教室に入るなり、悠磨は摩耶の座る席へと向かっていった。全ては彩音の情報を知る唯一の知人―摩耶から訊き出すためだ。たとえそれが摩耶と悠磨や景子の間に亀裂を入れることになったとしても、その時はその時だという覚悟はできていた。

 結局、悠磨一人で摩耶に話をしに行くことになった。それは景子にとっては不本意な話ではあったが、「お前をこれ以上はトラブルに巻き込みたくない」という悠磨の強い思いに気おされて、渋々ながら彼女は承諾したのだった。

 「摩耶」

 化粧をしていた摩耶が、その手を止める。机の前に立つ悠磨を見上げた。

 「なに」

 「少し話がしたいんだけど、いいか?」

 ほんの一瞬のことだったが摩耶の表情がこわばったのを、悠磨は見逃さなかった。

 ―知ってるな。松本彩音のこと、間違いなく何か知ってるはずだ。間違いない!

 自信は瞬時に確信へと変わった。彼女は「何か」を知っているということが、その一瞬でわかった。

 ―ならば、とことん訊き出すしかない。

 そして彼の表情には、強い決心が表れた。


 ―知ってるな、こいつ。彩音とあたしのことに気付いたな。

 悠磨が何やらシリアスな表情でやってきたときから、なぜか読み取っていた。彼が何も言わないうちに悠磨の言いたいことの全てを、なんとなくだがわかったような気がした。

 彩音と自分の関係が、まさか自分から切り出す前に知られるとは、いったい何をどうしたらわかったのだろうか。その疑問が急に摩耶を締め付け始めた。

 ―ヤバい。

 焦りと苛立ち。それを目の前の平川悠磨に分かられたら終わりだ。何とか表面上だけでも平静を保とうと頑張って、無理やりながら笑顔を作って見せた。一瞬だけ顔がこわばったのがバレていないかどうかはとても気になっていたが。

 ―ねぇ、マスター!どうすればいいの!

 内心では、今見せている仮面とは全く裏腹な叫びが響く。いつもはうるさいくらいに過剰に反応してくるはずの内なる声が、こういう時に限って全く反応してくれない。

 ―ど、どうしよう・・・

 焦りは空回りを生む。だが、それでも全く何も変わってくれなかった。

 ―彩音!

 仕舞には「彼女」を本名で呼んでしまった。

 ―仕方ない・・・自力で何とか切り抜けるしかないか。

 「摩耶?」

 完全に悠磨が不審がっているのがわかった。潮時だ。

 「なんでもない。話するんだったら場所変えてくんない?」

 いつも通りの声音と口調。いつも通りの態度。何とか取り繕えたつもりだった。

 しかし悠磨は完全に彼女の挙動を見逃していなかったことを、彼女は全く知ることができなかった。もちろん、顔が一瞬とはいえこわばったことも。


 ―知ってるね、あの子。間違いない。

 自分の席からさりげなく摩耶の席の様子を見ていた景子は、確信した。

 昨日悠磨が披露した推測はほとんど間違っていないだろうと、そのとき彼女は思った。彩音の自殺について何か摩耶が知っているであろうことも―

 摩耶の動揺ぶりは、それほどまでに明らかなものだった。表情はどこか不自然で、引きつりかけたような笑顔を何とか繕っている。その笑顔も、場所を変えて本題に入れば崩れるだろうと景子は容易に予測した。

 ―チェックメイト。

 席を立ち、教室を出ていく2人を目線で追う。その視線に気づいた悠磨が振り返り、大丈夫と言わんばかりのアイコンタクトを見せた。

 ―頑張って。

 精一杯の力を込めて、悠磨に伝えた。

 ここから先、摩耶と自分や悠磨との関係は絶望的なものになったとしても仕方がない。それでも突き詰めなければならない真実がある以上、彼女との親友という関係に終止符が打たれることを恐れてはいけない。昨日の時点でその覚悟は決まっていた。

 ―頑張れ、悠磨!

 姿が見えなくなった彼に向かって、心の中でもう一度叫んだ。


 ※

 

 校舎の屋上にやってきた2人は、柵の手すりに手をかけながら景色を眺めていた。登校してくる生徒やグラウンドで朝練をする生徒たち、そしてその先に見える市街地を映し出す景色を見ていると、なぜこの日常的な平穏な街で一人の少女が自ら命を絶ったのかが余計に分からなくなってきた。命を絶たなければならないようなよっぽどな理由がこの街に存在するとは、どうしても信じられなかったのだ。

 「平川」

 先にその静寂を破ったのは、摩耶のほうだった。

 「ねぇ、話ってなに?」

 一刻も早くこの場所から、この空間から逃げ出したくて仕方がない彼女は、何とかして彼に本題を切り出すように促す。しかし、簡単には彼も動かない。

 風と時間がゆっくりと2人の間を通り過ぎる中、少したってからようやく悠磨が重い口を開いた。

 「こんなとこまで呼び出して悪いな。実はちょっとお前に聞きたいことがあってな」

 これから彼が話すであろう話題とは裏腹に、彼の表情は穏やかな笑顔を湛えていた。

 ―もしかして、彩音のことじゃない・・・?

 学校の屋上。向かい合うのは、自分がわずかながらに密かに想いを寄せる悠磨。シチュエーションをざっとおさらいした彼女は、少し頬を赤くした。

 それが彼女に一瞬の隙を作ることになり、命取りとなった。こうして警戒心を緩める瞬間を待って、悠磨はただひたすら沈黙を続けていたのだった。そして彼は、寸分たりとも狂うことなくその隙を逃さなかった。

 

 「松本彩音のこと、知ってることを教えてくれないか」


 その一言は、摩耶にとって核爆弾並みの破壊力を持ったものだった。

 やっぱり彩音のことだった。彼はやっぱり知っている。摩耶と彩音の関係も、もうわかっている。それがわかった摩耶は、目に見えたように焦り始めた。

 まさか自分から明かす前に仇敵の口から告げられるとは、いったいどんな方法を使ったのだろうか。ニュースだけでは知ることのできない話を、表面上の親友である景子も知らないことを、どうして彼は知ってしまったのか、それが摩耶の中では重く引っかかっていた。

 「さぁ、いったい何のことだか―」

 「とぼけてもムダだ。昨日俺、彼女のアパートまで行ってきたから」

 摩耶は凍りついた。単純に、たった今彼の口から発せられた言葉に凍りついた。

 ―彩音の、アパートまで、行って、きた・・・?!

 どこまで下種めいた人間なんだろうと、心の底から怒りと恐怖、そして嘆きが沸き上がる。最低だ。思わずその思いを視線で彼にぶつけた。

 しかし悠磨はそれに動じることもなく、

 「勝手に人の過去を詮索して、アパートにまで踏み込んだことは謝るよ。だけどそれは自殺した彼女を救えるかも知れない手がかりが欲しかったんだ」

 沸々と怒りが沸き上がる。

 ―あんた、よくそんなことが言えるわね。あんたが殺したのに・・・

 悠磨は彼女の怒りの理由を勘違いしていた。アパートに踏み込み、過去を探ったことは、親友の自殺で心に傷を負った摩耶をさらに傷つけることだったから怒っているとばかりに思っているのだ。

 ―こいつ、どこまでもサイテーな人間だな。

 「それで何か俺にできれば―」

 

 「あんたのせいよ」


 「・・・?」

 瞬時に、今度は悠磨が凍りつく。

 そこへ、摩耶が一気に畳みかけた。

 「あたしの知ってることさぁ、あんたに全部教えてあげよっか」

 悠磨の顔に、どこか困惑の色が浮かんだ。

 しかし、怒りに狂った摩耶は、何の躊躇もなく、

 

 「全部あんたのせいよ!彩音が死んだのも、あたしが今こうやって傷ついてるのも全部、全部あんたのせいじゃない!」


 「・・・は?」

 いつものキャラと完全に違う摩耶が、全てを自分に擦り付けるかのように叫んだ。確かに悠磨は、摩耶が傷ついたことには納得しているつもりだった。しかし、なぜそれと彩音の自殺が関係しているのか、全く心当たりがなかった。

 呆然と立ち尽くす悠磨に向けて、摩耶は力の限りを振り絞って叫んだ。


 「死ね!あんたも死ね!」


 そのまま摩耶は屋上を飛び出した。「待てよ!」という彼の声も聞かずに―

 あとに残された悠磨は、全く何が起きたのかわからなかった。そして、自分がしたことの何が悪かったのか振り返ろうとしたが、どうしても彩音の自殺に直結するものは思い当たらなかった。


 ※


 「あーあ、怒っちゃった」

 屋上に一人呆然と立ち尽くす悠磨の背後に、そっと一体の幽霊が貼りついた。随分とニヒルな笑顔を見せている。

 「・・・誰だ」

 声が聞こえた悠磨が、後ろを振り返った。そこには何もなかった。いいや―正確には、見えていないのだ。

 「誰だ!」

 思いっきり怒鳴りつけた。先ほど摩耶に押し付けられた不透明な鬱憤を晴らすかのように。

 だが、姿は見えない。

 「ねぇ、悠磨ぁ」

 幽霊は馴れ馴れしく悠磨を呼んだ。

 「私の部屋、勝手に入ったよね」

 そして、先ほどまでとは全く違う声色で、恨みを彼にぶつけた。その言葉に、悠磨が硬直する。

 「松本・・・彩音・・・か?」

 幽霊の姿は悠磨には見えていない。だが、声だけは聞こえているようだ。

 「言ったでしょ、摩耶が」

 「どういうことだ・・・死んだ人間の声が聞こえるなんて、俺もとうとう狂ったか・・・いや、俺は松本彩音の声は知らない・・・だけど―」

 「うるせぇよ」

 一人で無限ループの思考回路に陥った悠磨を、その幽霊はどやしつけた。

 「あんた、そのうちすぐに殺してやる」

 捨て台詞だけを言い残して、幽霊―松本彩音の幽霊は去って行った。

 最後まで姿を見ることができなかった悠磨は、姿の見えない何かに話しかけられて怒鳴られての状況を理解できず、そのままコンクリートの上に崩れ落ちた。

 ―カオスだ・・・なんでこんなカオスなことが次から次へと・・・

 

 そこで彼の意識は切れた。

 その姿を彩音の霊は嘲笑った。しかしなぜか涙が流れていた。

 ―死ねばいいのに。死ねばいいのに・・・嫌いなのに・・・

 そして涙はとめどなく流れ続ける。


 ―好きだったんだ、こんなやつのことが。


 そこで、ふと気づいた。

 彼には、自分の声が聞こえていたことに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る