不意を衝くかのような彩音の言葉に、一同がさらに黙る。夕陽がさらに地平線へと沈んで行く。

 最初に静寂を破ったのは、景子だった。

 「消えるって・・・何?あなたはいったい何者なの?」

 その質問に、彩音は応えようとしない。何も言うつもりはないようだ。

 その無言にすかさず悠磨が、

 「景子、知るべきじゃないことだってあるのさ」

 「だけど・・・」

 「それに、彩音だって知られたくないんだろ?」

 首肯する彩音を指し示し、悠磨はわかってやれというアイコンタクトを景子に向けた。しかし、なかなか景子は納得しようとしない。その傍まで寄ると、彼は景子の肩に自分の腕を回した。

 「知りたいことは俺だっていくらでもある。だけど、彼女自身が話したくないものを無理に話させてまで納得できんのか?」

 「それは・・・ないけど」

 「じゃあいいんだ。それは知らなくていい事実なんだよ」

 素直になった景子の頭をくしゃっと撫でると、悠磨はその右手を離した。

 しかし、いくらなんでも知らなければならない事実も存在することを、悠磨はよく理解していた。たとえそれが彼女の話したくないことだとしても―

 「彩音」

 それでも、訊かなければならない。興味本位でもなんでもなく、今後の自分たちのために・・・

 景子が、摩耶が、泰典がいる。だから、知らなければならない。

 「1つ、どうしても訊きたいんだ」

 「いいよ、ある程度なら」

 「じゃあ―」

 吸い込んだ空気が、肺を一気に押し広げた。吐き出される空気に言葉を乗せるようにして、悠磨はとうとう核心に切り込んだ。


 「全ての真実を教えてくれ。あの日、瑠乃がここから飛び降りた時のことも、彩音の自殺の理由も、泰典のことも、全部」

 

 場に緊張が走るが、それでも悠磨は臆せず続ける。

 ここで止まっては、自分たちの成長に意味を見いだせなくなる。


 「何よりも、彩音がこの世界に執着してた、その理由も知りたい」


 言い終えた悠磨は、じっと彩音を見つめる。その透き通る体の先には、先ほどまで摩耶が握っていたナイフが見える。

 「嫌と言ったら?」

 彩音の悪戯っぽい笑顔には、悠磨の答えが既に分かっているというニュアンスがあった。

 「わかってんだろ?こればかりは大事なことだ」

 真顔で答えを返すと、肩透かしを食らったような気分になった彩音は苦笑いする。摩耶は唇を強く噛んだまま震えていた。

 「わかってる。それを最後に言っとかなきゃって思って」

 そして彼女の顔もまた、真顔になった。

 彼女の知る全て―真相の全容が、その口から明かされ始めた。


 ※


 「君は当事者だから分かってると思うけど、瑠乃が自殺した理由は、いじめだった」

 苦い顔のまま、悠磨は先を促す。

 「そして1年前のちょうど今日、この場所から飛び降り自殺をした。そうよね」

 「1年前の今日・・・」

 奇遇なのか偶然なのかわからない運命に、悠磨は頭を抱えかけた。景子もどこか反応に困っている。

 「そう。それで、瑠乃は確かに生きてるよ。それは摩耶と私と本人しか知らないけどね」

 「じゃあ、俺らの前で飛び降りたのは・・・?!」


 「彼女の妹・・・正真正銘血の繋がった双子の妹よ」


 あまりのことに、思わず絶句する。確かにそっくりだとはいえ、そこまで見抜くことができないほど似ているとは何とも恐ろしい。

 「でもなんでそいつが俺らの前で飛び降りる必要があったんだ?しかもわざわざ瑠乃のフリをしてまで」

 その言葉には、どこか答えを聞きたくないというイントネーションがあったが、彩音は無言の悲鳴をスルーし、

 「復讐のためよ、きっと。君と景子ちゃんに対する、ね」

 「復讐か・・・」

 「それから、お姉ちゃんである瑠乃を守るためね。自分がお姉ちゃんの代わりに、ってなったんだと思う。それに気付けなかった瑠乃も後悔してるみたい」

 ここまで狙われるとは、と思ったが、しかしよくよく考えるまでもなく当然のことだ。姉が自殺に追い込まれたのならば、その憎しみは当事者である悠磨と景子に向かって然るべきなのだから。自分たちがしたことは、そこまでのことだったのだ。痛感すると、悠磨はおもむろに首を横に振った。

 景子を守るためとはいえ、それが彼女の迫害行動を助長したのは間違いない。十字架の重さは、考えるよりも重かったのだ。

 「私はそれで、瑠乃の妹―璃乃を失った悲しみで嘆き続けた。それでもね、一人で悩めるのにも限界があるの。頼れる人がどうしてもいて欲しかった。だから元彼の泰典に頼った。彼なら、私のことを一つでも多く知ってる彼なら・・・少しでも心を軽くしてくれるんじゃないかって、期待して・・・」

 そこまで一気に言うと、目から透明な涙を零した。クリスタルのように煌くその涙を、ゆっくりと目で追う悠磨は、1年も経ってようやくわかった罪の重さに、何とか柱一本で気丈に耐えていた。

 続きの言葉を聞くことが、どうしても怖くなった。


 「拒絶されたの」


 冷徹に響くその声は、その上にさらなる重石を積み上げる。

 「『だって自分で言ったじゃん。もう一生関わらないって。顔も見たくないって』。その言葉で、私の心は絶望のどん底に落とされた」

 やはり訊くべきじゃなかったのかもしれない。辛い事実をいくつも積み重ねられるうちに、だんだん心の傷が深く抉られている気がしてならなかった。

 だがそれでも悠磨は耐える。

 ―逃げんな俺。お前がやったことだろ?景子の分まで、お前が背負ってやるしかないんだろ?

 もう事実には背を向けないと腹を括った悠磨は、知らなかった泰典の裏の顔を知ることになった。いつも悠磨が見ている彼ではない、また別の彼―見たこともない顔を、彩音には見せた。

 「彼はそうやって私を突き放して、二度と来るなって言った。だから私―居場所がなくなっちゃったの」

 笑っているのか泣いているのか、彼女の声と表情が上手く一致しない。

 摩耶がとうとう堰を切るかのように号泣しだした。景子がゆっくりとその背中に手を置くが、摩耶は素直にそれに従った。

 「何も私には選択肢がなかった。ただ一つ、『死ぬ』こと以外には」

 半分諦め口調で言う彩音を、悠磨は黙って見据える。

 「だから私は、その・・・自分の家で首を吊って死のうって考えた。でも、どうしてもそれができなくて―」

 違和感をずっと抱いていた悠磨はそこで、ふと彩音の姿が徐々に見えづらくなっていることに気付いた。

 ―もうすぐ消えるんだな、彩音。

 「それで、私もここから飛び降りたの」

 そうか―そういうことだったのか。

 

 なんとなくっていうのは、全てから見放された絶望感だったのか。


 その発端が自分にある。悠磨はその罪の重さを受け止めると、

 「ほんとにすまん!」

 一秒ごとに透けていく彩音の足元にひざまずき、土下座した。

 彩音は首を横に振ると、

 「もういいの。終わったことだし、私の心が弱かったんだから。自業自得よ」

 笑顔で言ってのけた。

 景子は後ろで号泣していて、その横にはいつの間にか摩耶が立っていた。摩耶はそっと景子の肩に触れ、彼女の髪を優しく撫でた。その顔は、先ほどまでナイフを持っていたとは思えないほどに穏やかだった。

 「ねぇ、摩耶」

 「ん?」

 「私ね」

 彩音が摩耶に、最後の思いを伝える。

 「摩耶にわかってもらえて、摩耶にこんなに大事に思ってもらえて、ほんとに、ほんとに嬉しかった」

 「彩音・・・」

 「だからさ、摩耶、もう復讐なんていらないんじゃない?これで全部終わりだし、それに―」

 一度間を置いた彼女は、摩耶の光っている目を見て、


 「私も、空の上から見守ってるからね」


 「・・・彩音!」

 「さようなら、摩耶。さようなら、みんな・・・」

 「あーやーねーーーーーっ!」

 絶叫する摩耶が涙を流しながら、彩音の存在に向かって走る。

 ゆっくりと彩音は消えていく。

 透き通っていた体も、完全に見えなくなろうとしている。

 ゆっくりと夕陽が沈む中、彩音はほとんどその体が見えなくなった。


 彼女の全てが消える直前、彼女の声がした。

 

 「悠磨、ほんとにありがとう・・・」

 

 そして彼女は、この世から消えた。


 ※


 神様が消す、その前に。

 その言葉を摩耶は思い出していた。それは、神が定めた運命を恨むためではなく、その前に彼女がやろうとしていた本当のことをわかった気がしたからだ。

 夕日が沈み切ったビルの屋上で、ようやく誰もの涙が止まった。すっかり暗くなってきた夜空には、星がちらほらと輝いている。こんな都会でも星が綺麗に瞬いているのは、彩音が見せてくれた奇跡なのだろうかと、悠磨は微笑んだ。

 「ねぇ」

 いつしか隣に立っていた景子が、悠磨に声をかける。

 悠磨はゆっくりと彼女の頬を撫でると、

 「景子、彩音はあの星のうちのどれだと思う?」

 「んー・・・あれかな?」

 適当に指をさす彼女の額を小突くと、彼女の右手を握った。景子の握る力も、少し強くなる。

 それはまるで、もう離しはしないという強い意志のようだった。


 「バカ兄貴!」

 

 星を見ていると、不意に声がした。

 「あ、有紗?!」

 「バカ兄貴!何してたんだよー!」

 「あ、いや・・・」

 「ほんと心配したんだから!っていうかみんな何してんの?」

 ふっと力を抜いて笑った悠磨は、一同を見渡す。

 「少し遅い盆送りだ」

 何が何だかわかっていない有紗を、空いている右腕で抱きしめた。

 「悪い、心配させて」

 少しずつ、溢れそうになる気持ちにブレーキをかけようとして力が入る。

 「く、苦しいよ」

 有紗はしかし、そこから逃れようとはしなかった。逆に悠磨を抱きしめると、

 「深くは訊かないよ、兄貴。だけど、苦しいことがあったら言ってくれればいいのに」

 黒いセミロングの髪を風になびかせながら、景子はその光景を見つめていた。

 ―よかった、なんとなく。これで心に残ってた重石が消えて・・・

 涙は出なかったが、どこか彩音のいなくなった寂寥感に包まれた。それでも隣に悠磨がいるということだけで、自分にとっては十分だと思った。

 「悠磨―ずっと一緒にいてよね」

 風に乗せるように呟いた。


 ※


 悠磨は、思う。

 生きることも死ぬことも、それは神が定める運命だと。

 それでも苦しんで、悩みぬいた松本彩音の死は、本当に無駄にしてはいけない。自分たちも自分たちのやるべきことがある。

 今自分にできるのは―家族を、親友を、そして大事な人を、守ること。その傍にいてあげること。

 そのために、目の前にいる景子を抱きしめた。

 摩耶も、笑う。

 有紗も、驚いた顔をしながらも笑っている。

 いつしか星は、夜空全体に広がっていた。


 ―悠磨、ほんとにありがとう・・・

 今でも彩音の声は、脳の奥でこだましていた。いつまでも、いつまでも―

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