2章

 

 「おーし、お前らちゃんと勉強しろよー!あと絶対に怪我だけはすんなよー!じゃあ、これにて1学期は終了!うい!」

 適当にもほどがあるとしか思えない担任の注意事項が一瞬にして終わり、日直が号令をかける前に「いいいいめんどいからお前らさっさと帰んな!ほら!」と言い残して彼は悠然と去っていき、悠磨たちにとっての高校生活最後の夏休みが幕を開けた。とはいえ、この学年にもなれば夏休みなんてやることは1つ、勉強だけだ。

 もちろんそのつもりでいたのは、悠磨にしろ景子にしろ同じことだった。しかしそれは、少女の自殺事件に首を突っ込んだあまりにやや大きく軌道修正させられることになってしまったのだ。

 彩音の件について問い詰められて以来、悠磨はおろか、景子や他のクラスメイトにすらも全く近づかなくなり、一人で過ごすことが多くなった摩耶。摩耶が消えた屋上で、悠磨が聞いた、松本彩音のものと思われる声。

 「彼女の幽霊はすぐ近くに存在する―」

 それが、景子と協議した末の結論だった。状況的に他の誰かが物陰に隠れていたんじゃないかと最後まで景子は食い下がったが、話しかけてきた内容的に違うし、そもそも屋上には人が隠れられるような物陰が存在しないので無理だということで納得した。しかも悠磨がその声を聞いたのは紛れもない事実であり彼の話の筋もきちんと通っているので、もうこれをオカルトやホラーなどという言葉で片付けるには無理があったのだ。

 「まさかな―幽霊が、マジでこの世にいるなんてな」

 つい少し前まで、幽霊なんて自分にとってただの迷信か都市伝説の領域にすぎなかったけど、それを今でも言えるかと尋ねられたら、「無理」の2文字を一瞬で返せるだろう。なぜならば聞いてしまったからだ。幽霊の声を。

 「しかし―あの声、どっかで聞いたことある気がするよなぁ・・・あれ・・・」

 幽霊の声は、聞き覚えのある声だった。それが彼の中で引っかかって仕方がないのだ。


 ※

 

 いつも通りの通学路を、家に向かって二人で帰る。

 「でもって悠磨は塾に行く予定はないと」

 「今のところはだけどな」

 「まさか・・・自殺した子のこと、これ以上深く調べるつもり?」

 ズバリ的中した景子の予測に対して、悠磨は苦虫を噛み潰したような表情をもって返答とした。景子の顔が驚愕と呆れの色に染まる。その中には、ほんのわずかとはいえ恐怖と心配の色も隠しきれてはいなかった。

 「ねぇ」

 景子は慌てて、隣を歩く悠磨の腕をがっちりと掴む。

 「んだよ・・・」

 「悠磨、正気?」

 真剣な眼差しで悠磨を睨みつける。まるで心の奥深くを射抜くかのようにして。

 景子は本気で心配していた。彼が正気で言っているのか。だが、悠磨はさほど大したことないとしか思っていない。心配なんてしていない。むしろ解決しなければという焦りの方が顕著に見える。

 「あのさ、私たち受験生だよね?!わかってるよね?!」

 「わかってるわかってる。すっげーわかってるって」

 「わかってるならじゃあなんでそこまで深追いするの?!」

 「落ち着け。なんでお前がそんなに怒るんだよ・・・」

 今度は悠磨の表情に呆れと困惑の色が混ざる。

 「勉強しなきゃいけないときにそんなことしてて、どうなるかわかってるの?!」

 「別に」

 さらに怒りをぶちまけようとした景子の動きが、一瞬にして凍りついた。悠磨のぶっきらぼうな返事と表情が、急速に温度を失くしていくのが感じられた。

 「俺は困らない。そこまで言うならお前はこれ以上関わらなければいい。俺と泰典だけで調べるから」

 その言葉の冷たさが景子の心を貫き、抉る。自分から関わらない方がいいと言っておきながら、いざじゃあ必要ないからといわれると、腹が立つよりも悲しさと虚しさに押しつぶされそうになる。

 

 そんなに危険を冒してまで。そんなに自分を犠牲にしてまで。

 理由を深く知らない景子にとって、未だに松本彩音という赤の他人の自殺に深く関わろうと奔走し、命を削ろうとする悠磨の真意がわからない。

 わからなくて、見えなくて、だんだん悠磨が遠くへと向かっていくように思えて―


 「じゃあ勝手にすれば!」

 怒り任せに怒鳴りつけ、早足で進んでいく。しかし、悠磨は「待てよ」とも言うことなく、追いかけてくることもなかった。

 ―悠磨のばか。ばか。ほんっとに大ばか!

 心の中で、何度も何度も繰り返した。

 気が付けば、彼女の頬を涙が伝っていく。それを道行く人から隠そうとして慌てて拭うも、その涙はとどまることを知らない川の流れのように落ち続ける。

 ―悠磨のばか。大っ嫌い!

 心の声が、エコーした。


 足早に去っていく景子の後ろを、悠磨は何の感情もなくゆっくりと歩いている。

 ―最初からあいつを巻き込むべきじゃなかったんだ。

 冷静に考えると、景子を巻き込んだせいで、景子と摩耶の友人関係をぶっ壊すことになってしまったり、あれこれ要らぬ心配をかけさせまくっていた。ならばいっそ、ここで景子の肩の荷を一つでも降ろせれば本望だ。

 望んでもいない喧嘩によって得た、望むべき結果。それを悠磨は、すんなりと受け入れた。

 その時、ふと見渡した交差点の端に、摩耶の姿を捉えた。

 ―全部あんたのせいよ。

 ―死ね!

 痛烈な言葉を浴びせられたあの時以来、全く摩耶とは言葉を交わすこともなくなっていた。避けられているのはわかっていた。それは自分だけでなく、景子も同じだ。

 一瞬頭をよぎったその考えを、きちんと悠磨は網に引っかけた。

 「摩耶!」

 叫んだ。振り向く摩耶のもとへと駆け出す。

 避けられて以来重かったはずの足が、勝手に軽くなっていた。

 「摩耶!」

 刹那、回れ右をした摩耶が駆け出した。

 ―あぁ、逃げるつもりか・・・

 しかし、そこで引くわけにはいかない。今まで重い足を言い訳にして諦めてきた、摩耶との関係修復を図るための行動。それを今ならできる気がしている。千載一遇のチャンスだ。

 ―ここで逃げてたまるかっ!

 必死になって、悠磨もそのあとを追いかけ始めた。

 ―頼む、心を開いてくれ!今までのように、心を開いてくれ!

 祈るような思いで、すがるような気持ちで、悠磨は彼女を追いかけ続ける。どうしても解かなければならない謎のために、取り戻したい関係のために、悠磨は彼女を死ぬ気で追いかけ続けた。

 ―せめて・・・せめて、景子にだけでも・・・心を開いてくれ・・・

 こんな時にでさえ、ついさっき喧嘩別れした景子を第一に考えてしまう。思わず苦笑いした。

 

 どれくらい走っただろうか。すがるような彼の思いが実ったのか、かなり走らされたところでようやく摩耶は悠磨のお縄を頂戴する羽目になった。

 「なんだよ!」

 荒々しい口調で喚く摩耶を、

 「頼むから、俺の話を―」

 「嫌っ!」

 必死で宥めようと、悠磨は奮戦する。

 「あんたなんかとは話もしたくない!彩音が死んだのも全部、全部あんたのせいじゃない!それを何よ今更!偽善者みたいに!『彼女を助けたい』なんて言って―」

 「わかんねぇんだよ!」

 気づいたら悠磨の右手は、渾身の力で摩耶に平手打ちを炸裂させていた。

 「お前の!その!俺のせいだって!言葉の意味が!わかんねぇんだよ!」

 一語一語、荒い息とともに吐き出す。もう彼の意識は混濁している。

 フラフラした脳内で、何度も何度も摩耶の半泣きの顔が揺れる。

 「知らない!俺は何も知らない!松本彩音なんて!会ったこともない!」


 その発言が、核爆弾となった。

 「ふざけんなぁああああああああああああっ!」

 摩耶が吼えた。今まで一度も聞いたことのないような声で、渾身の力で、悠磨に向かって吼えた。それは決して負け犬の遠吠えではなく、反撃に出るライオンのような咆哮だった。

 悠磨の手から逃れ、そのまま走り去っていく摩耶を、彼は追わなかった。道行く人々が奇異の目を向ける中、悠磨は歩道に倒れこんだ。弱々しい苦笑を見せながら、

 「結局ダメだったなぁ・・・」

 一言、空に向かって吐いた。

 景子にも、摩耶にも逃げられた。なんだかんだ言ってもやっぱり景子にも逃げられたんだと悟った彼は、涙を流すこともなく、ゆっくりと静かに笑っていた。

 

 ※


 「みーつけたっ!」

 彩音の幽霊は、生気を失った後ろ姿を晒して歩く悠磨の姿を見つけた。先日彼の学校の屋上で接触したとき、彼には声が聞こえていた。その日、やっと誰かに自分の声が届いたという喜びのあまりに一晩中泣いて泣いて泣き続けた。確かにそれは喜びの涙だったのだ。それも、届いた相手は他ならぬ平川悠磨だから、二倍増しで嬉しく思った。

 「さてさて、今日も気づいてもらえるかなー?」

 何よりも楽しそうな声を出す彼女はしかし、ポケットの中に入れた手が何か硬いものに触れた途端、一気に消えていった。

 ―これ、悠磨に返すべきかな。

 返せば、やっと思い出してくれるだろう。自分のしたことの罪深さもわかり、彩音にとっての「復讐」が幕を閉じる。だが彩音にとってそのフィナーレは、望むものではない。

 逆に返さなければ、ずっと彼は彩音のことを思い出さないだろう。それはそれでいいのかもしれないが、彼女のやろうとしてる目的のためには少々辛いことでもある。

 ―「記憶メモリー」・・・


 それはすなわち、悠磨から抜き取った彩音との記憶そのものだ。


 背後に異様な気配を感じた悠磨が咄嗟に振り替えるのと、背後に近づいた彩音の視点が彼の目にロックオンさせるのは、ほとんど同時だった。それでも悠磨にはどうせ見えてないから大丈夫だと、少しながら緊張した彩音は思っていた。

 彩音にとって、大きな誤算が生じた。


 「君、まさか・・・松本彩音?!」

 「ふぇ?!」

 

 悠磨には、彩音の幽霊が見えてしまったのだ。

 声だけでなく姿まで認識されてしまった彩音はただその場に立ちつくし、同じく幽霊の声を聞くだけでなくその姿まで見てしまった悠磨も立ち尽くすことしかできなかった。

 道端で、二人は長いこと見つめあい、向かい合ったまま硬直していた。

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