぶか?」
愚問だった。対してブリスは的確に尋ねた。
「水、飲む? 食えるなら桃も食った方がいい」
永遠は起き上がろうとしたが、熱に奪われた体力がそうはさせなかった。
見かねたブリスが枕を支えにして、ヘッドボードにもたれかけさせたが、永遠はそれだけで目が回り喘いだ。
「寝ていた方がいいのではないか」
横にならせようとしたが永遠はクリスチャンの腕を掴んで止めた。
「だいじょうぶ。私がいつまでも寝てたら困るでしょう」
永遠は家事のことを指していったが、二人は永遠が苦しむことが困るのだと考えて頷いた。
「じゃあ俺、桃、持ってくるな」
ブリスは走っていってしまった。
思いがけず二人きりになってクリスチャンは気詰まりな沈黙を埋められずにいた。
「クリスチャン? ごめんなさい。いつも面倒ばかりかけてしまって」
「そんなことはない! 面倒だなどとは思っていない。ただ、その、わたしは…」
口を開いたがいえなかった。
二人の間に静かなときが流れた。口にされなかった言葉を思って永遠は熱に潤む瞳をクリスチャンに向け、悲しい微笑を浮かべた。
「すまない」
彼の謝罪が胸を少しずつ蝕んでいく。謝ってくれなければいいのに。そうすればまだ救われただろう。
ただ出て行ってくれといってくれさえすれば。
「持ってきたぜ」
部屋へ駆け込んできたブリスが差し出した皿には、カットしたというよりは、握りつぶしたといった方がいいような歪な形の桃が山と盛られていた。
クリスチャンはそれを目にして眉をひそめたが、永遠はブリスに笑顔と感謝の言葉を送り、皿からひとつを摘まんだ。
いくつか摘まむ間に濡れてしまった指を咥える様を、二人は魅せられたように固唾をのんで見つめた。
薬を飲み終えると永遠の空元気も切れ、ベッドに沈み込むと同時に二人は忘却の彼方に追いやられた。
翌日にはまだ熱はあるものの表面上はずっと元気を取り戻したように見えた。
部屋には太陽が取り込まれ、久しくなかった明るい雰囲気が漂っていた。
「ねぇブリス、お願いがあるんだけど」
クリスチャンがすかさず身を乗り出した。
「君の願いならわたしが叶えてやる」
永遠の笑い声が響いた。
「いいえ、あなたよりブリスの方が近いもの。窓を開けて欲しいの」
窓際に立っていたブリスは鍵を外した。
「永遠、まだ治ったわけではないんだぞ。また熱が上がったらどうする」
「だけどクリスチャン、今日はお散歩に行けないのよ。せめて外の空気を吸いたいの」
窓から冷たい風が舞いこんできた。
「寒くはないか?」
「いいえ、十分に温かいわ」
彼と目を合わせずに永遠は窓の方を向いた。
クリスチャンがわざとらしく咳払いをした。
「今度からはわたしも君の散歩に付き合う」
永遠はすぐに尋ねた。
「どうして?」
「君と同じ時を過ごしたいからだ」
永遠は振り返ってクリスチャンの表情を探った。偽りを見抜くのは得意だ。今までずっと人の顔色をうかがって生きてきたのだから。
首をかしげて見つめ、しばらくしてから微笑を浮かべた。
「いいわ。じゃあ早く元気にならなくちゃ」
「俺も永遠と一緒にいたい」
後ろでブリスが呟くのが聞こえた。今度は彼の方を向いた。
「もちろんあなたも、私に付き合ってくれるでしょう?」
ブリスの戸惑い混じりの表情が少しだけ明るくなった。
「いいのか? だって俺ウェアウルフだし、目、気持ち悪いし―」
それ以上自分を卑下するのを聞いていられず言葉を遮った。
「もうその話は済んだと思っていたわ。私はあなたがなんであろうと気にしないし、あなたの美しい目が好きよ」
太陽が翳った。ブリスの満面の笑みには敵わないと雲の後ろに身を潜めたかのように。
「そういえばクリスチャン、ブリスに服を貸してくれたのね」
何気なくベッドにあったクリスチャンの手を取ってブリスを眺めた。
「良く似合ってるわ。サイズもほとんど同じみたいだし」
クリスチャンは握られた手を見下ろし、ためらいながらも握り返した。
「こんなの俺の趣味じゃないね。真っ黒で陰気くさいし、いかにもヴァンアイアって感じだ」
ブリスが落ちつかなげに袖を引っ張る様子は微笑ましかった。なぜならそのつっけんどんな言葉も照れ隠しだとわかっていたし、見られていないと思ってそっと生地を撫でる手つきからも、本当は喜んでいるのだとわかったから。
「うーん、いかにも兄弟って感じかしら」
「なにをいう!」
「なにいってんだ!」
同時に答えた二人に眉を上げ、睨み合うのを傍観した。
ふいにブリスの視線がしっかりと握り合わされた手に落ちた。
「おい、なに永遠の手、握ってんだよ」
思わず永遠は目をぐるりと回した。
窓からは湿った秋の香りが迷い込んでいた。数日後、すっかり元気になった永遠はクリスチャンの宣言どおり三人で散歩をした後、久しぶりに台所に立っていた。キッチンに入って真っ先に目に飛び込んできたのはテーブルに山と積まれた熟れきった桃だった。
いくらなんでもこれほどあっては食べきる前に腐らせてしまうと思い、鍋に桃と砂糖を投げ込んでコトコトいわせていた。
匂いに釣られ、鼻をひくひくさせたブリスがやって来て鍋を覗き込んだ。
「ジャム?」
「そうよ。味見したい?」
木ベラを鍋から取り上げ、そうっと熱いジャムを指先ですくった。
「うん、おいしい」
味に満足し、どうぞと木ベラを差し出した。
ブリスはたっぷりジャムの付いた木ベラには目もくれず、永遠がさっき舐めた指を自分の口に入れた。
「うまい」
指に熱い舌を絡められてビクッとし頬を上気させた。
名付けようのない感情に翻弄されている隙に、口に指を含んだままブリスは永遠の胸元に視線を彷徨わせた。
「なに見てるの?」
彼の視線の先を追い目を細めた。
「今日は何色かなって思って。熱を出した日は白で、前に風呂場で見た時はピンクだったから―赤?」
「赤なんて持ってません!」
ブリスが無邪気な顔を見せた。
「なんで? ぜってー似合うぜ。俺が買ってやろうか?」
そんな顔しても騙されないんだから。どうせ布で覆われているよりも露出している部分の方が多いような破廉恥なものを想像しているんでしょう。
「おい、風呂場で見た時とはどういうことだ?」
クリスチャンが腕を組み穏やかならざる様子でドア枠にもたれていた。
「まあ、いつからいたの?」
クリスチャンはブリスが掴んだままの手に目を向けた。
「味見をするところから」
永遠は目を丸くした。
「最初じゃない。声をかければいいのに」
クリスチャンは眉を上げた。
「だがそうしていたら、こいつが君の下着姿を見たのは、熱を出した日が最初ではないと知らずにいた」
ブリスは申し訳なさそうな表情をつくろいながら口角を上げた。
「風呂に入れられた時、服が濡れて透けたんだよ―ピンクの下着が」
最後の言葉はクリスチャンを挑発するためのものだ。
彼は唸った。
「なんということだ。わたしは白しか知らないというのに」
永遠はブリスから離れ、男たちを同時に睨みつけられるようにした。
「ねえ、さっきから白、白って、勝手に私の下着を見たの?」
クリスチャンは口角をピクリとさせ、ブリスは頭を掻いた。
「それはだな、こいつが汗を拭いた方がいいというから―」
「だけど実際に永遠に触ったのはあんただろ」
「お前も見たではないか」
「俺は―」
永遠は大声を上げた。
「もういい! 止めなさい二人とも。同罪よ」
鍋に向き直ると一拍間をおいてから刑を言い渡した。
「このジャムは私のもの。あなたたちには一口だってあげないわ」
食卓は惨めだった。皿にはただトーストだけが載せられていた。
物欲しそうにブリスが永遠の方に目をやると、トーストの上には黄金色のジャムが鎮座し、かぐわしい香りを放っていた。目の前の瓶にはたっぷりと黄金色が詰まっている。
「美味かったなー。いーなー。ちょっとでもいいからくれないかなー」
永遠は甘いトーストをぱくりと頬張り、だーめと答えた。
髪を後ろでひとつに縛ったクリスチャンは、ブラックコーヒーを飲み、潔く刑を受けいれていた。
永遠がその様子にちらりと目をくれた。
「髪が伸びたのね、その髪型も似合ってるわ」
「ああ、何度掻きあげても落ちてくるのでな」
「そうなの。で、それはなに?」
トーストを頬張ったまま目でテーブルに置かれた白い封筒を示した。
「うむ? 両親が送ってきたパーティーの招待状だ」
「パーティー?」
カップをソーサーに戻し、永遠に視線を据えた。
「わたしと君の婚約を祝うパーティーだ」
「だけど私達は…」
永遠は伸びてきたブリスの手から瓶を遠ざけた。
「エリカが両親に君の事を話したのだろう。母がチャンスを逃すわけがないからな。嫌なら行かなくてもいいのだぞ」
「いえ、ぜひ行きたいわ。あなたがよければ」
指先で封筒を叩きながら思案した。
本当のところ行くつもりはなかった。婚約パーティーなどしなくとも永遠といられるだけで十分だ。だがここを離れるというのは都合がいいかもしれない。さすがに両親の屋敷まではアレもついては来られないだろう。
「そうだな。では招かれるとしよう」
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