第7話 空腹で異世界

 目の前に迫る木々。

 

 近づくにつれて鼓動が早まる。


 緊張からか全身に力が入り思うように体を動かせない。もう木は目の前だ。


 ラック鳥が翼をたたみ勢いのままに岩壁にできた林に突っ込む。バキバキという音と共に視界が葉と枝に覆われる。この林がどこまで続くのか分からいない。すぐに林を突き抜ける可能性も十分にある。

 飛び移ろうと羽を掴む手の力を緩めた瞬間、枝が顔にあたり跳ね飛ばされる。ラック鳥の背中から引きはがされ、直後に感じる浮遊感。枝をつかもうとがむしゃらに手を伸ばす。運良く枝を掴めたが跳ね飛ばされた勢いに耐えきれず枝が折れる。胸中に広がる絶望。それでもさらに手を伸ばす。手に掴むのは先ほどよりも太い枝。

 

 大きくしなる。


 折れるな。耐えてくれ。


 一本の決して太いとは言えない枝に命を預ける。


 離してなるものかと体ごとしがみつくため足をのばす。足が手に掴んでいるよりも太い幹に近い部分に触れ、足を回すことに成功した。体重が分散したことで枝のしなりがおさまる。油断せず、慎重に体の位置をずらし幹に近づく。足が幹に当たるくらいまで近づいてから力を振り絞り、枝を中心にしてしがみついたまま体を半回転させ枝の上に体を移動させる。


「はぁ~~~」


 大きく息を吐く。かなりぎりぎりだった。もう少しも動けそうにない。正直こんな場所から一刻も早く移動したいが無理なものは無理である。

 登った木からラック鳥に振り落とされてから何度も限界を感じたが、火事場の馬鹿力というか命の危機に瀕して発揮された生存本能で何とか乗り切ったという感じがする。

  下を見て自分のいる場所の高さを知る。今になって全身から冷汗が噴き出してきた。もしここの木々がそれなりに密集していなければ枝を掴むのは不可能だったに違いない。


 まったく、異世界に来て何度目だ、死の危険を感じたのは。まだ二日目だぞ。こんなペースで死が迫ってきたら一週間後には確実に死んでいる。俺は死神にでも取りつかれているのではないかと本気で心配する。


 とりあえずの危機は脱したが根本的な解決にはなっていない。目下最大の問題はどうやって地上に戻るかだ。


 枝にしがみついたままの無様な格好で必死に考えを巡らせる。


 体力を回復してから崖を下るか?そんなもの考えるまでもなく却下だ。それが可能ならば木から落ちそうになってラック鳥に飛びつくなんてことしなかっただろう。しかし、それ以外の解決方法が思いつかない。唯一の解決方法が実行不可能では完全に手詰まりである。

 

 どうすればいい。食料もなければ水もない。携帯は異世界に移動した際に消えたカバンの中だったし、あったとして役に立つとは思えない。

 無い物ばかり考えるな。今持っているものは何だ。着ている服と靴。フィールから借りたライター。これで全部だ。

 ライターで木に火をつけて助けを呼ぶ?自分が火だるまになるのが先だな。木がそれなりに密集しているのでどこかに火が付けば俺も巻き込まれる。かと言って手近な細い枝を折って燃やしたころで助けが呼べるほど目立つわけがない。


 何とか助かる方法はないのか。


 首を巡らして希望を探す。まず、精一杯首を左後ろに向ける。目に映るのはしがみついている木と同種の木ばかり。木の実はなっていない。異世界の不思議でこの木の葉は食べられるのではないかと思いとりあえず口にしてみる。苦い。明らかに食用にはなりえない。ダチョウは飛ぶくせに葉は食べられないとは異世界厳しすぎる。

 文句はひとまずおいて、さらに視線を巡らす。木以外に映るのは葉の隙間からわずかばかり見える岩壁。他には何も見えなない。

 今度は右後ろに首を巡らす。目に映るのはさっきと同じ光景。同じ木と隙間から見える同じ岩壁。今ばかりは視界を遮り、密集する木々をうっとうしく思う。

 左右は確認した。今度は上だ。抱き着く先を枝から、幹へと変える。慎重に体の向きを変え、幹から枝が枝わかれしている部分に尻をのせる。安定感が増したところで上を向いたが今度はしがみつく木自体に茂る葉に視界を遮られた。考えてみれば当たり前の結果である。仕方なく下へと視線を向けるがくねった幹と他の木に茂る葉で見えない。


 このままでは周りの状況把握すら困難なので葉が茂っていないであろう幹の根元を目指す。

 あまりの高さに足がすくむが亀が歩くよりもゆっくりと慎重に慎重を重ねて、何度も休みながら根元目指して移動する。


「やっとついた」


 かなりの時間をかけて幹からの枝分かれがなり一本の幹となった部分にまで移動してきた。他の木々の枝葉が目に映るが移動する前よりも格段に視界が良好だ。

 ひらけた視界に映ったのは岩壁にできたいくつかの大きな亀裂。縦や斜めにはしるその亀裂から木が生えているのが確認できる。木が生えて亀裂ができたのか、亀裂があったから木が生えてきたのかはわからないが一筋の光明が見えた。

 大きいといっても終わりが確認できない程続く岩壁からすれば小さな亀裂だ。しかし、人ひとり入るには十分な大きさ。加えてそれなりの深さがあるように見えるので、どこかに繋がっているかもしれない。


 それにしてもこの岩壁いったいどこまで続くんだ?左右どちらを見ても終わりが見えない。もしかしたら森の国を横断している可能性もあるじゃないか。


 それはそれとして、またも長い時間をかけてくねった幹を尺取り虫のようにズルズルと這いながら岩壁の隙間にたどり着く。


 岩壁の中とはいえ数時間ぶりに地面を踏む感触に大きな安心感を覚え崩れ落ちるように座り込む。もちろん崖からは十分な距離を取って。

 予想通りこの亀裂は奥まで続いていそうだった。


 亀裂から見える空はオレンジ色に染まり始めていた。


 本当に良かった。日が暮れる前にここにたどり着けて。

 瞼が重くなってくるが逆らわず瞳を閉じる。

 肉体的にも、精神的にも限界だった。


「一日で帰れなかったな」


 そうつぶやいて今日が終わった。




「腹減った。」

 

 目が覚めてすぐ思わずつぶやく。

 よく考えたら昨日の朝食以降は蜜柑味のグミと葉っぱ一枚しか食べてない。葉っぱをカウントしてしまうあたり自分でも重傷だと思う。

 立ち上がるのもおっくうだが餓死はもっと嫌なので立ち上がり、この亀裂の中を探索する。とりあえず奥へと進む。奥へ進むほど薄暗くなり視界の確保が困難になってくる。上着の左ポケットからライターを取り出し松明代わりにすると少しだが周りが見やすくなった。水でも沸いてないかと思いながら周りを確認するが同じような景色が続く。十分ほど歩くと光が見えてきた。ライターをしまい、光に向かってゆっくり進む。


 もう空中ダイブは御免だ。


 光の先にはちゃんと地面があった。そこは俺が異世界に来て最初に見た竜の寝床によく似ている。ただし真ん中にそれなりの大きさの穴が空いていることが確認できた。竜はいないし反対側に洞窟の入り口らしきものが見えるのであの場所ではない。

 それ以外は広さや周りを囲む岩壁といい、空から差し込む太陽の光といい本当にそっくりだ。


 広場の中心あたりに空いている穴に近づく。その穴はすり鉢状に広がっていて二メートルくらいの深さがある。穴の底にはうごめく影があり、目を凝らしてよく見てみるとそれはおびただしい数の蜥蜴だった。思わず目を逸らす。何匹いるかは不明だが、最低でも数千匹はいる。もし、あの数の蜥蜴に襲われたら助からないと思い逸らした視線を蜥蜴に戻す。視線の先の蜥蜴は俺に気づいていないのか穴から出てくる様子を見せない。ひとまずは安心していいだろう。だが視線はそのままだ。安心してすぐ後に何度も悲惨な目に合ったからさすがに学習する。

 そして気づいた。あの蜥蜴たちが共食いをしていることに。穴から出ることもせずにひたすらにお互いを食い合う蜥蜴。一匹が他の蜥蜴の胴体に食いつけば、食いついた蜥蜴の足に他の蜥蜴が食いつき噛み千切る。移動力の落ちた蜥蜴はもはやただの的。周りから一斉に襲い掛かられる。それと同じような光景が穴の中で永遠と繰り返されている。

 今度こそ目を逸らし、洞窟へと足を向ける。見ていて気持ちの良いものではない。


 たどり着いた洞窟は通ってきた亀裂よりも横幅が広く歩きやすかった。

今度は三十分ほど歩くと出口が見え、ゆっくりと外に出る。岩壁の中をつっきってきたので洞窟の出口も当然地上から離れた高所にある。洞窟が終わっても崖からせり出すように足場が広がっていたため安全に周囲の状況を確認できた。


 遠くに通って来たのと同じような岩壁が見える。反対側にあるその岩壁も果てが確認できない程左右に広がっている。そして、反対側の岩壁と俺の立つ岩壁に挟まれ生まれた谷底にはいくつもの湖が点在していた。また、湖以外の場所は青々と茂る緑に覆われ豊かな自然を形成している。


 この谷底に降りることができれば今感じている空腹を満たすことができるだろう。空腹だけではない。湖を見て急速に覚えたのどの渇きも癒せる。よくよく思い出せば最後に水を飲んだのは昨日の朝食の時だ。丸一日水を飲んでいなかったことに今更気づく。水の大切さは認識できていたはずなのに今の今までのどの渇きを覚えなかったことを自分でも不思議に思う。


 GhyK-------------------


 突如響いた竜の鳴き声を耳にしてとっさに洞窟内に駆け戻る。

 周りからなるべく見えないよう注意を払いながら顔だけ出してあたりを確認。


 特に変化なし。


 思わず隠れてしまったがフィールから竜が突然鳴くことはそう珍しくないと言われたのを思い出す。


「脅かすなっての」


 悪態つきつつ、もう一度日の下にでる。


 足を止めて大きく深呼吸。何度も繰り返してから洞窟に戻り、すり鉢状の穴が空いた広場を目指す。問題が何一つ解決しなかったのでせめて新鮮な空気だけでも体に取り込みたかったのだ。


 食料と水。


 地上に戻る方法はひとまず置いて、これらを求めて探索したが手に入った物は何もない。

 成果を挙げるとすれば共食いする蜥蜴と目に映るばかりで届かない湖の水くらいか。


 今すぐ死ぬというわけではないが空腹とのどの渇きには素早い対処が必要だ。異世界はいつ何が起こるかわからない。今できることをしなくてはならない。


 今、俺ができる事ーーそれは腹を満たすことだ。


 何せ蜥蜴はうようよいたからな。

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